著者
高橋 雄太 音田 恭宏 藤本 まなと 荒川 豊
雑誌
情報処理学会論文誌コンシューマ・デバイス&システム(CDS)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.43-55, 2018-05-22

老後を健康にすごすうえで,歩行能力は非常に重要である.そのため,歩行能力を改善あるいは維持するためのリハビリテーションがケアの一環としてよく行われている.しかしながら,超高齢化社会が進むと,ケアワーカ不足によって,このようなリハビリテーションが十分に受けられなくなる可能性が高い.そこで,センサを用いて,日常の歩行から歩行能力の評価を行うことができれば,歩行能力の低下の検知,歩行能力の改善度の把握,効果的なリハビリテーション計画が可能となると考えている.歩行能力の評価では,ウェアラブル機器を用いることも考えられたが,ヒアリングの結果,高齢者は機器の装着を好まないことが分かったため,我々は,杖に注目した.本研究では,杖を使い,歩行リハビリテーションを行っている高齢者の歩行能力を計測,評価可能なシステムを提案する.本提案システムの特徴は,歩行者ではなく,杖にセンサを取り付け,杖の動きから,歩行者の歩行状態を推定する点である.試作したセンサを用いて,実際の杖利用者の歩行データを用い,加速度センサの変化に基づく歩行検知アルゴリズムと,重回帰モデルに基づく歩行距離推定アルゴリズムを提案する.そして,高齢者,片麻痺患者,健常者を含む16名に協力いただいた実験の結果,提案システムは95.56%の精度で健常者の歩行を検出するとともに,88.06%の精度ですべての実験協力者の歩行距離を推定可能であることを明らかにした.
著者
閏間 莉央 小池 崇文
雑誌
第79回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, no.1, pp.979-980, 2017-03-16

3点式眼電位センサーを搭載したメガネ型ウェアラブルデバイスによる視線活動と、光学式心拍センサーを搭載したウェアラブルウォッチによる心拍数の計測データを合わせて解析することで、ヒトが無意識に“好意”を抱いている状態を分析し判定できるのか検討を行った.これまで好意は数値化や可視化が困難であったが,近年の研究で好意を抱く際に視線活動が脳内に影響を与えることがわかっている.よって,視線活動の計測により好意が判定できる可能性がある.その可能性を探るため,実験では,メガネに装着した小型カメラで動画撮影も同時に行うことで,得られた視線活動・動画・心拍数のデータを用いて、視線活動と好意との関連性を調べた.
著者
フォン ヤオカイ 松本 晋一 穴田 啓晃 川本 純平 櫻井 幸一
雑誌
コンピュータセキュリティシンポジウム2015論文集
巻号頁・発行日
vol.2015, no.3, pp.1151-1158, 2015-10-14

暗号通貨はインターネット上で流通しているデジタル通貨である.Bitcoin は暗号通貨の代表の 1 つであり,金融機関による管理を必要としない通貨の流通を可能とする概念として提唱され,近年は一般的人にも良く知られている存在となった.また Bitcoin の別の側面である,集中管理者の存在なしに分散環境で価値を流通/交換し合意形成する方法に着目した方式もいくつか生まれており,Ethereum はその一つで,分散型アプリケーションを構築するためのプラットフォームである.本発表では,Ethereum とその周辺の暗号通貨に関する研究と実装状況について報告する.
著者
金田 房子 カナタ フサコ Fusako KANATA
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.38, pp.1-21, 2017-03-31

矢口一彡(一七八七~一八七三)は、群馬県高崎市の八幡八幡宮の神職を務める一方で、俳諧宗匠・寺子屋宗匠として、地域の啓蒙活動に尽力した。一彡は、とくに俳諧に熱心で、はじめ地元高崎を中心とする平花庵の人々と交流し、のち天保の三大家の一人である鳳朗に熱心に学ぶ。晩年は自らも俳諧宗匠として近隣の人々の指導にあたった。 一彡の文化活動は、「矢口丹波記念文庫」として子孫の宅にまとまって保存されている。筆者はこれらの資料から、かつて一彡の生涯を「矢口一彡年譜稿―上毛八幡矢口家蔵書から―」(『国文学研究資料館紀要』39 平成25年3月)として時系列にまとめた。こうした文化的な活動の中で、具体的にどのような人々と交流したのかについては、同文庫に保存されている短冊類や書簡、月並俳諧の募句広告といった一枚物の資料を参考とすることができる。これらに記される人物を調べることで、一彡の活動の具体像を明らかにしてゆく。 所蔵される短冊はおよそ百枚、各々の作者を調べ、伝記のわかる二十名について、個々に紹介する。これによって見えてくるのは、主として白雄―碩布―逸淵―西馬とつながる春秋庵系の俳諧グループにつながりのある人々との交流である。また、月並俳諧の募句広告からも、一彡が晩年に逸淵門の点取俳諧に参加していたことを知ることができる。 一方で、書簡には、和算家との関わりを示すものがある。これは、紹介状として書かれたもので、一彡が務めた神社に算額も残る上州の和算家岩井重遠から、江戸の和算家馬場正統に宛てたものである。馬場正統は錦江と号し、俳諧宗匠としても著名であった。 江戸時代末期の北関東における村の文化活動を明らかにする手がかりとして地方俳諧宗匠の活動に注目し研究を進めるなかで、本稿では残された資料から浮かび上がる交友関係に焦点をあてた。
著者
丸山 勝久
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.54, no.9, pp.886-889, 2013-08-15

1984年に登場した「酒屋問題」は,さまざまなプログラム設計技法に関する情報共有や議論の場を提供してきた.しかしながら,ソフトウェア工学の進展や拡大に伴い,プログラム設計に焦点を当てた共通問題では対処できない場面が数多く発生している.そこで,現在のソフトウェア工学研究の評価という視点で当時の酒屋問題を眺めて,新たな共通問題を作成する際に考慮すべき点を議論する.本稿では,(1)開発工程の視点,(2)意思決定の視点,(3)開発活動の視点,(4)成果表現という4つの視点を提案する.
著者
笹谷 朋世
出版者
日本福祉大学全学教育センター
雑誌
日本福祉大学全学教育センター紀要 = The Journal of Inter-Departmental Education Center (ISSN:2187607X)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.39-46, 2018-03-15

Kosaku Yamada, a Japanese representative composer, created approximately 700 excellent Japanese songs. However, composition of these songs was a continuous process of trial and error. A composition method along with characteristics of Japanese language (pitch accent) did not exist in Japan in those days; therefore Kosaku established his composition method by making himself a testing ground. Around the same time in Germany, Dr. Carl Orff, a composer and musical educator, started a new attempt in the field of musical education along with his composition activities. In this paper, we focused on the philosophy: "'rhythm' and 'melody' in music is generated from words [mother tongue]" from the philosophy of musical education developed by Orff to develop a new Orff method in Japan, through fundamental understanding and reorganization of characteristics of Japanese language (pitch accent) and by tracing the process of Kosaku to compose Japanese songs. Importance to experience the sense of pitch accent as the characteristics of Japanese language in music is clarified, which is incorporated as "high- and lowpitched sound game" in activities of musical expression in early childhood, and a daily and casual instruction method of musical expression as an extension of game is clarified.
著者
山本 美紀 筒井 はる香
出版者
奈良学園大学
雑誌
奈良学園大学紀要 = Bulletin of Naragakuen University (ISSN:2188918X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.119-126, 2018-03-10

要旨明治時代後半以降、一部の人のものであった子供と教育への関心は、「こども博覧会」(1907(明治39)年5月4日~16日)をきっかけに、急速に高まりを見せる。博覧会に関わった出版社や新聞社は、子供を対象とした様々な雑誌を創刊したり、教育的イベントを企画したりし、「子供のための」取り組みは大正期に入ってさらに読者を獲得、広がっていく。本稿は、そのような社会的ムードの中で展開した、山田耕筰の童謡観について、山田自身の2つの著述「作曲者の言葉――童謡の作曲に就いて」(『詩と音楽』大正11年11月号ほか所収)、「歌謡曲作曲上より見たる詩のアクセント」(『詩と音楽』大正12年2月号所収)に基づき考察するものである。これらは、前者が概論だとするならば、後者は、実践編にあたる。著述の内容からわかる山田の童謡への姿勢と、そこから生み出された≪あかとんぼ≫の分析から明らかになるのは、「赤い鳥」運動の高い志を保ち芸術的童謡を模索する中で、日本語詩のアクセント論にたどり着き、西洋音楽理論を超えた日本語固有の拍節感から作品を生み出したことである。初期の学校教育と社会教育活動は重なる部分が多い。童謡における山田の活動は、全国各地の小学校で、文部省唱歌の代りに童謡をうたわせることが多くなった時代にあって、初期唱歌教育において目指された共通日本語教育への志向が、芸術家によって一定の見解をみた大きな成果の一つであった。