著者
坂本 澄彦 堀内 淳一 大川 智彦 横路 謙次郎 細川 真澄男 小林 博
出版者
東北大学
雑誌
がん特別研究
巻号頁・発行日
1989

低線量の放射線の腫瘍制御に果たす役割について研究を続けているが、今年は基礎的研究として、15ラドの全身照射を行なったマウスに対し尾静脈から腫瘍細胞を注入した場合に、肺に造る腫瘍細胞のコロニーが出来る割合が、照射をしなかったマウスの場合とどう異るのかについて更に詳細な検討を加えた。先ず肺に造るコロニーは10ラドの照射より15ラドの照射を受けたマウスの方が形成率が低いこと、更に15ラドの全身照射と局所照射の組合せが腫瘍の局所制御率が高まることを確認した。一方放射線照射による腫瘍関連抗原のshedding抑制とその意味する所についての研究が行なわれ、放射線照射による抗腫瘍免疫誘導の機序としてTAAの存在様式の変化が関与している可能性を示し、このような現象が生ずるのには30Gyという至適線量が存在することがわかった。又腫瘍誘発に対する低線量域での放射線の線量と線量の効果についての研究も進められているが、この研究の結論を得るのはもっと先の事になると思われる。臨床的研究としては、昨年に引続き全身或は半身照射のみの効果を調べるため進展例の悪性リンパ腫に対する効果を検討した。結果は45例の悪性リンパ腫の患者のうち1例は他病死したが残りの44例は、現在、再発の徴候なしに生存している。その生存期間は6ケ月から44ケ月の間に分布しており、現在もどんどん治療例が増えているので、近い将来に、統計的解析を行なって治療成績の正しい評価が下せるようになると考えている。又、肺癌、子宮癌、食道癌などの固形腫瘍に対する全身又は半身照射と局所照射の組合せによる治療も開始しているが、この研究は次年度に更に積極的に推進する予定である。
著者
田中 俊次 永島 俊夫 黒瀧 秀久 小林 道明 堀内 淳一 高井 寛 小川 昭一郎 小松 輝行
出版者
東京農業大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

本研究プロジェクトは、「環オホーツク海圏交流」を促進するため、環境科学的学術交流に的を絞り、持続的可能な経済発展交流の研究を追求することを目的とした。研究計画及び研究成果については研究分担者が所属する5大学の、1995年以来の各種の地域とのコンソーシアム開催事業によって、その課題を絞り込んで環境科学研究のテーマを設定してきた。そこで具体的な対象地域を設定し、社会科学的アプローチ、人文科学的アプローチ、自然科学的アプローチといった多種多様の切り口から分析を行ってきた。主な研究実績は下記の通りである。1.分析視点を深めるとともに、調査研究方法の検討会議を開催した。具体的には、これまでに先駆的に海圏交流研究を行なっている研究者に講演して頂き、研究手法・論理展開を参考としつつ、国際的見地からの環境問題への視座や、伝統的地域圏交流の再確立、広域圏交流へむけた新たな研究の視座を盛り込む研究手法を検討した。2.環オホーツク海圏における環境科学研究に関する基礎資料及び比較のための環日本海圏域における基礎資料の収集及び国内調査を実施した。3.「環オホーツク海圏広域交流」形成の課題を明らかにするため、北東アジア(モンゴル、ロシア・サハリン、中国東北部)を対象に、環オホーツク海圏における農畜産業の展開や環境汚染の状況、国際交流に向けての取り組みなどについて、各国の関係機関を中心に聞き取り調査を実施し、また関係機関からの提供資料や広域交流関連の文献などを用いながら、研究を深化させてきた。本研究の主な研究実績としては、「越境広域経営」や「環境ガバナンス論」を土台に、環オホーツク海圏の持続的な資源の利用と管理のための環境ガバナンスの構築を目指して、学術的なグランドデザイン「(仮称)OSERIEG(The Okhotsk Sea Rim for Environmental Governance)ビジョン」のモデルを検討し、「環オホーツク海圏」の位置づけを明らかにしたことがあげられる。
著者
堀内 淳一
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.119, no.9, pp.1528-1550, 2010-09

The Sima 司馬 Family of Henei-jun 河北郡 (present day Jiaozuo, Henan Province), which formed the imperial lines of the Eastern and Western Jin Dynasties, sought refuge in northern China after its Dynasties fell and distinguished itself as a high ranking member of the Northern Wei Dynasty's bureaucracy. However, the northern aristocrats of Han ethnic descent did not trust refugees from the south, forcing them to live in isolated communities on the periphery of the capital and refusing to intermarry with them or allow the burial of their dead in their homeland. The Simas did take advantage of their imperial heritage to gain appointments to southern border regions, where they could settle their former subjects fleeing the Southern Dynasties; but when the Northern Wei unified northern China in 439, the Simas were shifted to areas on the northern border far from their homeland. Part of the Sima Family's fame stemmed from many leaders of the rebellions staged throughout China at that time assuming the name Sima, resulting in the name having great impact on all classes of society in both the north and south. It was only during the reign of Northern Wei Emperor Xiaowen孝文 (515-528) that rebellions allegedly lead by the Simas went out of style. It was as this same time that the Simas were finally able to construct a. family gravesite in their homeland of Henei-jun. The appointment of Simas in the bureaucracy were no longer limited to the regional administration of the Northern Wei's southern and northern borders, but now spread to all areas throughout the empire, including the grant of an official place of residence there. Intermarriage, which up until that time had been limited to the Northern Wei imperial family and local ethnic peoples, came to include the northern Han aristocratic families. The many marriages that had been arranged with the Yuan imperial family ensured close relations with the Dynasty, even after the Simas' returned to Henei. In other words, the bridging of the alienation that had existed between refugees from the Southern Dynasties and Northern Dynasties Han aristocrats had to wait for the reforms carried out during Xiaowen's reign. It was at that time that the Simas were able to regain their homeland, extend their influence and authority there, as well a begin marrying into northern Han families. The author of this article concludes that during the Northern and Southern Dynasties period, entry into aristocratic society through marriage could not be achieved without a family being able to maintain power and authority in one's homeland.
著者
坂本 澄彦 晴山 雅人 細川 真澄男 高井 良尋 大川 智彦 堀内 淳一
出版者
東北大学
雑誌
がん特別研究
巻号頁・発行日
1992

基礎研究に於いては低線量全身照射とBRMとの併用によって免疫賦活効果が増強されるか否かの検討が行われた。先ずOK-432に就いてWHT/Htマウスの偏平上皮がんでは、照射2日前に投与した場合に、TD50アッセイによる実験結果は低線量全身照射による免疫賦活効果が増強される事が示された。又、C3H/Heマウスの繊維肉腫を使用し、腫瘍成長曲線を用いてOK-432と低線量全身照射の併用効果を検討した実験でも同しような結果が得られた。一方、放射線照射によるサイトカイン産生能に及ぼす影響を検討しているが、未だ予備実験の段階であるが、IL-2産生能は0.1Gy,1Gy,3Gyの全身照射で何れも強く抑制され、TNF産生能は3Gyで約2倍に増強されていると言う結果を得ている。次にがん細胞膜に於けるYH206矢CEAのような腫瘍関連抗原、主要組織適合抗原の1つであるMHC Class-I及び接着分子の最も代表的なICAM-Iが放射線照射によって高まる事が分かった。次に、臨床研究に於いては、I及びII期の非ホジキンリンパ腫94例の解析を行い、全身及び半身照射と局所照射の併用群と局所照射単独群との効果が比較検討された。その結果は全身または半身照射併用群では、未だ観察期間は十分ではないが、I期、II期共に明らかに良好な結果を予想させるものがある。組織型をintermediate gradeに限定すると併用群と非併用群との間に統計的有意差が認められている。次に、低線量全身または半身照射が行われた肺癌、子宮頚癌、食道癌、悪性リンパ腫などについて、その副作用を検討したが、全例で白血球、リンパ球、血小板の著明な減少とか、悪心、嘔吐などの副作用は認められない事、が明らかになった。次年度には悪性リンパ腫以外の腫瘍に対する全身照射と局所照射の結果が、出てくる予定である。
著者
橋床 泰之 原口 昭 小池 孝良 波多野 隆介 玉井 裕 宮本 敏澄 堀内 淳一 宮本 敏澄
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

寒冷地の森林帯では窒素供給源が不明である。この「窒素ミッシングリンク」と呼ばれる「謎」を解明するため,東シベリア・永久凍土帯のグイマツ林床と北欧森林限界帯のスプールス林あるいはカンパ林で現地調査をおこない,土壌が持つ窒素固定能を探った。現地土壌微生物群集は土壌環境を反映した条件下で強いアセチレン還元を示した。16S rDNAを標的としたDGGE菌相解析では,Clostridium属細菌およびDugnella属細菌(γ-Proteobacteria綱)の活動が示唆され,植生によって主要な機能性菌相が大きく異なった。森林限界付近の森林土壌ではアセチレン還元力が小さく,逆に森林のない亜北極ツンドラ土壌で高いことが分かった。森林限界に近い北方林では,生態系全体の物質循環スケールが土壌単生窒素固定細菌による特徴的アセチレン還元能を制御し,ピースや菌根菌を系全体でのより協働的な窒素固定と樹木への効率的窒素供給が行われていることが強く示唆された。