著者
狩野 浩二
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.11-21, 2003-03-31 (Released:2017-04-22)

斎藤喜博(1911-1981)は,1952(昭和27)年から11年間にわたって,群馬県佐波郡島村立島小学校(後,境町と合併)の校長を務めた。その間に,斎藤はいきいきと勉強する児童をつくりだしている。島小の児童が自分の心をひらいて,いきいきと勉強した背景には,何があったのか。本論文では,子どもが地域の中でどのように活動していたのかということに光を当てる。島小学校の教師たちは学校での授業実践と同様に子どもの自主性を尊重した教育実践を地域で展開した。島小の教育実践の特徴は,子どもや教師,地域の人々を抑圧から解放し,のびのびと生活するようにしていった点である。教師たちは,儀礼的なものを排除し,児童の学力を保障する実質的なもの(授業)を大事にしていった。島小の児童は,学校での生活と同様に,地域の生活の中に課題を発見し,その課題を解決するために集団を作り,いきいきとした勉強を展開した。
著者
森 玲奈
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.49-58, 2014-03-31 (Released:2017-07-19)
参考文献数
28

本稿では,日本におけるワークショップの展開とその特質に関し,ワークショップ実践史を整理する。その上で,これまでワークショップ実践史の源流にあるとされてきたデューイの教育思想を手がかりとし,実践者育成のための方法を検討することを目的とする。本研究では,以下の作業を通じ,日本のワークショップの系譜とその背景にある思想を明らかにする。第一に,アメリカを中心とした海外のワークショップ実践の背景を整理し,その背景にあった社会状況を明らかにする。第二に,日本におけるワークショップ実践史を,海外から方法の移入した状況や契機,実践者同士の交流と相互作用に着眼し記述,整理する。第三に,海外におけるワークショップの系譜と,日本におけるワークショップの系譜との差異について確認し,日本におけるワークショップの系譜が独自の展開を遂げてきたことを示す。これらを通じ,(1)海外では各領域における問題解決のための「新しい方法」としてワークショップが生み出されており,その時期は領域によって差があること,(2)日本では,1970~80年代にその契機があり,個々の領域において領域に特化された手法として別個に導入されたため,実践者育成が領域の中の細分化された集団で行われることが多かったこと,(3)ワークショップをプラグマティズムという思想潮流の中で捉えることにより実践者の育成に貢献できること,を論じる。
著者
山根 万里佳
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.49-59, 2019-03-31 (Released:2020-04-01)
参考文献数
20

本研究では,「場所に根ざした教育(place-based education)」の構想する学校カリキュラムの検討を通して,その理論と実践の教育方法学的意義と課題を明らかにすることを目的とする。グローバル化の進行のなかで生じている経済的荒廃や文化的同質化,コミュニティーの生態学的破壊にたいして,「場所に根ざした教育」は,人間と周囲の環境との相互依存の関係が学ばれる必要性を論じている。その実践として,バーンハートの提唱する「場所の教育学」のもと構想された,アラスカの学校教育改革の事例に焦点をあてる。ここで問われたのは,学校教育において周縁化されてきたネイティブの知識体系と,西洋由来の知識体系との接続可能性と相互補完性を示すことであった。そこで,二つの知識体系を統合した文化的応答性のあるカリキュラムが構想され,教師用ハンドブックやレッスンプランを通じた教師教育へと展開する。ここでは,ネイティブの知識体系を有する年長者と学校教育とがいかに共同して経験的で探究的な学びを行うのか,その教育方法も含めた構想がみられる。「場所」を視点とすることで,今日における地域と学校教育とのあり方を展望することに示唆が得られる。
著者
中村 麻由子
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.13-23, 2012-03-31 (Released:2017-04-22)
被引用文献数
1

本稿は,教師のまなざしを科学主義・技術主義に対抗する人間的・芸術的・倫理的な力量として捉えることを中心とした従来の理論枠組みを越えて,それがもつ文化的・政治的実践の媒介としての意味を捉え直す理論枠組みを提起している。そのために,まなざしの媒介作用,権力作用,脱構築という三つの基本概念を提出する。人間は,周囲から向けられたまなざしを内面化し,それを媒介にして状況や他者や自己自身を見つめ直す側面をもつ。こうした媒介作用に着目するとき,「正常-異常」とか「有能-無能」に関する「基準」の内面化による権力作用や,個別局所的な場におけるまなざしの問い直しや編み直しという脱構築の意味が重要なものとして浮かび上がってくる。新自由主義的な制度と言説が広がり,「欠損言説」と「個体能力観」が教育行政やメディアはもとより保護者や子どもにまで浸透してゆく現在,教師のまなざしはどのような文化的・政治的実践の媒介としての意味をもちうるのか。ここでは,教師のまなざしに関する従来のアプローチの意義と限界を指摘した後,「欠損言説」と向かい合うナラティヴ・セラピーの理論と「個体能力観」と向かい合うクリティカル・ペダゴジーの理論の検討を踏まえた上で,個体還元的,尺度準拠的,欠陥検出的,技術主義的なまなざしが浸透する状況のただなかで,教師のまなざしが果たしている文化的・政治的実践の媒介としての意味を明らかにしている。
著者
村瀬 公胤 岸本 琴恵
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.97-107, 2019-03-31 (Released:2020-04-01)
参考文献数
23

本研究の目的は,教育実践における二つの道徳的価値「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の相克について,ケアの倫理を導入することによってこれを乗り越える方途を探ることである。そのために,中学校の事例に基づいて問題の構制を分析するとともに,佐伯(2017)の「二人称的かかわり」および「三人称的かかわり」を参照しながら「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の概念の再定義を試みた。事例を通して明らかになったのは,まず,「三人称的かかわり」が「規則の尊重」と「相互理解,寛容」の相克をもたらしており,「二人称的かかわり」がそれを乗り越える契機となり得ることである。次に,「二人称的かかわり」の中で,生徒が主体的な規則の担い手として育つ過程が示された。「規則の尊重」とは,私があなたとどのような関係でありたいかという,二人称的な自律性の発露として捉えることができる。 他方,「相互理解,寛容」としてのケアとは,一方的な保護で現状を無条件に肯定し放置する甘やかしとは異なり,成長の文脈において現状を受けとめることであった。多様な個によって担われる規範と,多様な個が成長するためのケアは,学校が道徳的空間であるための必要な要素である。この理解に基づいて,日々の生徒指導や学校経営が進められる可能性が示唆された。
著者
八田 幸恵
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.37-48, 2019-03-31 (Released:2020-04-01)
参考文献数
40

1974年の,OECD-CERI「カリキュラム開発」プロジェクトの東京セミナー第2分科会では, 「工学的接近」と「羅生門的接近」というカリキュラム開発の2つの立場が析出された。日本の教育方法学において「羅生門的接近」は常識化し,共通教育目標・内容の設定を否定する論陣の論拠のひとつとなった。しかし,第2分科会主要参加者の1960~1970年代における所論と「羅生門的接近」との関係を読み解くことで,次のことが明らかになった。第一に,成立時の「羅生門的接近」には複数の立場が含まれており,ひとつの立場とみなせるようなものではなかった。第二に,「羅生門的接近」の主要な部分は,OECD-CERI 発信のものでもアトキンの論でもなく,その成立には日本側メンバーの多大な貢献があった。第三に,「目標にとらわれない評価」が認識の相対性を強調する評価の立場であるとみなされるようになったことで,「羅生門的接近」は次第に授業の見え方の交流と同義となった。第四に,そのことによって日本の教育方法学は,共通教育目標・内容を開発チームで共有化することを可能にする,新しい教育評価のあり方というアトキンの問題意識を,十分に引き受けることができなかった。このアトキンの問題意識は,現代において非常に大きな意味を持つ。この現代的課題に取り組むために,今後の教育評価研究は,「羅生門的接近」における対比①③の背後にある問題意識と,対比②の背後にある問題意識を別物として引き受けていく必要がある。
著者
齋木 喜美子
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-8, 1999

This study is described on children's cultural activities in Yaeyama in the recent times, mainly on the practice of Takuji Iwasaki. In 1897 Takuji Iwasaki was assigned to Ishigakijima as the head of the local meteorological observatory from the Central Meteorological Observatory. Since then, for 40 years, he made efforts to preserve the local nature and folklore, and develop the local education, in addition to the weather observation and he left great achievements. Especially, he was quick to find children's talents. He made efforts to make opportunities to report children's cultures and made efforts to bring up talented persons of the next generation. In this study I mention an aspect of a history of local educational practice in Japan in the recent times by making his practice and their significance clear.
著者
鈴木 悠太
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.71-82, 2014

本研究はマクロフリンの研究の系譜における教師の「専門家共同体」の形成と展開を明らかにすることを課題とした。その成果は以下の3つの契機に即し総括される。<br> 第一に,スタンフォードCRC は教職の「文脈」を中心概念とする学校改革研究のナショナル・センターとして出発した。マクロフリンは「現に存在する制約の中で」専門性開発を「実現可能にする」ことを目指し,教職の「文脈」に照準を合わせた。<br> 第二に,教師の「専門家共同体」の概念は教職の「文脈」の鍵概念として形成された。「専門家共同体」は,様々な重荷を抱える「今日の生徒」に対峙する高校教師の授業実践が多様な展開を示していることを踏まえ,最も革新的な授業実践を追求する教職の「文脈」としてマクロフリンらが同定した概念であった。<br> 第三に,マクロフリンらの研究の成果は,授業の3類型を中心とし,教師共同体の3類型,教職キャリアの3類型の連関において定式化され,「専門家共同体」は教職の多層的な「文脈」の中に位置づけられるに至った。<br> これらを踏まえ,マクロフリンの研究の系譜における教師の「専門家共同体」は,教職の「文脈」の概念によって射程に収める,教師を中核とする多様な改革の担い手による学校改革の追求という構図の中にあり,あくまでも現存する制約の中で学校改革の実現可能性を追求するマクロフリンらの愚直な姿勢が鮮明となった。その中核に教師の「専門家共同体」の形成と展開があった。
著者
戸田 善治
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.101-109, 1993-03-31 (Released:2017-04-22)

In this article, the research material is the Historical Education textbooks "Today through Yesterday". These textbooks were written by C. F. Strong in 1936 in Britain. The purpose of these textbooks is to bring up the citizen through historical education. I tried to make clear the principle of the historical content construction. The result of the analysis is as follow. 1) The purpose of citizenship education in Britain was to bring up the citizen who understand the democracy and make effort to defend it aganst the dictatorship. 2) Strong made clear the principle that bring up the citizen through historical content construction. 3) Strong concluded that the material of the historical education is the historical things. And, he concluded that the material of the citizenship education is the current things. So, he deviced the principle of the historical content construction for citizenship education. And, he put the principle into effect. This was the historical education textbooks "Today through Yesterday ". 4) "Today through Yesterday" was made up four books. The date of each books treted was as follow. book 1 earlist times to 1603 book 2 1603-1837 book 3 1837-present book 4 present 5) The principle of the historical content construction for book 1 to book 2 is the chronological approach. The principles for book 3 is the topic approach. The principles for books 4 is the concentric approach. 6) The special feature of the principle of "The through Yesterday" is the gradual change chronological approach to concentric approach.
著者
山住 勝広
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.61-69, 1995-03-31 (Released:2017-04-22)

In this paper the fundamental issue of the relation between child development and education is discussed, especially the internalization model of social influences. In general terms, internalization refers to the process by which external action and material are transmitted to internal plane. The views of internalization model usually presuppose an external-internal dualism, and are tied to an assumption that mental processes exist within the isolated individual. In a variety of theories using the notion of internalization child development through teaching-learning is viewed as wholly internal possession of external pieces of knowledge and skill, that is, internalization of ready-made standards of behaviour and cognition. To overcome the theory of teaching-learnig and development based on the views of internalization views, we need to shift to the expanded model of human mental development. This model is created in the idea of mediated action that serves as the starting category of analysis, and accounts the very specific and important role of mediating artifacts in the process of human activity. According to this idea, we can view human mental development as active and creative transformation of individual(s) operating with mediating artifacts in sociocultural activity. In connection with the idea of mediation, the semiotic version of activity theory rethinking L. S. Vygotsky's idea gives special attention to the way in which mental development emerges from the activity of a subject mediated by inter-subjective relations. This perspective provides an important correction to an assumption that the individual is a passive recipient of external social or cultural influences. Humans can change and transform their own subjective worlds through using and creating mediating artifacts of activity. An explicit analysis of the role of mediation makes it possible to conceptualize the creative character of teaching-learnig and development. From the new perspective, the telos of teaching-learnig activity can be appreciated as forming societally important new intellectual tools and patterns of collaboration rather than the acquisition of pieces of knowledge and skill. Child development through teaching-learning is creative transformation within culturally organized social (inter-subjective) environment. In this paper this conceptualizaion is proposed through an analysis of a classroom interaction in social studies.
著者
熊井 将太
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.73-84, 2009

本稿の目的は,16世紀から17世紀にかけての学級教授の成立過程を歴史的に検討し,学級教授がどのような構造を持ち,どのような変容を経て成立していったかを明らかにすることである。本稿では,学級教授の起源を巡る議論を出発点として,(1)イエズス会学校における学級の実態的発展,(2)近代教授学の先駆者ラトケ(Ratke,W.)の学級教授の構想,および(3)コメニウス(Comenius,J.A.)の学級教授の構想,という三点から学級のもつ意味を検討した。16世紀末のヨーロッパにおいて,学級という組織は実態的には,経済性・効率性の観点および生徒の管理という観点から要請されて現れてきた。17世紀になると,それ以前の特権階級に独占された教育を批判し,すべての人間の知識,能力をもれなく高める,合理的な教授方法を求める教授学運動が生じてくる。その動向の中で,ラトケは,教師中心的な一斉授業として学級教授を基礎づけた。それに対して,コメニウスは,集団で学ぶことが生徒の能動性を高め,その知的,実践的な能力を育てることを看取した。コメニウスは学級を経済性・効率性の論理だけでなく,教育の論理からも捉え直したのである。コメニウスにおいて,学級の教育的意義が認められ,学級教授の思想が準備されたと言える。
著者
布川 和彦
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.37-46, 1994-03-31 (Released:2017-04-22)

Van Hiele theory, especially its levels of thinking, is widely accepted by mathematics education communities in many countries, and is used as a framework for the research on geometry learning and teaching. The meanings of his theory, however, is not fully clear, and it sometimes causes controversy. The purpose of this paper is making clear the meanings of the van Hiele's levels of thinking and the five stages for facilitating transitions to higher levels, which are the central ideas of his theory. In order to do this, we first consider the relation between van Hiele theory and the theory about informal knowledge. From this consideration, we find the followings; (i) Recognition of figures at the first level can be taken as informal and situated knowledge about those figures; (ii) Transitions from the first level to the third level can be seen as the transition from informal knowledge to formal knowledge. Based on these results, next we analyze the relation between van Hiele theory and Vygotskian theory. Then we find the followings; (i) Recogniton of figure at the second level corresponds to the pseudconcept or potential concept; (ii) Transitions among the levels cerrespond to the development of scientific concepts based on everyday concepts; (iii) The span between the first level and the third can be considered to generate the zone of proximal development concerning the geometrical knowledge. Consequently, we obtain the following characterization of van Hiele theory; This theory deals with teaching geometry using the zone of proximal development so that children have the access to geometical knowledge and can use it with conscious awareness and volition. This result suggests the new research problems relating to van Hiele thery.
著者
岩花 春美
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.109-119, 2011-03-31 (Released:2017-04-22)

この論文の目的は,木下竹次の教育理論における木下の「学習法」の構造を明らかにすることである。木下の学習理論は,大正デモクラシー時代に形成され,彼の理論は児童中心主義教育を遂行するための日本の進歩主義に強く支えられていた。また,木下の学習論は,ジョン・デューイの教育目的論の影響を受けていると考えられる。しかし,木下の理論は,「禅」や「武士道」に含蓄されている日本的・東洋的な精神を保持していたのである。木下の「学習法」の教育的理論は1923年〜1927年に「自由」と「協同」の概念が「自律」と「協同」へと変容している。しかし,その当時にデューイの民主主義的な思想が根付くことは,困難であったのである。この論文は5つの部分から成っている。はじめに,1,独自学習にみる「自律」と日本文化2,相互学習にみる「協同」と民主主義3,木下竹次の『伸びて行く』とJ.デューイの探究の理論,おわりに。