著者
土岐 寛
出版者
大東文化大学
雑誌
大東法学 (ISSN:02870940)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.四三-六九, 1995-03-30
著者
坂井 雄吉
出版者
大東文化大学
雑誌
大東法学 (ISSN:02870940)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.二六一-二七三, 1996-03-30
出版者
大東文化大学
巻号頁・発行日
2015

中国において書はいかにして芸術となったか。本論は、その答えを、書を芸術としてみることを可能にするような「思想」の形成過程に探ろうとする。書を批評することは、およそ後漢の頃にはじまり、魏晋南北朝に盛んになった。それはいわゆる「書論」として結実する。書についての思想を尋ねようとするなら、第一に参照しなければならないのはそうした書論であろう。しかし、書という芸術を支える思想の形成過程を考えるとき、狭義の書論のみを研究対象とするのでは不充分である。もとより書は領域横断的な文化であり、書をめぐる思想は、さまざまなテクストに散在しているからだ。本論は、このような視座に立って、書論のみならず、文字学、言語哲学、文学論、画論といった分野のテクストを互いに接続し、交差させる。それによって、書をめぐる「思想」が形成されてゆくダイナミックな過程を浮かび上がらせようとした。
著者
中道 知子
出版者
大東文化大学
雑誌
大東文化大学紀要. 人文科学 (ISSN:03861082)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.259-271, 2004-03-31

外来語「サービス (する)」は多義である。その多義の中で, <用役, 用務など, 無形のものの供給> という意味は, 従来の大部分の国語辞書においては, 経済学的な専門用語であるとされており一般的な語義として位置付けられていなかった。しかし, 「サービス (する)」の現実の用法を観察し, 当該語の多義的な意味相互の関係を考えるときに, この意味を1つの《基本義》として位置付けることが, 当該語の総合的な意味記述には必要である。外来語「サービス (する)」が日本語の語彙の中でその意味を確立する際の現象として, 原語に当たる"service" の持っている意味そのままに近い形で取り入れた意味・用法 (基本義1) と日本語の語彙体系の隙間を埋めるような形で確立した意味・用法 (基本義2) との2つがあり, それぞれが派生語を生ずる形で, 当該語の多義構造が形成されていると考えるのが適切である。
著者
高橋 豊蔵
出版者
大東文化大学
雑誌
Research papers
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-29, 1986-11-15

1. 序論 この小論は, イギリスおよびアメリカにおける貨弊価値変動会計についてとりあげたものである。2. イギリスにおける貨幣価値変動会計2. a第二次世界大戦後のインフレーション会計イギリスにおいては、第一次世界大戦 (1914〜1918) 後はドイツ フランスアメリカの場合と異なり物価指数は上昇したものの1920年を頂点として急速に下落しはじめ1932年には戦前を下まわったためインフレーションに関する文献もあらわれなかった。しかし、第二次世界大戦 (1939-1945) 後は, インフレーションの影響を大きく受けたためインフレーション会計の多くの文献をみることとなった。それは次のごとくである。1945年の所得税法ICAEW (The Institute of Charterd Accountant in England and Wales) の勧告書12号 (1949) ICAEWの勧告書第15号 (1952年) これらの共通点は固定資産と棚卸資産をその中心に置いている点にある。ACCA (The Association of Certified and Corporate Accountants) の「貨弊購買力の変動と会計 (1952)」では取替価格についてとりあげている。2. bサンデランズ, レポート (1975) 本報告書においてはカレントコスト会計を提唱し, 一般物価変動会計を否定したことから、イギリスのインフレーション会計の基本方向は一転することとなった。2. c現在原価会計 これを計算例によって示したのが現在原価会計でサンデランズレポート第12章と第13章によっている。その後1976年に組織されたモーペス・グループのED (exposure draft) 18号の発表とそれに対する批判, ついで会計基準報告委員会は (1) ハイド委員会による簡潔な暫定ガイドライン (1978年から上場会社に適用) と (2) モーペス・グループによるかなり簡素化し、また公表物価指数の使用と従来の財務諸表を重視する改定恒久基準 (1979年から大企業に適用) の2本立で臨んでおり、この両方式のカレント・コストによる修正は (1) 減価償却と (2)在庫評価格益の2項目に限り, さらに (3) の貨幣項目の修正は議論の余地があるというのが実情のようであり, この (3) についての結論がでるのには多くの時間を要することが予想される。3. アメリカにおける貨幣価値変動会計3. aインフレーション会計の現状アメリカのインフレーション会計研究の展開過程は2つの系譜に分けられる。第1の系譜は3bでとりあげる一般購買力修正会計であり, 第2の系譜は, 3cでとりあげる取替原価会計である。3. b一般購買力修正会計 イギリスのインフレーション会計については第一次世界大戦 (1914〜1918年) 後には文献にみるべきものがなかったが, アメリカにおいてはスウイニーによる研究が1927年以降, 多くの諸論文となって示された。そして1936年にこれらの成果をまとめた Stabilized Accounting として発表されたのである。スウイニーはアメリカにおけるインフレーション下において名目貨幣計算がもたらす経済的矛盾によって生じた計算的混乱を避けるため, 企業は一般購売力の維持とその拡大を図るため, 一般物価指数を安定物価基準にとって貨幣価値変動を考慮した場合の純損益を計算し, もって経営の指針とすべきだとしたのである。しかし, スウイニーの研究は当時引続き試みられなかった。だが1974年に至ってFASBC (財務会計基準審議会) が, 「一般購買力単位による財務報告」を発表したのを始めとした諸論文によって, 一般購買力単位による会計情報が実際に適用される段階に進むかにみられていたのである。3. c取替原価会計 第2の系譜である取替原価会計についてはE.O.エドワーズとP.W.ベルによる「意志決定と利潤計算」(1961年) がまずあげられるが, 1976年3月に, SEC (証券取引委員会) は会計連続通牒190号で、同年12月25日以降に終了する事業年度から一定の規模の企業に対し, 特定項目の取替原価法の開示を義務づけた。したがって取替原価会計が, SECが取替原価に関する情報を一部の特定項目に限定しているが開示させる方向に動いたことは, SECがこれまで取得原価主義会計を制度的に実施してきただけに, アメリカの公表財務諸表制度がこれを契機として転換する可能性を示唆しているかにみえる。
著者
小野 愛子 艾 美娟
出版者
大東文化大学
雑誌
大東アジア学論集 (ISSN:21859760)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.47-57, 2001-03-31

The subject of this thesis is to give a close observation on her method and thought of literary expression. When reading through San Mao's works, the change or a kind of progress is recognized on her way of expression and the character of her thought at the turning point when she returned to Taiwan in year 1981. So, her creative activities should be divided into two periods. The earlier period is considered to be 4 years, from May 1976, the time when "the Stories of Sahara" was published, to February 1979 when "Gentle Nights" was published. There were 5 books written during this period, the most brilliant ones of her all. And that was the time of 6 years when she spent her life with her husband Jose. "I could not have written any of my books if Jose did not offer me the freedom, the confidence and the love." San Mao wrote. To her, the marriage life with Jose was the peak of her life. And she lived radiantly for herself then. The death of Jose changed her philosophy of life and her way of expression as well. In 1981, San Mao returned to Taiwan. And from then on to the time when she died, her creative activities is determined to be the later period. During this period there were the publications of "Falling Flowers in my Dream" -the memory to her husband, "Walking Over Mountains & Rivers" -the travel notes to Middle South America, "Words from my Heart" -the letters to the readers, "The Storm of the Fleeting World" - the script, and etc. And it was also the time that San Mao wrote for her readers and the world as a mature writer. Above all, the works of her earlier period and later period expressed two different philosophy of life. The observation was focused on the method of expression and thought while comparing her works of the 2 periods.
著者
穴見 明
出版者
大東文化大学
雑誌
国際比較政治研究 (ISSN:09189092)
巻号頁・発行日
vol.11, 2002-03

どうもありがとうございました。それでは、時間も過ぎておりますので、そろそろシンポジウムを閉じさせていただきたいと思います。今日の報告者の皆さんのお話などからも、より明らかになったと思いますが、この首都機能移転問題自体が、多面的な問題でありまして、いろいろ多様な論点があることに加えまして、その問題の時間的なスパンにつきましても、いろいろな考え方があるということで、とてもこれだけの短い時間で、十分議論することは難しいわけですけれども、それにしましても、今日のシンポジウムを通じまして、問題の所在であるとか、あるいは問題の重要性であるとか、そういったことがかなり明らかになったのではないかと思います。そういうことで、主催者側としましては、今日、ご報告をお引き受けいただきました大坂先生、昇先生、竹下先生にあらためて御礼を申し上げたいと思います。それからまた、本日このシンポジウムに、出席していただいた皆さんにも、あらためて主催者側を代表して、お礼を申し上げたいと思います。それではこれで、シンポジウムを終わりとさせていただきます。どうも長い時間お疲れ様でした。
著者
川村 千鶴子
出版者
大東文化大学
雑誌
環境創造 (ISSN:13468758)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.29-45, 2002-04-25

「創造性」とは何か。学際的な研究者の出会いが、新しい自律した学問領域を構築するためには、どのような共通認識をもち、どのようなプロセスを経ていくべきなのだろうか。諸科学の専門性を生かして、相互裨益てきに示唆を得て、自律したより高度の理論体系の構築をめざすとき、「創造性」は、その鍵概念といえよう。本稿は、学際的環境が創造性を発揮しうる条件として、自己内発性、衝突や葛藤に耐えうる能動的対話力、創発の取り込み、共通目標の明確化とリテラシーの獲得をあげ、その理由とプロセスを考察する。またトランスナショナルな研究活動には、異文化間トレランスの醸成が必要である。それらは、心理学、経営学、異文化間教育学などの理論的蓄積とNGO活動の研究をもとに考察した。
著者
渡邉 義浩
出版者
大東文化大学
雑誌
大東文化大学漢学会誌 (ISSN:04149572)
巻号頁・発行日
no.44, pp.63-80, 2005-03
著者
小島 秀夫
出版者
大東文化大学
雑誌
若手研究
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究では、共謀のみ関わった者に正犯としての性質、すなわち共謀共同正犯が認められるのはどのような場合か、法哲学・言語哲学の分野で展開されている言語行為論やドイツ刑法典に規定されている申合せ罪をめぐる議論を踏まえて、立ち入った考察を加える。本研究を通じて、本来ならば教唆犯や幇助犯として軽い量刑で処罰されるべき者が共謀共同正犯として格上げされていないか、明らかにすることができると考えている。
著者
杉山 若菜
出版者
大東文化大学
巻号頁・発行日
2019

本論文は、大江健三郎の小説やエッセイ・文学論等を含む言説全体を視野に置き、七〇年前後に顕著となった大江自身の〈想像力〉の探求と自己検証を起点に、およそ八〇年代半ばまでの文学活動の〈実践〉の展開を追った。中でも『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』に次ぐ『文学ノート』は、小説『洪水はわが魂に及び』との併読を企図した「創作ノート」であり、かつ、執筆中の自分自身を分析した「臨床報告」として刊行されていることから、大江の〈想像力〉の軌跡を考察する上で重要な〈ノート〉であると位置づけた。その上で『文学ノート』と『洪水はわが魂に及び』の併読により摘出した「開かれた自己否定」「祈り」「ヴィジョン」といったキーワードを手がかりにして、八〇年代半ばまでの小説やその他の言論を分析した。その結果、「想像力」に端を発した大江の自己検証と〈実践〉が、「神と呼ぶところのもの」に接近し得る前段階としての、「『祈り』と呼ぶほかにないもの」の位相へと逢着する推移を確認した。