著者
深津 容伸
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
no.5, pp.17-25, 2006-12

16世紀以来、キリスト教は日本の社会、文化に深い影響を及ぼしてきた。にもかかわらず、キリスト教信仰はいまだ浸透しているとはいえない。キリスト教の禁教の解除とともに、百数十年にわたり宣教に従事してきた海外の宣教団体も、日本への宣教のあまりの困難さ(それはキリスト教信仰に対する日本人の拒絶意識の強さからくると思われるが)に直面し、日本でのキリスト教宣教は失敗したと結論付けて、日本から引き上げつつある。そこには国家権力による弾圧や国家神道の出現、国粋主義の台頭という政治的理由があるにせよ、一般民衆の宗教意識との衝突という不幸な面もあることを見逃すことはできない。それはキリスト教信仰に内在する原理主義的側面、すなわち異教の排除、偶像礼拝の禁止に起因する衝突である。そしてこの衝突は今日に至るまで続いており、日本人とキリスト教信仰の間に根深い断層帯を作ってきたといえる。本稿では、この原理主義の由来を明らかにするとともに、古代イスラエルの宗教観が本来いかなるものであったか、またはヨーロッパ世界でのキリスト教伝道、戦国時代における宣教師たちの伝道姿勢がいかなるものであったかを踏まえて、今後のキリスト教のあり方について提案するとともに、再考を促すものである。
著者
川島 秀一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.33-48, 2011

周知のように、『注文の多い料理店』は、賢治文学の巻頭を飾る童話集であり、この「どんぐりと山猫」はその冒頭に配される物語です。もじどおり、賢治文学の出発を告げるテクスト。その〈広告文〉では、「山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較をされねばならないいまの学童たちの内奥からの反響です」と記されます。この《おかし》という言葉をめぐって、その招待の理由である〈裁判〉の中から立ちあらわれてくる《意味》の陥穽と、その世界のなかに漂い浮遊しはじめる〈いま〉の〈こども〉たち。変貌しはじめる世界を前に、自意識の翳りをおびはじめた主人公の一郎は、まさに〈おとな〉への境目に立っています。作品は、なによりも〈いのち〉の始原をめぐる〈問い〉をひそめつつ、《意味》に憑かれたようにして生きる《空虚な身体》を顕在化させ、〈いま〉という時間を徹底的に批判し、また相対化しています。本稿は、これら問題の分析とあわせて、賢治文学における「どんぐりと山猫」の意味についても考察しようとするものです。
著者
小菅 健一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.1-16, 2001-06-30

物語作家としての力量に定評のある井伏鱒二にとっては、戦後の代表作の一つに挙げられる「遥拝隊長」という、第二次世界大戦を題材にした小説を、現代の客観的な視点から、精緻に読解・分析していくことで、この作品に込められた井伏の人生観や社会観の問題点を考察していった論文である。当時、偏狭な軍国主義に支配されていた日本が、国民一人一人の利益や幸福などをいっさい考慮することなく、勝手に起こしてしまった〈戦争)という圧倒的な暴力行為が持っている、愚かさや悲惨さ、そして、理不尽さといった非人道的な側面を、戦場で偶然に引き起こされた悲劇的な事故が原因になって、足が不自由になってしまうとともに精神に異常をきたしてしまった、主人公の"遥拝隊長"という浮名のついた熱烈な愛国主義者である岡崎悠一という一般庶民が、自分の生まれ故郷の笹山部落において、他の住民たちを巻き込んで繰り広げた様々な行動がもたらす喜劇的な事件やエビソードを、一つ一つじっくりと見ていきながら、作品全体を通して、それらに形象化されている〈運命〉というキーワードを抽出することで、現代の生活においても十分に通用する普遍的なテーマであることを確認したものである。
著者
稲垣 伸一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.140-129, 1998-12-10

ハリニット・ビーチャー・ストウは『妻と私』の中で、女性が家庭で担う役割の重要性を説き、スビリチュアリストでフリーラヴ思想を持っていたヴィクトリア・ウッドハルを嘲笑的に描いた。一方『妻と私』出版の翌年ウッドハルは、ストウの実弟ヘンリー・ウォード・ビーチャーの密通事件を自ら発行する雑誌で暴露し、結婚制度の欺瞞性とフリー・ラヴ思想の正当性を主張した。本稿では、家庭における女性の役割の重要性と結婚制度不要論という表面上対立する主張を、19世紀後半のアメリカにおける女性読者層の増加とそれに伴う出版市場の拡大という現象と、カルヴィニズムに対して不安を抱いた人々の意識という二つの点から検討する。そして二つの主張がいずれもフェミニズム的社会改革を志向しながら、一方は穏健な、他方は急進的思想へ発展していった事情を考察する。
著者
住谷 雄幸
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.115-128, 1996-12-10

わが国では、多くの名山・高山は修験者によって開山された。江戸時代に入り、講社がつくられ、信仰登山は庶民の間に広まった。宗教的な登拝だけでなく、高山に登り、その霊気にふれ、雄大な眺望を楽しむ風潮が、一部の文人・墨客の間に起ってきた。俳聖松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅の途中で月山に登拝し、俳人大淀三千風は、富士山・白山・立山の三山を含めて多くの高山に登り、『日本行脚文集』を著した。南画の大家池大雅は三山を登り、三岳道老と号し、多くの富士の絵を描いている。山水画の巨匠谷文晃は、三山を含めて山岳名画集『日本名山圖會』を上梓し、山好きの人々に愛されてきた。また、本草学者の植村政勝は、全国の山野を跋渉して、薬草を採集し、見聞したことを『諸州採薬記抄』として書き記した。文人・墨客の山旅紀行文とことなり、一尾張藩士が記した『三の山巡』は、文政六年(一八二三)に、三十五日間をかけて三山に登った紀行文である。これは江戸時代の登山の様子を知ることができるだけでなく、道中の町や村の風俗や生活様式などについて貴重な記述が多く、興味ある文献である。
著者
荒井 直
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.81-94, 1992-12-10

アリストパネスの喜劇『雲』を、その主人公がどういう意味で愚かなのかを中心に、検討する。(一)まず、主人公ストレプシアデスは、(1)物覚えが悪く、(2)現実的・実用的なこと以外には興味がなく、(3)多分にアルカイックな心性を保存し・考え方が旧弊であるという点で、またソクラテス以下「学校」関係者との対比で、一見愚かであるかに描かれていることを明らかにする。(二)次に、「学校」関係者は、(1)仲間うちだけで結社をつくり、(2)主として「自然科学」関係と「弁論術」関係の研究と教育に従事するが、現実的・実用的な主人公のニーズに応じられないことのうらがえしとして、ポリスの現実から遊離・隔絶していることが指摘される。(三)さらに、「落ちこぼれ」と「優等生」の父子の違いに注目することで、(1)ソクラテスの「学校」の教育は、必賞必罰の神々の存在を否定し、(2)そのことで、父祖伝来の神々、ノモス(法・慣習)に根ざすオイコス(家)を破壊するものであること、『雲』は、(3)主人公が、痛い目に会わなければ、(1)と(2)を分らなかったという点で愚かであるとする喜劇であると解釈した。
著者
仲佐 秀雄
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.114-102, 1995-12-10

前号所載の「情報・通信メディアの規制とルール」に引き続き、その各論の一つとして、情報発信の「真実性」確保を採り上げた。この点について新聞では自律的倫理に委ねられているが、放送では「報道は事実をまげないですること」などの法規制があること。過去の誤報事例や最近のオウム報道における捜査中間情報の「確認」のありようなどを通じ、報道組織体の中の「コンプアメーション」のシステムについて検討を行った。
著者
川井 良介
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.96-68, 1999-12-10
著者
大岡 昇平
出版者
山梨英和大学
雑誌
日本文芸論集 (ISSN:02874679)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-20, 1970-03-01
著者
仲佐 秀雄
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.260-249, 1996-12-10

放送と通信の「融合」といわれる電気通信規制の状況の下で、編集責任を標榜するジャーナリズムと、内容を事実上無検証で「搬送」する通信事業(キャリヤー)とが、同じ制度上で混在する事態が広がりつつある。その場合、重要となる原初報道の「事実性」 「妥当性」 「真実性」の3点について、文体上、形式上のあり方の検証を試行的に行い、「直接認知」と「伝聞構成」の関係を考察した。
著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.35-46, 1992-12-10

川端康成は大正十三年の大学卒業後、伊豆湯ヶ島に引きこもり、孤独な文学修業時代を送るが、とくに大正十四年は一年の大半を湯ヶ島に滞在し、彼の人生観、文学観の形成の上に大きな影響を与えたと推測される。本稿においてはその若き川端の魂の軌跡を、とくに彼の書いた随筆作品に焦点をおいて考察した。大正十四年の随筆群を概観すると、人間と自然との境界を暈して自然自己一如的な境地に立脚した死生観や、そこから導き出されてきた自然観、さらに旅の意識の三点が主要な要素として指摘できる。そして、これらがこののちの川端文学の基底を形づくってゆくわけであり、その随筆作品の文学的意義はたいへんに重いものをはらんでいると言える。また、この時期の随筆作品の所々に、『伊豆の踊子』や『春景色』など川端文学の主要作品の表現に直接つながるような部分が見られ、川端小説の表現の形成過程を探る上でも、当時の随筆には看過しがたいものが存すると考えられるのである。如上の考察をふまえた上で、大正十四年の随筆活動の位置づけを展望し、まとめとした。
著者
朝下 忠
出版者
山梨英和大学
雑誌
日本文芸論集 (ISSN:02874679)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.21-39, 1970-03-01