- 著者
-
安冨 歩
- 出版者
- 東京大学
- 雑誌
- 奨励研究(A)
- 巻号頁・発行日
- 2000
20世紀前半の満洲(中国東北地方)の歴史には二つの大きな特徴がある.まず第一はその急激な経済発展である.清末におけるこの地域は,長い封禁政策の影響により明らかに辺境性を色濃く残した「後進」地域であった.しかるに辛亥革命以降,満洲は急速な「近代化」に成功し,他の地方とは比較にならない重化学工業地帯がこの地域に出現する.第二の特徴は,この地域が東北軍という中国国内で最も強力な軍隊を有していたにもかかわらず,満洲事変における関東軍の軍事行動に対して脆弱であり,その後の反満抗日運動も,華北等に比して短期間で勢力が衰えたことである.この二つの特徴がなぜ満洲に見られたのかという問題に対し,本研究により一つの回答を提案することができた.まず,満洲における定期市の分布を調査し,中国本土に広く見られる定期市の稠密な分布が満洲には見られないことを示した.満洲における商品流通は定期市ではなく,県城を中心として展開されていたのである.このようなシステムが形成された理由は,(1)モンゴルからの安定した家畜の供給と朝鮮国境からの広葉樹材木の供給に支えられた荷馬車の広汎な使用,(2)冬季の道路面・河川の凍結による荷馬車輸送コストの低下,(3)鉄道の敷設率が高く,華北からの移民が鉄道周辺から開拓を進めていたこと,に求められる.農民が荷馬車を使用することで長距離移動が可能となり,県城商人との直接の売買が主流となった.この接触と鉄直輸送を結合することで,大豆モノカルチュアとも言うべき輸出指向農業が展開し,農民はより強く県城商人に依存するようになった.この県城商人と農民の直接の接触により,県城が農村を掌握する政治力が強く,県を単位とする政治的な凝集性が満洲にあったと予想される.この凝集性こそが張政権の基盤であり,圧倒的な軍事力で華北を支配する原動力となった.逆に満洲事変の際には関東軍に県城を占領されることで県全体が掌握されるという事態をもたらし,県城を占領されても根拠地を維持しえた華北と対照的な結果となったのである.研究成果は「満洲における農村市場」(『アジア経済』投稿中)および「満洲事変と県流通券」(福井千衣と共著:投稿準備中)として纏めた.