著者
服藤 早苗
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.2-10, 2010

平安中期には、上層貴族の童たちが、童殿上を聴されて、天皇の側近として奉仕していた。『うつほ物語』では、忠こそ・正頼・花園の三人の童が殿上童だったことが確認できる。さらに、童舞をし、天皇の使者にたち、雑用をこなす仕事の様子が描写されている。天皇に寵愛された忠こそなど、数ヶ月帰宅することも許されず、奉仕していた。聡明で、容貌も良く、管弦や舞に優れていても、上層貴族層の童以外は、童殿上は許されていなかった。童の内から特権的に宮廷に出仕し、恋の手ほどきまで学ぶ殿上童の姿を追った。
著者
日置 貴之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.10, pp.42-52, 2013-10-10 (Released:2018-10-25)

明治期の上方歌舞伎は従来、同時期の東京の歌舞伎に比べて革新性に乏しいものであるとされ、顧みられることが少なかった。しかしながら、詳細に検討していくと、そこではいくつもの興味深い変化が生じているのである。本論考では、特に明治十年代末までの大阪における変革の諸例を取り上げ、その多くが「東京風」を志向したものであることを示す。さらに、この時期の劇界の変化は、東京が京阪に一方的に影響を与えるというものではなく、相互に影響関係を持つものであることを明らかにし、明治期上方歌舞伎の演劇史的位置付けの再考を促す。
著者
近藤 瑞木
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.19-28, 2006-04-10 (Released:2017-08-01)

近世の儒家思想は「怪異」の存在を否定していたわけではなく、むしろそれを論理化し、コントロールしようとしていた。儒家の思想に於いては、「徳」が「妖」に優越し、論理性をはみ出そうとする余剰な力は制御され、怪異が封建秩序を揺るがすことはなくなる。そのような思想を通俗的に普及していたのが「妖は徳に勝たず」の諺や、儒者の妖怪退治譚であった。本稿はこのような、儒家思想が近世怪談を抑圧する構造を検証するものである。
著者
深沢 徹
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.14-23, 1994-02-10

藤原頼長や藤原信西に代表される飽くなき<知>への欲望は、混迷する時代状況をより高次のレベルから把握し、その往き着く先を見通したいという切実な願いに端を発している。「未来を見通したい」というこの願望はやがて集合化され、その名もズバリ「未来記」というテキストの形を採って、多くの人々に共有されることになる。それは要するに、日本版の「讖緯説」であった。だが、聖徳太子が書いたとされる「未来記」など、本当にあったのだろうか。実在すらも危ぶまれる幻のテキストを次々と生み出していく奇怪な<情念>に想いを致すとき、院政期という時代の特異性が、ありありと見えてくる。「日本紀」の注釈、「野馬台讖」の発掘、「聖徳太子伝」の様々な読み換え等々、問題は多岐に亙る。それらはどれも、院政期という時代状況の中で互いにリンクしており、単純な図式化を拒んでいる。したがって本稿では、天の意志を地上に伝えるメディアとしての星の言説を通して、それがモノガタリの文脈に取り込まれ、やがて中世になると「未来記」という架空のジャンルを形成していくプロセスを、ごくごく大ざっぱに跡付けたにとどまる。問題のほんのとば口で終わってしまったことを、お許し願いたい。
著者
嶋田 直哉
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.11, pp.64-73, 2011

<p>岡田利規『三月の5日間』(初演 二〇〇四・二)はイラク戦争を背景としながら渋谷のラブホテルの一室を舞台に展開する戯曲である。が、物語は単線的に進まずイラクでの戦争と渋谷のラブホテルの一室と「セカイ系」の宇宙が強引なまでに並置され、それらが収拾しがたく拡散している。また身体と言葉は対等の関係を持ち、それぞれが個別に過剰さを増すため、身体は無化されてしまう。このような構図から導かれる「ユルさ」こそ岡田の戦略であり、また迂回しながら社会と関わろうとするアクチュアルな姿勢を認めることができる。</p>
著者
二川 清
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.19-29, 1988

江戸期を通じ明治の中頃まで、盛んに上演された歌舞伎の小栗判官ものは、明治中期以後約半世紀以上の間忘れ去られてしまい、近年復活上演されるようになった。説経節の小栗を母体とする歌舞伎の小栗判官ものは、浄瑠璃から移入されやがて歌舞伎独自の形を造り上げて行き、天保頃に一貫したストーリーをもった通し狂言として成立したと考えられるが、この成立過程における読本や、近松の浄瑠璃の影響を考察し、読本や浄瑠璃から取り入れられた新たな諸要素の持つ意味、及びそれと原説経の精神との関連を探ってみた。
著者
小町谷 照彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.7, pp.41-49, 1985

好忠の詠作を専門歌人という視点から考察し、和歌史的に定位してみた。好忠は専門歌人として宮廷社会の中に自己の位置を確保しようと、新しい形式や表現を開拓しようとしたが、専門歌人に対する意識の変化や詠風の時代的先取りのために季節はずれ的存在として疎外され、晩年に至ってようやく歌合などに出詠できるようになった。次代に入ってようやく評価されるようになった好忠の詠歌の女歌に通じるような独特な抒情は、古今調の限界をきわめた表現時空を確立し、その切実な存在証明の営為の産物であった。
著者
山田 和人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.24-35, 1986-03-10 (Released:2017-08-01)

ややもすると、改作は原作よりも低く評価されがちであるが、必ずしもそうとばかりはいえない。改作がなければ原作そのものが今日にいたるまで伝えられなかったといえる。そこには明らかに原作に対する改作者の作品解釈があり、その当時の観客の感性や思考が直接、間接に影響をおよぼしているはずである。それをもういちど評価しなおしていくことは今後の浄瑠璃研究にとっても重要な課題のひとつと考えられる。改作をそのように理解したうえで、そこに示されている改作の原作に対する作品解釈を手掛かりにして、原作の作劇法について考えてみたいというのが本稿の試みである。具体的には『傾城反魂香』を手掛りにして、その改作『名筆傾城鑑』との比較考察を試み、原作のドラマを推進する女主人公としての、みやの造型に迫る。
著者
小峯 和明
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.18-28, 1998

模倣の意義について、中世の文芸や絵画を中心に、文字テキストにおける写すこと(現前化)と移すこと(自己化)の対応、定家様に代表される様式化への展開、権威の名を騙り仮構することで想像力を発揮する擬作や擬書の意義、似せ絵と偽せものの相関、絵巻や絵本における模写や模本の復権、語りをよそおう聞書きの口頭言語と文字言語の相剋、まねることを疑似化しつつ反転させる芸能のもどきやパロディ等々、多面的に論じた。
著者
斎藤 英喜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.54-65, 2015

<p>戦死者の記憶を語る場所=靖国神社は、また神道や神社の歴史が刻み込まれた場所でもある。明治後期の宮司・賀茂百樹(かもももき)の「他の幾多の神社に異れる由緒と、特例」という主張を、近代の神社のあり方、中世神道から平田篤胤、近代出雲派の「幽事」の神話解釈史のなかに位置づけなおした。さらに柳田国男『先祖の話』、折口信夫の「招魂(しょうこん)の御儀を拝して」を読み解きながら、「戦死者」の記憶から発せられた宗教知の可能性と問題点を探った。</p>
著者
藏中 しのぶ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.31-39, 2011-05-10 (Released:2017-05-19)

唐代口語語彙は、律令・仏教・文学という学問の講説の場で、最新の唐代の学問を継承し、中国語話者をふくむ講師によって口頭で講じられ、講義録として私記類に記録され、さらにそれらが類聚編纂されて古辞書・古注釈類をはじめとする後世の文献に定着した。講説の場として、律令学の大安寺における「僧尼令」講説、仏教学の唐僧思託による漢語を用いた戒律経典の講説、文学の『遊仙窟』講説という三分野の学問の場をとりあげ、その担い手が律令官人・在俗仏教徒・文人という性格を兼ね備え、彼らが学問としての講説の場で唐代口語という異言語を共有していた状況をあきらかにした。講説の場では、養老年間以前に成立した会話辞書・口語辞書『楊氏漢語抄』『弁色立成』等が工具書として共通して使用されていた可能性を指摘し、律令学・仏教学・文学の諸分野が交錯する多言語・多言語状況を論じた。
著者
幸田 国広
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.8, pp.20-33, 2001-08-10 (Released:2017-08-01)

本稿は、文学教育における<読み>の問題について、「舞姫」の授業実践を例に考察したものである。今日、一斉授業の行き詰まりから、教師-生徒関係を水平化しようとする情勢の中で、学び手の「個性」が安易に語られる現状が文学の<読み>の問題においてもある。一方、教室では制度的な<読み方>の「文法」が根強く残っている。この双方を射程に入れ、乗り越えるための具体的実践として、「舞姫」という文学作品の内奥に迫るための学習課題を提起し、さらに生徒の<読み>に教師の<読み方>を対峙させていく方法の是非について論じた。
著者
金 榮心
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.12, pp.12-21, 1997

『源氏物語』において<悪后>とならざるを得なかった弘徽殿女御物語の根源には儒教理念を規範とする<律令秩序体制>がある。その体制は弘徽殿女御の<身体>と<性>を抑圧していくものであった。弘徽殿女御物語の結末も「男」中心の社会秩序に吸収される形になる、しかし、差別・抑圧を経験した弘徽殿女御は呂后のようなエネルギーを持って「男」中心の社会と格闘する。そのような弘徽殿女御物語は光源氏中心ではなく、弘徽殿女御に視点を合わせることによって見えてくるものである。