著者
望月 正道
出版者
鹿児島県立短期大学
雑誌
人文 (ISSN:13410520)
巻号頁・発行日
no.36, pp.一-十, 2012-08-31 (Released:2018-07-13)
著者
林 珠乃
出版者
龍谷大学里山学研究センター
雑誌
2017年度 年次報告書
巻号頁・発行日
pp.100, 2018-03 (Released:2018-05-16)
雑誌
探究ノート:相互行為と質的研究
巻号頁・発行日
no.3, pp.1-8, (Released:2016-10-31)
著者
中西 尋子 Hiroko Nakanishi
巻号頁・発行日
(Released:2018-06-23)

元来日本はキリスト教が根づきにくい国である。そうした状況にありながら、韓国出自のキリスト教会が日本で宣教を展開し、日本在住の韓国人のみならず、日本人信者も一定程度獲得している事例が見られる。在日大韓基督教会(1908年創立)、統一教会(1954年創立)および「韓国系キリスト教会」(1990年代以降来日)である。本論文の課題は、これらがどのように日本宣教を行い、信者を獲得しているかを問うことにある。 従来の宗教社会学は、これら3教会を別個に性格づけてきた。在日大韓基督教会は「在日の宗教」、韓国系キリスト教会は「ニューカマーの宗教」、統一教会は「反社会的宗教」として。確かにそうなのだが、3者を同じ俎上に乗せることによって新たに見えてくるものがある。申請者の狙いはここにある。 本論文は、以上の問題設定に加えて調査概要、概念枠組みなどを提示する序章に続き、全3部12章および結章で構成されている。 第Ⅰ部「在日大韓基督教会―民族の教会として」では、第1章「民族の教会としての教会形成―在日大韓基督教会を事例として」で、教団機関紙『福音新聞』(1951年創刊)の内容分析を行い、在日大韓基督教会の民族主義的性格を明らかにする。植民地支配下の朝鮮半島から日本に来た人々が受けた差別に向き合う教会の姿勢が鮮明である。 第2章「一世にとっての教会、二世にとっての教会」では、在日一世にとっては教会が日本での厳しい暮らしに耐えるための民族共同体であったのに対して、二世にとってはエスニック・アイデンティティの獲得の場であることを、信者の生活史から明らかにする。 第3章「在日大韓基督教会と韓国系キリスト教の日本宣教のあり方を比較して」は、在日大韓基督教会と韓国系キリスト教会の間に日本人信者の獲得で差があることを、教会での使用言語や民族主義的色合いの有無から説明する。 第4章「韓国系キリスト教会の在日大韓基督教会への加入」では、在日同胞の教団として日本に定着した在日大韓基督教会だったが、現在は牧師の3分の2が韓国の教団から派遣されていること、および、1980年代以降、韓国系キリスト教会が在日大韓基督教会に加入するケースが増えてきたことから、両者がボーダーレスの関係になりつつある現状を報告する。 第Ⅱ部「韓国系キリスト教会群―普遍主義のもとに」は、日本の植民地支配という日韓関係の「負の歴史」を乗り越えて、日本人宣教を精力的に行う韓国系キリスト教会がテーマである。まず、第5章「日本における韓国系キリスト教会の概要」で、これまであまり知られていなかった韓国系キリスト教会の全体像を明らかにする。データソースに『クリスチャン情報ブック』(2010年版)を用いて、当該教会が大都市圏だけでなく38都道府県に分布し、推計300近くもあることをつきとめた。また、1990年前後から2000年代前半にかけての設立が全体の81%にのぼることがわかった。 続く第6章「韓国人宣教師にとっての日本宣教―『汝の敵』『隣り人』としての日本」は、韓国系キリスト教会が活発な日本宣教を行う要因の考察である。キリスト教人口が25%の韓国では牧師が供給過剰であり、それが海外宣教の構造的要因となっている。だが、それだけでは盛んな日本宣教を十分に説明することはできない。韓国では儒教道徳がエートスとして国民の間に深く浸透している。ここで「儒教道徳」とは、ものごとを道徳的な上下関係に位置づける思考様式のことを言うが、これを韓国系キリスト教会も共有していた。韓国人宣教師にとって日本は韓国を侵略した道徳的に劣った国である。しかし、そうした恩讐を越えて日本人に福音を伝える崇高な使命として日本宣教が意味づけられていることを、牧師の語りから明らかにする。 第7章「なぜ日本人が韓国系キリスト教会の信者になるのか」は、日本人が信者になる教化過程の考察である。教会には「7週の学び」、「小グループ(筍)」、「Quiet Time」、など、学びのプログラムが用意されている。新来者はこのプログラムに沿って信仰を強化していくが、この点で日本の教会に物足りなさを感じる人が韓国系キリスト教会にアプローチしている場合が少なくないことを、本章は明らかにする。 第Ⅲ部「統一教会―建前の普遍主義、本音の民族主義」、第8章「韓国社会と統一教会」では次の諸点が明らかになる。第1に、統一教会の性格が韓国と日本では大きく異なっている。韓国の統一教会は宗教団体を越えて巨大な事業体である。第2に、合同結婚式で韓国人と結婚し、韓国に暮らす日本人女性が現在、7千人いることが韓国と日本の統計データから明らかになる。第3に、統一教会による韓国人男性と日本人女性のカップリングが韓国で許容される背後には、韓国農村における男性の結婚難や、男性の非正規雇用率の異常な高さといった社会構造の歪みがある。 第9章「日韓両国における統一教会のあり方の差異―新聞報道の比較から見えること」では、『朝日新聞』と『朝鮮日報』の統一教会関連記事を分析し、両国における統一教会のあり方を比較する。日本では霊感商法が1980年代後半から社会問題化した。『朝日新聞』にはその提訴、判決などの記事が多数見られる一方、『朝鮮日報』にはそのような記事は一切なく、統一教会や教祖の動向、および傘下の関連企業などの記事が多く見られた。統一教会の活動内容が日本と韓国では大きく異なっている。 続く第10章と第11章のデータソースは、合同結婚式を経て韓国で暮らす日本人女性信者38人の語りである。まず第10章「在韓日本人信者の信仰生活」では、彼女たちが韓国で暮らすことの意味づけを明らかにする。教団が決めた韓国人男性と愛情のない結婚をし子供を産むのは、日本の植民地支配を贖罪し、国境と民族を超えた「地上天国」を建設するためだと、彼女たちは語るのだった。 次いで、第11章「統一教会への入信―『女性性』の回復」は、日本人女性信者たちが統一教会に入信し、結婚に至る背後経験の考察である。日本で彼女たちは、結婚と家庭に関して深刻な絶望体験を持ち、職業経験からも「女は損」という感情を抱いていた。女性であることに積極的な意味を見出せない状況で、統一教会に救済を求めていた。そして統一教会で結婚し、子どもを産み育てることに宗教的な意義を見出すことによって女性性を回復できたと、彼女たちは信じている。 第12章「『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」は、統一教会が発行する在韓日本人信者向けの機関紙『本郷人』の内容分析である。分析の目的は、1つに申請者の調査対象者を相対化すること、2つに教団が在韓日本人信者に伝えようとしているメッセージの解読である。調査対象者たちは現地で比較的平穏無事に暮らしていた。しかし『本郷人』の記事からは夫や子どもの問題、病気、生活苦などで問題を抱える信者が少なくないことがわかる。また、『本郷人』には教団の行事と、そこで語られる教祖や幹部の言葉がつねに掲載されている。それは、日々の生活で精一杯な信者に対し、初心忘れることなく、統一教会の信者として使命を遂行せよというメッセージであった。機関誌『本郷人』は、統一教会の思考の枠組みを維持・強化させる機能を果たしていた。 結章「日韓関係を背景にした三者三様の宣教」では、第1章から第12章までの知見をまとめ、3教会の日本宣教が日韓関係の「負の歴史」を背景に展開されてきたことを確認する。在日大韓基督教会の場合は、戦前の植民地から日本に渡った同胞を対象に宣教を始めた。そして戦後は、同胞の人権問題に積極的に関与することによって民族主義的な性格を強めていった。韓国系キリスト教会の場合は、負の日韓関係を倫理的な上下関係に置き直して宣教を展開する。宣教師にとって日本は「傷ついた隣人」であり、彼らはその隣人を助ける「よきサマリヤ人」の使命感をもって行動している。そして統一教会によれば、日本は朝鮮半島を植民地支配した罪深い国である。日本は贖罪のために韓国にできる限りの人的・財的協力をする事は当然である。こうした信仰を内面化した日本人女性がすすんで韓国人と結婚し、韓国で家庭を営んでいる。 以上のように、韓国出自の3教会は近代日韓関係史をそれぞれの仕方で定義づけることによって日本宣教を可能にしたと言うことができるのである。 平成29年度(2017年度)
著者
吉村 公宏
巻号頁・発行日
1995-12 (Released:2014-01-14)
著者
毛利 豊史
出版者
専修大学学会
雑誌
専修人文論集 (ISSN:03864367)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.45-77, 2017-11-30 (Released:2018-03-12)
著者
朝倉 聖子
巻号頁・発行日
2016-03-20 (Released:2016-06-13)

平成27年度
著者
鋤柄 圭祐 加納 誠司
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教職キャリアセンター紀要 (ISSN:24240605)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-7, 2018-03-31 (Released:2018-05-22)

本稿は,英語使用論とその前提としての「グローバル化」を問い直すことを通して,総合的学習と小学校英語の有機的な関連に関する議論の基礎を築くことを目的としている。昨今の教育課程改革において,教育課程における位置づけをめぐり,総合的学習と外国語教育の間の論争が続いている。外国語活動における「親しみやすさ重視」の克服,総合的学習の英会話教育化問題の克服という二つの課題の基底には英語使用論の過度な強調があると考えられる。このような英語使用論は「グローバル化」言説と接続しており,英語使用論とその前提としての「グローバル化」を問い直すことで,前述の2点の課題の解決の方向性を探る必要性がある。本稿の結論は次の2 点である。第一にグローバル化する社会を生き抜く子どもたちが育むべき力として,人と人との間に存在するありとあらゆる相違,差異の諸側面を探究していくことこそが学びの基盤になることである。第二に,総合的学習と外国語教育を有機的に関連させることで,グローバル化する社会の中で,差異の諸側面を子どもたちが探究していくことのできる教材,カリキュラムを教師は設計することができ,異文化理解,コミュニケーション活動など教科・領域を超えた総合的・横断的で探究的な学びの中で,子どもたちが自己の生き方を考え自己を再構築していくことのできる学びを提供することができる。
著者
山本 一哉
出版者
鹿児島大学
雑誌
奄美ニューズレター (ISSN:13488872)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.6-12, (Released:2016-10-27)
著者
石川 俊介
巻号頁・発行日
2015-03-25 (Released:2018-02-21)
著者
中澤 信彦
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3-4, pp.249-271, 2015-03-10

本稿の課題は、ハイエクがバークをどのように読んだのか、その読解の詳細を追跡することによって、ハイエクの保守主義観の特質と意義を明確化することにある。ハイエクが残したバークへの言及は分量的に決して少なくないが、断片的なものばかりである。そこで本稿では、ハイエクがバークの膨大なテクスト群のうちの何を参照したのかにとりわけ着目しつつ、ハイエクの主要著作におけるバークへの言及の有様を時系列的に整理する。本稿の構成は以下の通りである。第1節では論文「真の個人主義と偽りの個人主義」におけるバークへの言及を検討する。第2節では壮年期の主著『自由の条件』を検討し、第3節では『自由の条件』の補論「なぜ私は保守主義者ではないのか」を検討する。第4節では『自由の条件』と並ぶ後年の主著『法と立法と自由』を検討する。最後にこれまでの議論を整理し、「つまるところ、ハイエクはバークをどのように読んだのか?」という問いに、できるだけ明快な答えを与えたい。
著者
土岐 文乃
巻号頁・発行日
2012 (Released:2013-12-25)

筑波大学博士 (デザイン学) 学位論文・平成24年1月31日授与 (甲第5960号)
著者
湯本 明子
出版者
愛知県立大学日本文化学部国語国文学科内あいち国文の会
雑誌
あいち国文 (ISSN:18821979)
巻号頁・発行日
no.10, pp.99-109, 2016-09-30 (Released:2017-03-29)