著者
岡見 知紀
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
若手研究
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究では、走査型電子顕微鏡を用いて、墨書土器および硯に付着した墨の煤粒子を観察する。その大きさや形状から、製墨方法や墨品質の差異を明らかにし、各遺跡における墨使用の実態を明らかにすることを目的とする。①日本における墨および製墨技術の変遷②墨からみた地域特性③東アジアにおける墨および製墨技術の伝播以上の3つのテーマを主軸にし、日本各地および韓国、中国へ対象地域を広げ体系的な研究をおこなう。多様な地域や時代の試料を観察することにより、製墨技術研究の基礎となるデータを蓄積し、そのデータから墨の利用や製墨技術の変化をとらえることができる。
著者
西藤 清秀 吉村 和昭
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2016-04-01

パルミラ人は、紀元前2世紀から紀元後3世紀に海路にも隊商を編成し、東はインドまで進出し、バハレーンは格好の寄港地・基地として利用され、パルミラ人のティロス社会への進出も生み出している。本研究ではティロス期の墓の考古学調査と種々の学術領域や手法を用いて、パルミラ社会とティロス社会の交流を可視化する。2019年度、マカバ(Maqaba)1号墳の発掘調査、三次元計測、人骨・遺物の精査を実施した。発掘調査では4基の漆喰棺の完掘と5基の漆喰棺の検出を行い、少なくとも5点の成果を得た。第1は、未盗掘の漆喰棺F-0063を検出し、遺体にストライプ状の有機質を組み合わせた被せ物を施した埋葬状態と副葬品の位置と種類に特色があった。特に左手の甲付近から出土した革袋入り硬貨は、過去数百基も発掘されているティロス期の古墳では初例である。第2は、F-0056の棺長辺側にはパルミラで認められるような水鉢状の施設が付随する形で検出でき、さらに盗掘を受けているが、遺存状態の良好な若年から成人の男性の人骨を検出し、今後の理化学的な分析が楽しみな1体である。第3は、棺への供献土器である。F-0056、F-0062、F-0063の棺蓋石上から完形の施釉陶器碗が各1点、供献時の状態を保ち出土し、今後のティロス期の供献土器の在り方を探る上で重要な例となった。第4は子供を葬ったと思われるF-0064から10枚の真珠貝が出土した。既往の発掘例から真珠貝と子供がティロス期に密接に関係しているが、今回の例はその中でも最も多くの貝が副葬品された墓である。第5は、F-0049では棺外側に周壁を設けた新たな形態の墓の発見である。このように従来ティロスの墓ではあまり認められなかった5点の要素が今回の調査で確認できた。
著者
北山 峰生 藤原 学 竹村 忠洋 山岡 邦章
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

煉瓦の製作技術を反映する痕跡が、製品の外面にどのように現れるかを確認した。その視点にもとづき、明治時代から大正時代にかけての、煉瓦生産の技術的推移を検討した。その結果、一般に言われているような生産工程の機械化は、関西地方では一般的ではないことが明らかとなった。このことから、従来の研究で構築された大手企業の記録に基づく枠組みでは、産業の実態を捉えられていないことを指摘できる。
著者
西藤 清秀 青柳 泰介 中橋 孝博 篠田 謙一 濱崎 一志 石川 慎治 花里 利一 吉村 和久 佐藤 亜聖 宮下 佐江子
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

シリア・パルミラにおける葬制に関わる研究を目的として、パルミラ遺跡北墓地に所在する129-b家屋墓の発掘調査をシリア内戦の激化で中断する2010年まで実施した。しかし、内戦の激化はその後の現地調査を不可能にさせたたが、129-b号の内外部の復元を図上でおこなった。また、出土した頭骨の顔を復顔し、その頭骨が収められていた棺に嵌め込まれていた胸像の顔との比較をおこなった。その結果、胸像は死者の肖像と言えることがわかった。さらにヨーロッパや日本の博物館や美術館に所蔵されているパルミラの葬送用胸像を中心にパルミラ由来の彫像を3次元計測した結果、顔の部位の配置にある一定のルールが存在することが判明した。
著者
石黒 勝己
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2017-06-30

宇宙線ミューオンによる墳丘内部の計測をすることで春日古墳の内部3D画像を作成、内部埋葬施設の検出や構造の解析をした。さらに結果を用いて周辺に存在する藤ノ木古墳と比較研究を行った。西乗鞍古墳では作成した画像を電磁探査による探査結果とも比較して埋葬施設位置の特定に役立てた。これらの測定は検出器である原子核乾板の弱点であった熱に弱く夏季の使用が難しいという点を技術開発によって克服したうえで行った。さらに改善点を生かしてこれまでに箸墓古墳及び日本の古い塑像の計測データも取得することが出来た。
著者
西藤 清秀
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2017-06-30

本研究は、紛争、開発、自然災害により消滅した有形文化財(以下文化財)・建造物を3次元画像として再現することである。紛争や自然災害は、多くの重要な文化財や建造物の破壊を招き、また昭和の高度経済成長期の宅地開発や社会インフラ整備は、多くの遺跡を消滅させた。これら対して本研究は、2点に焦点を当て実施する。第1点はISに爆破されたシリア・パルミラ遺跡ベル神殿の3次元画像をもとにした再現、第2点は宅地開発等で消えた古墳群・古墳の過去の写真による3次元的再現である。第1点のベル神殿の3次元画像の再現は、ドイツ考古学研究所の画像の提供により、一昨年より僅かに進展した。第2点の過去の写真を活用しての古墳群・古墳の3次元画像の再現は、住宅開発で消滅した奈良県御所市石光山古墳群、同市西松本古墳群、さらに長年の耕作地利用と学校建設によって墳丘の姿を変えていった明日香村小山田古墳において実施した。これらの古墳群・古墳の3次元的再現には戦後直後、1940年代後半に米軍によって撮影された空中写真を利用した。その結果、石光山古墳群では、一基一基の古墳の位置を明確に確認できた。西松本古墳群では、過去に調査された古墳の位置が報告文だけであったが、今回の画像から調査された古墳の位置を検証することができた。明日香村小山田古墳では、学校建設によって外観的にはほとんど消滅した古墳の墳丘を学校建設前の1948年の姿に甦らせることができた。本研究において過去の画像を現代的に活用し3次元化した結果、消失する前の古墳・古墳群とその周辺地形の新たな姿を再現することができた。今後、古墳群や古墳の歴史的立地環境を考える上で絶好の材料を提供することができ、新たな研究への窓口を開くために大いに貢献できると考えている。
著者
石黒 勝己
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2016-04-22

春日古墳(奈良県斑鳩町)を対象にしたミューオンラジオグラフィーに関して、画像の分解能を上げるために計測期間を3ヶ月間に延ばして観測を行った。さらに画像化の方法も最適化し、春日古墳墳丘内部画像の作成を行った。画像には埋葬施設による空洞と思われる領域があり、この評価を行うために、シミュレーションを行って古墳内構造の具体的な検討をした。墳丘の外形測量データに対し、色々な大きさ、方向の埋葬施設を墳丘内部に仮定してコンピューター上でミューオン計測を再現、どのような空洞を仮定したときに計測データと最も合うかを検討することで是を行った。結果として 古墳中心部分、南南西からに北北東方向に長さ6.1±0.5m,高さ2.0m,幅1.8mの空洞を想定した場合に最もデータと合うものであった。この結果は考古学者によって構成される春日古墳調査検討委員会および物理学の国際会議であるICMaSS2017で発表し高く評価された。また、観測に際し原子核乾板を固定して設置する治具の開発をした。野外にフィルム(原子核乾板)を垂直に縦置きして長期間固定する必要があるがフィルム取り換えが容易にできることも必要である(放射線の蓄積などによってフィルムが劣化することによる)。これに対応する冶具の設計としてレール加工をした冶具ににフィルムを貼り付けたアルミ板を差し込む構造を考案し製造した。冶具は 野外に土地の改変無く設置でき、斜面にも設置できるなど古墳特有の要求を満たすものになっている。
著者
西藤 清秀 吉村 和昭 岡崎 健治 篠田 謙一 米田 穣 吉村 和久 板橋 悠 阿部 善也
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2022-04-01

2022年度から2025年度にマカバ1号墳のできるだけ多くの石室の調査を実施し、副葬品の考古学的分析、人骨の人類学的分析や理化学分析を通して被葬者の人体的特性や集団構成、食性、出生地の同定を行う。またマカバ第1号墳の被葬者との特性の比較を行うために、1号墳の隣接地に所在するマカバ古墳群東地区の古墳を調査し、1号墳と同様の分析を実施する。最終年度の2026年には補足調査・分析を行い、結果をまとめる。
著者
奥山 誠義 水野 敏典 河崎 衣美 北井 利幸 岡林 孝作 加藤 和歳
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究では古墳時代における繊維製品の材料学的・構造的研究方法の基礎的研究を行い、ヤマトにおける古墳時代繊維製品の具体的な変遷の把握を試みた。考古学および文化財科学における新たな価値を生み出す研究を大きな目標として研究を進めた。本研究では、ラミノグラフィおよびX線CTと呼ばれる非破壊調査法により非破壊的に織物の構造調査が可能であること、光音響赤外分光分析が非破壊的に素材を知る手段として有効であることが確認できた。考古学的には新沢千塚古墳群から出土した染織文化財を例として、統計分析をおこない織密度や織物の種類や古墳の墳形、規模との相関について研究した。
著者
光石 鳴巳
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2002

今年度は、本州西部における縄文時代草創期遺跡の地名表の作成と、前年度までにおこなった愛媛県上黒岩岩陰遺跡出土遺物の資料化作業をとりまとめた。また、北海道における草創期資料の実査をおこない、長野県神子柴遺跡出土資料を検討する機会を得た。縄文時代草創期遺跡ならびに遺物出土地点のデータベース作成については、最終的に本州西半部の21府県を対象とし、978ヵ所を収録した。対象府県は北陸地方(富山県26ヵ所、石川県14ヵ所、福井県12ヵ所)、東海地方西部(岐阜県170ヵ所、愛知県79ヵ所、三重県114ヵ所)、近畿地方(滋賀県36ヵ所、京都府35ヵ所、大阪府110ヵ所、兵庫県100ヵ所、奈良県39ヵ所、和歌山県27ヵ所)、中国地方(鳥取県37ヵ所、島根県17ヵ所、岡山県26ヵ所、広島県44ヵ所、山口県8ヵ所)、四国地方(徳島県13ヵ所、香川県20ヵ所、愛媛県31ヵ所、高知県20ヵ所)である。この一覧表については、『本州西半部における縄文時代草創期の様相』と題する冊子として編集し、本研究の経費の一部によって印刷、刊行した。愛媛県上黒岩岩陰遺跡出土遺物については、実測図の製図をおこない、所見を加えて「上黒岩岩陰遺跡とその出土遺物についての覚書-国立歴史民俗博物館所蔵資料の紹介を中心に-」と題した小文にとりまとめ、『古代文化』誌に投稿した。現時点で掲載時期は未定だが、すでに採用されることが内定している。
著者
鈴木 裕明 青柳 泰介 福田 さよ子 高橋 敦 馬 強
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

三次元レーザー計測を駆使した木製樹物の調査研究によって、古墳時代王権中枢では中期段階までのコウヤマキ大径木の大量消費によって、後期に入ると中小径木利用が主体となり、そのなかで良質な材は大規模古墳に、質の劣る材は中小規模古墳に供給されていた実態を明らかにした。また古墳時代王権中枢の木材生産・流通の把握を目的として、奈良盆地東山間部の遺跡出土針葉樹残材の調査研究を実施し、針葉樹製品の製作が山間部で行われ、盆地へ供給された状況を確認した。さらに古代中国・朝鮮半島の木材資源と王権との関わりについて関連資料の調査も実施し、中国では漢代には王権中枢周辺地域で有用木材の枯渇が始まっている可能性を指摘した。
著者
井上 主税
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究では、朝鮮半島初期鉄器時代~三国時代の鉄・鉄器生産遺跡出土の倭系遺物について検討した。その結果、紀元前2~1世紀には、倭人たちが東南部地域で鉄器生産に関与していた痕跡が認められた。一方、紀元後3~4世紀には東南部地域の鉄・鉄器生産遺跡で、5世紀以降は西南部地域の鉄・鉄器生産遺跡で倭系遺物が出土しているものの、遺構には直接伴っておらず、出土量からみても倭人たちの活動痕跡は限定的なものであった。そのため、現時点では多量の鉄器が副葬された古墳時代の様相から想定される、鉄素材をめぐる朝鮮半島との関連性とは必ずしも一致しない面が認められる。
著者
岡林 孝作
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究では、遺物論的視点に立った古墳時代木棺研究の一つの試みとして、その製作材料である木材の樹種に注目した検討をおこなった。具体的には、古墳等から出土した遺存木棺材の木材科学的な樹種同定作業を進め、資料を蓄積するとともに、木材科学的な同定により樹種が判明した出土木棺材の調査例を全国的に集成し、用材選択の地域性・階層性と時期的変化を分析した。資料収集の結果、全国で165例の樹種同定例を集成した。針葉樹が91%、広葉樹が9%で、針葉樹が圧倒的に多い。なかでもコウヤマキの使用が突出しており、全体の51%を占めるが、その分布域が近畿地方を中心として西は岡山県から東は愛知県にかけての太平洋側の地域にほぼ限定されることが顕著な顕著な地域的傾向として認められる。その他の樹種としては、スギ、ヒノキがやや多く、カヤ、サワラと続くが、コウヤマキにみられるような明確な使用の選択性は認められない。近畿地方を中心とした地域では、前期〜中期にはコウヤマキの使用率が90%に近い高率を示す。コウヤマキの使用率は後期になると80%程度になり、6世紀末〜7世紀初頭頃を境にして選択的な使用はみられなくなる。この状況の要因は、コウヤマキ材の大量消費による資源の枯渇であったと考えられる。後期におけるコウヤマキ材の不足状態は、木棺自体の小型化や、部材の軽薄化、細長い板の接ぎ合わせ行為などから裏付けられる。コウヤマキ材の選択的使用地域の枠組みが古墳時代を通じて変化せず、その使用のあり方に一定の階層性も反映していることから、古墳時代にはコウヤマキ材を供給する何らかの木材移送システムが存在していた可能性が高い。また、6〜7世紀にはコウヤマキの自生しない朝鮮半島南部の百済王陵へ棺材としてのコウヤマキ材の供給もおこなわれており、そうしたシステムへの王権の関与を示唆する事実として興味深い。