著者
佐藤 研
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.409-426, 2008-09-30 (Released:2017-07-14)

キリスト教の内部批判として二百年以上前に誕生した「聖書学」は、歴史学と人間学に基づいた学問である。そうであれば、現段階に至って、その「批判」の対象を、キリスト教会や聖書文書だけに留まらず、人間イエス自身にも向けるのは当然と言わねばならない。教祖をあえて批判するという「不敬」こそ、今のキリスト教のキリスト論には必要と思える。それによって初めて、イエスの何が重大なのかが反省されるであろう。そもそもイエスは、人間として幾度も飛躍して最後の刑死の姿に至った。そうであれば、いわゆる公生涯の大部分において彼が語った言葉も、究極の妥当性を持ったものばかりではない。そこには、その終末論的時間感覚のごとく現在の私たちにはそのままでは通じないものもあれば、その威嚇的態度や自己使命の絶対化とも思える意味づけ等、教会が暗黙の内に真似をして悲劇的な自己尊大化を招いたものも存在する。現代の私たちは、こうした面のイエスに直線的に「まねび」の対象を見出してはならない。むしろ、そのゲツセマネの苦悩を通過した後、ゴルゴタで絶叫死するまでの沈黙から響いてくるものをこそ最も貴重な指針として全体を構成し直す必要があると思われる。
著者
萩原 修子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.96, no.3, pp.1-25, 2022-12-30 (Released:2023-03-30)

犯罪者の更生支援の活動はさまざまにあるが、一度犯罪者のスティグマを背負った者の更生が困難であることは、再犯者率の高さが示している。深刻化する高齢者や障害をもった者の再犯は、社会との絆が弱まり、出所後の行き場のなさから、再犯という負のスパイラルを示している。本稿では、法務省管轄下の更生保護施設、自立準備ホームであるNPO法人「オリーブの家」の事例をとりあげる。それは、自立後の再犯率が低く、設立者が元受刑者で、矯正施設で信仰を得た宗教者であるという点に着目したからである。本稿では、この施設における対人援助の特徴を、治療共同体モデルやナラティヴ・アプローチによって考察し、宗教者が対人援助でなしうる倫理の一端を叙述する。それによって、「宗教と社会貢献」研究において、事例研究の少なかった更生支援の分野に、本稿の知見を加えるとともに、宗教固有の価値を検討することを本稿の目的としている。
著者
澤田 愛子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.355-380, 2006-09-30 (Released:2017-07-14)

本論文はナチ時代の医師の犯罪に焦点を当て、その動機や心理状態を分析した上で、今後への提言を試みたものである。ナチ政権が犯した主要な犯罪には、「安楽死」の名を借りた障害者の抹殺(T4作戦)とヨーロッパユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)とがある。T4作戦は「アーリア人」の血統の純化が、一方、ホロコーストは極端な人種主義が背景思想となって生じた。この各々にナチの医師達は深く関与した。即ち、抹殺対象者を選別するのみならず、殺害にも直接関与し、非道な医学実験も実施した。彼らの動機は何よりも血統の純化や人種の衛生などを主張するナチズムに深く共鳴したことで、彼らは殺人自体を医学的メタファーを用いて正当化した。しかし殺害の実施においては、「ダブリング」や「サイキック・ナミング」等の心理的装置も働いていた。彼らは狂気の思想に取りつかれていたが、気が狂っていたわけではない。全体主義社会の狂気が医師達から理性を奪ってしまった。同じ過ちが繰り返されないためにも、生命倫理教育はまず、歴史のこの最暗黒の部分を直視することから始めなければならない。
著者
窪 徳忠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.1249-1272, xiv, 2005-03-30

本居宣長などは、日本には道教は伝来しなかったというが、宮内庁書陵部現蔵の『正統道蔵』は一七世紀後半に佐伯毛利藩が入れたものだから、日本は道教と無関係ではない。一九五〇年に成立した日本道教学会の会員の活躍で、道教研究は大いに発展した。私は柳田国男の説によって沖縄県地方に庚申信仰の初期の形式を探しにいったが、中国的信仰のみ眼につき、庚申信仰はなかったので、目的を変更し、爾来沖縄の中国的信仰を調べ続けている。沖縄に道教の符に対する信仰の初伝は一五世紀中葉だが、福建人の来住と冊封体制下に入った結果、中国の影響を大きく受け、道教の高位の雷神、村や集落の守り神の土地公、后土神ともよぶ守墓神などの信仰を受け容れている。ただその場合、受容直後には中国の場合と全く同形だったであろうが、年を経た現在ではかなりの変容がみられる。異文化受容の際の当然の傾向であろう。
著者
栗田 英彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.471-494, 2015-12-30 (Released:2017-07-14)

本論文では、哲学者・井上哲次郎によって構想された将来の宗教-「倫理的宗教」-と、それに対する改革派宗教者らの批判から、「修養」と呼ばれる宗教性を帯びたカテゴリーが生まれてきたことを論じる。明治三〇年代における教育からの宗教の排除と倫理教育への宗教の必要性という矛盾した要求のなかで、井上も宗教者らも新しい宗教のあり方を模索していた。それゆえ、宗教者たちは倫理的宗教論の抽象性を批判しつつ、その諸聖賢などの理想の人格や内観や坐禅といった具体的な実践をそこに結びつけることで、より実践的な倫理的宗教、すなわち「修養」を生み出した。さまざまな論者によって「修養」概念は用いられ、倫理と宗教、宗教と宗教の境界を超えて展開する超宗教的なカテゴリーとして、戦前日本で幅広い影響を与えることになったのである。
著者
山中 弘
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.255-280, 2017-09-30 (Released:2017-12-30)
被引用文献数
1

本稿は、現代社会に大きな影響を与えている消費という問題に注目して、マーケット論的視点から消費社会における現代宗教の変容を理論的に論ずることを目的としている。まず、宗教社会学理論において著名なR・スタークの経済的マーケットモデルを批判的に検討する。その上で、彼のモデルに代えて、ベビー・ブーマーたちの宗教意識とアメリカの宗教状況を明らかにしたW・ルーフの「スピリチュアル・マーケットプレイス」という概念と「探求」という心理的な志向性に注目する。次いで、現代社会の消費をめぐる議論を紹介しながら、「セラピー的な自己」とそれをターゲットとした聖地巡礼ツーリズムを検討する。最後に、宗教的マーケットと世俗的なそれとの融合という状況において出現している「軽い宗教」の存在が示すように、世俗化か再聖化か、という二項対立的な理論的議論は消費社会における宗教の変容の理解には有益でないことを示唆したい。
著者
葛西 賢太
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.3-27, 2016 (Released:2017-09-15)
被引用文献数
1

依存症は、食のあり方の異常が、生き方や人間関係、人としての責任能力の上での問題として現れることが多い病理である。薬物依存からの回復を目指す仏教的なアプローチを検討する。米国の瞑想指導者ノア・レヴァインは、青少年時代の非行・犯罪と薬物・アルコールの濫用から回復するため、キリスト教の儀式から学んだ依存症回復プログラム「十二のステップ」と、仏教瞑想とを学び、両者を統合するプログラムを工夫、彼同様に苦しむ若者に瞑想を伝える努力を払っている。人としての困難に向き合わず困難を避け麻痺させる行為(薬物使用)の反復が依存とみる。依存は仏教でいう苦であり、仏教の三宝(仏—現実と向き合う仏の智慧、法—十二のステップや四諦八正道、僧—回復を目指す共同体)への帰依(尊重)が回復への道であると説く。パンクロック音楽を愛好する彼は、既存の価値観を問いなおす仏教とパンクロックとの間に共通点も見いだしている。
著者
渡辺 優
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.505-529, 2012-12-30

神秘主義研究にとって「体験」は最重要の鍵概念である。しかし、「神秘主義」概念自体が近世西欧キリスト教世界に起源をもつのと同様、現在に至るまで我々の神秘主義理解を多かれ少なかれ規定している体験概念もまた、固有の歴史的背景をもつ。近世神秘家たちの権威の源泉となった体験は、同時代の認識論的(学問論的)転回の産物であり、新世界旅行記や十七世紀科学革命において新しく構成された体験/経験概念と一致している。他方、少なくとも近世に至るまで、一人称の知覚的体験を信憑性の権威とする信とは異なる信の様態がたしかに存在した。近世神秘主義においても、体験より「純粋な信仰」に価値をおく傾向が認められる。十七世紀フランスのイエズス会士J.-J.スュランは、数々の超常の体験にもかかわらず、ついには通常の信仰に神秘の道を見出した。彼の魂の軌跡を辿ることによって、「現前」の体験を神秘主義の本質とみなす理解は根本的に問い直され、新たな神秘主義理解を提起する「不在」の地平が拓けてくる。
著者
藤井 修平
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1, pp.75-97, 2016 (Released:2017-07-03)

本論文は、宗教進化論を特定の時間的枠組みの下に宗教事象の配列および秩序づけを行うものと定義し、その十九世紀から二十世紀に至る系譜を記述することを目的とする。従来の学説史では人類の文化が呪術から宗教へと発展し、科学へと至るという言説のみが進化論として理解されていたが、宗教進化論は時代を通してさまざまな形態をとっており、またそれは生物学的進化論との緊張により発展してきたという側面も見られる。 本論文ではまず「進化」の概念を整理した上で、宗教進化論の再定義を行う。宗教進化論は、単一の進歩の尺度を設定し、時代を経るごとにその尺度とされる要素が増大するとみなすことによって、歴史上の宗教を特徴づけ、配列する言説として定義される。そしてそのような進化論的枠組みを有する理論として、コント、スペンサーによる枠組みの成立から、新進化論学派とパーソンズ、ベラーによる進化論の復興、そして現代の宗教進化論に至るまでの歴史を描写する。
著者
田中 雅一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.863-883, 2009-03-30 (Released:2017-07-14)

本稿の目的は、現代社会が直面する主要な問題のひとつが他者であるという認識に基づき、他者とのあらたな関わり方や共生のビジョンについて、いかに宗教学が貢献できるかを論じることにある。その際、他者を「誘惑する他者」とみなし、「誘惑」という概念の特殊性に注目する。まず、誘惑は、誘惑する側の能動性とされる側の受動性が逆転する、あるいは逆転を求める動詞であることを指摘する。さらに、この逆転は一回限りに終わらず、自他の相互転換や融解へと続く。つぎに、誘惑においては身体が重要な役割を果たしている。誘惑とはなによりも身体的実践であり、それゆえにまた偶発的である。誘惑が導くのはエロスの世界である。誘惑とそれが開示するエロスに注目することで、他者との連帯の可能性を探る。と同時に、あらたな宗教学の可能性を、オリエンタリズム批判、身体・エロスの宗教学の創出、信仰研究の深化に求める。
著者
田中 雅一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.55-80, 2016 (Released:2017-09-15)

本稿の目的は、侵犯的な宗教性について理解することである。ここで取り上げる供犠は、おおきく聖化と脱聖化の儀礼に分かれる。前者は神に近づき、聖なる力を獲得する道を提示するのに対し、後者は罪や不浄を取り除く。聖化では、神の力が充溢している供物の残滓を分配し、消費する。脱聖化では、残滓に罪や不浄が吸収され、家屋や寺院の外に放置される。しかし、儀礼の目的が脱聖化かどうか不明だが、残滓が摂取されない場合がある。それはヴェーダの神々や、憤怒の相を表す下級の神々を鎮めるための儀礼である。シヴァ神については、残滓はニルマーリヤと言い、これを受け取るのはチャンダとかチャンデーシュヴァラと呼ばれる聖人だけである。彼はシヴァの聖者の一人である。本来忌避すべきニルマーリヤを受け取るのは、侵犯的な信愛(バクティ)の表れの一つと言える。本稿では、供犠の残滓に注目することで規範の侵犯に認められる宗教的性格について考察する。