百年前の彪二郎 (@hyojiro1921_22)

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1 0 0 0 OA 正誤表

正誤表を付け忘れてました。 https://t.co/LQt5QVBooA
⇒ 《大東諸島》 今回ではなく10年前に、北大東島と南大東島の戦前の鳥類相についてまとめてまして、折居彪二郎の記録も収録しています。 https://t.co/cAGmXgaBvN マガモについて追加情報。https://t.co/RlFaas0fst メボソムシクイ上種はそれぞれ別種の可能性がありそうです。https://t.co/KGmQCMliy4
ちなみに、小笠原諸島の固有亜種オガサワラノスリは、海鳥を狩る事が知られています。大東諸島でもかつて海鳥が繁殖していたので、百年前にも海鳥を狩るノスリがいたかもしれません。 https://t.co/U37qaUtXVq https://t.co/Oq99aFmqsk
#折居旅の謎 【メボソムシクイ上種】折居彪二郎はメボソムシクイ上種の標本を4島で採集しました。これらは黒田長禮により同定されてますが、測定値を最近の研究結果と重ねると、別の種に一致してしまう結果に…https://t.co/moAor8gmta ただし測定誤差かもしれません。標本の焼失がとても悔やまれます https://t.co/BZ3IoPl0Vi
⇒黒田は自著(画像)で、リュウキュウキジバトは翼長と尾長が短めで羽色は暗く、前面の灰色味orバフ色味が亜種キジバトより薄いと述べてます。清棲図鑑は、下面が暗色で、濃い赤葡萄酒色を帯びるとし、↓も赤味強く濃いとした上で、伊豆諸島や西日本にも生息すると述べてます⇒ https://t.co/bqVq2tBd6A https://t.co/oodUf0LB9q
⇒オリイジネズミの2例目は、38年後の1960年にヒメハブの体内から見つかります。https://t.co/KFmq5714oM その後、奄美大島、加計呂麻島、徳之島の主に森林で確認されますが、加計呂麻島では森林と農地の間の路上で発見されたとの事。タイプ標本も同じような環境だったのではないかと想像します。⇒
⇒ちなみに当時、屋久島にはアカコッコも生息し、かつては固有亜種ヤクシマアカコッコとされてました。原記載→https://t.co/McxppCRFEE アカコッコは屋久島の標高1600m以上で1950年まで記録があり、折居は4/8に深山で「赤コツコー」を観察したそう。ヤクスギ林帯で雄を見たのかな?と想像しています。
⇒亜種オオアカハラと亜種アカハラの違いは↓で再検討されていて、繁殖期の♂であれば、測定値よりも頭部の色で判断したほうが分かりやすいそう。標本が残っていたら良かったですが、第二次世界大戦で焼失したため、今は折居の記述から想像する事しかできません。⇒ https://t.co/yeOrJsYers
⇒荒木(1918)によると、種コマドリは折居が訪れなかった島南部に主に生息したそう。https://t.co/lxDrdrStDN そして当時、島では森林伐採が盛んでした。↓のツリーを御覧ください https://t.co/8b0FHqxkv0 以上を考えると、種子島では留鳥だったが、その後消滅した可能性が高いのではないかと思います
⇒タネコマドリ(ヤクコマドリになる予定の屋久島産を除く)が伊豆諸島以外で確認された事例は、種子島を除くと神奈川県の1例があるのみ。https://t.co/upB9QppLoc 神奈川県は伊豆諸島に近く、何らかの事情で迷行しても不思議ではない距離かと思います。一方種子島は800km以上離れ、とても遠いです…。⇒
1921年頃の西表島祖納について、こんな論文がありました。https://t.co/3MPY7xc81O 当時祖納では、上村から下村へ集落移動が進行中で、また、マラリア撲滅のため、防蚊対策として森林伐採や水田埋め立てが行われていたのだそう。当時の祖納は、ヤマネコにとって棲みにくい環境だったのかもしれません。
折居彪二郎が大東諸島で全く確認しなかった鳥、ダイトウミソサザイについて。 この鳥は1938年1月21日に南大東島で採集された1羽を基に、山階芳麿により南大東島固有亜種として新亜種記載されました。 原記載→https://t.co/uD1WMUzXlY 標本→https://t.co/j9KgGq6LIm ⇒
1922年10月27日、出航予定だった相嶋丸は波風の影響で翌日に延期となり、折居彪二郎は猟に出ました。確認した鳥は画像のとおり。黒田長禮がオオムシクイと同定した個体は翼長74mm尾長53.5mmで、↓を見るとオオムシクイよりもメボソムシクイに一致するよう。 https://t.co/moAor8gmta #北大東島の彪二郎 https://t.co/omhzbTWdkx
ハシブトガラスの一亜種について。折居は最後の1羽に致命傷を負わせたと思ってましたが、生き延びたのか、1924年12月に島民の国京国平によって1羽が採集され、黒田長禮により亜種ハシブトガラスと同定されました。https://t.co/sSRRfrno1k その後大東諸島から種ハシブトガラスの記録はありません⇒
⇒現在北大東島では、ダイトウコノハズクの再導入計画が進められています。 https://t.co/cGMYw3UiE7 調査によると49つがいが生息できる可能性があるそう。この環境が維持されれば、いつか南大東島から移住し、その鳴き声に彩られる夜がきっと来ると思います。百年前の音景が少しでも蘇りますように。
⇒南大東島にオガサワラヤモリが生息すると最初に記した人は、↓この論文によれば岡田彌一郎のようです。 https://t.co/EsKXkZYjjV 「Okada, Y. 1936. Studies on the lizards of Japan. Contribution 1. Gekkonidae. Sci. Rep. Tokyo Bunrika Daigaku, 2 : 233-289.」に載ってる模様(未見です)。⇒
⇒折居の記述ではないですが、村誌 p. 1032にはフカノキの果実について「黒鳩が好でこれを食ふ」とあり、リュウキュウカラスバトはフカノキの実も食べていたと思われます。なおオガサワラカラスバトはビロウの実も食べたそう。https://t.co/F5pitfxcYV リュウキュウもダイトウビロウを食べていた?
1922年10月19日、折居彪二郎はリュウキュウカラスバト、オオヨシゴイ、リュウキュウヒクイナ、メボソムシクイ?、エゾビタキを採集しました。黒田長禮がメボソと同定した個体は雄で、翼長65.5mm、P10-PC長2mm。↓を見るとオオムシクイのみ該当するよう。 https://t.co/moAor8gmta #南大東島の彪二郎
⇒生き残る鳥たちのためクマネズミは根絶すべきかもしれませんが、イタチも同時に減らさなきゃいけないでしょうし、兄島のオガサワラノスリのように思わぬ影響が出る可能性も。https://t.co/AiMlTsVGgS 折居の日誌に現れる前に根絶できていれば…。現れてしまった「鼡」一文字をとても残念に思います。
メボソムシクイ?について。この日採集された雌をメボソムシクイと同定したのは黒田長禮ですが、黒田によれば翼長62mm、P10-PC長2.5mmで、↓を見ると、当てはまるのはオオムシクイのみ、本当にメボソムシクイだったか疑問が残ります。 https://t.co/0PBUD0LF3l
1922年10月9日、折居彪二郎はダイトウヒヨドリ、メボソムシクイ(?)、ダイトウメジロ、エゾビタキを採集。黒田によればメボソは雄で翼長66mm、P10-PC長2mm、折居測定で尾長1寸7分、跗蹠長7分。↓を見ると範囲内に全て収まるのはオオムシクイだけのようです
コムシクイ?について。黒田長禮はコムシクイと同定しましたが、採集された雌の黒田による翼長は64mm、折居による翼長2寸1分半=65.2mm、尾長1寸5分=45.5mm、跗蹠長6分5厘=19.7mmで、↓と較べるとコムシクイより大きく、オオムシクイかメボソムシクイの可能性もありそうです https://t.co/moAor8gmta
大東諸島の鳥が学名付で論文に登場したのは1923年、折居標本に基づく固有亜種の原記載が最初ですが、ダイトウオオコウモリは2年先に新種記載されてました。https://t.co/lHsW2rmVkc 採集日は↓によれば1902年。論文登場は遅かったものの、鳥より20年早く注目されてたようです https://t.co/iI2UGpizuR
⇒ダイトウウグイスがいなくなった’30年代の南大東島ではリュウキュウウグイスが採集されました。https://t.co/HMPpN7ZFD1 研究者は島民が持ち込んだものと考えましたが、国京は山階芳麿に、輸入された事はないと伝えてます。現在は↓の沖縄島と同様冬鳥だと考えられています https://t.co/bFCWPyt6dO
大東諸島の留鳥マガモについて。「現状不明」と書いたのは、僕が最近の南大東島の情報を持っていないからです。2000年頃にはまだ留鳥個体がいたようですが(画像は沖縄県博紀要29号。Sが南)、その後はどうなのでしょう?北大東島では遅くとも2013年には消滅していたと思われますhttps://t.co/QVCkdKC8aW https://t.co/ca3e8G7UnI
ノスリの一亜種について。南大東島では1964年にノスリの繁殖が確認され、そのヒナが人工飼育されて新亜種ダイトウノスリが記載されました。https://t.co/IfFLqLpCsa その後標本は逃げてしまい、本当に区別しうる亜種だったのか、疑問視する声があります。で、この日折居が見た鳥は何だったのか?⇒
亜種ヤクコマドリの原記載は↓こちらになります。 https://t.co/UrQrBbB9f3
#彪二郎のムシクイ科 126.メボソムシクイ 【採集】西表。標本が焼失しており、当時の同定が正確だったか疑問が残ります。黒田によれば採集した雌の翼長は60.5mm、P10-PC長は3mmで、↓を見ると、翼長が短い点でオオムシクイにも該当するような気がしますが、どうなのでしょう? https://t.co/moAor8gmta
#彪二郎のムシクイ科 125. コムシクイ 【採集】与那国。標本が焼失しており、当時の同定が正確だったか疑問が残りますが、折居による雄の測定値(翼長2寸1分、尾長1寸5分、跗蹠長6分5厘)を↓と較べると、全て本種の範囲内に収まります。亜種アメリカコムシクイの可能性もある?https://t.co/moAor8gmta
リュウキュウウグイスが沖縄島では冬鳥で、繁殖してるのはダイトウウグイスだと解明したのは↓こちらの論文になります。 https://t.co/bFCWPyc3bO 最近ではカラフトウグイスとリュウキュウを同じ亜種とみなし、後に記載されたカラフトを無効とする見解もありますが、論文にはなってないようです。
タイワンヒヨドリの原記載はこちら。 https://t.co/mn1MvEKclh 亜種小名の変更はこちら。 https://t.co/lVFchrif3U キンイロヒヨドリの亜種Hypsipetes affinis hartertiのほうが先(1912年)に記載されていたので、タイワンヒヨドリの亜種小名のほうを変更する事になったようです。
黒田による和名「シロエリクロガシラ」はこちらに載っています。https://t.co/3QlEgwOqvE
#彪二郎のタカ科 72.カンムリワシ 【採集】石垣・西表【観察】宮古。折居は12/23宮古島で「白系冠ワシ」を観察と記述。迷行個体がいたのでしょうか? 73.チュウヒ 【採集】石垣・西表・与那国。黒田は与那国産をヨーロッパチュウヒ幼鳥と同定、しかし↓は本種と判断しました。 https://t.co/Z0lQ3DIU4F
⇒折居彪二郎が南大東島で猟を再開するのは9/26からになります。当時の南北大東島の鳥類相が気になる方は、拙文ではありますが10年前にまとめたものがありますので、御笑覧頂ければ幸いです。 https://t.co/cAGmXgaBvN 正誤表 https://t.co/LQt5QVBooA ちなみに文中の連絡先はもう使われておりません

1 0 0 0 OA 正誤表

⇒折居彪二郎が南大東島で猟を再開するのは9/26からになります。当時の南北大東島の鳥類相が気になる方は、拙文ではありますが10年前にまとめたものがありますので、御笑覧頂ければ幸いです。 https://t.co/cAGmXgaBvN 正誤表 https://t.co/LQt5QVBooA ちなみに文中の連絡先はもう使われておりません
⇒ちなみに亜種による虹彩の違いは森岡照明ら(1995)『日本のワシタカ類』に載ってて、リュウキュウツミの原記載には翼の特徴しか載ってません。この翼の特徴は本州にも一致するものがあるため、原記載の内容に一致し且つ♂虹彩が赤くないのがリュウキュウツミと言えそうですhttps://t.co/fTwQzYgiL0 ⇒
大洞窟ではコウモリを確認できなかった折居ですが、「喜界産哺乳類目録」の中に「蝙蝠」と書いており、いずれかの日にコウモリ類を観察したようです。喜界島で記録があるのはオリイコキクガシラコウモリとアブラコウモリの2種のみ。https://t.co/9pQb324OaT このいずれかだったのだろうと思われます。
⇒奄美大島で記録があるコウモリのうち、頭胴長が一致したのはコキク、モモジロ、アブラ、リュウキュウテングの4種。前腕長と尾長も一致したのはアブラのみでした。↓の古見・名瀬採集のアブラがこの時の標本かと思われます(5/17も採集された模様)。 https://t.co/aQ2JEFnr1O テングではなかったです
「古見」について。瀬戸内町にあると示す文献がありましたが(アブラコウモリの項。西古見の事でしょうか?)、 https://t.co/aQ2JEFnr1O 折居は5/3の日誌に、名瀬から「古見」まで「約弐里半位」=約10kmと記してるので、現・奄美市の古見方地区を指しているのだと思います。 https://t.co/OkQdbxH632

1 0 0 0 OA 荒崎の鳥

⇒脱線しますが、九州にコジュケイが定着したのはいつ頃なのでしょう?1955年には鹿児島県荒崎にも生息したようです。https://t.co/z01wk8yI3Z 大分県のホームページにあったデータによると、1948年からコジュケイが捕獲されてる様子。https://t.co/5KLf0HXBVk 放鳥は戦後に始まったのかもしれません。
⇒ヤクシマキビタキ(アマミキビタキを含む)は、高知県室戸岬でも記録があると報告されています。https://t.co/jL4yir78Yg 「黒潮の流れに沿って北上した個体がいたのかな?」と想像が膨らみますが、日本鳥類目録6版は、同定結果には再確認が必要として、リュウキュウキビタキの分布域から除外しました
南西諸島のキビタキはかつて種子屋久固有亜種ヤクシマキビタキ、奄美・沖縄固有亜種アマミキビタキ、八重山固有亜種リュウキュウキビタキに分かれてましたが、三島(1957)はヤクシマとアマミを同一亜種とし、https://t.co/fALUIs3qKp 日本鳥類目録5版以降は全てリュウキュウに含まれるとしました。⇒
⇒ヤクシマアカコッコの原記載は↓こちらです。なお、日本鳥類目録5版以降、アカコッコに亜種は認められていません。 https://t.co/McxppCRFEE ちなみに↑この論文には、オーストンオオアカゲラ、オサハシブトガラス、シマメジロ、オオトラツグミの原記載も載っています。 ⇒
1996年に屋久島を訪れた時、餌付けされていたためか、ヤクシマザルは人を見ても平気そうな感じでした。餌付けの始まりは1960年代のようなので、折居が屋久島を歩いていた頃は、森の奥でひっそり暮らしていたのかもしれません。 https://t.co/SmmFJ8Ntg6 https://t.co/OEzPN92JOB
折居彪二郎が捕獲したヤクシカは4/1の1頭だけでした。標本数が少ないからか、この時点で黒田長禮は屋久島産を新亜種とはしませんでした。この標本は東京大空襲により失われたと思われますが、岡田喜一が所有していた1948年採集の標本を基に、1950年にヤクシカが記載されましたhttps://t.co/uP1xXmnrl8
ヤクシマヤマガラはヤマガラの屋久島固有亜種で、1919年に黒田長禮によって記載されました。https://t.co/aRH8qQ6Qjb 九州には亜種ヤマガラ、屋久島にはヤクシマ、種子島にはタネ、そしてトカラ列島にはアマミが生息し、この近距離に4つもの亜種が分布するというのはとても興味深い事だと思います。
シジュウカラは種子島では非常に稀で、迷鳥と考えられます。https://t.co/6ptyctkW9f 屋久島・トカラ列島でも稀ですが、この空白地帯の北側・九州産と南側・奄美大島産の遺伝的差異は小さいのだそう。https://t.co/EQO9lPdN0R ヤマガラは棲めるこの空白地帯がなぜ生まれたのか?とても興味深いです
⇒例えば、種子島には1922年当時、まだニホンザルが生息していました。その後消滅した一因として、森林伐採が挙げられています。https://t.co/tQNqoQr2mn また、大正時代には胸高直径90cm以上のヤクタネゴヨウが、丸木船製造のために400本以上伐採されたと推定されます。https://t.co/SpxuKLyQTk ⇒
⇒例えば、種子島には1922年当時、まだニホンザルが生息していました。その後消滅した一因として、森林伐採が挙げられています。https://t.co/tQNqoQr2mn また、大正時代には胸高直径90cm以上のヤクタネゴヨウが、丸木船製造のために400本以上伐採されたと推定されます。https://t.co/SpxuKLyQTk ⇒
タネヤマガラはヤマガラの種子島固有亜種で、1919年に黒田長禮によって記載されました。原記載→https://t.co/aRH8qQ6Qjb 亜種小名のsunsunpiは、原記載によると種子島での地方名に由来するようです。「すんすんぴ」と呼ばれてたのでしょうか?おそらく「ツツピー」という鳴き声が語源かと思います。
vixについて、詳しい方に教えて頂きました! ①英語の説明が↓に載ってます。vixでページ内検索してみて下さい https://t.co/v9scqUMT8m ②黒田長禮の日本語論文にvix ad.の意味が書いてありました https://t.co/c1E5wKfdV0 p.222「殆んど成鳥」だけどp.236「完全なる成鳥でない」のがvix ad.のよう
⇒ちなみに1904年のリュウキュウカラスバトの採集記録は伊平屋・伊是名・屋我地・座間味の4島で認められますが、同時期同島で、何故かカラスバトは採集されていません。当時リュウキュウよりカラスバトのほうが普通だったと想像しますが、何故捕獲されなかったのでしょう?https://t.co/McxppCRFEE ⇒
1922年2月5日、折居彪二郎は11時に慶良間諸島阿嘉島行きの船に乗りました。目的地は座間味島のため、阿嘉島にて島民と交渉、1時間の距離を「甚タ不当ノ賃銀」5円払って渡りました。おそらく黒田長禮から、座間味島にいると噂の“鹿”の標本を得るよう要望があったと思われます。https://t.co/W5C9R0DAdx
⇒マングースの在来種への影響を最初に指摘したのは当山(1981)だそうです(未見です)。https://t.co/RVSGPWMsqh 我が家の本棚では、安間繁樹(1985)『アニマル・ウォッチング』が最初にマングースの脅威について記していました。「危険な動物」「積極的に駆除しなければいけない」とあります。⇒ https://t.co/KQ7uIPRAQO
ヤマガラは南西諸島では留鳥ですが、本土では季節移動するものがあり、非繁殖期のみ見られる小島もありますし、過去には三宅島まで迷行した例も。https://t.co/UAhiOZ9aJf 折居が秋に出逢う絶滅亜種ダイトウヤマガラも、かつてどこかから迷行してきたもの。いつか海を越えるヤマガラを見てみたいです。
折居は与那覇岳について、「天然林漸ク少クナリ行キ唯僅ニ此辺土名ノ奥ニ少々残存スル位」と記しています。明治後半に進められた大規模開墾の影響でしょうか。https://t.co/KMoyiHX5nd 生物多様性センターの現存植生図を見ると、与那覇岳周辺に植林や萌芽林が目立ちます。https://t.co/heaZNqzEgA
沖縄島のウグイスの亜種についてはこちらが詳しいです。https://t.co/bFCWPyc3bO 当時この論文は衝撃でした。大東諸島固有亜種ではなく、大東&沖縄諸島に固有の亜種(実際は奄美諸島の一部も)がいるなんて想像もしてませんでした。でもリュウキュウカラスバトも大東・沖縄諸島固有種だと気付き納得
マングースが導入された頃の外来種への認識についてはこちらが詳しいです。https://t.co/ldVuHguyVQ 1931年頃のマングースに対する認識はこんな感じでした。https://t.co/zZCpnl2QN2 マングースが山原でも放獣され最低9年は定着していた可能性をこの論文で初めて知りました
マングースが導入された頃の外来種への認識についてはこちらが詳しいです。https://t.co/ldVuHguyVQ 1931年頃のマングースに対する認識はこんな感じでした。https://t.co/zZCpnl2QN2 マングースが山原でも放獣され最低9年は定着していた可能性をこの論文で初めて知りました
マングースの農作物への食害についてはこちらに書かれてました。 https://t.co/JpolZCoyXf また、野外で果実を摂る食性についてはこちらに書かれていました。秋から冬に多くなるようです。 https://t.co/4n4X3hSvoA
⇒ミヤコショウビンについてはこちらが詳しいです。https://t.co/Fppej80n8k 原記載→https://t.co/aRH8qQ6Qjb 標本→https://t.co/Y2PcaNIjlK ミヤコショウビンに興味のある方は、酷似するグアム島産ズアカショウビンの現状も知ってほしいです。野を舞う日が訪れますように。https://t.co/FgPDizNXMN
⇒沖縄島と石垣島の標本の所在は不明ですが、森岡(1979)はオオアカハラの独立性を再検討した際、「今までの記録が必ずしも正しい同定によっているとは限らない」と述べ、冬期には青森県・栃木県・東京都・神奈川県・静岡県で確実な記録があるとしました。https://t.co/yeOrJsYers ⇒
⇒オオアカハラは、1928年に折居が千島列島幌筵島で採集した個体を元に山階芳麿が記載した亜種です(亜種小名はorii)https://t.co/eaNavdaHhu 清棲(1952)日本鳥類大図鑑によれば、折居採集の南西諸島産は全て亜種アカハラでしたが、1905年沖縄島産と1924年石垣島産はオオアカハラと記されてます。⇒
⇒オオコウモリの分布についてはこの論文に詳しくまとめられてます。https://t.co/iI2UGpAIIZ この中でも先の「伊良部嶋」の伝聞情報が紹介されていますが、これは口永良部島の誤りと見るべきかもしれません。むしろ折居が記した久米島の情報が気になりますが、久米島渡島時には採集できなかったよう
ちなみに、「砂鳥」で検索すると、こんな論文が出てきます。 https://t.co/RoIigylvog なんで砂鳥と呼ぶのでしょう?川砂のように白黒まだらなヤマセミなら砂鳥という名前もしっくりくる気がしますが。土に巣穴を掘るから?
運搬に使われた、当時の石垣島の馬はどんな馬だったのでしょうか。昭和初期には少なくとも大浜に96頭いて、その7割は鹿毛で、宮古島も同様だった様子。https://t.co/tNYLnLqUQC しかし1963年頃には雑種馬の繁殖が進み、在来馬は老馬のみ、調査された1頭は栗毛だったようです。https://t.co/wTQQbeqrfO
⇒ちなみに、伊豆諸島と広島県、四国・九州以南を全てリュウキュウキジバトとする説もありました。研究者によって亜種の境界線は大きく変わってます。https://t.co/GPdzNIqaYO また、最近ではよく似た隠蔽種が混棲しているという話も。キジバトの分類は奥が深そうです。https://t.co/cO18zMdgmz p.226
⇒ちなみに、伊豆諸島と広島県、四国・九州以南を全てリュウキュウキジバトとする説もありました。研究者によって亜種の境界線は大きく変わってます。https://t.co/GPdzNIqaYO また、最近ではよく似た隠蔽種が混棲しているという話も。キジバトの分類は奥が深そうです。https://t.co/cO18zMdgmz p.226
@kunikuna29 この時代に鳥類調査が行われていたのは貴重ですよね。 倉田先生が調査した5年後の1970年秋、(折居が採集をした49年後)、黒田長禮の長男で、倉田先生も謝意を述べていた黒田長久博士が西表島を調査されてました。これも返還前の貴重な記録。これからじっくり読んでみます。 https://t.co/oDKfuLh9Sc
西表島の鳥類を調べてたらこんな論文が目に止まりました。https://t.co/RsZlrx7lyB 筆者は三重県四日市で教師をされてた倉田篤。四日市は個人的に馴染みの地で、返還前の西表島に四日市から調査に行った方がいたと知り驚きました。謝辞には小林桂助、黒田長久等と並び、亡き恩師小笠原昭夫先生の名も
↓こちらの論文によれば、西表島のヤエヤマオオコウモリが初めて文献に登場したのは1893年だそうです。 https://t.co/iI2UGpizuR その文献もネットで見られました。 https://t.co/eIBSn2i2I4 p.125 20年程前は文献読むためにあちこちの図書館を訪れた記憶がありますが、便利な世の中になりましたね
↓こちらの論文によれば、西表島のヤエヤマオオコウモリが初めて文献に登場したのは1893年だそうです。 https://t.co/iI2UGpizuR その文献もネットで見られました。 https://t.co/eIBSn2i2I4 p.125 20年程前は文献読むためにあちこちの図書館を訪れた記憶がありますが、便利な世の中になりましたね
ヨナクニハツカネズミのタイプ標本の採集日に誤りが
リュウキュウウグイスについて。黒田長禮はこの日採集の標本を基に新亜種記載しました。黒田は折居から、西表島では10月中旬に少数を観察しその後急増したと聞き、Probably migrantと記します。その後なぜか留鳥とされますが、下記論文を機に南西諸島では冬鳥と改められます https://t.co/eziYdTsghM
折居はこの日「水田苗附ノ季節」と記してます。秋に田植え?と思いましたが、大正時代に12月に田植えをしていた事を示す記述がありました(https://t.co/fkvSwjIjbU p.8)’60年の論文では2月上中旬と7月中下旬に田植えとなってました。この間に何が起きたのでしょう?https://t.co/0WJzReIOWy p.78〜79
折居はこの日「水田苗附ノ季節」と記してます。秋に田植え?と思いましたが、大正時代に12月に田植えをしていた事を示す記述がありました(https://t.co/fkvSwjIjbU p.8)’60年の論文では2月上中旬と7月中下旬に田植えとなってました。この間に何が起きたのでしょう?https://t.co/0WJzReIOWy p.78〜79

1 0 0 0 OA 沖縄県統計書

サキシマハブの毒性について、手元の図鑑には「致命的でない」と書かれてましたが、調べたところ最近では'79年に死亡例がありました。https://t.co/aqdKwXCYDr '21年の記録を探すと、10月の被害はゼロ。日誌に出てくる子の被害は警察に報告されなかったようです…https://t.co/MYBAkmyWKv 41コマ目
この日、折居は「二三日前ヨリ風殊ニ強ク蒙古辺ノ土砂オ吹キ巻リシ者ト見ヘ蒙々タル霞ノ如キ雲来リ一哩前方オ見エズ」と記しています。おそらく黄砂の事で、この年は春も多かったようですが(https://t.co/Fj2TadoGwd 71コマ目)秋も長崎など各地で観測されたようです。 https://t.co/TLYuRly4xW

2 0 0 0 OA 気象学

この日、折居は「二三日前ヨリ風殊ニ強ク蒙古辺ノ土砂オ吹キ巻リシ者ト見ヘ蒙々タル霞ノ如キ雲来リ一哩前方オ見エズ」と記しています。おそらく黄砂の事で、この年は春も多かったようですが(https://t.co/Fj2TadoGwd 71コマ目)秋も長崎など各地で観測されたようです。 https://t.co/TLYuRly4xW
1921年9月28日、折居彪二郎はヤマシギ、チュウヒ、シロガシラを採集。チュウヒの標本を黒田長禮はヨーロッパチュウヒと同定しますが、後に山階芳麿がチュウヒ幼鳥に訂正。https://t.co/Z0lQ3DIU4F 折居は翌朝の石垣島行きの船に西表島へ寄港するよう頼み、夜中まで荷造りをしました。#与那国島の彪二郎
百年前の今日、折居彪二郎は与那国島でヤエヤマオオコウモリも採集しています(カラスバトと間違えて撃ったのだそう)。与那国島でのオオコウモリの採集記録としては最も古いものになるのかもしれません。 https://t.co/f1jELCa3cP
今調べ直したら、黒田が最初に付けた和名はシロエリクロガシラだったようです。https://t.co/3QlEgwwhhw

お気に入り一覧(最新100件)

ヒメヤスリヘビの日本初記録! みんな、奄美行って頑張って探して、85年ぶりの記録だそうね… https://t.co/gIoVHz9Nvs
文献を教えてもらいました。ありがとうございます。ニホンオオカミとヤマイヌの関係について科学的知見に基づいた考察として個人的に一番納得できる総説。面白いです。 / J-STAGE Articles - オオカミやヤマイヌと呼ばれたシーボルトが残したニホンオオカミ標本の謎 https://t.co/krXO4hTJFG
南大東島の生き物 10 ヨシゴイ 南大東島での繁殖記録の報告は2006年。戦前の折居彪二郎らの記録からこの報告に至るまでの経緯はこちらに。 https://t.co/s5n3sg3mFk 茂みで身をひそめる姿は見事。池の間を移動する際のロードキルと思われる死体がときどき見つかる。 #南大東島 #ヨシゴイ https://t.co/4zL2eFoVet
日本では幻の存在であるミツバチシラミバエ。約100年前の記載があるのみだとか。野生のミツバチを見かける度にその背中を探しているのだが… https://t.co/IDnFfi9r0Y https://t.co/lhtQdOdMu5
また水鳥への過剰な給餌の食べ残しや鳥のフンによって餌の食べ残しによって池が富栄養化してしまうなどといった問題も起きます。 この結果、希少種な魚類であるミヤコタナゴに悪影響を与えている可能性が指摘されています。(16/17) https://t.co/4e6GB1FGeG
1970年の小沢敬次郎さん(東洋水産大学)の論文。 練習船の #海鷹丸 で観察した海鳥5種と、陸鳥5種について。 1968年4月2〜8日に東シナ海中央部で、#ツバメ を136羽観察したそうです
銭函海岸風力発電所建設が生態系に与えた影響の事後評価。(日本語論文、オープンアクセス) https://t.co/WfCxN7Oj8H 「風発建設時に作られた作業道路・ヤード上には外来植物種、特にオニハマダイコンの定着が著しく、鳥類は、種数・個体数が低下し群集組成が単純化していた。」#論文紹介
論文が出ました!というか出たのは先月ですがようやく公開されたのでつぶやきます。今回、水田生物保全特集号ということで関連総説もあわせて読むと勉強になると思います。休耕田に造成したビオトープで3年間毎月調査した結果をまとめました。https://t.co/Vswa25QYQ9
応用生態工学会誌に和文誌総説が公開されました。鳥類の生息地としての水田について解説したもので、先日の黒田賞重賞講演で紹介した内容も含んでいます。 特集号にお誘い下さった皆様にお礼申し上げます。他にも面白い論文が色々も掲載されていますので、ぜひご覧下さい。 https://t.co/GdPF3nwah8
ハブの事よく知らないけど南西諸島産の面白さはあるようだ。鹿児島県徳之島のハブは奄美大島産より攻撃的と聞いた事あるけどハブ本体は差が無い? トカラハブ咬傷時は…血清とか無く殆ど死なないので我慢して2週間寝込むと治ると地元の人に聞いたな。 https://t.co/qv8FnhDg3K https://t.co/WvOxVV37Tp https://t.co/yap6mWtEZU
体感的にボソとブトで換羽の時期が異なっているのは最近の観察で感じていたことだが、すでに調べられていることをさっき知った。 J-STAGE Articles - ハシボソガラスとハシブトガラスの風切羽および尾羽の換羽 https://t.co/4vB20zSFiW

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