著者
沖田 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.655-678, 2003-12-30 (Released:2017-07-14)

レヴィ=ストロースによれば、世界のあらゆる神話体系には、それぞれの神話体系を構成する神話や伝承の間に、「反復と変形の構造」が認められる。話の全体は同じ構造の繰り返しによって構成されているが、話の細部は一方が他方の正反対の形に変形されているという構造である。この構造はインド神話の領域にも見られると思われる。本稿ではこのことについて、叙事詩『マハーバーラタ』の以下の三つの神話伝承を主な題材として分析を試みた。(1)主筋の伝承における、ガーンダーリーとクンティーがそれぞれ百人と五人の息子を得る話、(2)第一巻の長大な挿話部分において、カドルーとヴィナターという二人の女神がそれぞれ蛇族と鳥王ガルダを生む神話、(3)第三巻の挿話における、サガラ王の二人の妻とその息子たちの伝承。その結果、これらの主筋と挿話の神話伝承は同一構造の反復と変形によって構成されており、物語上は関連性を持たないが、構造の点では密接な関係にあるという特徴が見られた。
著者
清水 邦彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.107-130, 2018

<p>明治時代初期において、地蔵像等の仏像が撤去・破壊された事例が全国に散見する。本稿では、地域を絞って、地蔵像等の仏像撤去・破壊の原因を解明することを目的とする。</p><p>京都府・大阪府・滋賀県の三地域では、開化政策の一環として、路傍の地蔵像が撤去され、地蔵祭が禁止された。しかしながら、開化政策の一環であったためか、三地域いずれも明治時代中期には、地蔵像が再安置されている。</p><p>加賀藩・富山藩では、当初、粛々と神仏分離が行われた。その後、富山藩では経済政策として寺院整理が行われ、仏像が鋳つぶされた。加賀藩を引き継いだ石川県は、水源確保を目的として白山より仏像を下山させ、時に仏像は破壊された。</p><p>東京都御蔵島では、神道思想に基づき、寺が廃寺となり、地蔵像が破壊された。</p><p>明治時代初期において、地蔵像等仏像が撤去・破壊された原因として、①開化政策、②神道思想に基づく廃仏毀釈の二つがあることが判明した。</p>
著者
鈴木 祐丞
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.647-671, 2014-12-30

本稿では、ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』における、彼のキェルケゴールへの関係を考察する。同書から知られるのは、要約すれば、キェルケゴールが『キリスト教の修練』を通じて描き出した宗教哲学を、ウィトゲンシュタインが、実際にキェルケゴールのその著作を手引きとして、一歩一歩辿ったということである。キェルケゴールは、『修練』において、人間は、「キリストとの同時性」という状況に身を置き、「躓き」の可能性に直面し、それを実存的に乗り越えることによってこそ、信仰を得ることができると考える。また、彼は、そのような理想的な信仰の要求を前に、自らの不完全さを認識することで、人間は罪の赦しを体感できると考えている。自らに根深く巣食う虚栄心や臆病さを罪として認識するようになったウィトゲンシュタィンは、救いをキリスト教に求め、キェルケゴールの『修練』に手を伸ばす。彼は、そこで、まさにキェルケゴールが『修練』において意図した仕方で、罪の赦しにリアリティを見出したものと考えられるのである。
著者
葛西 賢太
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.385-408, 2009

オックスフォードグループと呼ばれた道徳改革運動の宗教的意義について考察する。この運動は道徳再武装と改称し、二〇世紀前半から半ばにかけて、欧米以外の諸国も含めた国際的な交流の機会を提供、諸国の政治・経済・文化に関わる、日本も含むエリートたちに熱心に支持された。支持の背景には宗教運動としての諸側面もあった。この論文では、神にゆだねること(Surrender)と、祈りの中で神からメッセージを受けるお導き(Guidance)という二つの実践について述べる。これら二つの実践は、参加者の自己と宗教・道徳伝統との間の不一致を整理し、両者を再接続させるものである。実践によって人生の変革(Life Change)を体験した人々は、宗教活動にも、またそれを応用した上述の国際交流にも、諸職業活動にも積極的に参与した。
著者
渡辺 学
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.785-804, 2008-03-30

宗教における修行と身体の問題は、さまざまな形で論じられてきた。本論では、これらの問題を信と知、信と行、精神と身体などの枠組みにおいて概観してから、湯浅泰雄の修行論としての身体論を取り上げる。湯浅の修行論の特徴は、東洋的修行の本質を身心一如に見出していることである。このような観点を一つの準拠枠としながら、修行の視点から西行の釈教歌の分析を試みる。そして、心と月と西の概念を手がかりとして、西行の宗教的な自然観を浮き彫りにする。西行は、桜の花と月に魅了された生涯を送ったが、月には仏教的な意味づけの世界があり、とりわけ月輪観という密教的な瞑想法と密接な関係がある。本論では、このような月のイメージがさまざまな釈教歌においてさまざまな展開を見せていることを明らかにする。
著者
戸田 聡
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 = Journal of religious studies (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.397-421, 2014-09

「しあわせ」「幸福」は現世で感得される心的状態を表すが、キリスト教修道制が目指したのは救済であり、幸福とは明らかに異なる(「幸福感」とは言えても「救済感」とは言えない)。しかも救済に到達するために、修道制は、この世で得られる様々な幸福の源泉(飲食、性、家族関係)を放棄している。修道制における幸福を語ることがそもそも可能かどうかは問われてよい。キリスト教の中には、現世での幸福は観照に存するとする伝統があり、それを紹介しているピーパーの議論を本稿では詳しく検討したが、言うところの「幸福」があまりに抽象的だとの感が否めない。幸福はもっと日常的に人々が感得できるものであり(例えば、喜びを通じて)、その観点から見れば、修道士もまた、生活形態こそ通常人のと異なるとはいえ、何らか人間関係の中で日常生活を営んでいたのであり、彼らもまた幸福を感得できたという可能性は否定できない。
著者
西村 明
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.369-391, 2012-09-30

本稿では、永井隆の読み直しの作業を行う。高橋眞司による浦上燔祭説批判と自説を踏まえながら、彼の原爆死のとらえ方の重要な契機として従軍体験と職業被曝に注目する。七二回の戦闘を経験し、死者とのあいだに決定的な差異がなくなる生死の境界線から復員した永井は、そうした偶有性を「天主の摂理」としてカトリシズムの枠内でとらえた。しかし他方で、「犬死に」となることを避けるために、ある目的の達成に向けられた死に方に価値を見いだすような戦時状況に基づいた理解も見られる。さらに、放射線医学への従事から白血病を発症し余命宣告を受けるが、科学的な「殉教」の文脈で自らの死を受け止めている。それが、原爆死者の犠牲を是認することにも道を開いている。最後に、浦上燔祭説として批判されたものの内実には、死者の霊魂をしずめることを通して、生死の境界を峻別し、生き残った者たちを再建・復興へと導く意志が認められることを論じている。
著者
森岡 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.627-647, 2009-09-30

自然存在および文化社会的存在の二重性のなかで人は、葛藤を抱えてきた。心理療法はセラピストとクライエントが実際に会って話すということを基本にしている。他者との会話が感情の自己調整を可能にしていくその基盤については、まだわからないことが多い。小論では、感情のセラピーの源泉としてスピノザの『エチカ』を参照し、他者との応答的対話がもたらす自己回復へのプロセスを探ろうと試みた。『エチカ』第5部の定理によると、感情に明晰判明たる観念を形成すると、人は感情による受動性にさらされた状態から能動存在へと転換する。ここに主体性回復への治癒機転を求めたい。スピノザは身体の変様から感情を定義する。感情に従属する(受動)のではなく、理性に導かれる(能動)自己認識をもとに、自己保存の力能すなわちコナトゥスとつながる道筋がセラピーの基盤であることが示される。セラピーにおいて他者の応答が不可欠なのは、コナトゥスが限定され、現実の力になることに関わっている。以上についてセラピーの実際場面や心理学者牧康夫の自己治癒への道筋を例に検討を行った。
著者
萩原 修子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.577-600, 2009-09-30

不知火海沿岸の人々は水俣病事件によって底知れぬ苦しみを強いられた。事件の公式確認後、すでに五〇年を超す歳月が流れたが、事件が人々の心身に刻んだ爪痕は今なお深い。事件によって影響を受けた人々に共通するのは、倫理的困難への直面である。その超克を模索する過程において、当事者あるいは支援者とともに、実に豊かな思想が紡ぎだされてきた。本稿は「本願の会」という患者有志によるゆるやかな会が湧出しつづける思想について考察を試みるものである。会の主要メンバーによる著作から、彼らの倫理的困難を超克しようとする実践を、今日の倫理と宗教の微妙な関係を示す一例として、分析したい。
著者
臼田 雅之
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.839-861, 2011-03-30

本論はインド大反乱までの英領インドを近世ととらえた上で論じる。植民地支配は宗教を特異な領域として生み出し、それがインドをとりわけ宗教的とみなすインド観を成立させた。合理的な精神をもち、世俗的な国民国家のイデオローグとしての性格を強く示すラームモーハン・ローイ(一七七四-一八三三)は、「近代インドの父」と言われるばかりではなく、「宗教・社会改革者」として有名である。宗教に限定されない近代イデオローグであったローイが、なによりも「宗教・社会改革者」として登場せざるをえなかった点に、英領インドにおける「宗教」領域の特異性がある。そこでは社会は宗教と一体化したかのごとく現象する。こうしたローイの思想的位置を、内村鑑三によって「宗教の敵」と呼ばれた福澤諭吉との対比からさらに考える。ローイと福澤の類似点を、両者がともに評価したユニテリアンの思想を媒介させることで明らかにする。