著者
伊豆原 英子
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.1-16, 2007

添加の接続詞「そのうえ」「しかも」は類義語であり、その類似点の一つは、両者が用いられる談話中に「統括命題」があることである。「体によくて、かんたんで、しかもおしゃれな料理」「美味しい!簡単!そのうえ健康!」に見るように「しかも」「そのうえ」でつながれる前件、後件は「(すばらしい)料理」という統括命題を聞き手(読み手)に納得させるためにあげられている。次に相違点は「付け足し」もしくは「付け加え」の性格の違いにある。第1に「日本の、しかも地方都市郊外での出来事だ」「2年ぶりのサヨナラ勝ち。しかも球団史上初の代打サヨナラ満塁ホームラン!!」に見る前件が後件を限定し、後件が前件を詳細化する用法は「しかも」に特徴的で、「そのうえ」にはこのような用法はない。第2に「体によくて、かんたんで、しかもおしゃれな料理」「美味しい!簡単!そのうえ健康!」ではどちらも「料理」が「体によくて、かんたんで、おしゃれ」であること、「美味しくて簡単で、(それを食べれば)健康になる」ことが述べられている。しかし、両者は、「しかも」が意外性といった話し手の心的態度を表すものであるのに対し、「そのうえ」にはそのような要素はない点で異なる。
著者
林 淳 岡田 正彦 梅田 千尋
出版者
愛知学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

近世には4回の改暦が幕府を中心におこなわれ、暦が全国に流通した。9世紀の改暦以来、長い空白があり、1685年貞享改暦をなされた。貞享改暦が企画された背景には、渋川春海の復古的な国家観があった。渋川によれば、神武天皇が古暦を作成したが、それが失われて、その後に中国暦が伝来した。中国暦をそのまま日本で使うことは、中国の文化的な属国になることを意味するという。貞享改暦以降、暦が全国統一されて、流通したことによって、暦の知識をふまえた暦占・易占が出版というかたちで民衆世界に広がった。また仏教天文学は、暦学の進展にともない近世後半に宗派をこえた思想運動になった。
著者
熊田 一雄
出版者
愛知学院大学
雑誌
人間文化 (ISSN:09108424)
巻号頁・発行日
no.17, pp.364-353, 2002-09

本稿の目的は,1990年代のアメリカの宗教界を席巻した保守的男性運動プロミス・キーパーズにおけるセクシュアリティ観を,クィア(変態)理論の立場から,《ペニス》をめぐる言説に焦点をあてて分析し,筆者が《ペニス・フェティシズム》と仮に名付けるものの機能を分析することにある。《ペニス・フェティシズム》とは,「恋愛フェミニスト」が男根中心主義(ペニス中心主義)と呼んで実体化していたものを,クィア理論の立場から,単なるフェティシズムの一種として発展的に読み替えたものである。ペニス・フェティシズムは,ホモソーシャル(同質社会的)な社会において,しばしばホモエロティシズム(同性愛)を隠蔽し,強制的異性愛とホモソーシャリズムを両立させる機能をもつ。このことは,プロミス・キーパーズにおける保守的なセクシュアリティ観,厳格な童貞主義・反ポルノグラフィー主義と徹底した同性愛嫌悪・中絶反対の立場に関わる《ペニス》をめぐる言説に典型的に見られる。最後に,今後残された課題として,1. プロミス・キーパーズのセクシュアリティ観の実証的調査の必要性,2.《ペニス・フェティシズム》の文化による濃淡の差異の実証的調査の必要性,について言及する。
著者
林 淳
出版者
愛知学院大学
雑誌
人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要 (ISSN:09108424)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-51, 2005-09-20

近世の陰陽道は、木場明志氏、高埜利彦氏が着手して以来、大いに進展した研究領域であろう。地方史料を使用した陰陽師の研究も、高原豊明氏、梅田千尋氏、山本義孝氏などによって着実な進展を見せている。しかしそのなかで東北は、まだ陰陽道研究の空白地である。より正確に言うと、陰陽道の空白地であったと見るべきであろう。東北の宗教史においては、全般に寺院や修験の影響が濃厚にあって、陰陽師などの宗教者が食い入る余地はなかったように思われる。しかし東北において陰陽道がまったくなかったかというと、それは正確な歴史認識とは言えない。東北の宗教史において陰陽道は、地域的にわずかに点在する形ではありながらも、わずかに入りこんでいたからである。われわれは、今までその痕跡を見落としてきただけであった。宮城県の岩出山町史編纂室が編纂した『天文暦学者 名取春仲の門人たち』は、近世の仙台藩の天文学が、どれほどの分厚い社会層によって支えられ、継承されていたかを初めて世に知らしめたものであった。それとともに土御門家の安家神道が、天文学という形で伝えられていたことを知る機会になった。これまで研究者は筆者をふくめて、近世の陰陽道を、土御門家の地方配下支配という観点から探究することが多かったが、東北の場合には、天文学として陰陽道が地域に浸透してきたようである。筆者は、渋川春海に関心を抱き、和田光俊氏とともに春海の年譜を作成したことがあった。和田氏を通じて、仙台藩の天文学史を研究し、岩出山町の名取家文書の公刊に尽力していた黒須潔氏と知り合うことができ、『天文暦学者 名取春仲の門人たち』を賜った。そして安家神道 (陰陽道) が天文学に結びついて、受容されていることを筆者は知った。それ以降、岩出山町史編纂室、東北大学図書館を訪れて、史料を閲覧することができたが、史料の内容を分析するほどには至っていない。この小論では、岩出山町の史料を参照しながら、東北地方の陰陽道をスケッチすることにしたい。
著者
水町 誠司
出版者
愛知学院大学
巻号頁・発行日
2022

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