著者
塩崎 文雄
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.12, pp.22-32, 1987-12-10 (Released:2017-08-01)

谷崎潤一郎の『細雪』は「旧家の没落と戦争の始まり」といった<不可逆的な時間>が年ごとの花見に代表される歳事的なもの=<循環する時間>を制覇する物語として読まれてきた。だが、そうした近代的思惟の常識を顛倒する試みとして、『細雪』を捉え直すことができるので、その徴証として『細雪』における年代記的記述の稀釈化の問題はある。しかも、その問題は「時局」といった<天皇制>の一露頭とも厳しい緊張関係をもったのである。
著者
沖本 幸子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.7, pp.22-31, 2004

平安時代を通して宮廷音楽の中心は雅楽であり、歌声もまた、雅楽の、特に笛の音に規定されるものとして存在していた。これに対して、能楽の声につながっていくような、雅楽の音にとらわれない歌声は、いつ頃からどのような形で登場してきたのか。平安末期から鎌倉初期にかけて流行した「白拍子」「乱拍子」という芸能の声の姿に注目しながら、世阿弥の音曲論につながる、中世的な歌声の始まりについて考察する。
著者
山本 ゆかり
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.9, pp.11-22, 2008

従来『源氏物語』の光の表現は、場面に与える美的印象を評価され、作者の写実的描写力の所産として指摘されてきた。しかし、場面空間の明暗に着目すると、当作品の光の表現は登場人物の視覚と緊密に相関している。本稿では、夜の行事である男踏歌の三場面を扱い、作者の虚構の方法、構想という視点から、光表現と場面設定との関連を考察する。そして、作者がイメージを言語化する過程で、場面を可視にする光が表現選択の重要な一要素であることを論じる。

1 0 0 0 OA 視覚と想像力

著者
松岡 智之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.38-39, 2011 (Released:2016-12-09)
著者
千葉 一幹
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.12, pp.51-60, 1991-12-10 (Released:2017-08-01)

「グスコーブドリの伝記」における、ブドリの死が賢治の理想を体現しているのは、従来言われていたようにブドリが農民のために命を捨てたからでなく、個を思うことが直接世界全体の幸福につながるということを「反復」により実現しているためだった。そして個がそのまま普遍へと直結する世界とはイーハトーブの姿にほかならず、ブドリの死はイーハトーブがまさにユートピアとして生成することを保証するものでもあった。
著者
有元 伸子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.6, pp.36-46, 1995-06-10 (Released:2017-08-01)

『豊饒の海』というテクストは、登場人物に一人っ子が多く、かつ子供が生まれないため、血縁によらない生まれ変わりの物語として展開していく。また、転生を見るのは、「父」ならざる人物である本多繁邦ただ一人である。つまり、『豊饒の海』の「転生」とは、本多が、出産による女性の力を介することなく、男性の力のみで、人間を通時的につなげようとして生み出した、いわば「妄想の子供たち」なのである。
著者
田代 幸子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.25-36, 2006

『管絃音義』は院政期に成立した楽書である。従来、五行思想的な部分にのみ着目され、音楽性からは程遠い書であると目されてきた。だが、四つの円形図を手がかりに音楽要素に着目して内容を読み解くと、不可解な独自の用語もすべて音楽意識ゆえに創作されたものであり、音の輪転は完全協和音に整えられたものと分かる。観念のみにとどまらず、楽理の上からも音のコスモロジーを構築する『管絃音義』。本稿ではこの再評価を目的とする。
著者
佐々木 孝二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.1-12, 1984-04-10 (Released:2017-08-01)

The outstanding characteristics of the medieval stories are that they were regarded as the narratives told by the spirits of the dead and that they served as requiems. So in spite of being fiction, they have a close connection with historical realities. And the narratives were transmitted mostly by psychic medi-ums who belonged to the low class and had close relationships with the rural people. The transmitters picked up a lot of rural legends and drew them into their narratives, as well as spreading the stories to many districts. I've discussed these characteristics of the medieval narratives through a couple of stories which have something to do with the transmission in the nor-thern part of Ou district.
著者
高木 まさき
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.8, pp.10-20, 2002-08-10 (Released:2017-08-01)

新宿駅西ロバス放火事件の犯人・丸山博文と、連続射殺事件の犯人・永山則夫のエピソードから、社会的な存在としての人間に必要な言葉の力を、<言葉によってつなぐ力><言葉に立ち止まる力>のふたつにまとめた。そして今日の情報化・消費化社会において、より重要性が増している<言葉に立ち止まる力>を育成する試みとして、言葉の問題として環境問題を扱うこと、「書き換え」によって文学教材を読み直すことのふたつを提案した。
著者
細見 和之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.8, pp.85-93, 2014-08-10 (Released:2019-08-30)

最初に、小学校一年生の生徒が書いた詩、まど・みちおが九十七歳のとき書いた詩、このふたつにそくして「言葉の普遍性」について考察する。つづいて、石原吉郎、金時鐘、永山則夫らの表現について、彼らの作品にとって語りえぬ現実こそが「超越」ではないかと述べる。さらにこのことを、石原のシベリア・エッセイと詩にそくして考察する。一連のシベリア・エッセイよりもそれに先立つ詩篇においてこそ、シベリアの記憶はよく表出されていた、というのが私の考えである。最後に、ベンヤミンの言語論をここでの考察に重ねる。事物の言語‐人間の言語‐神の言葉という三層構造からなるベンヤミンの言語論において、人間の言語は事物の言語を神に報告する位置にある。同様に、語りえぬ現実を表出しようとする言葉は、絶対者に向けてこの世界の出来事を報告しようとする。つまり、現実という超越が絶対者というもうひとつの超越とかすかにふれ合う場、それが言語にほかならない。
著者
森本 真幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.61-70, 2002-01-10 (Released:2017-08-01)

八〇〜九〇年代の教科書で初めて平和教材が位置づけられ、「一つの花」は四年生の定番教材となった。「一つちょうだい」とくり返すゆみ子に、コスモスを渡して出征した父親の姿は、戦争に負けない父親の愛情を示しているように読みやすい。だが、父親も母親も、天皇の名前で進められる従順な日本人だった。そして戦後十年経って、母親もゆみ子も、そして語り手も、戦争を批判的に見る目を持たずに、毎日の生活に安住していた。