著者
安田 次郎 末柄 豊 前川 祐一郎 上島 享
出版者
お茶の水女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

諸種の史料から奈良や興福寺に関係した商人・職人をかなり網羅的に収集することができ、今後の研究のために貴重な基礎資料を得た。その過程で、福智院家文書中の袋綴じ冊子を解体し、多くの紙背文書を「発掘」して解読した。これらの史料は、本研究のためだけではなく、今後長く日本中世史の解明に有益なものである。さらに、商人・職人と寺社との互酬性的なつながり、門跡の構成員としての側面、室町期の荘園支配のなかでの役割などについていくつかの知見を得た。
著者
上島 享
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.p514-553, 1992-07

成功は「売位・売官」といわれ、その消極的側面が強調される傾向が強いが、本稿は国家財政の中で成功制という経費調達制度が果たした役割を積極的に評価し、その展開を考察しようとするものである。本稿では、地下官人の成功をとりあげ、国家財政の中でも恒例・臨時の公事に要する経費調達を中心に分析を行った。 成功制という経費調達制度は、一○世紀後半に造営事業の請け負いにおいて出現し、一一世紀後半には用途進納形態をも含み込み、幅広い経費調達が可能となった。一〇世紀後半に再編された国家財政では経費は国宛(諸国に割りあてること) により賄われていたが、一一世紀末の受領統制の弛緩、一二世紀中期の庄園公領制の確立により、国宛は順次、その経費調達機能を低下させた。これに対応し、地下官人の成功が多用されていく。一二世紀中期より、成功での経費調達を目的に臨時除目が行われるようになり、ここに成功制は国家財政の一翼を担うに至るのである。また、衛門・兵衛といった官職が広く社会に浸透する起源は、一二世紀中期の成功制の変化に求められると考える。
著者
安田 次郎 末柄 豊 前川 祐一郎 上島 享
出版者
お茶の水女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

室町時代から戦国時代の奈良興福寺の大乗院門跡を中心にして、さまざまな「人のつながり」について基礎的なデータを蓄積し、寺院社会の構造や機能をあらためて考えるための手掛かりを得た。京都や奈良の門跡や院家は、貴族、武士、それに在地の諸勢力などの出身者が僧として、あるいは寺社の職員として出会って相互に結びつく場であったこと、僧たちはイエから切り離された存在ではなくイエや家族の利害を代表して行動したこと、寺院社会は異集団の出身者が出会い、結びつき、補完し合う場として機能したことなどの見通しを得た。
著者
吉田 一彦 上島 享 脊古 真哉 佐藤 文子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

本研究では、日本の神仏習合の成立と展開について考察し、それを日本一国史の中で内在的に理解するのではなく、アジア東部における仏教と神信仰の融合の中で考え、この地域の宗教文化の中に日本の神仏習合を位置づける作業を行なった。この視座から以下の点を明らかにした。①『日本書紀』に記される仏教と神信仰の対立の話は創作性が高く、歴史的事実を伝えるものとは評価できない。②比叡山、白山などの神仏習合の聖山は、中国の神仏融合の聖山である天台山や五臺山の強い影響を受けて成立した。③「本地」の思想は真言宗の護持僧によって考え出されたもので、日本の「本地垂迹説」は11世紀前半に成立した。
著者
上島 享 阿部 泰郎 伊藤 聡 石塚 晴通 大槻 信 武内 孝善 阿部 泰郎 伊藤 聡 石塚 晴通 大槻 信 末柄 豊 武内 孝善 近本 謙介 苫米地 誠一 藤原 重雄
出版者
京都府立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究では、諸分野の研究者が共同で勧修寺に現存する聖教・文書の調査を進めるとともに、勧修寺を中心に諸寺院間交流という共通テーマを掲げて、研究を行うことが目的である。勧修寺現蔵の聖教と中世文書の目録を完成させ、諸寺院間交流をめぐる諸論考をまとめることができ、本研究の目的は十分に達成されたと考える。