著者
原田 信男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.497-515, 1997-03-28

基本的に人々が共同で飲食する場合には,それぞれの構成員の身分や社会関係などが,席次や食事内容などに反映されることが多い。さまざまな身分の人間を抱えて催される祭礼や儀式などでは,特に複雑な人的構成を持つことになるが,同一な身分集団の場合には,比較的単純に同じものを同時に体内に取り込んで,誓約などを行い集団としての精神的な一体化が図られることになる。前者の場合には,同じような食物でも内容を変え,同じ場所であっても主席からの遠近を違え,または時間を微妙にずらすことによって,全体としての共同性を保ちながらも,内部でそれぞれの差異を強調して,参加者の身分関係が表現されていた。また後者の場合には,一致団結して強硬な行動に出る一揆などの際に,一味神水などと称して神聖な神の水を一同が一気に飲む,という一種の誓約行為が採られたのである。小稿では,こうした共同飲食の在り方のうち,特に前者について,①神と天皇,②天皇と貴族,③貴族と武士,④将軍と大名,⑤在地領主と農民,⑥有力農民と一般農民,といったレベルで検討する。すなわち,それぞれのケースについて,古代から中世にかけての身分秩序の在り方が,祭礼や儀礼の際における共同飲食の場に,どのように反映するのかを見ていくこととしたい。さらに儀式などの際に,身分の高い者から低い者への食物贈与である〝下し物〟を中心に分析すると同時に,さまざまな贈答儀礼の中に,武力の誇示や衣食住などの保障を象徴するような構造があることに注目する。しかも,上記のような儀式が,それぞれ単独に完結しながらも,実際には重心円的な構造を持って関連し合い,古代もしくは中世社会の身分秩序が,全体として維持されていたことが重要である。
著者
原田 信男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.41-54, 1995-01-20

律令国家体制の下で出された肉食禁断令は平安時代まで繰り返し発令され,狩猟・漁撈にマイナスのイメージを与える「殺生観」が形成されるようになる。鎌倉時代に入ると,肉食に対する禁忌も定着してくる。しかし,現実には狩猟・漁撈は広範囲に行われており,肉食も一般的に行われていた。そこで,狩猟・漁撈者や肉食に対する精神的な救済が問題となってくる。仏教や神道の世界でも,民衆に基盤を求めようとすれば,殺生や肉食を許容しなければならなくなった。ところが,室町時代になると,狩猟・漁撈活動が衰退し肉食が衰退していくという現象が見られる。室町時代には,殺生や肉食に対する禁忌意識が,次第に社会に浸透していったように思われる。一方,農耕のための動物供犠は中世・近世・近代まで続けられていた。肉食のための殺生は禁じられるが,農耕のための殺生は大義名分があるということになる。日本の社会には,狩猟・漁撈には厳しく,農耕には寛容な殺生観が無意識のうちに根付いていたのである。
著者
原田 信男
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.393-414, 2002-03

古代や近世のような統一権力の場合とは異なり,地域的な分権制を原則とする中世社会では,国郡を単位とするような大規模な土木工事が,行いにくい政治的環境下にあった。こうした中で,小稿では中世東国において,どのように耕地の開発が行われ,どのような災害が惹き起こされていたかを問題としたい。まず中世村落における開発については,これまで指摘されたような山間部の谷田を中心とするものではなく,平地部の沖積地においても早くから開発が行われていた。例えば鎌倉期には,幕府や荘園領主が局地的に労働力を動員して,利根川などの沖積低地悪水地帯にも人工的に提防が築かれている。洪水という災害から集落と耕地を守る人工提防の造築を行うとともに,用水路を確保しつつ水田開発の進展が,領主側の強い意志によって図られたのである。なお人工堤防や用水路などの土木工事に関する技術や知識は,寺院の僧侶たちによって主に伝えられたと考えられる。一方災害については,会津盆地の『塔寺八幡宮長帳』『異本塔寺長帳』や,富士山北麓の『妙法寺記』(『勝山記』)など,地域的に連続した史料が残る。これらから中世東国における災害の性格をみれば,近年流行している気象変動論に基づく小氷期による冷害が主体なのではなく,風水害が最も多く時には早害なども加わり,さらには疫病などが蔓延して被害者が増大したことが窺われる。さらに中世における飢饉は,異常気象や天変地異などによる自然の災害に加えて,それぞれの地域における人為的な収奪の問題も大きかったが,基本的には地域ごとの自然発生的な要素が極めて強かった。確かに中世社会においては,統一的な権力によって大規模な開発が進められたわけではなく,自然現象を克服する技術は相対的に低かった。しかし,代わりに全国規模の経済・流通システムに組み込まれ,藩単位で飢饉に追い込まれる近世に較べれば,被害の程度も比較的小規模に留まりえたものといえよう。
著者
田口 洋美 佐藤 宏之 辻 誠一郎 佐々木 史郎 三浦 慎悟 高橋 満彦 原田 信男 白水 智 佐藤 宏之 辻 誠一郎 佐々木 史郎 原田 信男 白水 智 三浦 慎悟 神崎 伸夫 前中 ひろみ 高橋 満彦 岸本 誠司 中川 重年 梶 光一
出版者
東北芸術工科大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究が開始された翌年平成18年度においてクマ類の多発出没が発生し、捕殺数は約5000頭、人身事故も多発した。本研究はこのような大型野生動物の大量出没に対する対策を地域住民の歴史社会的コンテクスト上に構築することを主眼とし、東日本豪雪山岳地域のツキノワグマ生息地域における狩猟システムと動物資源利用を「食べて保全」という市民運動へと展開しているドイツ連邦の実情を調査し、持続的資源利用を含む地域個体群保全管理狩猟システムの社会的位置づけとその可能性を追求した。
著者
中村 生雄 岡部 隆志 佐藤 宏之 原田 信男 三浦 佑之 六車 由実 田口 洋美 松井 章 永松 敦
出版者
学習院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

本研究では、日本および隣接東アジア地域の狩猟民俗と動物供犠の幅広い事例収集を通じて、西洋近代率会において形成された「供犠」概念の相対化と批判的克服を行ない、東アジアにおける人と自然の対抗・親和の諸関係を明らかにすることを目的とした。言うまでもなく、狩猟と供犠は人が自然にたいして行なう暴力的な介入とその儀礼的な代償行為として人類史に普遍的であるが、その発現形態は環境・生業・宗教の相違にしたがって各様であり、今回はその課題を、北海道の擦文・オホーツク・アイヌ各文化における自然利用の考察、飛騨地方の熊猟の事例研究、沖縄におけるシマクサラシやハマエーグトゥといった動物供犠儀礼の実地調査などのほか、東アジアでの関連諸事例として、台湾・プユマ(卑南)族のハラアバカイ行事(邪気を払う行事)と猿刺し祭、中国雲南省弥勒県イ族の火祭の調査をとおして追求した。その結果明らかになったことは、日本本土においては古代の「供犠の文化」が急速に抑圧されて「供養の文化」に置き換わっていったのにたいして、沖縄および東アジアの諸地域においては一連の祭祀や儀礼のなかに「供犠の文化」の要素と「供養の文化」の要素とが並存したり融合して存在する事例が一般的であることであった。そして後者の理由としては、東アジアにおけるdomesticationのプロセスが西南アジアのそれに比して不徹底であったという事実に加え、成立宗教である仏教・儒教の死者祭祀儀礼や祖先観念が東アジアでは地域ごとに一様でない影響を及ぼし、そのため自己完結的な霊魂観や死後イメージが形成されにくかった点が明らかになった。またく狩猟民俗と動物供犠とに共通する「殺し」と「血」の倫理学的・象徴論的な解明、さらには、人間と自然とが出会うとき不可避的に出現する「暴力」の多面的な検証が不可欠であることが改めて確認された。