- 著者
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小岩 直人
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会秋季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.142, 2018 (Released:2018-12-01)
自然環境と食の関連性は,おもに気候から考察が行われることが多く,地形学の視点から食を掘り下げて検討した例は少ない.中学校社会地理,高校地歴科地理の教科書では台地面は果樹園や畑,低地は水田といった小地形~微地形スケールでの土地利用との対応についての記述がされ,それが地形構成物質の透水性の違いによるものであることが解説されているが,研究レベルでの議論は活発ではない. 近年,巽(2014)は地質学的(地球科学的)な観点から,和食の美味しさについて,「出汁」,「寒鰤」,「ボタンエビ」などの12のテーマについて,ユニークな解説を行っている.これは,地球科学の観点から食についての興味深い考察の可能性が示されたものといえるであろう.本報告では,食を取り巻く地形環境について,巽(2014)が扱った時間・空間スケールを,より人間生活に近づけたスケールにおいて地形学的な視点,とくに地形発達史を考慮した試みを報告する. モンスーンアジアに位置する日本は,湿潤変動帯,中緯度偏西風帯にも分布しているともいわれ,活発な地殻変動,火山活動がみられるとともに,気候変動に敏感に応答した地形変化が生じやすい場所でもあるといえるであろう.これらをふまえると農業,漁業などにおいても,現在の気候・地形環境のみならず,過去の環境変化も含めて食を検討することができると思われる.本発表では発表者がこれまで行ってきた地形発達に関する研究の中から,海跡湖をとりあげ,食に関する考察を行った事例を述べる. 青森県太平洋側の小川原湖では,現在,汽水環境のもとでヤマトシジミ,シラウオ等の漁業が行われている.汽水環境は太平洋と小川原湖の間に発達する沿岸州によるものであるが,この沿岸州の発達以前と推定される縄文時代早期~前期前葉の貝塚である野口貝塚では,アサリ・シオフキガイ・ハマグリが見出され,当時の人々は現在よりも塩分の高い環境で生育する貝類を食していたことが明らかにされている.これらの貝は,泥質の海底には適しておらず,砂地を好むものである.発表者らは野口貝塚周辺でボーリングを実施し,そのコアの解析の結果,縄文海進に伴って海食崖の侵食が進み多量の砂層が,間欠的に供給されることにより海底の埋積が急激に進んだことを明らかにした(髙橋ほか,季刊地理学へ投稿中).このように,地形変化を考慮すると,塩分変化のみならず,地形環境が当時の「食」の背景に関する情報を得ることができる. 青森県岩木川最下流部に位置する十三湖は,日本でも有数のヤマトシジミの漁獲量をあげる汽水湖である.岩木川下流部では,縄文海進時以降に形成された水深の大きな湖(潮流口からの海水が流入し,湖水の成層化が生じていた)が,岩木川等の河川が運搬する土砂により埋積されつつある.十三湖はその埋め残された水域である(最大水深約2m).湿潤変動帯ならではの急峻な山地,火山からのモンスーンに起因した降水による多量の土砂供給,(ヤマトシジミの成長に必要な)珪酸の供給,汽水湖となるように浅い水深の湖沼を攪拌する冬季の季節風と暖向期のヤマセなど,その多くがモンスーンアジアの特徴によるものといえるであろう.また,人為のインパクトは十三湖に流入する土砂を自然状態の1/10程度の量に減少させ,湖の埋め尽くされる時間を延ばしている.また,河口部の導流堤が適度な海水の流入をもたらすなど,ヤマトシジミには人為の影響もかなり大きい.一方,人為のインパクトはヤマトシジミの好む砂の堆積を妨げ,泥質の湖底の面積を増加させている.十三湖では,微妙なバランスの中でシジミ漁が営まれている. 周知のように,日本では地形編年に関する研究成果の蓄積が著しい.食に関する地形学的な視点での研究は,新たな研究を開始することも必要かもしれないが,まずは(とくに自然地理学,地形学の)系統地理学の成果を用いて食を説明することからはじめることが現実的であると思われる.たとえば山地斜面も発達史と,植生分布,それに基づく山菜の分布,生業としている人々の生活との関係や,海水準変動と海流と漁業とのかかわりなど,食と自然環境を検討するための素材は数多く存在しているといえるであろう.引用文献高橋未央・小野映介・小岩直人 投稿中.青森県野口貝塚周辺における完新世初頭から中期の地形環境.季刊地理学.巽 好幸 2014.和食はなぜ美味しい.岩波書店.181p.