著者
森 修一 石井 則久
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.69-90, 2017 (Released:2017-08-18)
参考文献数
52
被引用文献数
1

日本のハンセン病政策は1907年の 「癩 (らい) 予防ニ関スル件」 の施行に始まるが、患者隔離は1909年の連合府県立 (国立) ハンセン病療養所 (以下、療養所) の開設からであった。本政策は1996年の 「らい予防法」 廃止まで継続され、約35,000人 (実数、推測値) が隔離を受けたが、その入退所動向の全容は未だ明らかではない。本研究では国立療養所の入退所動向を解析し、日本のハンセン病政策の実態を明らかとすることを目的とし、1909年から2010年まで102年間の入退所者数とその内訳を各国立療養所の年報や内部資料を収集し、内容を検討し、項目などを統一した上で、年次ごと、ハンセン病に関するそれぞれの法律の施行されている期間ごとにその内訳を集計した。その結果、102年間の総入所者数 (入所、再入所、転入を延べ数として集計した) 56,575人、総退所者数 (転所、軽快退所、自己退所、ハンセン病でない、その他を延べ数として集計し、死亡者数を加えた数) 54,047人 (死亡 : 25,200人、転所 : 4,350人、軽快退所 : 7,124人、自己退所 : 12,378人、ハンセン病でない : 310人、その他 : 4,685人) であった。法律ごとの内訳は、 「癩予防ニ関スル件」 (1907年―1931年) では総入所者数12,673人、総退所者数9,070人 (死亡 : 3,496人、転所 : 197人、軽快退所 : 79人、自己退所 : 4,824人、ハンセン病でない : 55人、その他 : 419人) 、 「癩予防法」 (1931年―1953年) では総入所者数31,232人、総退所者数23,354人 (死亡 : 11,559人、転所 : 488人、軽快退所 : 2,087人、自己退所 : 5,848人、ハンセン病でない : 247人、その他 : 3,125人)、 「らい予防法」 (1953年―1996年) では総入所者数12,098人、総退所者数18,159人 (死亡 : 7,654人、転所 : 3,450人、軽快退所 : 4,412人、自己退所 : 1,558人、ハンセン病でない : 8人、その他 : 1,077人)、 「らい予防法廃止に関する法律」 (1996年―2009年) では総入所者数572人、総退所者数3,464人 (死亡 : 2,491人、転所 : 215人、軽快退所 : 546人、自己退所 : 148人、ハンセン病でない : 0人、その他 : 64人) であった。今回の研究から日本の隔離政策下での入退所動向の全容がはじめて明らかとなった。
著者
森 修一
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.189-211, 2018 (Released:2018-08-29)
参考文献数
20

ハワイでは19世紀半ばからハンセン病の蔓延が始まった。これに対してハワイ王国政府は1865年に公衆衛生政策としての隔離を決定、モロカイ島のカラワオを療養地とし、患者移送を始めた。患者の発見は密告と逮捕により行われ、容赦なくモロカイ島に送られた。政府は当初、カラワオで患者が自給自足する農業コロニーを目指したが、地理的特性や予算不足などが要因となり、農業コロニー構想は失敗し、カラワオは無法地帯となり、多くの混乱が生じた。1873年にはダミアン神父がカラワオに赴き、患者の救済を開始、政府との交渉にも務め、混乱は収拾された。その後、ハンセン病対策費の増加、治安システムの整備などによりカラワオには治安が確保され、療養地は近接するカラウパパへ拡がり、その拡充と制度の整備の過程とアメリカ合衆国の関与の中でハワイでは隔離政策が進展していった。
著者
中村 昌弘
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.127-133, 2001 (Released:2007-11-30)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

1882年、Kochによって結核の原因としての結核菌が発見され、培養、動物移植も達成されたが、らい菌はその9年前(1973年)にHansenによって発見されたにも拘わらず128年を故る現在においても、そのin vitro培養は未だに不可能である。そして、今や、らい菌培養の研究は不毛の研究として、細菌学の領域より忘れ去られようとしている。一方、らい菌のマウス足蹠内増殖、アルマジロヘの移植は達成されているので、細菌としてのらい菌の増殖能力の欠如についての疑問は全く存在しないし、らい菌が抗酸菌のカテゴリーに属するものであることは疑う余地もない。それでは何故らい菌は培養できないかの理由について、本報において、次の点について考察を加えることにする。1.長期間の培養による培地の老廃化のためか2.らい菌のカタラゼー欠損のためか3.らい菌の細胞壁の脆弱性のためか以上の、らい菌が培養できない理由の中で最もその可能性の高いものは、細胞壁の脆弱性によるものではないかと思われる。従って、らい菌の細胞壁を強靭にすれば、無細胞系で増殖する可能性は得られるものと推察される。
著者
ロペスロア ロシオイベッテ モリス マリーファフティス
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.51-58, 2006-02-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
22
被引用文献数
4 4

メキシコへのハンセン病の伝播はスペイン人の渡来以前と考えられる。更なる検証が必要なものの、モンゴロイドの移動とともに伝播したとする説が提唱されている。最初のハンセン病病院が1521年から1524にかけてスペイン人によって開設された。1960年代には活発なハンセン病対策が実施された。多剤併用医療法は1989年より実施されている。1994年に国レベルでのWHOによるハンセン病制圧目標を達成したが、2004年では、中部の2州に依然として多くの新患が見出されている。ルチオ現象はメキシコの医師によって始めて報告されたが、現在国内におけるハンセン病の研究は、極限られた研究者によって行われているにすぎない。
著者
川染 義信
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
レプラ (ISSN:00241008)
巻号頁・発行日
vol.9, no.6, pp.851-864,123, 1938-11-25 (Released:2008-12-10)
参考文献数
19

In dem Shinto-Gebet bei der gro_??_en, am letzten Tage des Juni stattfindenden Feierlichkeit zur Befreiung von Unreinigkeiten, das im 8. Band der Gottesdienstabteilung von Engishiki d. h. jener in den Jahren Engi zusammengestellten Formelsammlung geschrieben steht, hei_??_t es: Shirahitokokumi, wobei alle lebende Häute zugrunde gehen, nennt man ein staatliches Verbrechen. Von früher verstand man unter Shirahitokokumi die Lepra alba oder die Lepra melaina, was lange auch als richtig angesehen worden ist. Mit dem Aufschwung der Forschung der Nationalliteratur haben aber manche Gelehrte darüber untersucht und uns viele bezügliche Werke hinterlassen. Wir kauften daher einen Teil davon, um dieses Problem näher zu untersuchen. Dabei wurde daran gedacht, da_??_ es nicht genüge, nur Shirahitokokumi der Forschung zu unterwerfen, sondern es nötig sei, das Shinto-Gebet selbst ausführlicher auszulegen and den Sinn eines staatlichen Verbrechens genau aufzufassen. Auf diese Weise gelangten wir endlich zu dem Schlu_??_, da_??_ Shirahitokokumi eine Art der unheilbaren Hautkrankheit bedeute. Da dieses Shinto-Gebet nicht alten Ursprungs zu sein scheint, so könnte man noch nicht endgültig aussagen, da_??_ es sich bei diesem um die erste Schilderung der Lepra im Japanischen Innland handele.
著者
石井 則久 四津 里英 森 修一
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.261-268, 2011-09-01 (Released:2012-09-28)
参考文献数
10
被引用文献数
2

愛知県において、1963(昭和38)年かららい予防法が廃止になる前年の1995(平成7)年まで33 年間、ハンセン病の外来診療が行われていた。藤楓協会愛知県支部と愛知県衛生部、国立駿河療養所が協力して、延人数で療養所退所者3,877 人、在宅者614 人、患者家族など486 人の計4,977 人の診療が行われた。外来診療で発見された新規患者については、療養所入所をさせることなく外来診療を行った例もあった。 1996(平成8)年からは退所者に対する療養相談を行っており、2010(平成22)年までの15 年間に延349 人が相談に訪れた。
著者
木庭 愛 森 修一 石井 則久
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.11-16, 2011-02-01 (Released:2012-02-02)
参考文献数
14
被引用文献数
1 2

We aimed to elucidate the patterns and trends of autochthonous leprosy in Japan from 1964 to 2009, to compare them with the findings from other studies of leprosy in decline. Data on registered leprosy cases in Japan in the period 1964-2009 were analysed with reference to trends in case detection, geographical distribution, age at diagnosis, sex, classification and family history. A consistent decline in leprosy case detection was observed in all areas of the country over the period 1964-2009. Highest incidence was consistently in Okinawa. Autochthonous leprosy has not been reported in anyone born in Japan since 1980. Increasing average age and a shift towards lower latitudes were demonstrated throughout the period. Analyses of data on autochthonous cases revealed patterns similar to those reported in other countries with declining leprosy.   Okinawa has had the highest incidence of leprosy in all of Japan since the first national survey in 1900. Several possible explanations include the difference of leprosy control history between Okinawa and the rest of Japan, Okinawa's unique geographical condition, large-scale problem of stigma and discrimination against leprosy patients and delayed improvement of socio-economic conditions.
著者
菊池 一郎
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本らい学会雑誌 (ISSN:03863980)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.118-124, 1993

熊本のハンセン病の歴史は本妙寺に患者が集まったことに始まるがその起源ははっきりしない。明治4年には喜捨をうける患者の記録があり,人の眼に触れるようになった。これは明治4年7月に廃藩置県,8月に非人解放令が発令されたあと,国内の交通が自由になったことと関係があろう。明治28年に私立の回春病院,明治42年に公立の九州療養所が設立されたが,本妙寺集落は昭和15年の患者の強制収容で終わった。その間の集落の存続の理由などを検討したが,差別が少ない集落であったことや,経済生活が容易であったことや,公立療養所での生活の厳しさなどがその理由であったようである。患者の強制収容は回春病院の廃止と同様戦争準備であったと思われるが,国家権力の意識と実行がどういう関係にあったかは明らかでない。
著者
儀同 政一
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.17-23, 2009 (Released:2010-12-21)
参考文献数
20

らい菌に対し強い殺菌作用を示すニューキノロン系抗菌薬(NQ)は、多剤耐性らい菌に対する治療薬として重要である。NQ などの化学療法薬はin vitro 活性がいくら強くとも血中半減期や組織移行性などの体内動態が劣るならば、強いin vivo 活性は期待できない。今回Buddemeyer 法とヌードマウス足蹠法を用いてニューキノロン系抗菌薬の構造式と抗らい菌活性の相関を検討した。実験結果からキノロン母核の1位にシクロプロピル基、3位にカルボキシル基、4位にオキシ基、5位にアミノ基または水素基、6位にフッ素基、7位に5員環または6員環の塩基性環状アミン、8位にフッ素基、塩素基またはメトキシ基に置換したNQ が、抗らい菌活性を最も強めることが示唆された。
著者
並里 まさ子
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.175-179, 2018
被引用文献数
2

<p> 35歳のハンセン病LL型 (subpolar type) 患者にWHO/MDT/MBを24カ月投与し、続いてディアフェニールスルフォンとミノサイクリン (MINO) よりなる化学療法を行った。後者の治療を開始して10カ月後に、顔面神経麻痺の形で境界反応を発症した。さらに1カ月後、以前より認めた母斑細胞性母斑の周囲に後天性遠心性白斑 (halo nevus) が出現し、さらに他の色素脱失斑も出現した。病理検査にて、母斑細胞の集塊に泡沫状のマクロファージが混在し、さらにリンパ球侵入が加わり、母斑細胞の一部は構築が崩れて離散していた。マクロファージの胞体は、らい菌特異的抗PGL-I抗体で陽性に染色された。境界反応の経過中に、マクロファージと混在していた母斑細胞が同時に破壊されたことが引き金となってHalo現象が出現したのか、あるいは境界反応によって破壊された神経組織から、色素形成細胞との共通抗原性を持つ物質が放出され、色素脱失斑の形成に繋がった可能性も考えられる。MINOが自己免疫反応に関与した可能性については、臨床経過等より否定的であると思われる。</p>
著者
新山 智基
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.99-105, 2013

本稿の目的は、トーゴ共和国のブルーリ潰瘍の実態と、現地での国際支援の展開、また、隣国ガーナ共和国・ベナン共和国を比較対象とした支援モデルを明示し、国際機関 (WHO)・政府・NGOの3者間の連携・関係性を明らかにしていくことである。 1998年に設立されたGlobal Buruli Ulcer Initiativeの方針により、トーゴ共和国でもNational Buruli Ulcer Control Programmeが策定された。しかし、その実態は、国内の情勢不安や国家予算の脆弱さから、機能していたとは考えにくい。本格的に機能し始めたのは、DAHW (Deutsche Lepra-und Tuberkulosehilfe、ドイツ) やHandicap International (フランス) の支援組織が活動を開始した2007年以降である。 一般的に、感染症対策における支援機関には、国際機関や被援助国の政府、援助国の政府、NGO、企業などが挙げられる。ブルーリ潰瘍支援に関しては、現在のところ、WHO、被援助国の政府、NGOが挙げられる。これらの組織が、それぞれの役割を果たしながら、各国において連携・関係性を保っている。今回の一連の調査からトーゴ共和国では、不安定な国家情勢や予算の不足による進捗の遅れにより、国家プログラムが隣国のガーナ共和国・ベナン共和国に比べると十分機能せず、NGOが実施の肩代わりをしているのが実態で、隣国とは異なる支援モデルが展開されていることが明らかとなった。
著者
石井 則久 鵜殿 俊史 藤澤 道子 伊谷 原一 谷川 和也 宮村 達男 鈴木 幸一
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 = Japanese journal of leprosy (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.29-36, 2011-02-01
参考文献数
25
被引用文献数
1

&nbsp;&nbsp;Leprosy is suspected to develop after a long period of latency following infection with <i>Mycobacterium leprae</i> (<i>M. leprae</i>) during infancy, but definitive proof has been lacking. We found a rare case of leprosy in a chimpanzee (<i>Pan troglodytes</i>) born in West Africa (Sierra Leone) and brought to Japan around 2 years of age. At 31, the ape started exhibiting pathognomic signs of leprosy. Pathological diagnosis, skin smear, serum anti-phenolic glycolipid-I (PGL-I) antibody, and by PCR analysis demonstrated lepromatous leprosy. Single-nucleotide polymorphism (SNP) analysis verified the West African origin of the bacilli. This occurrence suggests the possibility of leprosy being endemic among wild chimpanzees in West Africa, potentially posing a zoonotic risk.
著者
與儀 ヤス子 藤村 響男 鈴木 幸一
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 = Japanese journal of leprosy (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.197-204, 2008-09-01
参考文献数
24
被引用文献数
1

1873年のらい菌発見から長い年月に渡って多くの研究者がらい菌の動物移植実験に尽力してきたが、1960年の Shepard による foot-pad 法の開発後はめざましい成果が残された。T-Rマウス、無胸腺 (ヌード) マウスのらい菌動物移植への導入、また、アルマジロ、チンパンジーやマンガベイサルの自然発症例が報告され、ハンセン病が人畜共通伝染病であることがその後のわずか十数年で確認された。増菌されたらい菌は大量菌を必要とする分野への供給に役立ち、らい菌の動物移植研究の成果はハンセン病医学に大きく貢献した。われわれがらい菌増殖用の tool として開発したコンジェニック高血圧ヌードラット (SHR. F344-Foxn1<sup><i>rnu</i></sup>) はIL-10産生能が高く、らい菌に対する感受性能が優れていた。本ヌードラット (<i>rnu/rnu</i>) に接種されたらい菌は接種部および非接種部位に肉眼的らい性腫瘤を作りながら増殖、全身化していく独特のらい菌感染像を呈すことから、ヒトL型ハンセン病患者の実験モデル動物として有用であり、同腹仔有胸腺ラット (<i>rnu/+</i>) では、らい菌感染後24時間目頃から、らい菌特異的免疫機構の成立を示唆する像が観察され、6ヶ月後には、リンパ球に幾重にも取り囲まれて、らい菌が殺菌され排除される像が観察されたことから、らい菌の宿主からの防御機構を研究する動物モデルとしてヌードラットとともに有用である。
著者
ガンヤラック チャイカンパ 松岡 正典 野間口 博子 高坂 健二
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本らい学会雑誌 (ISSN:03863980)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.28-32, 1993

我々はヌードマウスを用いてらい菌の継代をしてきている。継代株の内の一つタイ53株かららい菌DNAを分離し, lambda-gtllファージを用いてゲノムDNAライブラリーを作製した。これは平均3kbのインサートを持つリコンビナントDNAが106個近くから成るライブラリーであり,らい菌の全DNAを充分にカバーできるものであると考えられる。事実,PCRによる検索でらい菌特異遺伝子の存在が確認された。
著者
松岡 正典
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.199-205, 1998-01-30 (Released:2008-02-26)
参考文献数
16
被引用文献数
5 3

南太平洋に位置するナウル共和国において、かって1930年代より始まった非常に激しいハンセン病の流行があったことが広く知られている。ナウル共和国と国境を接っし、以前はカロリン諸島と呼ばれたミクロネシ連邦では、当時ナウルからの人の移動に伴って生じたハンセン病の流行の影響により、今もって他には見られない高い有病率と多くの新患発生が報告されている。これに対し、WHOを中心とする新たなハンセン病対策が1996年より行われている。これらについて紹介をしたい。