著者
長崎 郁
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
no.1, pp.185-195, 2011-03

This folktale "Ersienei" is narrated by a female speaker of Kolyma Yukaghir, Mrs.Akulina Vasilievna Sleptsova. Mrs. Sleptsova was born in the village of old Nelemnoe(Sakha (Yakutia) Republic, Russia) in 1930. The folktale was recorded and transcribedin July 26, 2007 during my fieldwork in the village of Nelemnoe. Then I corrected thetranscription with the help of Mrs. Dar'ja Petrovna Borisova, another speaker of KolymaYukaghir, in 2008. The whole text is given in x2, the morphological analysis of the textand Japanese translation are given in x3.ErsieneiI turned 77 this year. I'm still alive and narrate stories. How can I die? The children whocome to me, ask me to narrate stories to them. Well, (I will narrate) the story.There lived a family by the river Yasachnaya, near the mouth of the river Rassokha.They had a daughter. She was 10 years old. They had a boy, the old man and old woman.In the summer, the old man went hunting on foot. The mother and her children cut grassfor their cow. They had a cow. Their daughter was big. She was beautiful. One day,when they so lived, they had a visitor. They were all at home, the father, the mother, andthe children. The visitor came to them and said, "Give me your cow." In reply, the father and mother said, "No, how can we give you our cow? We depend on it for our food andlivelihood." On hearing this, the visitor's expression turned menacing. He said, "Whetheror not you give it to me, I'll take it. If you will not give me your cow, I will kill you."Then they said, "We will not give it (to you)." They merely said that, the old womanand old man. Then he took out his gun, the visitor. And he shot the old man and thenthe old woman. Their daughter was dressed and standing. She wore her suede coat andstood there, Yukaghir suede coat, their daughter. The visitor shot again. He shot a secondtime and brought the old woman down. The girl then ran out, crying and shouting. Theirdaughter cried, shouted, and ran out. The elder son took a frying pan. He took a fryingpan and began to beat it (like a drum). "We turned into a frying pan. Those with dorsalfins came." Then he continued to beat the frying pan and jumped. The bandit saw thisand ran out. The evil visitor ran out. He ran out and stood listening. He stood listening.Where did the girl run to? He tried to find that out. He listened, listened, and understood.From the mouth of Rassokha, the sound of the bell on her suede coat was heard. It wasthe sound of her suede coat's bell. The sound of her suede coat's bell was heard. Then heran toward it. He ran, ran, and ran for a while. He lost track of the girl. He lost the soundof bell, the evil visitor. Then he went back. And the girl reached the mouth of Rassokha,crying and shouting, the poor girl! "Hurry!" She reached the people, the people livingby the mouth of Rassokha, (and said), "Hurry! A man came and killed my mother andfather with his gun. My brother remained there shouting, at home, he took a frying panand beat it (like a drum)." The people living by the mouth of Rassokha left with the girl.They went to her place and took a look. When they entered the house, the old womanand old man had already died. The people then held a meeting. They held a meeting inJaarmon, Jaarmon was the center of the Yukaghirs of Srednekolymsk. People travelledfrom Jaarmon. They came, hunted the evil visitor for three days, and found him. Theybrought him to Jaarmon. They then asked the bandit, "Why did you kill the old womanand old man?" In reply, he said, "To get their cow. I asked them, but they didn't give itto me, that is why I killed them."Some Yukaghirs continue to live by the mouth of Rassokha. The land where the banditwas killed is called "Ersienei."
著者
朱 依拉
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.323-338, 2012-12-26

吉田喜重映画の中では,演技する俳優が登場しない,街の風景や室内のセッ トだけが映る,いわゆるストーリーの展開に関係しないシーン,または画面 の中に俳優がいるにもかかわらず,周りにある何かの存在があまりにも目立 ちすぎたせいでストーリーの展開が邪魔されるシーンが,しばしば撮られて いる。観客はそれらのシーンを目の当たりにする時,よく画面の内部から一 種の不安定さ,頼りなさに気をとらわれる。筆者は画面全体に漂っているこ のような安定しない状態を「不穏な空気」と名づける。 「不穏な空気」の成因として,まず考えられるのは,映画または映画監督の 絶対的な優位性を崩壊させる有効な方法とされる「もの」=他者の導入であ る。吉田喜重映画に見る他者の導入は主に二種類に分けられている。一つは, 世界の無秩序さの露呈によるものである。もう一つは,映像内部からの告発 によるものである。 また,「不穏な空気」の二つ目の成因とされるのは,吉田喜重映画における 混在状態である。吉田喜重映画によく見る混在状態は,テーマ的な混在とい う形でよく現れてくるが,そればかりとは限らない。実際,監督の映画には, 同一事物の持つ二つの性質が同時にスクリーンの上で露呈される混在も,し ばしば見られている。 そして,見る者に不安を感じさせる特権的なものを「眼」として風景の中 に設置することによって,一見普通な風景ショットに緊張感または不安を吹 き込んだことも,「不穏な空気」の一つの成因である。 本稿は,吉田喜重映画における「不穏な空気」の成因を考察することを目 的とする。ただし,考察の対象となるのは,音声や照明などの要素を含まず, 「もの」のある風景のみである。
著者
長崎 郁
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.41-54, 2013-03-25

This paper describes the morphology and functions of verb inflectional forms in Kolyma Yukaghir.It also discusses the grammatical characteristicsof Kolyma Yukaghir participles and examines the difference between participles and deverbal derivatives. The main points of this paper are as follows: (1) Verb forms in Kolyma Yukaghir can be divided into three types according to their syntactic functions: finite forms, participles,and converbs. Although the finite forms, the converbs,and one of the participles (theJE-participle) are monofunctional, two of the participles, the ME-participle and the L-participle,are multifunctional.The ME-participlecan be used in adjectival and main clauses, and the L-Participlecan be used in adjectival, nominal,and main clauses. (2) The distinction between participles and deverbal derivatives cannot always be made by the preservation of the argument structures. Indeed, they have clear differencesin the possibilities for marking some verbal categories(person/number of the subject, tense,and evidentiality). (3) The three participles also vary in the possibilities for marking verbal categories. The ME-participle is formally similar to finite forms. The L-participle exhibits similarities to finite forms and nouns. The JE-participle is similar to the converbs, in that the two forms show few verbal characteristics.
著者
胡 琪
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.241-250, 2013-12-20

「為人民服務」は中国語でよく使われているフレーズとして、広く知られているが、このフレーズに出た「服務」という言葉が日本語から中国語に流入した言葉、いわゆる日本語借用語であることは、あまり知られていないであろう。 「服務」の語源を遡ってみると、高名凱・劉正埮『現代漢語外来詞研究』(1958.文字改革出版者)では、「服務」は日本語からの借用語とされている。その後に出版された高名凱・劉正埮『漢語外来詞詞典』(1984.上海辞書出版社)でも、「服務」を日本語起源と明記している 。しかし、日中両言語における「服務」の使用状況をみると、日本語ではあまり使用されていないのに対し、中国語ではHSKの甲級語彙 に収録され、頻繁に使用されている。日本で造られた「服務」は日中両言語で異なる展開を遂げたのは何故であろう。筆者はかつて日本語における「服務」という言葉の出現とその背景について考察を行ったことがある(胡.2013)。本稿はそれの続きとして、中国語における「服務」という言葉の流入と受容の実態を解明する。
著者
多田 圭介
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-29, 2012

本稿は,M.ハイデガー(1889-1976)の主著『存在と時間』(1927)の思想を,「ロゴス」という観点から捉えなおした全6章からなる論文の第1章である。全6章を貫く主題は,『存在と時間』の体系構想を,アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第6巻における「魂のロゴスを持つ5つの部分」の解釈として読むことにある。この問題意識から『存在と時間』を解釈した先行研究としては,ヴォルピやキシールなど,複数が挙げられる。それらと本稿の立場を分かつポイントは以下である。まず第一には,『存在と時間』という書物の主導的目的を明らかにすること,第二には,その目的に鑑みて,1944年夏学期講義における「ロゴス論」までを,その目的を完遂するために『存在と時間』の立場を維持しようとしたものとして再検討することにある。それでは,『存在と時間』の主導的目的とは何か。一言で述べるなら,哲学的根本諸概念としての「ウーシア」の根底に「恒常的現前性」という時間様態を見出すこと,さらに,それを非本来的時熟に基づくものとして「解体」し,それを統べる本来的時間の動性を語ろうとしたこと。このように言えるだろう。以上が全6章の概要である。本稿では,その内の第1章として,上記の議論の遂行に礎石を据えるために,『存在と時間』の「方法論」を提示する。ことに,「方法節」とも呼ばれる『存在と時間』序論第7節を検討する。第7節では,「現象学」という概念が,「現象」と「学(ロゴス)」とに分けられ,その方法的役割から個別に定義される。本稿の主題が「ロゴス」であるがゆえに,「学(ロゴス)」が定義される第7節Bが中心となる。そこでハイデガーは,言表の「真」とそれに先行するアイステーシス・ノエーシスの「真」について語る。そしてその両者を現象学の「予備概念」にすぎないとし,その「真」と区別された現象学の「理念」を示唆している。第1章は,これらの事象連関を解きほぐし,第2章以下で,アリストテレスの『形而上学』第9巻第10章,および『ニコマコス倫理学』第6巻を視野に入れるための導入をする。
著者
秋月 準也
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.11, pp.93-108, 2011

本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる1920年代から30年代の「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブルガーコフの文学世界の一端を解き明かすことである。ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居と強く結びつけると同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすようなものであった。中編小説『犬の心臓』では,居住面積の調整をめぐってプレオブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シボンデルが,教授が生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身分証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存在が,科学によって創造される人間という『フランケンシュタイン』から受けつがれる空想科学文学の代表的な主題を20年代のモスクワに組み込むことを可能にしている。また喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』でブルガーコフは住宅管理人をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験による住宅管理人ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワのアパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比であった。この戯曲でブルガーコフはツァーリとなったにもかかわらずロシアをまったく統治することができない管理人ブンシャを通して,アパートの管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際には総会(общее собрание)の方針や民警(милиция)の権威に従属した存在であることを明らかにしている。また他方では,アパートを支配したイヴァン雷帝を通して住宅管理人が絶対君主としてアパートを「統治」する危険性があることも同時に示したのである。
著者
寺山 千紗都
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-16, 2012

長きに渡り法によって隔離の対象とされ、偏見と差別に晒された歴史を持つハンセン病という病が殺人の動機として焦点化される『砂の器』は、同時代の推理小説を「社会派」一色にした松本清張を代表する長編作品である。社会派とは、推理小説におけるリアリズムや社会に対する問題提起性を重要視した清張の発言と作風に影響を受けた作品の一群のことであり、その社会派推理小説の金字塔とも呼ばれるこの作品は、日本の社会に現存していた疾病差別の実態を明らかにしているとして、現在も高く評価されている。しかし、推理小説における〞解決〝という点に着目してこの作品を見直してみると、作品の最後で明かされる推理には、真である保証も論理性も欠落していることが明らかになる。動機の保持者がすなわち犯人と名指されるこの作品は、推理された動機が、殺人という行動を起こすに足ると読者が認めるという行動を通して読者自身が〞解決〝する推理小説、と考えることもできるが、このような『砂の器』の推理小説としての〞特徴〝は、ハンセン病に対する「差別」を読者の内に構成するという仕掛けとして機能する可能性を浮上させる。感染力も微弱であり、戦後すぐの時点で日本でも外来治療が可能と医学的に認められていたハンセン病に対し、日本は、『砂の器』の連載が開始された一九六〇年になっても、依然隔離と優生手術の必要が明記された「らい予防法」が保持し続けており、世界から批判の対象となっていた。マスコミも隔離を支持していたという当時の日本にあって、読売新聞という全国紙でハンセン病による悲劇を綴った清張の功績は大きい。しかし、ハンセン病を殺人の動機として推理小説の構造に組み込んでしまったことで、さらに、その推理小説の解決を読者に委ねてしまったことで、『砂の器』はどのような事態を読者に呼び起こし得るのか。ハンセン病に対する「差別」の歴史と合わせながら、この作品がもたらした効果の二面性について考察を行った。
著者
高 啓豪
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.35-47, 2013

個人の身体は、他者とのつながりによって初めて社会性を持つ。これを体現した言葉のひとつに「貞操」があると思われる。この言葉は、極めて私的な領域のものでありながら、公での評価によって初めて意義を持つという、両極端の意義を具有している。本発表では、明治時代の上野で起きた戊辰戦争と内国博覧会を背景に描いた芥川龍之介の「お富の貞操」を貞操のテクストとして取り上げ、語り手・芥川龍之介が駆使した貞操のレトリックを再考し、読み解いていきたい。物語の場所は明治元年と明治二十三年の上野というトポスである。同一の場所ながらも、そこに付与される意味合い・ニュアンスが時代推移によって変わる特徴的な作品として、近代化が表象され可視化されるのである。そこから戊辰戦争という戦時中における非戦闘員である女性に加えられるレイプという形の暴力問題、婦人貞操問題、ひいては日本の近代化などの問題を、身体論の視点から考える。物語のタイトル「お富の貞操」に鑑みて、作品の主人公がお富であることはたやすく思いつく。本作は、お富の持ち前のおおらかな性格が、家庭を幸福へと導く物語であることとの読み解き方が多かった。しかし、語り手芥川が、本作品を第三人称で描いているため、物語においてもう一人の登場人物新公にも同様の重みが置かれていることは見過ごされがちである。新公の立身出世が語られる結末があるからこそ、そこには描かれていないテクストとして、新公の改心談が対等的に存在すると思われる。そこで、本作品と芥川が題材を得たとみられるストリンドベリィの「令嬢ジュリー」(一八八八年)との比較を皮切りに、登場人物の男女の位相、男性の持つ上昇志向などを併せて論じたい。また、近代化では個人の自覚が要請されるが、結局のところ、本作での「近代化」は明治政府による国家の傘下に厳重に管理され、内国博覧会という形で収束されるメタファーとして描かれていると思われる。本発表は、一九二〇年代に発表された「お富の貞操」という作品を取り巻く言説の中から、近代化の中で貞操という概念は如何に確立され、国家の中においてどう機能しているかを考察する。「貞操」は女性のためにあるものか、男性のために作られた制度か。これは、身体・セクシュアリティのアプローチを通して考えると興味深いものである。
著者
大谷 伸治
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-16, 2011

本稿は、昭和戦前期に国民精神文化研究所で「日本政治学」の確立に従事した藤澤親雄の思想について論じるものである。これまでの藤澤を取り上げた研究は、藤澤=独善的な日本主義者という固定観念が強いあまりに、藤澤の言説をいくつか引用するだけで、自由を否定する単純な反近代・反動復古主義者と評価してきた。しかし、藤澤は主観的には、個人の価値や民主主義等の西欧近代的なものを根本的に否定したことはなく、自由主義・個人主義が果たした歴史的意義を認め、その良さを残しながら、危機を乗り越える新しい原理を日本の国体に見出し、それを体系化しようとしていた。また、それはすべてが日本主義的・民族主義的に論じられたわけではなく、西洋諸思想との関連を有しており、「道」「産霊」といった日本的・東洋的な用語を冠していながらも、その目的意識や内容は、彼が批判した矢部貞治の衆民政論と非常に類似していた。すなわち、藤澤と矢部のデモクラシーに対する見方は根本的に違ったが、自由主義・個人主義を克服し、あらゆる対立矛盾を統合する天皇を中心とした民族共同体の構築を目指すという構造的な面において、両者は一致していた。したがって、藤澤の「日本政治学」は、単にファシズム体制を正当化するために唱えられたとするのは正確ではなく、当時さかんに叫ばれた近代の危機に対する政治学的な処方箋の一つであり、彼の意図に反し、当時の日本における代表的な政治学者の一人である矢部貞治の西欧的なデモクラシー論と親和性をもつものであった。また、藤澤が、天皇機関説のみならず、天皇主権説をも否定していたことや、天皇からの恩恵的な権利だとはいえ、「臣民に食を保証する権利」という生存権に類するような権利を認めるべきだと考えていたことも興味深い事実であった。しかし一方で、天皇の権威に服することで日本人はすべて自由であり、天皇にまつろはぬ者には強制力を行使してもかまわないと、国体・天皇に対してあまりに盲目的であった点において、藤澤の「日本政治学」はやはり問題であった。
著者
山田 祥子
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
no.5, pp.261-280, 2015-03

This paper aims to present a text of the Northern Dialect of Uilta (formerly called Orok) spoken in the northeastern part of Sakhalin Island. The text was provided by Ms. Irina Fedjaeva (1940- ) in village Val (Sakhalin oblast, Russia) in November 24th, 2010. She tried retelling a short story narrated by her mother, the late Ms. Olga Semenova.The story was about ogre called dǝpčigiri in Uilta. In this story a man encountered an ogre on a trip to hunting with his child. The ogre appeared from bonfire in their camp at night. It warned the man not to speak anything in the next morning and predicted that if he did it, his child would die. The next morning the man thought that he saw the ogre just in dream, and he did not care about the warning. Then he spoke with his child and after going back home, with his wife as well. After a while his child suddenly fell ill and died at last. It is believed that the ogre took the child away, because the father disregarded his warning.
著者
津曲 敏郎
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.i-iv, 2011-03-25
著者
工藤 遥
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.453-474, 2013

子育て家庭の孤立や育児不安の拡がりを背景に,日本では「子育てサロン」と呼ばれる地域子育て支援拠点づくりが全国的に進められている。地域に住む乳幼児の親子が集う場である子育てサロンは,育児に関する情報提供や相談等を行うフォーマルな子育て支援機関であるが,大都市では,母親同士が「ママ友」等の育児ネットワークを形成し,インフォーマルな育児援助を交換する場・機会としても機能している。本稿では,少子化と核家族化が顕著な大都市である札幌市で実施した質的調査をもとに,子育てサロンおよびその内部における母親同士の育児援助の機能を,「子育てサポートシステム」の視点から検討した。この分析枠組みでは,乳幼児の母親の子育てを支える育児援助は,制度的支援と関係的支援の2つのサポート構造と,3つのサポート機能(直接・間接・複合サポート)および2つのサポート側面(道具的・表出的サポート側面)でとらえられる。制度的支援としての子育てサロンは,運営形態により,センター型,児童館型,地域主体型,常設ひろば型に4分類できる。各類型の子育てサロンでは,保育や発達教育,リフレッシュ支援といったフォーマルなサポート機能が異なっている。また,施設内部で母親同士が相互に行うインフォーマルな関係的支援のサポート機能も,それぞれ異なる特徴や段階がみられる。また,子育てサロンにおける集まりの一部では,母親同士の互助の進展と並行して,育児ネットワークや小集団の形成がみられ,集まりの3つの段階(coming,keeping,working)を経て,「支えあい」の福祉コミュニティへと発展する可能性もうかがわれる。ただし,「子育ち」の視点に立てば,家庭内および子育てサロンの内部における第一・第二の母子孤立を解消し,子どもの発達に重要となる性別・世代混成的なコミュニティを目指した子育て環境づくりが望まれる。
著者
白 尚燁
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.111-128, 2013-03-25

This study aims to clarify the relationship between Udihe verbal derivational suffix –du and person marker. In conclusion, Udihe verbal suffix –du is proved to optionally work as the third person plural marker in the finite verb form, which is a very unique way for the Tungusic languages since most of Tungusic either optionally or necessarily marks the third plural person with the plural suffix -l. This unusual phenomenon is presumed to result from the fact that Udihe lost the common Tungusic nominal plural suffix –l in the process of phonetic change. The similar case of marking the third plural person with verbal derivational suffix in the finite verb is also found in Kirghiz of the Turkic languages.
著者
金城 達也 寺林 暁良
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.469-489, 2012-12-26

本稿は徳之島における生業活動の組み合わせとその変遷を整理し,そのな かでのソテツの位置づけを明らかにすることを目的とした。 歴史的に見た場合,徳之島の生業は稲作を主体に成り立っていた。同時に サトウキビの生産も重要な位置にあり続けた。また,イモや野菜類は自家用 の作物として栽培され,食糧が十分に手に入らない時代には主食のひとつと して重宝されていた。しかしながら現在においては水稲作付は自家用を除い てほとんど営まれなくなった。 そのような状況のなか,徳之島ではソテツの広がる景観が残されてきた。 畑地などの空間にソテツが配置されてきた意味も,こうした生業複合のなか で位置づけられる。同時に,徳之島におけるソテツの意義は現在の利用のな かでも位置づけなおすことができる。 その結果,徳之島の人々が歴史的に複合的に生業を組み合わせることで生 活をなりたたせてきたことが明らかになった。そのうえで,現在の徳之島に おけるソテツ景観が人々の多様な生業活動の結果として形成されてきたこと を指摘し,二次的生業(Second major subsistence)としてのソテツの可能性 について議論した。
著者
深山 洋平
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.12, pp.31-46, 2012

ヘルマン(Geoffrey Hellman)は2003年の著作〝Does category theoryprovide a framework for mathematical structuralism?"(Hellman,2003)において,マックレーン(Saunders Mac Lane)による数学の圏論的基礎付け(MacLane& Moerdijk,1992)とアウディ(Steve Awodey)の圏論を用いる構造主義(Awodey,1996)を誤って結びつけた。彼がどのように誤ったかは,アウディの圏論を用いる構造主義の実際を見ることで理解できる。さらにアウディの構造主義に特徴的な「図式」の概念(Awodey,2004)に対してヘルマンは数学的真理の所在と射のみの立場の一貫性の観点から疑問を呈している(Hellman,2009)。前者の問いは図式の指示の観点から実際に問題であり,後者の疑問は不適切な問題設定であると思われる。
著者
村松 哲夫
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.11-28, 2011-12-26

東日本大震災のような大規模な災害が発生した場合,復旧・復興に向けた中長期的支援と同時並行的に短期的支援,すなわち,生活必需品,医療資源を可及的速やかに被災地に送らなければならない。実際,政府は自衛隊に災害派遣命令を出して,行方不明者の捜索に当たらせると共に,現地に物資を 運ばせた。一方,民間企業も独自に物資を被災地に送った。しかし,結果として,被災民に物資が十分に届いたとは言えなかった。これで特に困るのは慢性疾患患者である。日常的に服用している薬が入手できず,服用が途絶すれば,疾患の悪化は時間の問題である。 被災地域以外では,物資が十分にあり,生産余力も十分にあるのにもかかわらず,被災地に物資が届かないのは,官民共同のロジスティクスが構築できないからである。 このようなときは,政府が率先して民間に頭を下げて協力を要請すべきである。そして,それにかかる費用は政府が責任を持って支弁し,後に国民は相応の負担を甘受すべきである。その上で,官民共同のロジスティクスを早急に構築し,被災者に大量の物資を供給すべきである。そうすれば,生活必需品,医薬品も送れる。これによって,一般被災者だけではなく,慢性疾患患者も安できる。特に後者は必要な薬を入手,服用でき,それによって,疾患の悪化をある程度抑えられる。これは,中長期的に見ると,医療費の抑制に繫がり,そこで節減できた医療費を復興財源の一部にも充てられる。 今回のような轍を踏まないために,政府,地方自治体,企業,国民は,災害への備えを怠るべきではない。
著者
ファルトゥシナヤ エカテリーナ
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.49-67, 2010-12-24

外国文学と比較した際に顕著となる日本文学の特徴として、エッセーというジャンルが盛んであることと、早い段階に女性作家が登場し、今日まで一定の地位を保ち続けていることが挙げられる。本論文では、日本の女性作家のエッセーにおけるモノの描写に着目し、モノの描写がとりわけ顕著に見られるふたりの女性作家、幸田文と向田邦子を取り上げる。ふたりの作家のモノに対する関わりを分析することで、昭和の女性作家のエッセーの特質となる共通点を明らかにし、さらにふたりの相違点にも注目したい。 幸田文の作品からは『かけら』、『髪』、『雛』を取り上げる。向田邦子については、エッセー集「父の詫び状」から『子どもたちの夜』、『ねずみ花火』、『卵とわたし』、『隣りの神様』を取り上げる。