著者
北島 宣 山本 雅史 伊藤 謙 米森 敬三 深尾 葉子 安冨 歩 中崎 鉄也 山崎 安津 清水 徳朗 中野 道治 岳 修平 林 維真 鐘 國芳 中野 道治 長田 俊樹 渡邉 和男 河瀬 真琴 山下 満智子 前山 和範 中村 彰宏
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

ウンシュウミカン、カボス、などの両親が明らかとなり、多くの日本在来カンキツは、キシュウミカン、ユズ、タチバナに起源していることが明らかとなった。キシュウミカンは中国江西省の「南豊蜜橘」に由来することが示された。タチバナは台湾に起源し、沖縄を経て本土に伝播したと考えられ、タチバナの沖縄系統はシークワーサーとの交雑によって生じたことが示唆された。田中長三郎のカンキツ標本を整理してデジタル入力を行い、検索機能も付加してアーカイブ化を行った。田中長三郎の自筆スケッチなどの資料を蒐集・整理してデジタル化を行うとともに、和歌山県橘本神社のカンキツ博物館「常世館」に展示し、広く一般に公開した。
著者
安冨 歩 深尾 葉子
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究では、満洲・華北・黄土高原の三地域を研究対象として選定し、歴史的研究とフィールドワークによる研究を併用し、一般的な中国農村社会モデルの構築を目指した。本年度は、第一・二年度における、長距離走破調査の成果をもとに、2006年8月に黄土高原で追加的調査を行うとともに、文献調査とモデルによる考察を推進し、中国農村社会の一般モデルの提唱という目的の実現を目指した。研究成果としては以下の二点が主たる成果である。(1)安冨が兼橋正人(東京大学大学院情報学環博士課程)と協力して、満洲の人口分布を各種の人口統計を用いて解明した。さらに、1970年代から得られる人工衛星画像を利用して、満洲と山東省の集落分布の変遷を調査した。この結果、安冨(2002)が主張した県城のみが突出し、村落との間に中間的な町が見られないという構造が、1970年代には中満と北満に明瞭に見られ、それが改革開放以降、徐々に見えにくくなっていることが判明した。これに対して山東省では、1970年の時点で既に多階層の構造が見て取れる。このような構造的な違いを視覚的に確認することができた。(2)深尾と石田慎介(大阪外国語大学学部生)が共同で高西溝村の社会と環境の現代史を明らかにした。高西溝村は黄土高原のなかにありながら、唯一、まとまった森林と草原を村内に形成し、バランスのとれた高能率の農業を展開し、澄んだ水のため池を持つことで中国全土に知られている。なぜこのようなことが可能であったのかを長期の滞在型調査により明らかにした。現在のところ重要であったと考えられるのは、共産党革命の過程で、村の内部で政治的亀裂が入ることを回避しえたことであり、これによって実行不可能なノルマを主体的に拒絶し、生産性を挙げるために本当に必要なことを村という単位で考えることが可能になったことである。
著者
安冨 歩
出版者
東京大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
2000

20世紀前半の満洲(中国東北地方)の歴史には二つの大きな特徴がある.まず第一はその急激な経済発展である.清末におけるこの地域は,長い封禁政策の影響により明らかに辺境性を色濃く残した「後進」地域であった.しかるに辛亥革命以降,満洲は急速な「近代化」に成功し,他の地方とは比較にならない重化学工業地帯がこの地域に出現する.第二の特徴は,この地域が東北軍という中国国内で最も強力な軍隊を有していたにもかかわらず,満洲事変における関東軍の軍事行動に対して脆弱であり,その後の反満抗日運動も,華北等に比して短期間で勢力が衰えたことである.この二つの特徴がなぜ満洲に見られたのかという問題に対し,本研究により一つの回答を提案することができた.まず,満洲における定期市の分布を調査し,中国本土に広く見られる定期市の稠密な分布が満洲には見られないことを示した.満洲における商品流通は定期市ではなく,県城を中心として展開されていたのである.このようなシステムが形成された理由は,(1)モンゴルからの安定した家畜の供給と朝鮮国境からの広葉樹材木の供給に支えられた荷馬車の広汎な使用,(2)冬季の道路面・河川の凍結による荷馬車輸送コストの低下,(3)鉄道の敷設率が高く,華北からの移民が鉄道周辺から開拓を進めていたこと,に求められる.農民が荷馬車を使用することで長距離移動が可能となり,県城商人との直接の売買が主流となった.この接触と鉄直輸送を結合することで,大豆モノカルチュアとも言うべき輸出指向農業が展開し,農民はより強く県城商人に依存するようになった.この県城商人と農民の直接の接触により,県城が農村を掌握する政治力が強く,県を単位とする政治的な凝集性が満洲にあったと予想される.この凝集性こそが張政権の基盤であり,圧倒的な軍事力で華北を支配する原動力となった.逆に満洲事変の際には関東軍に県城を占領されることで県全体が掌握されるという事態をもたらし,県城を占領されても根拠地を維持しえた華北と対照的な結果となったのである.研究成果は「満洲における農村市場」(『アジア経済』投稿中)および「満洲事変と県流通券」(福井千衣と共著:投稿準備中)として纏めた.
著者
安冨 歩
出版者
京都大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1995

1)基礎資料の収集と整理日本銀行金融関係資料・満洲重工業開発社報・満洲中央銀行営業報告書・満洲興業銀行営業報告書財務諸表のコピー作成と収集を行った。2)「満洲国」関係者への聞き取り調査元満洲中央銀行職員への聞き取り調査を行った。特に永島勝介氏より貴重な情報と資料の提供を受けることができた。3)経済データの整備本研究で収集した資料を解析し、金融機関・主要企業の財務データや経済活動に関する数値を抽出した。これにこれまでの研究で既に整理していたデータを統合し、コンピュータに入力した。満洲国経済史を研究する上で基礎となすデータベースの構築ができたものと考える。4)戦時インフレーションの解明上記データと資料の解析により、全く明らかとなっていなかった満洲国の農業金融の研究を行い、戦時インフレーションと農業金融との深い関連を明らかにした。既に行っていた鉱工業方面の研究と接合することで、戦時インフレ下の満洲国の実態の再構成に一応成功したものと考える。
著者
古屋 哲夫 安冨 歩 山室 信一 山本 有造
出版者
京都大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

研究実施計画に従い次の様な研究活動を行なった。(1)基礎資料の収集整理(イ)法制関係文献については、満洲国六法をはじめとする諸法制についての法令集のほか、コンメンタールや司法官会議について会議録および旧慣調査についての史料を収集した。(ロ)経済関係文献については、日本銀行所蔵満洲・中国金融関係資料のマイクロフィルム化を重点的に行なった。(ハ)東アジア全体における満洲国の位置づけを明らかにするために、朝鮮や台湾、南洋庁さらに中国内に作られた傀儡政権の人事的リクルートの問題、あるいは物資動員の実態などを明らかにするための史料ないし回顧録などの収集を行なった。(2)研究会活動上記の収集資料の整理・解読を中心にほぼ月1度の共同研究会を開催し、日本の東アジア進出過程における「満洲国」の政治・法制・経済・金融的位置について討論を行なった。(3)その他当初予定した「聞取り調査」は都合により実施しえなかったが、専門研究者をゲストとしてまねき、報告・討論会を開いた。
著者
安冨 歩
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.422-428, 1994-02-20

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著者
深尾 葉子 安冨 歩
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.147, pp.402-342, 2005-03

社會和環境是極為複雜的系統。因此,與這些複雜系統緊密相關的環境和開發項目必須具備一定的靈活性和自由度。一般認為實行大型項目或工程應事先做好嚴密的調査與計劃。但從複雜系科學的觀點看,這種「調査」→「計劃」→「實施」→「評價」的行動模式并不一定是最可行的。本文試圖從複雜系科學的觀點,對此過程提供理論依據,同時探討國際援助項目的新的實施方式。這種新方式我們稱之為「共创价値运动」。我們在中國内地的黄土高原,正在開展一系列「生態文化恢復運動」。這個活動的實行方式和活動原則是没有「固定的目的」,也没有「死的規定和計劃」。參加項目的人基本上是自願而來,在互相影響之下相對獨立活動。當然,參加者之間既没有上下之分,誰也不指揮誰,也不存在「責任」與「分擔」的概念。大家都是在自己能做到的範圍内自主地發揮作用。這一過程本身是自發性的「自組織」過程。目前在陝北黄土高原開展的具體活動有:引進糞尿無害化技術;盡量減少化肥和對人體有害的洗衣粉的使用以實現水資源和有機物的良性循環;建立「黄土高原國際民間緑色網絡」,支持當地農民自發組織起來的「廟會造林」;在一個村莊舉行了一對日本新婚夫婦的婚禮,重展陝北傳統的結婚儀式,使當地的固有文化得到了重新認識和應有的尊重。通過這些活動,我們試圖促進當地文化與生態的恢復和再生。
著者
安冨 歩
出版者
アジア経済研究所
雑誌
アジア経済 (ISSN:00022942)
巻号頁・発行日
vol.44, no.10, pp.27-54, 2003-10
著者
安冨 歩
出版者
アジア経済研究所
雑誌
アジア経済 (ISSN:00022942)
巻号頁・発行日
vol.44, no.10, pp.27-54, 2003-10
著者
深尾 葉子 安冨 歩
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

黄砂という現象が純粋の自然現象ではなく、人間の営為と密接に関わっていることを前提として、そこに暮らす人々の生活・コミュニケーションに働きかける方法を探求した。それにより、黄砂の発生地域に暮らす人々の社会的、経済的行動と密接につながった解決策を編み出すことぬきには、真の解決策には至らないこと、を具体的に明らかにした。これは地域研究者と現地の実践者が環境問題の解決について介在役を果すことではじめて可能となるもので、今後の共同研究のあり方を示唆するものである。