著者
近藤 光博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.397-421, 2004-09-30

本稿の主題は、現代インドの日常生活を強く支配する対「ムスリム」偏見である。とくに「ムスリム」を「余所者」「侵略者」、さらには「狂信者」「分離主義者」とみなす二組のステレオタイプを取り出し、それぞれについてその歴史的背景を整理する。そこで明らかにされるのは、右のような強固な偏見は単なる空想や虚偽ではなく、一定の事実性にもとづく共通感覚であること、しかもその偏見の強固さのゆえに偏見を強化する言動が再生産されるという循環関係がインド社会に構造化されていることである。現代インドのコミュナリズムの基底をそのようなものとして提示したうえで、本稿はさらに、この特殊インド的な問題が宗教研究の諸理論と深く関連していることを指摘する。具体的には、宗教分類学と宗教概念の関係、習合概念の限界、ユダヤ=キリスト教=イスラーム的な世界観・文明原理の特殊性、宗教概念と共同体概念の関係などの諸問題が、コミュナリズム論にとって有する意義の大きさを指摘する。
著者
土井 健司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.1-26, 2012-06-30

本稿では最古の病院のひとつに数えられるカイサレアのバシレイオスの建てた病院施設「バシレイアス」について残存する資料を用いて再構成し、さらにバシレイオスがこれを建てた理由、背景を探り、最後に彼の病貧者観について考察する。残存する資料から次のことが分かる。バシレイオスはウァレンス帝から賜ったカイサレア近郊の土地に病院施設を建てたが、そこには看護者、医者、牛馬、さらに案内人として聖職者たちもいた。これはバシレイオス自身によって「カタゴギア」、「クセノドケイオン」、また「プトコトロフェイオン」とも呼ばれている。バシレイオスは寄付によってこの施設を運営し、おそらく患者や旅人などは無料であった。また彼は定期的にこの施設を訪れ、なかでもレプラの病貧者の治療を行っていた。それは修道士たちによっても実践され、それはバシレイオスの定める修道的生活のプログラムに含まれていた。この病院はバシレイオス自身のフィランスロピア思想と受肉論に支えられていて、蔑まれていたレプラの病貧者を同じ人間として、またキリストとしてその看護・治療を行って行く場所となっていった。
著者
渡辺 優
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.505-529, 2012-12-30

神秘主義研究にとって「体験」は最重要の鍵概念である。しかし、「神秘主義」概念自体が近世西欧キリスト教世界に起源をもつのと同様、現在に至るまで我々の神秘主義理解を多かれ少なかれ規定している体験概念もまた、固有の歴史的背景をもつ。近世神秘家たちの権威の源泉となった体験は、同時代の認識論的(学問論的)転回の産物であり、新世界旅行記や十七世紀科学革命において新しく構成された体験/経験概念と一致している。他方、少なくとも近世に至るまで、一人称の知覚的体験を信憑性の権威とする信とは異なる信の様態がたしかに存在した。近世神秘主義においても、体験より「純粋な信仰」に価値をおく傾向が認められる。十七世紀フランスのイエズス会士J.-J.スュランは、数々の超常の体験にもかかわらず、ついには通常の信仰に神秘の道を見出した。彼の魂の軌跡を辿ることによって、「現前」の体験を神秘主義の本質とみなす理解は根本的に問い直され、新たな神秘主義理解を提起する「不在」の地平が拓けてくる。
著者
窪 徳忠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.1249-1272, xiv, 2005-03-30

本居宣長などは、日本には道教は伝来しなかったというが、宮内庁書陵部現蔵の『正統道蔵』は一七世紀後半に佐伯毛利藩が入れたものだから、日本は道教と無関係ではない。一九五〇年に成立した日本道教学会の会員の活躍で、道教研究は大いに発展した。私は柳田国男の説によって沖縄県地方に庚申信仰の初期の形式を探しにいったが、中国的信仰のみ眼につき、庚申信仰はなかったので、目的を変更し、爾来沖縄の中国的信仰を調べ続けている。沖縄に道教の符に対する信仰の初伝は一五世紀中葉だが、福建人の来住と冊封体制下に入った結果、中国の影響を大きく受け、道教の高位の雷神、村や集落の守り神の土地公、后土神ともよぶ守墓神などの信仰を受け容れている。ただその場合、受容直後には中国の場合と全く同形だったであろうが、年を経た現在ではかなりの変容がみられる。異文化受容の際の当然の傾向であろう。
著者
西村 玲
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.739-759, 2004-12-30

本論は、従来省みられてこなかった仏教の視点から、富永仲基の思想を検討する。仲基は、仏が淫するものは幻であるとする。仏の神秘的教えは行者が禅定・瞑想中に見た幻影にすぎず、釈迦の真意は世俗倫理を勧めることにあるとして、仏教を脱神秘化した。『出定後語』とは、人間理性が宗教的な呪縛である定・夢幻から目覚めたという宣言、いわゆる近代を告げる声であった。仏教的価値観では、人が目覚めるべきは現実事象の儚さからであり、仏の悟り、仲基の言う仏の幻こそが、より存在度の高い真実とされてきた。中世においては、人が儚い生死の夢から覚めて仏の朝に至ることが、覚夢だった。しかし近世における仲基の出定は、仏の夢幻から人の世の現実に目覚めることにある。仲基は、聖俗の存在論を反転させ、仏教思想の意義を明確に否定した。仲基の出定以後、近世から現代に至るまで、日本の仏教者たちは伝統的な仏への覚夢と仲基の出定を統合止揚すべく、全力を挙げることになった。
著者
清水 邦彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.107-130, 2018

<p>明治時代初期において、地蔵像等の仏像が撤去・破壊された事例が全国に散見する。本稿では、地域を絞って、地蔵像等の仏像撤去・破壊の原因を解明することを目的とする。</p><p>京都府・大阪府・滋賀県の三地域では、開化政策の一環として、路傍の地蔵像が撤去され、地蔵祭が禁止された。しかしながら、開化政策の一環であったためか、三地域いずれも明治時代中期には、地蔵像が再安置されている。</p><p>加賀藩・富山藩では、当初、粛々と神仏分離が行われた。その後、富山藩では経済政策として寺院整理が行われ、仏像が鋳つぶされた。加賀藩を引き継いだ石川県は、水源確保を目的として白山より仏像を下山させ、時に仏像は破壊された。</p><p>東京都御蔵島では、神道思想に基づき、寺が廃寺となり、地蔵像が破壊された。</p><p>明治時代初期において、地蔵像等仏像が撤去・破壊された原因として、①開化政策、②神道思想に基づく廃仏毀釈の二つがあることが判明した。</p>
著者
鈴木 祐丞
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.647-671, 2014-12-30

本稿では、ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』における、彼のキェルケゴールへの関係を考察する。同書から知られるのは、要約すれば、キェルケゴールが『キリスト教の修練』を通じて描き出した宗教哲学を、ウィトゲンシュタインが、実際にキェルケゴールのその著作を手引きとして、一歩一歩辿ったということである。キェルケゴールは、『修練』において、人間は、「キリストとの同時性」という状況に身を置き、「躓き」の可能性に直面し、それを実存的に乗り越えることによってこそ、信仰を得ることができると考える。また、彼は、そのような理想的な信仰の要求を前に、自らの不完全さを認識することで、人間は罪の赦しを体感できると考えている。自らに根深く巣食う虚栄心や臆病さを罪として認識するようになったウィトゲンシュタィンは、救いをキリスト教に求め、キェルケゴールの『修練』に手を伸ばす。彼は、そこで、まさにキェルケゴールが『修練』において意図した仕方で、罪の赦しにリアリティを見出したものと考えられるのである。
著者
葛西 賢太
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.385-408, 2009

オックスフォードグループと呼ばれた道徳改革運動の宗教的意義について考察する。この運動は道徳再武装と改称し、二〇世紀前半から半ばにかけて、欧米以外の諸国も含めた国際的な交流の機会を提供、諸国の政治・経済・文化に関わる、日本も含むエリートたちに熱心に支持された。支持の背景には宗教運動としての諸側面もあった。この論文では、神にゆだねること(Surrender)と、祈りの中で神からメッセージを受けるお導き(Guidance)という二つの実践について述べる。これら二つの実践は、参加者の自己と宗教・道徳伝統との間の不一致を整理し、両者を再接続させるものである。実践によって人生の変革(Life Change)を体験した人々は、宗教活動にも、またそれを応用した上述の国際交流にも、諸職業活動にも積極的に参与した。
著者
渡辺 学
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.785-804, 2008-03-30

宗教における修行と身体の問題は、さまざまな形で論じられてきた。本論では、これらの問題を信と知、信と行、精神と身体などの枠組みにおいて概観してから、湯浅泰雄の修行論としての身体論を取り上げる。湯浅の修行論の特徴は、東洋的修行の本質を身心一如に見出していることである。このような観点を一つの準拠枠としながら、修行の視点から西行の釈教歌の分析を試みる。そして、心と月と西の概念を手がかりとして、西行の宗教的な自然観を浮き彫りにする。西行は、桜の花と月に魅了された生涯を送ったが、月には仏教的な意味づけの世界があり、とりわけ月輪観という密教的な瞑想法と密接な関係がある。本論では、このような月のイメージがさまざまな釈教歌においてさまざまな展開を見せていることを明らかにする。
著者
戸田 聡
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 = Journal of religious studies (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.397-421, 2014-09

「しあわせ」「幸福」は現世で感得される心的状態を表すが、キリスト教修道制が目指したのは救済であり、幸福とは明らかに異なる(「幸福感」とは言えても「救済感」とは言えない)。しかも救済に到達するために、修道制は、この世で得られる様々な幸福の源泉(飲食、性、家族関係)を放棄している。修道制における幸福を語ることがそもそも可能かどうかは問われてよい。キリスト教の中には、現世での幸福は観照に存するとする伝統があり、それを紹介しているピーパーの議論を本稿では詳しく検討したが、言うところの「幸福」があまりに抽象的だとの感が否めない。幸福はもっと日常的に人々が感得できるものであり(例えば、喜びを通じて)、その観点から見れば、修道士もまた、生活形態こそ通常人のと異なるとはいえ、何らか人間関係の中で日常生活を営んでいたのであり、彼らもまた幸福を感得できたという可能性は否定できない。
著者
西村 明
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.369-391, 2012-09-30

本稿では、永井隆の読み直しの作業を行う。高橋眞司による浦上燔祭説批判と自説を踏まえながら、彼の原爆死のとらえ方の重要な契機として従軍体験と職業被曝に注目する。七二回の戦闘を経験し、死者とのあいだに決定的な差異がなくなる生死の境界線から復員した永井は、そうした偶有性を「天主の摂理」としてカトリシズムの枠内でとらえた。しかし他方で、「犬死に」となることを避けるために、ある目的の達成に向けられた死に方に価値を見いだすような戦時状況に基づいた理解も見られる。さらに、放射線医学への従事から白血病を発症し余命宣告を受けるが、科学的な「殉教」の文脈で自らの死を受け止めている。それが、原爆死者の犠牲を是認することにも道を開いている。最後に、浦上燔祭説として批判されたものの内実には、死者の霊魂をしずめることを通して、生死の境界を峻別し、生き残った者たちを再建・復興へと導く意志が認められることを論じている。