著者
村松 英子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.49-57, 1995-03-25

日本の服飾史の中で,「袖」にスポットをあて,その変遷の跡を辿るとともに,装飾表現にみられる効果とはいかなるものだったかということを,呪術性も含めて探ってみた。
著者
鈴木 昌子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.11-17, 1993-03-25

古代の代表的な髪形は,「美<み>豆<づ>良<ら>」であった。奈良時代になって,唐の文化が輸入されて「高髻」という髪形が流行したが,平安時代に入ると日本独自の文化が生まれ「垂髪」が一般的となり,この髪形が室町時代まで続いた。江戸時代には経済の実権が町人に移り艶麗ともいわれる江戸文化が華ひらいた。垂髪のわずらわしさを解放するために,江戸時代前期には唐輪髷が開発され,「兵庫髷」「若衆髷」や「島田髷」が工夫された。江戸中期になると,女髪結という専業者が生れ,また固練油の鬢付油が開発されて新しい髪形が考案されるようになった。江戸後期になると,江戸中期の豪華・精巧な趣があきられて,すっきりと洗練されたいわゆる「粋」な美意識が好まれるようになり,島田の変形が流行した。男女合わせて約三百種類の髪形が生まれた。現在ではこの一部の髪形が儀式や伝統芸能などの非日常的な分野にのみ伝承されている。
著者
鈴木 昌子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.39-51, 1998-03-25

江戸時代(1603〜1868)は日本文化が中国大陸からつぎつぎともたらされる文物の刺激を受け,豊かに発展した時代である。それは平和な鎖国的環境のもとで成熟期を迎えるとともに,新たに明・清あるいは西洋からの影響も加わって,いろいろな風俗習慣が生まれたのである。日本人は外国からの異文化を和風文化として育てあげ,次に来る文化もまた異文化を捉えて,再度それを和風文化として取り入れてしまう国民なのである。その結果江戸時代は,欧米の文化と東アジア文化が複雑に入りまじった,日本文化の基礎を作ることになったのである。従って大陸での髪型も,江戸時代を通して日本に取り入れられて,日本髪を誕生させる結果となったのである。流蘇髻(図(1)参照)(りゅうそけい)は懐月堂安度とその一門が活躍した時代,また鬆鬢扁髻(しょうびんへんけい)(図(5)参照)は喜多川歌麿の理想の美人の髪を飾った燈籠鬢(とうろうびん)(図(4)参照)であるが,結局日本髪の誕生は中国文化受容の結果であったといえる。
著者
大谷 加代子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-9, 2008

美容やファッションについて語る際、カタカナ表記の外来語は、斬新さやおしゃれ感を出すために、今日なくてはならない存在になってしまった。「新しさ」と「かっこよさ」が命の美容の分野では、人々は外来語を用いなくては満足に語れないほど、外来語の浸透が目覚ましい。さらにそこでは、外来語は既存の同意語と住み分けするために、速い速度で意味や用法が進化する。最近の大きな言語変化のひとつにアクセントの平板化がある。従来起伏型で発音されていた外来語が、平板型で発音され出したのだ。この現象は美容分野に限られたものではないが、カタカナ語が氾濫する美容分野を例として観察することによって、その実態を部分的にでも把握したいと考えた。「専門家アクセント」とも呼ばれる平板アクセントへの移行はどれほど進んでいるのだろうか。そしてそれは何を意味しているのだろうか。
著者
下家 由起子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.65-74, 2007-03-20

江戸時代以来の伝統を、競技そのものにとどまらず風俗、習慣にまで色濃く留めている大相撲は、日本文化の面でも大いに魅力的な存在である。しかし時代も大きく変わり、若返りを繰り返してきた力士の生活環境、行動まで昔のままとは当然考えられない。彼らとて一般庶民と同じように現代人であるからである。力士たちが頭にのせているマゲに合わせて、着物で公式の場に登場しているのはよく知られているが、その日常生活における着衣は、和服一辺倒とは言い切れないものがある。本稿はそんな現代力士の「衣」に注目して、下着から着物まで調査と分析を試みる。そして相撲界における衣生活の歴史と礼法の基本を検証することで、最近乱れがちと識者より指摘を受けている彼らの「着装」に警鐘を鳴らすと同時に、将来も和服とともに生きていくであろう大相撲力士による正しい伝統の継承に大きな期待を託し、その今後に注目していこうとするものである。
著者
下家 由起子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.31-37, 2006-03-25

外国人力士の急増で、国技大相撲の危機が叫ばれている昨今だが、彼らはみな大相撲の世界に敢然と取組み、努力してきた男たちである。彼らはいい意味でハングリーで根性が座っている。立派な体に驚くほど、日本古来のマゲが似合ってきている。その意味では彼らによって日本の伝統が国際的に新たに認められ始めたといっても過言ではないだろう。ここに、現代に生きるマゲのひとつとして、力士の世界に見られる、マゲの魅力を再確認するために、マゲが日本から失われた時代と、この美風を残すためにがんばってきた先人の歴史と、力士マゲの今を考察する。
著者
近内 トク子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.59-70, 1995-03-25

Shakespeareは,習作時代が終わる頃,つまり1590年代の中葉頃から,自然に対して,極めて鋭い解釈を喜劇で披瀝するようになった。特に自然についての言及が多いのは,Love's Labour's LostやA Midsummer Night's Dreamである。また喜劇ではないが,同時期に制作されたRomeo and Julietにも,注目すべき言及がある。これ等の作品では,恋愛を自然の理法の現れ,宇宙の生成の一部と見なす記述が見られる。このような見解は,いわゆるfestive comediesとかromantic comediesと呼ばれる中期の傑作喜劇群にまで及ぶ。だが,自然に対する鋭い言及が,特に多く目立つのは,上記の三作品である。Shakespeareの自然観は,先ず1590年代の前半に書かれた詩作品,Venus and AdonisやThe Sonnetsの中のmarriage sonnetsと呼ばれる1番から17番までのソネットなどで力強く歌われている。Venus and Adonisでは,愛の女神Venusの口から,愛と生殖本能が永遠の生命につながる絆とし肯定的に語られている。また,ソネットの中では,自然はなによりも,身分の高い友人の青春の美として表現されている。しかし,他方,自然はいつ人を訪れるか分からない「時の大鎌」,すなわち死としても表現されている。喜劇Love's Labour's Lostでは,恋愛が避けようとしても逃れられない自然の摂理,人間の愚行として描かれ,作品に笑いを与えている。この作品の最後には,フランス王の死が報ぜられる。そして,春,青春,生に対する冬,老令,死がdebate(論争歌)の形で歌われる。A Midsummer Night's Dreamでは,皮肉な視点はさらに深化して,恋を人間の愚行と捉えるばかりでなく,狂気の一種と見る視点が導入されている。またこの作品では,恋愛とその成就が自然の摂理,あるいは人間の力を超えた自然の魔法と捉える描写も見られる。この作品には妖精が登場するが,彼等は,いわば見えないはずの自然の魔法が,顕在化した姿である。
著者
坂井 妙子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.25-36, 1996-03-25

豪華なフルコースがでる披露宴と三段重ねのケーキ,友人達のかける花吹雪に見送られてヨーロッパへハネムーンという結婚式のイメージは今では西洋だけでなく日本でさえ当たり前となっているが,結婚披露宴やハネムーンにまつわるこのような習慣は,実は意外に新しく19世紀末イギリスで確立した。そしてこの習慣の確立には中産階級が大きく関与したと考えられる。本論文ではヴィクトリア朝中産階級の経済力の向上,階級意識の変化および19世紀末に本格化したコマーシャリズムと技術革新が現代の結婚式の基礎をつくった,という視点から19世紀イギリス中産階級の結婚式を解釈する。カップルへの贈り物,結婚披露宴,ハネムーンに現われるヴィクトリア朝中産階級の価値観を考察すると共に,現代の贅沢ではあるが画一化された結婚式のルーツを探る。
著者
山野 愛子ジェーン 青木 和子 渡辺 聰子 中根 正子 山下 牧子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.23-32, 2004-03-31

現在まで、車椅子利用者(チェア・ウォーカー)に向けてキモノが簡単に着られるようにと研究開発し、その成果は美容福祉学会や講演などをとおし障害者をモデルに多くの方々に紹介して来た。「美容福祉」における新たなひとつの手段として、その効果は大変大きかったはずである。しかし、その内容はまだ一部のキモノ(浴衣、振袖、留袖など)に限定されていて、全てに適応できる状態にはなっていない。そこで今回は、可能な範囲を広めるべく「車椅子利用者のための和装婚礼衣装」を考案した。実践可能と判断し、ここで一例を紹介したい。
著者
五十嵐 靖博 平尾 元尚 中村 延江
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.71-77, 2001-02-25
被引用文献数
3

本研究では化粧品使用量の操作が,被験者(女性33名,男性27名)によるモデルの化粧品使用度や魅力度の認知にどのような影響を与えるかを検討した。女性群,男性群ともに化粧品使用度の認知に関する評定は,化粧品使用量の操作に対応して変化しており,化粧品非使用条件では評定値が低く,多くの化粧品を用いた条件では評定値が高かった。ファンデーションや口紅,アイブローペンシル,アイシャドウを用いた化粧が女性群,男性群ともに魅力度が高かった。一方,化粧品使用量をさらに増し,頬紅やマスカラ,アイライナーを加えた条件の化粧品使用度の評定値が最も高く,魅力度の評定値はもっとも低かった。また化粧品非使用条件に対する魅力度の評定値も低かった。
著者
村松 英子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.89-95, 1994-03-25

帯(紐)は,呪術性を秘めたものとして,『万葉集』の時代より実に多くの描写をみることができる。呪術性をもった帯が次第に装飾性をおび,歌舞伎役者などによって流行は変遷していくが,その根底には古代よりの"魂結び"の心が生き続けていて,現代(いま)に残る"縁結び"のそれと同じものであると考えられる。今回,帯を結ぶ行為が人を結び,さらには心をうつし出す手段として大きい意味をもつという積極的服飾表現を,近松門左衛門の『曽根崎心中』より見出だした。
著者
鈴木 昌子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-23, 2005-03-25

近世初期風俗画を通して、江戸時代初期に縮毛が存在していたことを山野紀要Vo1.9で考察した。更に今回縮毛を創作している様子を「洛中洛外図屏風」である舟木本の右隻六扇下段六条柳町(13)の中に見いだすことができた。この描写は当時の風俗である縮毛を施していることを認識できる重要な場面である。舟木本は描写のみが緻密に描かれているだけでなく風俗についての事こまかな詳細部が描かれた貴重な作品であるといっても過言ではない。次にこの縮毛を創る道具はどのようなものかを考察してみる。髪結床や人があつまっている場面をのぞいてみると、そこには|型(2)、〓型(1)の物を扱っている露店が描かれている。これぞまさしく、中国での髪飾りの道具の笄と釵の型ではないか。(P.3参照)
著者
山野 愛子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.45-51, 1993-03-25

飛鳥時代および奈良時代に作られた万葉集には紅色が多く歌われ,この紅色が日本古代を象徴する色彩といえる。これは,当時の仏像が極色彩であったことにも共通し,中国特に唐文明の影響と考えられる。平安時代に入ると,都は唐の長安を模して造営されたにも拘わらず,この頃から唐風の礼服が和風の「衣冠束帯」になり,「田楽」や「今様」が愛好され,仮名文字による古今和歌集が作られたように,日本独自の美意識や文化が生れ育つようになる。この美意識の変遷が,紅粧から白塗りの化粧への変化として表れた。この平安時代の色彩感覚の変遷を当時の貴族文化から考察した。
著者
村松 英子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.67-78, 1998-03-25

桃山期の美術作品の中に,南蛮屏風がある。異国の風俗,文化を垣間見ることができるこの美術作品は,特異な服装の異国人の姿が見られる。当時世界的に,圧倒的な力を誇っていた貿易大国ポルトガルは,隣国のスペインがポルトガル王を兼ねていたという史実から,スペインの影響を受けていたということが推察できよう。さらにそのスペインは,イスラムの影響を受けていたのである。ヨーロッパにおいてこの地にだけ,実にエキゾチックな文化が花開いたことと,南蛮人の特異な服装は,イスラムの影響と複雑なイベリア半島情勢によって生まれたものであることが考察された。
著者
高砂 美樹
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.79-87, 2001-02-25

本稿では,日本の近代心理学にとって祖というべき元良勇次郎の神経概念について論じた。まずこれまでの神経伝達理論の概略をまとめたが,その枠組においては元良勇次郎ならびにWilhelm Wundtの神経伝達の考え方はどちらも旧式なものであった。特に元良の波動の理論を応用した研究は,実験心理学の歴史においても特異なものであった。元良勇次郎が神経伝達の解明にこだわった理由と,神経の理解が心理学へ及ぼす影響についても論じた。
著者
高砂 美樹
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.19-28, 1997-03-25

本稿では,19世紀後半に成し遂げられた心理学の独立という史実を,その当時にすでに普及していた生理学的知見との関係から論じた。資料として,当時,心理学の教科書の役割を果たしていたWundtの『生理学的心理学綱要(第2版)』(1880),Laddの『生理学的心理学要説』(1887),William Jamesの『心理学原論』(1890)の3冊の著書をとりあげ,生理学的心理学を産み出す背景となった生理学的事実について概観した。
著者
増子 博調
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.27-38, 1998-03-25

歌舞伎狂言のなかで,舞踊によって構成される演目(だしもの)を「所作事」という。所作事成立の当初はもっぱら女形のレパートリーであったが,後に(宝暦以後)立役も舞踊劇を演じるようになる。所作事の原形は阿国以来の歌舞伎踊にあり,はじめは容色を売りものにする女たちによるエンターテイメントに過ぎなかった。幕府の相次ぐ禁止令で女かぶき(若衆かぶき)から野郎かぶきに移った歌舞伎踊は,女性の役がらを演じる女形に引継がれ,従来のように性の魅力で観客を集める代りに,所作事としての演技力-芸の力で人気を獲ちとる方向に進むのである。当時ようやく劇芸術の体裁を整えた元禄かぶきにおいて,所作事は「狂言の花」と謳われ,幾多の名手が現われて歌舞伎劇の中核を形成する華麗な舞踊劇に成長して行く。所作事の声価をこのように高めた女形の役者たちは,役がらの純粋性を保つために「女」に徹する生活と心構えを崩さず,かつての女かぶきを上回る「女の色気」を漂わせて観客を悩殺したのである。彼らのこうした努力によって所作事の振りに盛りこまれた工夫の跡を,『舞曲扇林』等の歌舞伎資料を手がかりにして,紙幅の許す範囲で模索し,検証した。
著者
原 千恵子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.73-79, 2000-02-25

青年期における自我の発達について検討し,青年期の発達課題であるアイデンティティ確立について実際に尺度を使って調査した。対象とした青年たちは,社会福祉施設職員の養成校生である。ここでは人格形成に重点をおくが,目的は人格形成と仕事の関わりを検討することである。就職を仕事と人とのマッチングと安易に考えがちであるが,職業を選択することで青年は大人になる。つまり職業選択は青年期の最後の仕事であり,人格形成と密接な関係にある。社会福祉領域の仕事は社会情勢などの変化により,かなり一般的になってきたとは言え,誰でもができる仕事ではない。つまり施設の利用者は大方弱者であり,種々のハンディをもっている。その人々の立場にたち,人権をまもりつつ援助を続けることは,根気のいる仕事である。全体として社会福祉領域の仕事につこうとしている学生たちの人格形成と職業選択の実際を検討した。
著者
五十嵐 靖博
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.27-31, 2008

本論文では第12回国際理論心理学会(ISTP)大会において発表された諸研究を紹介し、現在の理論心理学の動向を考察する。第12回大会では国境の壁や個別学問領域間の没交渉など、心に関する研究の発展を妨げるさまざまな「境界を越える」という公式標語のもとで、心理学史や心理学の哲学、批判心理学など、多様なアプローチからなされた心理学のメタサイエンス的研究が報告された。
著者
白 成美 山本 將 澤村 英子 齋藤 經生
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.33-47, 2008

仏像の中でも、とりわけその彫像表現が顕著に異様な仁王像(執金剛神像)について研究を行った。とくに筋肉美は、西洋の彫像からどのような影響を受け、どのような過程を経て仏像の形態表現に影響してきたかに注目した。インドで成立した仁王像はバジュラパーニとよばれた。その姿はヘレニズムの影響を受けており、西洋のヘラクレス神像に原型が求められるようである。その後中国に移入され、仏法の守護神としての威容を表わすうえに装飾品や天衣などの中国的要素が加わって、中国独自の仁王像として完成された。それは中国に伝来以来、時代と共に次第に変化し、北魏時代からは仏法の守護神としての威容を表わすために髻、憤怒の顔、威嚇するポーズなどの表現がみられるようになる。北魏のスリム形仁王像が六朝時代を経て、徐々に筋肉隆々とした逞しい姿になっていくが、唐時代ではその表現が誇張・装飾化された形となり、より一層の力強い写実的表現となった。唐代の影響を強く受けた韓国や日本でも、中国の仁王像のリアルな人間の美的表現の影響がみられる。韓国では、石窟庵の仁王像にみられるように、筋肉の形や天衣などに韓国独自の表現がされている。日本では、天平時代の仁王像には唐の影響がよく反映されているが、それ以上にはげしいポーズや表情などもみられ、体型やプロポーションにおいて、より充実した表現が認められた。鎌倉時代には、天平への復古を目指しながらも新たな中国(宋)の影響によって、生身に近い、生きているかのような仁王像が造られるようになった。この仁王権には、人体解剖学的に理解しにくい表現も散見されるにも係わらず、仏の守護神としての力強さや美しさが感じられる。それは美術解剖学的には成功した表現によると考えられる。日本でみられる仁王像は、ある日突然成り立ったものではない。長い年月、各国で造られた仁王像の影響を受けながら、信仰心を持って常に自然な姿、写実的な姿を追い求めた結果なのである。