著者
シリヌット クーチャルーンパイブーン
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.475-493, 2013

タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけに,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じて,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わった資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んでいることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言える。一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動であったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたということも考えられる。両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパターンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開することができたと考えることもできる。運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,といった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。
著者
矢板 晋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.531-551, 2013-12-20

近年グローバル化する日本社会において,移民の子どもをめぐる教育問題 が顕在化している。そこでは,彼/彼女らが周辺化―不就学・不登校・学業 不達成―される実態がある。では,移民子弟はどのように周辺化されている のか。また,それはなぜか。さらに「日本の教育」は,どのような教育的公 正を実現すべきか。 筆者は2010年に栃木県真岡市で,2012年に同市と群馬県伊勢崎市で調査 を行った。調査対象は,真岡市の公立小中学校,国際交流協会,教育委員会, NPO法人「SAKU・ら」,伊勢崎市のNPO多言語教育研究所ICS(InternationalCommunitySchool) である。調査方法は主に半構造化面接調査と参与 観察である。 まず,周辺化の実態には大きく二つ考えられる。即ち,「親の周辺化」と「子 の周辺化」である。さらに,前者は「地域」「学校」において,後者は「学校」 「教育機会」「家庭」という空間で周辺化されている。 次に,周辺化の原因は大きく3つ考えられる。第一に,積極的ラベリング と消極的ラベリングというラベリング論からのアプローチである。第二に, 移民子弟や教員の使用言語をめぐる,言語コード論的アプローチだ。第三に, 就学段階における必須要素の欠如である。移民子弟の就学には,学校に「接 触」し,学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3 段階が存在し,各段階で言語資本や社会関係資本などの不足がキーとなる。 最後に,移民子弟を考慮した教育的公正が必要である。「公正」とは,「平 等」の十分条件と解釈され,日本における多文化共生や多文化教育の重要な 概念である。移民子弟の教育的公正に関しては,各就学段階における公正を 実現すべきである。即ち「接触」段階では言語や文化的背景に着目した「象 徴的公正」,「適応」段階においては学習資源や人間関係を中心とする「資源 的公正」,「継続(移行)」段階では進級や進学制度における「制度的公正」の 達成が望まれる。
著者
魏力 米克拉依
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.29-50, 2011-12-26

本稿は,主に現代ウイグル語の漢語借用に見られる音韻現象を分析ものである。具体的な分析の対象は音の対応,母音脱落・融合,渡り音による再音節化などの現象であり,系統的な関連性がない両言語の間に起こる一定の音の対応及び音節構造を決定する要因について検討する。まず,背景となる漢 語借用の先行記述及び現状などから漢語借用語の典型的な音の対応を,次の5つにまとめる:1)複合母音の短縮;2)唇歯摩擦音の両唇閉鎖音化;3)漢語zi[ʦɿ] の母音同化;4)そり舌音の硬口音蓋化;5)破擦音の摩擦音化;次いで,現代ウイグル語の音韻特徴と音節構造を先行記述に基づき,借用語の音韻特徴を考えるとき,そもそも地域で話される借用元となる漢語方言を基盤として考えるべきことを示す。そして,日常的に定着している漢語からの借用データを基に,借用語の音韻構造について再検討を行う。音韻構造の中でも音の変化と音節構造に焦点を置く。そこで,結論として具体的には次のようなことを挙げる:1)母音連続を避けるため,母音脱落,半母音化などが起きる;2)唇歯音f[f]>両唇音p[p]>両唇音[
著者
坪田 織江
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.63-82, 2013-12-20

本稿は,1960年代から80年代までのアメリカのパブリック・アートの具体 的事例の検討をもとに,芸術の公共性についての一見解を得ることを目的と する。この時期のパブリック・アート事例としてとりわけ象徴的なのは,1981 年にニューヨークに設置されたリチャード・セラによる彫刻作品『傾いた弧』 である。本作品をめぐり撤去論争が巻き起こり,その後の連邦政府によるパ ブリック・アート政策に影響を与えた。本稿ではこの論争に注目し,一般市 民と作品との関わりの観点から,芸術の公共性について分析・考察を行う。
著者
大野 裕司
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.6, pp.35-53, 2006

日本の陰陽道研究の成果として、近世以来、混亂のあった禹歩と反閇の關係について、禹歩は、反閇を構成する呪術の一つに過ぎず、反閇はその他の呪術をも含む一連の儀式であることが明らかになった。また、近年の若杉家文書『小反閇作法并護身法』(1154年) の發見と公開(村山修一編『陰陽道基礎史料集成』東京美術、1987年)によって、これまで江戸期の資料に據るほかなかった反閇の儀式次第について、平安期に実際に行われていたと考えられる陰陽道の反閇を知ることができるようになった(ただし、小反閇は、數多くある反閇儀式の一つに過ぎない)。 近年の陰陽道研究の成果として特に重要なことは、陰陽道における反閇は、中國における「玉女反閉局法」に由来するということを明らかにしたことであろう。しかしながら、これまでの陰陽道研究において、玉女反閉局法は、小坂眞二氏らによる『武備志』、酒井忠夫氏による『太上六壬明鑑符陰經』の紹介があるに過ぎず(玉女閉局法はこの二書意外にも、數多くの遁甲式占の書などに記載される)、またその紹介も、部分的なものである。筆者は先に、秦代の出土資料である睡虎地秦簡『日書』に見える、出行の凶日にどうしても出行しなくてはならない時に行う儀式(この儀式には禹歩を伴う)について檢討し、また、この儀式の明清時代に至るまでの變遷についても言及した(「『日書』における禹歩と五畫地の再検討」『東方宗教』第108號、2006年)。その際、玉女反閉局法の儀式次第が見える最も古い文獻『太白陰經』を紹介し、かつ該書に載せる玉女反閉局法には禹歩が見えないことを指摘した。筆者前稿では、紙數の都合により玉女反閉局法については十分な紹介と検討を行うことができなかった。そこで、本稿では、玉女反閉局法を考察するに當たって、最も古いものである『太白陰經』に見える玉女反閉局法について、これと内容的にほぼ同一の『武經總要』の玉女局法を用いて初歩的な校勘を試み、また後世の玉女反閉局法の基礎となったと考えられる『太上六壬明鑑符陰經』と『景祐遁甲符應經』の玉女反閉局法についても初歩的な校勘を試みる。
著者
山田 祥子
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.217-228, 2011-03-25

This paper aims to present two texts of the Northern Dialect of Uilta (one of the Tungusic languages, distributed on Sakhalin Island in Russia). The common theme of the texts is how to cook one of their traditional preserved foods named sulukta, which is made from boiled and crushed meat of fish. The first text (Chapter 1.3 in this paper) was told by Ms. Irina Jakovlevna Fedjaeva who was born in the village Val in 1940. The present author wrote the explanation in Uilta from her dictation in October 28th 2010 in Val, Sakhalin oblast. The second text (Chapter 2.3 in this paper) was told by Ms. Elena Alekseevna Bibikova who was born in a camping place Dagi in 1940. The present author recorded her oral explanation based on her own manuscript in Uilta in October 18th 2010 in Nogliki, Sakhalin oblast.
著者
秋月 準也
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.93-108, 2011-12-26

本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる1920年代から30年代の「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブルガーコフの文学世界の一端を解き明かすことである。 ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居と強く結びつけると同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすようなものであった。中編小説『犬の心臓』では,居住面積の調整をめぐってプレオブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シボンデルが,教授が 生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身分証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存在が,科学によって創造される人間という『フランケンシュタイン』から受けつがれる空想科学文学の代表的な主題を20年代のモスクワに組み込むこ とを可能にしている。 また喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』でブルガーコフは住宅管理人をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験による住宅管理人ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワのアパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比であった。この戯曲でブルガーコフはツァーリとなったにもかかわらずロシアをまったく統治することができない管理人ブンシャを通して,アパートの管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際には総会(общее собрание)の方針や民警(милиция)の権威に従属した存在であることを明らかにしている。また他方では,アパートを支配したイヴァン雷帝を通して住宅管理人が絶対君主としてアパートを「統治」する危険性があることも同時に示したのである。
著者
大野 裕司
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.35-53, 2006-12-20

日本の陰陽道研究の成果として、近世以来、混亂のあった禹歩と反閇の關係について、禹歩は、反閇を構成する呪術の一つに過ぎず、反閇はその他の呪術をも含む一連の儀式であることが明らかになった。また、近年の若杉家文書『小反閇作法并護身法』(1154年) の發見と公開(村山修一編『陰陽道基礎史料集成』東京美術、1987年)によって、これまで江戸期の資料に據るほかなかった反閇の儀式次第について、平安期に実際に行われていたと考えられる陰陽道の反閇を知ることができるようになった(ただし、小反閇は、數多くある反閇儀式の一つに過ぎない)。 近年の陰陽道研究の成果として特に重要なことは、陰陽道における反閇は、中國における「玉女反閉局法」に由来するということを明らかにしたことであろう。しかしながら、これまでの陰陽道研究において、玉女反閉局法は、小坂眞二氏らによる『武備志』、酒井忠夫氏による『太上六壬明鑑符陰經』の紹介があるに過ぎず(玉女閉局法はこの二書意外にも、數多くの遁甲式占の書などに記載される)、またその紹介も、部分的なものである。 筆者は先に、秦代の出土資料である睡虎地秦簡『日書』に見える、出行の凶日にどうしても出行しなくてはならない時に行う儀式(この儀式には禹歩を伴う)について檢討し、また、この儀式の明清時代に至るまでの變遷についても言及した(「『日書』における禹歩と五畫地の再検討」『東方宗教』第108號、2006年)。その際、玉女反閉局法の儀式次第が見える最も古い文獻『太白陰經』を紹介し、かつ該書に載せる玉女反閉局法には禹歩が見えないことを指摘した。 筆者前稿では、紙數の都合により玉女反閉局法については十分な紹介と検討を行うことができなかった。そこで、本稿では、玉女反閉局法を考察するに當たって、最も古いものである『太白陰經』に見える玉女反閉局法について、これと内容的にほぼ同一の『武經總要』の玉女局法を用いて初歩的な校勘を試み、また後世の玉女反閉局法の基礎となったと考えられる『太上六壬明鑑符陰經』と『景祐遁甲符應經』の玉女反閉局法についても初歩的な校勘を試みる。
著者
郭 莉莉
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.213-230, 2011-12-26

近年,少子化への関心が高まっている。各種メディアでも度々特集が組まれ,各政党のマニフェストには少子化対策が多く盛り込まれてきた。このような少子化動向への対応の高まりは,日本国内のみで起きていることではない。西欧などの多くの先進国も同じような問題を抱えており,さまざまな政策が取られている。このように,少子化動向は世界の先進国と中進国を問わず,問題になってきた。 とりわけ,日本では,少子化がますます進み,人口減少に歯止めがかからない。これまで政府主導による「新旧エンゼルプラン」「少子化対策プラスワン」など,各種の少子化対策が積み上げられてきたが,社会全体の少子化傾向は止まらない。本稿では,日本の少子化の現状,原因,影響を考察して,日本における少子化対策の問題点究明を試みる。少子化の進行は将来の日本の社会経済にさまざまな深刻な影響を与えると懸念されるが,反面で日本社会のあり方に深く関わっており,社会への警鐘を鳴らしていると受け止められるからである。 少子化を克服した先進国フランスは,近年少子化に悩んでいる日本でもその実情が広く知られるようになった。フランスにおける対応のうち優良事例を検討することは,日本で少子化対策を進めるうえでも,一定の意義がある。
著者
趙 熠瑋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.339-358, 2013

荻生徂徠は江戸幕府最盛期に伊藤仁齋と竝される古學派の儒學者である。荻生徂徠については、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。特に、丸山眞男の『日本政治思想史研究』は後の徂徠研究に多大な影響を與えた。丸山氏は徂徠の近代性を強調し、「朱子學的思惟式とその解體」、「徂徠學の政治性」、「徂徠學における公私の分裂」などを論點として捉えた。ほかに、平石直昭、子安宣邦、吉川幸次郎の各氏も々な角度から徂徠の反朱子學という點を論じた。しかし、吉川幸次郎氏が「徂徠學案」に示したように、徂徠の學術も人生も一定不變ではなく、幾つかの段階を踏んで所謂徂徠學が形成された。1714年、徂徠49歳の頃、『園隨筆』が刊行され、1717年、『辨名』、『辨道』、『學則』が刊行された。1718年、53歳の頃、徂徠の「四書」注釋の集大成作『論語徴』が完成した。これまでの研究によれば、徂徠は基本的に朱子學を批判する立場で自らの儒學論を展開した。果たして徂徠の學術人生は終始變わらなかったのであろうか。それとも、時期によって徂徠の考えにも變化があるのであろうか。本稿では、執筆時期を異にする徂徠の著作の吟味を通じて、徂徠學の中心的概念と思われる「道」について、時間經過を辿って證した。その結果、徂徠の反朱子學的な學説に變化の過程があったことが判明した。
著者
池田 誠
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.21-33, 2010-12-24

本稿では、ジョン・ロールズの『正義論』における功利主義批判のキーワード「人格の区分の重視(taking the distinction between persons seriously)」について考察する。ロールズによれば、功利主義やそれが提案する道徳原理である功利原理は現実の人々の「人格の区分」を重視しない。この批判は、功利主義は全体の功利の最大化のためなら平等や公正な分配を無視した政策でさえ支持するという政策・制度レベルの批判ではない。むしろこれは、功利主義は功利原理の各人への「正当化」および正当化理由のあり方に対し無頓着であるという、道徳理論・方法論レベルの批判である。ロールズによれば、功利主義は人格を、「不偏の観察者」という想像上の管理者によって快い経験や満足を配分されるのを待つ単なる平等な「容器」のようなものとみなす。だがロールズによれば、われわれの常識道徳は、人格を、自らに影響を与える行為・制度に対し、自らの観点から納得の行く正当化理由の提示を請求する権利を持つものとみなしている。この各人の独自の観点や正当化理由への請求権を認めること、これこそが「人格の区分」を重視することにほかならない。 以上の事柄を『正義論』での記述に即してまとめたのち、私は、アンソニー・ラディンによるこの批判の分析・論点整理(Laden 2004)に依拠し、ロールズ自身に向けられてきた「人格の区分の軽視」批判が、ロールズ正義論の全体を把握し損ね、近視眼的に眺めてしまうがゆえの誤りであることを示すとともに、ロールズの「人格の区分」批判の論点が功利主義の根底に潜む「非民主的」性格にあったことを明らかにする。その後、結論として、ラディンの分析に対する私なりの考えと異論を述べるとともに、ロールズ正義論が現代倫理学において持つ意義について触れたい。
著者
武石 智典
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.359-384, 2013-12-20

吉田松陰(1930~1959)は,江戸末期の長州藩士であり,思想家,教育者 として知られている。吉田松陰は明治から現代に至るまで人気が高く評価の 高低は別として,注目されてきた人物である。松陰に関する先行研究は,様々 な時代ごとの背景や世論に左右されてきた。松陰に対する評価は,昭和二十 年の八月十五日の敗戦以前と以後で大きく分けることができる。端的に言え ば,戦前の松陰像は「憂国の忠臣」であり,戦後は「人道主義の教育者」と して評価されてきた。つまり,松陰の多角的な事績から時代ごとの背景や世 論に合わせて松陰像が築かれてきた。戦前といっても明治,大正,昭和では 松陰像が異なる。また,戦前の松陰像に対する反動から新たな松陰像が築か れた。更に,研究者の基盤となる学問領域を軸としての松陰像を形成されて きたというのも戦後の松陰像の特徴である。更に,松陰の「草起論」に 対する解釈や「水戸学」との距離感,亦は「雄略論」における対外姿勢や松 陰の攘夷の定義といった先行研究においても解釈が分かれる問題がある。 本稿は,吉田松陰の忠誠観と対外認識及び政策に着目し,時代区分に沿っ て松陰の思想の変遷を明らかにするものである。また,先行研究で解釈が分 かれる「草起論」に対する解釈や「水戸学」との距離感,亦は「雄略論」 における対外姿勢や松陰の攘夷の定義といった問題に対して,新たな考察を 試みた。 結論として,松陰の忠誠は,最終的には天皇と朝廷,藩主と藩を分離し, 天皇―藩主―松陰(草)といった構造を築く。また,対外認識及び政策を 巡っては,松陰が攘夷を求めた理由は,松陰が,一貫して華夷秩序に則して 西洋列強を外夷と見なし,日本の独立を脅かす脅威として認識していたこと にある。また当初の近隣国に対し武力進出を主張した当初の「雄略論」から 後に交易により国を豊かにするとした「雄略論」へと変化していることを明 らかにした。
著者
喬旦 加布
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.103-136, 2012-12-26

チベット人地域のうち,本稿ではチベット高原東北のアムド
著者
周 菲菲
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.85-102, 2012-12-26

グローバリゼーションが進む中,人,モノや情報がいわゆる「時間と空間の圧縮」(Harvey,1989)を経験している。そこで,グローバルで脱領土的な社会生活が生まれるとされるが,その最も顕著な例は観光である。現在,インターネットのグローバルな普及によって,双方向性の情報コミュニケーション革命が発生し,観光者は受動的な客体ではなく,観光を「制作」する主体ともなっている。観光イメージやヒト,モノがグローバルな科学技術と連動して越境する,こういう観光の複雑なメカニズムや出来事を解き明かす為には,インターネットについての質的なアプローチが要請されている。そ こで,筆者は本稿でまず中国人観光についての研究におけるインターネットの重要性を論じ,従来の観光研究におけるインターネット研究をレビューし,更にオンライン・インタビュー,バーチャル・エスノグラフィー,焦点インタビューといった質的オンライン研究のいくつかの手法を取り入れ,北海道への中国人観光者を考察した。本研究により,インターネット時代の観光研究に新たな方向性を示したい。
著者
小坂 みゆき
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.51-69, 2011-12-26

中国朝鮮族の社会は,本来は農村社会であり,その社会固有の儀礼・習俗を持っていた。しかし,漢族が大多数である中国社会の中での少数民族という立場から,中国社会の枠組みの中で起こる社会現象や,漢族の影響を受けることは避けられない。また,経済自由化政策による中国社会全体に広がっ た市場主義的経済観の影響をうけ,朝鮮族社会の生活環境,生活習慣は大きく変化するにいたった。 特に,中国朝鮮族の現在の特徴的な現象として,韓国等の外国への出稼ぎがあり,家族の中に出稼ぎ者のいない家庭はないと言っても過言ではない。このことは,日常生活のみならず,年中行事や婚姻儀礼などの人生儀礼の実施においても大きな影響を及ぼしている。また,出稼ぎ者の収入により,家 庭は経済的には少しずつ裕福となり,農家をやめ農村を出て都市部で暮らすようになった家庭も多数現れている。農村社会であったこれまでの中国朝鮮族社会は急激に解体の方向に向かっている。一方,日常的に出稼ぎ者不在の状況のもとで都会生活を営むようになった人々により,新たな中国朝鮮族の文化,生活と呼べるものが生み出されている。 民族固有の文化といわれたものであっても,時の経過とその時々の周りをとりまく環境によって変遷を遂げていくものであり,ゆるぎなく確立されたものではない。変化はその時々における民族を構成する人々が自らの生活のなかで選択した結果なのであって,それもまた一つの文化の姿である。 本稿では,中国朝鮮族における婚姻儀礼を動態として取り上げ,その変化を分析するものである。分析方法は,現地における経験的参与観察から得たデータを基本とし,朝鮮半島から中国に移住した後,中国での急激な社会変化を経て,中国と韓国との往来という移動を頻繁に実施している今日までの 間を比較分析した。 朝鮮族の人々の婚姻儀礼も,社会・生活環境の変化に伴い変遷を遂げているものの,婚姻儀礼を完全に放棄しているわけではない。婚姻当事者にとっては新たな家庭を築くうえで大切なものであり,民族に伝わる儀礼を行いたいという欲求は失われることはなく,変遷を遂げながらも残されていく儀礼 の1つといえる。 朝鮮族の人々が,婚姻儀礼のうち,何を大切な部分であると理解し,そのまま残そうとし,あるものは簡略化し,あるいは省略するなどしたのかという点は,近代化,社会環境の変化,生活様式のグローバル化が進むことによる要因が大きい。これは近代化の波にさらされる他の民族においても同様であり他民族における婚姻儀礼の変遷にも共通する。 本稿においては,この研究を通じて得られた資料・知見等をもとに,中国朝鮮族にとどまらず,他民族においても示唆的であると考えられる婚姻儀礼の変化要因となるものについて分析,考察しそれを指摘した。
著者
胡 琪
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.241-250, 2013

「為人民服務」は中国語でよく使われているフレーズとして、広く知られているが、このフレーズに出た「服務」という言葉が日本語から中国語に流入した言葉、いわゆる日本語借用語であることは、あまり知られていないであろう。 「服務」の語源を遡ってみると、高名凱・劉正埮『現代漢語外来詞研究』(1958.文字改革出版者)では、「服務」は日本語からの借用語とされている。その後に出版された高名凱・劉正埮『漢語外来詞詞典』(1984.上海辞書出版社)でも、「服務」を日本語起源と明記している 。しかし、日中両言語における「服務」の使用状況をみると、日本語ではあまり使用されていないのに対し、中国語ではHSKの甲級語彙 に収録され、頻繁に使用されている。日本で造られた「服務」は日中両言語で異なる展開を遂げたのは何故であろう。筆者はかつて日本語における「服務」という言葉の出現とその背景について考察を行ったことがある(胡.2013)。本稿はそれの続きとして、中国語における「服務」という言葉の流入と受容の実態を解明する。
著者
松下 隆志
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.71-91, 2011-12-26

1990年代のロシアでは,欧米諸国に遅れる形でポストモダニズムが流行した。ロシアのポストモダニズムは,元来アメリカの後期資本主義の発展を受けて形成されてきたものであるこの思想を,コミュニズムの文脈に置き換えて解釈する独自のものである。イデオロギーの集積から成るソ連社会を実質 を欠いた空虚な存在とみなすロシアのポストモダニズムは,実際にソ連崩壊を経験した新生ロシアにおいて大きな影響力を持った。文学の領域においても,ポストモダニズムはロシアの伝統的なリアリズムを超克する新しい潮流としてポストソ連文学のもっとも先鋭的な部分を代表するものとなったが,保守的な作家や批評家には大きな反発を引き起こした。このように1990年代には賛否両論喧しかったポストモダニズムだが,ソ連崩壊から時間が経つにつれセンセーショナルな性格は弱まっていった。結果として,2000年代以降のロシア文学はリアリズムの復興,若い世代の作家の台頭,政治性の高まりなど,より多様な展開を見せており,ポストモダニズムもそうした多様性のなかの一潮流として看做されるようになっている。 本論では,このように90年代のトレンドであったポストモダニズム文学が2000年代以降どのような展開を見せているかを,パーヴェル・ヴィクトロヴィチ・ペッペルシテインПавел Викторович Пепперштейн(1966-)の小説『スワスチカとペンタゴン』《Свастика и Пентагон》(2006)を取り上げて考察する。ペッペルシテインはロシアのポストモダニズムの先駆的存在であるアート集団「モスクワ・コンセプチュアリズム」に属するアーティスト・作家であり,『スワスチカとペンタゴン』は探偵小説のロジックとポストモダニズムの哲学をミックスさせたユニークな作品である。第一節では,作品分析の下準備として,ソ連崩壊後の90年代にロシアにおいてポストモダニズムと探偵小説が果たした役割を概観する。第二節では,2000年代以降の文学的 動向を視野に入れながら本作品の分析を行う。第三節では本作品に仕掛けられたトリックを解明し,ペッペルシテインの創作において「解釈」が持つ重要性を考える。
著者
風間 伸次郎
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
サハリンの言語世界 : 北大文学研究科公開シンポジウム報告書
巻号頁・発行日
pp.127-144, 2009-03-08

本稿は前半部と後半部からなる。前半部ではニブフ語の類型論的な対照、後半部ではニブフ語とツングース諸語の言語接触を問題にする。前半部は、特に文法に関して、類型論的な観点からニブフ語とその近隣諸言語の異同について対照を行うものである。近隣諸言語としては、特に朝鮮語とツングース諸語を重点的にとりあげる。必要に応じて、日本語、モンゴル語、アイヌ語、エスキモー語などもとりあげる。後半部の言語接触に関しては、ツングース諸語(特にウルチャ語)からニブフ語への借用、もしくはその逆方向への借用をとりあげて論じる。