著者
江藤 茂博
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.12-21, 1994-01-10 (Released:2017-08-01)

『羅生門』というテキスト空間の重層性は、旧記、登場人物「作者」の書いた先行するテキスト「羅生門」、そしてそれらを手にした「語り手」が、自らの語りのテキスト生成のありようを示すという構造であるとみて、示した。つぎに、その「語り手」の視線と下人の視線とを比較することで、これまで多くの読老が「語り手」の支配できない箇所に自らの物語を、しかも「語り手」とおなじ論理で、埋めていく構造を示した。そしてこの物語が近代的な自己同一性の物語として無批判に成立してきたのは、このテキスト空間の重層性と、そして本来的な無秩序性の存在によるものだということを指摘した。そして、このテキストの空間における下人の非決定的な在り方は、「語り手」と近代的な価値観によって隠蔽されてきた下人の姿であった。
著者
高橋 重美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.27-37, 1998

明治二十年代、習作期の樋口一葉は師である半井桃水から「女装文体」(関礼子)の習得を求められた。それは明確にジェンダーを反映した「虚構のコード」であり、一葉はそのコードによって<読まれる>ことを意識した上で、自らの言語表現を組み立てていかねばならなかった。一方明治末期から大正にかけて、平塚らいてうは『青鞜』誌上で、自身を<読む>主体と位置付け、あらかじめコードを共有する読者のみに語りかける言語表現を展開してゆく。その営みは新たなコードによる共同体を形成したが、同時に異なるコード=他者を不可避的に排除するものでもあった。本論では、この一葉とらいてうを繋ぐ言説変化を仮説として設定し、それを補助線に「煤煙」の朋子の発話及び手紙の言説を分析する。そこには<読まれる>ことに発する戦略と、<読む>主体性との錯綜した関係が凝縮されている。
著者
関 礼子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.34-44, 1997-01-10 (Released:2017-08-01)

有島武郎の『一房の葡萄』(「赤い鳥」大正9・8)、谷崎潤一郎の『小さな王国』(「中外」7・8)を中心にして教室空間のもつ政治的な意味について考察する。ここでいう「政治的」とは、男性教師と男性生徒の力関係、男性生徒と女性教師の力関係、さらには「再生産」という視点からみた家庭と学校の関係、また文学と教育の相互の拮抗関係などさまざまに構成される力のことである。
著者
和田 敦彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.51-62, 2011-01-10 (Released:2017-08-01)

本稿では、読み、書く能力の変化や、読書の形態、環境の歴史をとらえるための方法として「リテラシー史」(Literacy History)という概念を提示した。そしてそのリテラシー史を研究した具体的な実践事例や調査の取り組みを紹介する。また、過去のリテラシー調査の事例をもとに、こうしたアプローチ自体の有効性、可能性、あるいは危険性について考えることとした。
著者
澤井 啓一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.10, pp.1-10, 1990-10-10 (Released:2017-08-01)

荻生徂徠は唐詩をモデルとする「擬古」を提唱した。徂徠の唐詩モデル論の分析から、文字が人為の、音声が自然の表象であり、聖人によって制作された<古文辞>とは両者の調和的結合が達成された言語モデルであるという言説が取りだされる。徂徠は、この<古文辞>の分裂・崩壊過程という歴史=物語のなかで、<古文辞>による「擬古」を提唱した。徂徠における「擬古」は、不可視な現実世界を確かに把描するための認識-表現行為であった。
著者
藤森 清
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.42, no.11, pp.20-27, 1993-11-10 (Released:2017-08-01)

明治40年代の「平面描写」論における「平面的」というメタファーは、十九世紀フランス印象派の絵画にみられる選択的描写としての遠近法の影響をうけた田花袋によってプラスの価値を付与されたものとして使われた。このメタファーが同時代の文学の言説空間のなかで力をもったのは、明治20年代から30年代前半にかけて優勢だったパノラマの俯瞰的視覚が新しい視覚の様態としての魅力を失い、前提化されていくコンテクストにおいてである。
著者
渡瀬 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.7, pp.27-36, 2013-07-10 (Released:2018-07-13)

中世において粗末な家を描写する際にしばしば用いられる言葉に「松の柱」がある。 これは白居易の詩句から出た表現であったが、白居易の活躍した中国において、「松柱」が特別な意味を持つことはなかった。しかしそれがなぜか日本においては、ぼろ家の描写に定型句のように用いられることとなった。この現象を探るため、散文韻文の用例を検討した結果、この現象の根底には『源氏物語』の流行があると考えるに至った。さらに『源氏物語』享受を通して白居易の詩を須磨巻の内容に即して理解した結果、極めて日本的な解釈が成立していた可能性を指摘した。
著者
日向 一雅
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.6, pp.11-23, 1986

伊勢集は大まかに五つの歌群に分けられる。冒頭の伊勢の半生を歌物語的に構成する部分、屏風歌の部、四季歌の部、人事の歌群、増補部分である。このうち人事の歌群の中には冒頭部分と共通する歌物語的歌群が多数あると考えられる。それらは伊勢の伝記的事実としての贈答歌群というより虚構化されていること、そこには平中物語や大和物語の滑稽譚と共通する構成をもつものから女の人生の嘆きの姿を構成するものまで含むこと、それらは全体として冒頭の歌物語的世界の論理を補強すると考えられることなどを論じた。
著者
岡野 裕行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.11, pp.47-55, 2012-11-10 (Released:2018-01-12)

図書館は単に本を読むためだけの空間ではない。昨今は人と人とが出会うための「場」づくりを目指すような図書館が増加しているように、そこを訪れる利用者に本や人との新たな出会いを提供し、知的好奇心を刺激するような創発的な空間へと変わってきている。また、ウェブの普及に伴って本の情報流通過程が大きく変化を遂げており、「本との出会い」を促す仕組みが従来よりも多様なものとなっている。読者や読書について考える際には、そのような本と人とが繋がるきっかけづくりの取り組みにも注目していく必要がある。
著者
母利 司朗
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.10, pp.10-17, 1998-10-10

十七世紀初頭、今までの余興的な俳諧の楽しまれ方と並行して、連歌の会にならった、正式な晴の俳諧会がおこなわれるようになった。そのような席で巻かれた俳諧連歌の中の<俳諧>そのものをよみこんだ句には、ものあんじ顔な連衆や、下手連歌・下手連歌師、古風なぬるい俳諧をからかい、揶揄するような句が少なくない。連衆たちは、このような句の笑いこそを会席で期待し、そこから後の宴席でゆたかな<咄>がうまれてきたと考える。