著者
大久保 純一郎
出版者
日本パーソナリティ心理学会
雑誌
日本パーソナリティ心理学会発表論文集 20 (ISSN:24332992)
巻号頁・発行日
pp.103, 2011-09-02 (Released:2017-09-01)

Bowlby(1958)は,乳児が特定の対象(多くの場合母親)との間に結ぶ情愛的なこころの結びつきをアタッチメント(愛着)概念で説明し、愛着理論を体系づけた。その後,幼少期の親子関係(Ainsworth et al., 1978)を中心として愛着研究が進められてきた。しかしながら近年,内的作業モデル理論が注目されたことから,青年期や成人期における愛着研究が展開されるようになった(酒井, 2001)。そこで,幼少期の母子関係が青年期の愛着にどのような影響およぼすかという点について研究が進められてきた(山岸, 2004・酒井, 2001)。本研究では,児童期を中心とした幼少期について,母子関係のみならず父子関係をしらべ,それらと青年期の愛着の関係性ついて検討した。
著者
久保 純子 須貝 俊彦
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.24, no.11, pp.11_24-11_27, 2019-11-01 (Released:2020-03-27)
参考文献数
8
著者
久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.94, 2007 (Released:2007-11-16)

■研究目的・方法 メコン川下流部(カンボジア平野)の微地形区分を行うとともに、洪水水位、土地利用、水利用特性などの地域性をとらえ、微地形区分を基本とした土地の統合的理解をめざした。 対象地域はプノンペン付近を中心に、空中写真判読とフィールド調査をもとに、ききとり等も一部で行った。 ■水位変化と稲作システム メコン川下流(カンボジア)平野ではモンスーン気候下にあり、メコン川の水位は雨季と乾季で10 m近く変動する。 カンボジアにおける伝統的な稲作システムは、1)天水陸稲、2)天水水田稲作、3)減水期(乾季)稲作、4)浮稲の4つに区分されるが、メコン川平野では2)3)4)がみられる。灌漑施設は少なく天水田が卓越し、収穫は通常年1回である。メコン川氾濫原やトンレサップ湖周辺ではしばしば稲刈りと田植えが隣接して見られるが、二期作はほとんど行われておらず、水位の微小な変化に従って減水期稲作が行われている。 ■対象地域の微地形 プノンペン付近ではメコン川、トンレサップ川、バサック川が交差して「チャトムック(四面)」と呼ばれている。 氾濫原部分は支川の緩勾配扇状地と台地に囲まれる。北西からトンレサップ川がメコン川に流入し(雨季はメコン川から逆流する)、平野北東からメコン川が流下し、チャトムックジャンクションを形成する。下流側はメコンの派川バサック川が南へ、メコン川は南東へ流下する。メコン川本流沿いには小規模な自然堤防がみられる。 氾濫原は河川沿いの低湿な部分と、やや高燥な「高位沖積面」に区分される。 ■緩扇状地、台地上の土地利用・水利用 雨季に天水水田稲作が行われる。小規模なため池が数多く作られる。水が得にくいため、「ポルポト水路」が現在も各地で利用されている。 ■メコン川などに沿う自然堤防地帯 自然堤防上は道路や集落が立地する。メコン川派川のバサック川沿いには「コルマタージュ」と呼ばれる流水客土のための水路が放射状につくられ、水路の周囲はシルトが堆積して人工の微高地が拡大し、畑作が行われている。 ■高位沖積面とメコン川沿い氾濫原 川沿いの氾濫原では雨季は湛水のため一部の浮稲のほかは耕作が行われない。高位沖積面との境界部では、微高地を縁取るように「トンノップ」と呼ばれる小規模な堤防を作り水をため、減水期稲作に利用される。 高位沖積面は大規模洪水時には浸水する。 ■微地形、洪水、土地利用 メコン川下流平野では、雨季と乾季の水位変動が大きく、川沿いの氾濫原では雨季のあいだ広い範囲が湛水する。このため、氾濫原の微地形条件に対応して湛水の状況が異なり、それぞれに対応した稲作システムが採用されている。 台地や扇状地上では夏季の天水に依存した稲作が行われる。バサック川沿いは流水客土(コルマタージュ)による耕地造成が明瞭である。氾濫原低地をとりまくように減水期稲作が行われ、これは雨季終了時の水位低下に従って移動する。氾濫原低地はもっとも長く湛水し、多くが湿地である。この部分は雨季の洪水流路でもある。これらは微地形ごとの水位変化に対応した持続的システムといえる。
著者
久保 純子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.81, pp.101-113, 1999-03

東京低地における歴史時代の地形や水域の変遷を,平野の微地形を手がかりとした面的アプローチにより復元するとともに,これらの環境変化と人類の活動とのかかわりを考察した。本研究では東京低地の微地形分布図を作成し,これをべースに,旧版地形図,歴史資料などから近世の人工改変(海岸部の干拓・埋立,河川の改変,湿地帯の開発など)がすすむ前の中世頃の地形を復元した。中世の東京低地は,東部に利根川デルタが広がる一方,中部には奥東京湾の名残が残り,おそらく広大な干潟をともなっていたのであろう。さらに,歴史・考古資料を利用して古代の海岸線の位置を推定した結果,古代の海岸線については,東部では「万葉集」に詠われた「真間の浦」ラグーンや市川砂州,西部は浅草砂州付近に推定されるが,中央部では微地形や遺跡の分布が貧弱なため,中世よりさらに内陸まで海が入っていたものと思われた。以上にもとづき,1)古墳~奈良時代,2)中世,3)江戸時代後期,4)明治時代以降各時期の水域・地形変化の復元をおこなった。
著者
大久保 純一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.203, pp.65-84, 2016-12

安政2年10月2日に関東南部を襲った大地震は,江戸の下町を中心に甚大な被害を与えることとなった。この安政の江戸大地震に関しては,地震の被災状況を簡略な絵図と文字情報で周知した瓦版類,地震の被害や被災者の逸話などをまとめた冊子,地震の原因であると信じられていた地中の大鯰をテーマとした一種の戯画・諷刺画である鯰絵など,多様な出版物が売り出された。これらは災害史や民俗学の分野で注目を集めつつあるが,一部に精細な被災の光景を描く図を含みながらも,絵画史の領域での検討はかならずしも十分ではなかった。本稿では,安政江戸地震を機に盛んとなった出版物における災害表象を,主に風景表現の視点から検討する。安政の大地震に関する一枚刷には,従来の瓦版などの簡素な印刷物とはことなる,高度な木版多色摺の技術を用いた臨場感豊かなものが散見され,たんに災害を速報するという以上の機能が期待されている。それらに見られる被災の表現は名所図会の挿絵の視点や造本趣向を応用した『安政見聞誌』でひとつの頂点を見せ,その工夫は『安政見聞録』『安政風聞集』などにも踏襲されている。安政の大地震における災害絵図出版の盛行により,点数こそ多くはないものの錦絵の出版にも災害図の一領域が生み出されることになり,明治期には地震や火山の噴火,大火災などをテーマとした作品が出版され,やがて関東大震災の絵葉書などにもつながってゆく。The great earthquake that hit the southern Kantō region on the second day of the tenth month of Ansei 2 (1855) caused immense damage, especially in the downtown of Edo. This Great Earthquake of the Ansei Era was featured in various publications, such as newssheets describing the impact of the disaster with simple illustrations and texts, booklets containing the accounts of the aftermath and the narratives of victims of the calamity, and cartoons and caricatures depicting the giant catfish which was allegedly living under the ground and to which the catastrophe was attributed (the drawings were known as "Namazu-e"). These historical sources are attracting increasing attention from folklorists and historians who study disasters. In contrast, despite including fine drawings and paintings of the scene of the catastrophe, these historical materials have not been fully analyzed by art historians. Therefore, this paper examines the depiction of disasters in prints, especially in landscapes, which were increasingly produced after the Great Earthquake of the Ansei Era.The single-sheet prints illustrating the Great Earthquake of the Ansei Era seem to have assumed a more important role than merely reporting the disaster situation as many of them were produced using the sophisticated technique of multicolor woodblock printing to add a sense of reality that could not be provided in simple prints such as conventional newssheets.The expression of disaster situations in these prints reached a peak with the publication of Ansei Kenmonshi (A Chronicle of Events of the Ansei Era), which used the same illustration perspectives and bookmaking techniques as meisho zue (illustrated topographies). These devices and techniques are also observed in contemporary publications such as Ansei Kenmonroku (A Record of Events of the Ansei Era) and Ansei Fūbunshū (A Collection of Reports of Events of the Ansei Era).The popularity of disaster paintings after the Great Earthquake of the Ansei Era led to the emergence of the genre of disaster paintings in Nishiki-e prints, though the number of such paintings remained small. In the Meiji period, drawings and paintings of earthquakes, volcanic eruptions, conflagrations, and other catastrophes were published, which led to the production of picture postcards of the Great Kantō Earthquake.一部非公開情報あり
著者
大久保 純一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.203, pp.65-84, 2016-12-15

安政2年10月2日に関東南部を襲った大地震は,江戸の下町を中心に甚大な被害を与えることとなった。この安政の江戸大地震に関しては,地震の被災状況を簡略な絵図と文字情報で周知した瓦版類,地震の被害や被災者の逸話などをまとめた冊子,地震の原因であると信じられていた地中の大鯰をテーマとした一種の戯画・諷刺画である鯰絵など,多様な出版物が売り出された。これらは災害史や民俗学の分野で注目を集めつつあるが,一部に精細な被災の光景を描く図を含みながらも,絵画史の領域での検討はかならずしも十分ではなかった。本稿では,安政江戸地震を機に盛んとなった出版物における災害表象を,主に風景表現の視点から検討する。安政の大地震に関する一枚刷には,従来の瓦版などの簡素な印刷物とはことなる,高度な木版多色摺の技術を用いた臨場感豊かなものが散見され,たんに災害を速報するという以上の機能が期待されている。それらに見られる被災の表現は名所図会の挿絵の視点や造本趣向を応用した『安政見聞誌』でひとつの頂点を見せ,その工夫は『安政見聞録』『安政風聞集』などにも踏襲されている。安政の大地震における災害絵図出版の盛行により,点数こそ多くはないものの錦絵の出版にも災害図の一領域が生み出されることになり,明治期には地震や火山の噴火,大火災などをテーマとした作品が出版され,やがて関東大震災の絵葉書などにもつながってゆく。
著者
久保 純子 高橋 虎之介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.181, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめに 東京低地に位置し、隅田川と荒川に囲まれる足立区千住地区は洪水に対し脆弱な地域と考えられる。高橋は卒業研究で千住地区を対象として、避難所である小中学校の災害発生時の対応準備状況を調査していたところ、2019年10月の台風19号の接近で実際に避難所が開設され、多くの住民が避難した。このため、避難所の運営等についても事後に聞き取り調査を行った。これらをもとに千住地区の避難所に関する課題を検討した。2. 足立区千住地区の特色 足立区の人口は2019年1月時点で688,512人で、このうち千住地区の人口は76,690人である(足立区による)。国道4号線(日光街道)やJR常磐線、東武、京成、東京メトロなどが通り、中心部には北千住駅がある。 千住地区の標高は堤防を除き全域が2m以下で、東半分はゼロメートル地帯である。足立区ハザードマップによれば、千住地区は荒川が氾濫した場合(想定最大規模)、ほとんどが深さ3m以上浸水し、浸水継続期間はほぼ全域で2週間以上とされる。3. 千住地区の避難所 足立区地域防災計画(2017年)によれば、千住地区の避難所(一次避難所)は小学校6校、中学校3校の計9箇所であるが、このうち1校は現在改築中で使用できない。 ハザードマップによれば、「家屋倒壊等氾濫危険区域」に含まれる場合は避難所を開設しないことになっている。このため、避難所として使用可能なのは9校中4校で、それらも浸水のため3階以上または4階以上のみ使用可能、とされている。 区域内の9校のうち小学校3校と中学校2校を訪問し、責任者の副校長先生にインタビューを行った。その結果、5校のうち避難所開設の経験があったのは1校、収容人数はいずれも把握しておらず、備蓄倉庫は1階または2階にあり、また荒川氾濫時に避難所として使えないことを知らないという回答も2校あった。鍵の受け渡しについての取り決めが不明、という回答も1校あった。4. 2019年10月台風19号における対応 10月12日に荒川の水位上昇で区内全域に避難勧告が出された結果、区内全域で33,154人、千住地区で4,997人が避難所へ避難した。計画では避難所は4校のみであったが実際は改築中を含む9校すべて開設され、さらに高校や大学等も避難者を受け入れた(足立区による)。 2019年11月に地区内の小学校で避難所訓練があり、参加者へ当時の状況についてインタビューを行った。その結果、区の職員、町会、学校の間の連携がうまくいかなかったこと、スペースや毛布等の物資が足りなかったこと、避難者の集中のため受け入れを締め切ったこと等の問題点があげられた。5. 課題 地域防災計画における受け入れ可能人数は9校で計8,922人であるが、これは地震時を想定したもので洪水時は4校3,755人で、実際は1・2階が浸水するためさらに少なくなる。2018年の区のアンケート調査では洪水時に「近くの学校や公共施設に避難する」が21%、区外(広域)避難を答えたのは6%にすぎなかった。住民の2割としても約15,000人が避難所へ向かう計算となり、収容人数の4倍以上である。廊下や教室すべてを使用して1人あたり1m2としても全く足りず、既存の高層建物への受け入れルールを作成する必要がある。
著者
大久保 純
出版者
社団法人 埼玉県理学療法士会
雑誌
埼玉理学療法 (ISSN:09199241)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.35-38, 1995 (Released:2003-08-05)
参考文献数
2

片麻痺患者はある程度の非麻痺側の代償を用いて,動作の獲得を学習していく。これに感覚障害を伴うことは,麻痺側の機能回復の妨げになるとともに,より非対称で異常な代償にて動作を学習していくと考えられる。報告する症例は弛緩性右片麻痺,深部感覚障害が重度で歩行は困難な状態で転入院してきた。治療は感覚障害に対して視覚代償による自己管理だけを進めるのではなく,運動機能と感覚との関係に注意して運動療法による感覚の回復を求め異常性の少ない歩行の獲得を図った。その結果,右下肢の深部感覚障害は軽度となり自宅周囲の散歩が可能なレベルの歩行を獲得し退院することができた。脳血管障害の感覚障害の改善と運動機能の回復は別々に治療を行うのではなく,互いの関連を考え同時に進めていくことの必要を改めて感じることができた。
著者
久保 純子
出版者
日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.143-146, 2016
著者
大久保 純一郎
出版者
心編集委員会 平凡社(発売)
雑誌
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.p41-50, 1981-04
著者
大久保 純一郎
出版者
心編集委員会 平凡社(発売)
雑誌
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.p46-49, 1980-02
著者
大久保 純一郎
出版者
心編集委員会 平凡社(発売)
雑誌
巻号頁・発行日
vol.32, no.11, pp.p78-85, 1979-11
著者
大久保 純一郎
出版者
心編集委員会 平凡社(発売)
雑誌
巻号頁・発行日
vol.31, no.12, pp.p116-124, 1978-12