著者
三尾 稔 福内 千絵 木下 彰子 中谷 純江 Minoru Mio Chie Fukuuchi Akiko Kinoshita Sumie Nakatani
出版者
国立民族学博物館
巻号頁・発行日
2011-09-22

会期・会場: 2011年9月22日-11月29日 国立民族学博物館 編集 財団法人 千里文化財団
著者
三尾 稔
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.215-281, 2017

インド西部の都市ウダイプルでは,かつての支配者であるラージプートの貴族が不遇の死を遂げた後に霊となった存在サガスジーを神として崇拝する信仰が近年人気となっている。この信仰においては,聖典やそれに関する言説は重視されず,神霊の像としての現れに働きかけ,五感を通じて神格と交流するという実践こそが最重要とされる。神像は「ラージプートらしさ」を信者たちが意思を働かせあう形でこの世に具現させたものだが,像を現出させる究極的な行為主体はサガスジー本体であることが強調され,人間の意思の主体性は否定されるところにこの信仰の特性があった。しかし,中間層の信者が中心となるある社では,神像の現れに関わる信者側の個性や主体性が強調される傾向がある。この傾向はサイバー空間に現れたサガスジーにおいては一層顕著となっている。 本論文は図像優位的な神霊信仰に関わる宗教実践の特性を,神像と人,人と人の社会関係を総体的に捉える視点から解明し,その特性の変化の要因を現代インドの社会変化と関連づけて考察する。Recently, religious cults centered on Sagasjī—spirits originated from exnobleRajputs who died unfortunate deaths—have become popular among thecitizens of Udaipur in western India. Lacking any sacred texts or discourse,the cults treat religious practices as crucially important, working on theimages of the spirits and interacting with them through the corporeal senses.The images of the spirits take concrete 'Rajput-like' form through thecollaboration of followers' imaginations about 'Rajput-ness.' However, theytraditionally negate human individuality and the intention for spirits' embodimentin the images, with the supreme agency being ascribed to the spiritsthemselves. However, at one shrine for a certain spirit, where the bulk of followerscome from the urban middle class, the emphasis tends to be on thehuman intention for the materialization of the spirits. Moreover, that tendencyis even more conspicuous as the Sagasjī appears in cyberspace.This paper elucidates the characteristics of the religious practice of figurity,particularly that of spirit cults, considering the social relationshipsbetween the images and human beings as well as those among followers. Italso explores why those characteristics have changed against the backgroundof contemporary Indian social change.
著者
三尾 稔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.334-355, 1994-03-30

南アジア各地で祝われるドゥルガー女神の例大祭は,ヒンドゥ王権の儀礼的な側面はほとんど見いだされない。隣接地域の過去の民族誌の検討により,事例間の差異の理由は文化的多様性ではなく歴史的変化に求められることが明らかとなる。インド独立以後の急速な社会変容は,超歴史的とされてきたヒンドゥ的王権を基盤とする村落社会構造を根底から揺るがし祭礼の過程をも変化させたと解釈できるのである。本論では,女神の祭礼の変容の様相を祭礼の行われる農村の社会変化と対応させながら具体的に記述し,最後に今日も依然として盛大に祝われるこの祭礼の今日的な意義を検討する。
著者
三尾 稔 杉本 良男 高田 峰夫 八木 祐子 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 押川 文子 高田 峰夫 八木 祐子 井坂 理穂 太田 信宏 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 中島 岳志 中谷 哲弥 池亀 彩 小磯 千尋 金谷 美和 中谷 純江 松尾 瑞穂
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

文化人類学とその関連分野の研究者が、南アジアのさまざまな規模の20都市でのべ50回以上のフィールド調査を実施し、91本の論文や27回の学会発表などでその結果を発表した。これまで不足していた南アジアの都市の民族誌の積み重ねは、将来の研究の推進の基礎となる。また、(1)南アジアの伝統的都市の形成には聖性やそれと密接に関係する王権が非常に重要な機能を果たしてきたこと、(2)伝統的な都市の性格が消費社会化のなかで消滅し、都市社会の伝統的な社会関係が変質していること、(3)これに対処するネイバーフッドの再構築のなかで再び宗教が大きな役割を果たしていること、などが明らかとなった。
著者
三尾 稔 Minoru Mio
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.603-662, 2002-03-29

この論文では,インド西部メーワール地方にあるスーフィー聖者のヒンドゥーの弟子たちを葬った2つの墓廟への信仰に関する民族誌的調査に基づき,同地方の生活宗教的な宗教実践の動態の把握を試みた。 コミュナリズムが政治的言説として支配的となりつつある南アジアにおいては,日常生活に根差した宗教実践もコミュナルな言説と無関係ではなくなり,宗教空間や信仰に関おる行為を特定の宗教イデオロギーと関連づけ,それらのアイデンティティーを純化しようとする動きが顕著になっている。 この論文が対象とする墓廟に眠る2人の宗教者は,高カーストのヒンドゥーでありつつ,スーフィズムの聖者を師とするという,コミュナルなアイデンティティーの分断線の狭間を生き抜いた。その墓廟はコミュナリズムが高揚する1980年代末から90年代にかけて造営されたが,その空間の構成やそこでの宗教的実践はスーフィズム的要素とヒンドゥー的要素が巧みに融合された形となっている。 論文では墓廟に眠る聖者やその弟子たちが,コミェナルな言説と交渉しながら,自分たちの宗教的実践をいかに維持してきたかを,墓廟の意味空間の分析や弟子たちとのインタビューによって把握する。その結果,ヒンドゥーとイスラームの境界にあって独自の宗教的実践を強固な意志で維持しつつコミュナリズムが要請する近代的主体への自己の回収をも回避するという,メーワール地方の聖者廟信仰の特質が明らかとなる。
著者
関根 康正 杉本 良男 永ノ尾 信悟 松井 健 小林 勝 三尾 稔
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1999

1990年代以降のインド社会において宗教対立が深刻化しているが、それが経済自由化と平行現象であることに注目した。本研究は、近年のグローバリゼーションの進展と「宗教空間」の変容をどのように対応づけられるのかを、具体的な日常現場の調査を通じて明らかにすることをめざした。この基礎研究によって、日常現場から見えてくるHindu Nationalistとは言えない「普通」の人々の宗教実践から、政治的な場やメディアなどでの「宗教対立」の言説を、正確に相対化し、「宗教対立」問題を見直すのである。明らかになってきたことは、生活現場の社会環境の安定性の度合が、「宗教対立」現象に関与的な主要因子である点である。要するに、それが不安定になれば上から「宗教対立」の言説に惹かれて不安の由来をそこに読みとってしまう「偽りの投影」に陥りやすくなるのである。逆に、安定性が相対的高い村落部では現今の「対立」傾向を知りつつも生活の場での「共存・融和」を優先させている現実が明らかになった。各地の現地調査から共通して見出された重大な事実は、そうした村落部でおいてさえ、都市部ではなおさらであるが、宗教のパッケージ化が進んできていることである。これは、生活文化におけるローカルな知識の急速な喪失を意味し、それと入れ替わるように生活知識のパッケージ化が進行し、宗教面においてもしかりである。宗教版グローバル・スタンダードの浸透現象である。これは、「宗教対立」を起こしやすい環境を整えることにもなる。その意味で、私達が注目した宗教の裾野や周辺現象(スーフィー聖者廟、女神信仰、「歩道寺院」、村落寺院、地方的巡礼体系、部族的社会様態など)への関心とそれに関する詳細な実態報告は、それ自体パッケージ化やスタンダード化に抗するベクトルをもつものであり、そうしたローカルな場所に蓄積されてきた知恵を自覚的に再発見する環境づくりを整備することが、「宗教対立」という言説主導の擬態的現実構築を阻止し解体のためにはきわめて重要であることが明らかになった。
著者
三尾 稔 八木 祐子 小牧 幸代 中島 岳志
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

1990年代以降インドの各都市では、新しい型のヒンドゥー祭礼が姿を現し、急速に人気を集めるという現象が見られる。新しい都市型祭礼の特徴は以下の通りである。即ち、1.地縁や血縁などの伝統的な社会関係によらず自発的意思に基づく個別の参加を基本とすること。2.祭礼を挙行する主体と祭礼の観客となる大衆とが明確に分離していること。3.挙行主体と観衆の分離により、祭礼のパフォーマンス性が明確となっていること。都市型祭礼の流行現象は、経済の急速な発展、都市の新中間層の成長と消費社会化、ヒンドゥー・ナショナリズムの隆盛など、現代インドの政治・社会状況が密接に関連すると推測される。この調査では、経済発展による社会変化とヒンドゥー・ナショナリズムの台頭が著しいインド北部および西部の諸都市を対象に、新しい祭礼の広がりとその社会的・政治的背景を人類学的な観点から探求した。さらに、村落部やムスリム社会の動向をも調査し、都市のヒンドゥー中産階層との比較も行った。その結果、1.地方都市にまで消費社会化の傾向が顕著になっていること。2.どの都市のヒンドゥー祭礼にもイベント的な要素が新しく姿を現していること。3.祭礼は新中間層の青年を中心により幅広い支持を集め、一層盛んになる傾向にあること。4.社会変化は村落部にも及び村落の伝統的な社会構造が衰退していることなどが確認された。一方、ムスリムの祭礼では、世界的なイスラーム潮流を背景に祝祭性やイベント性がむしろ抑えられる傾向が見られた。また都市型祭礼とナショナリズムとの関係は、都市によってその関連の強弱に差がみられた。これには、各都市の社会構成や政治状況が反映していると思われる。各都市の個別の成立事情や社会構成を考慮に入れながら、よりきめ細かくインドの都市社会とヒンドゥー・ナショナリズムの関係を精査・分析することが今後の課題となる。