著者
松田 利彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.469-490, 2007-05

本稿は、近代日本植民地における「憲兵警察制度」を素材に、近年の「帝国史」研究で提唱されている「統治様式の遷移」という研究手法の可能性と限界について考察した。 憲兵警察制度は、日露戦後、朝鮮で分立していた文官警察と軍事警察を統合する仕組みとして一九一〇年に生みだされ、「憲兵の文官警察官職への人用(憲兵に文官警察官に対する指揮権を付与するための措置)」と「憲兵の普通業務への従事」というシステムによって文官警察と軍事警察を制度的に架橋していた。この後、憲兵警察制度は、関東州における「憲兵警察制度」(一九一七~一九年)、「満州国」における「在満大使館警務部」による在満日本警察機関の統合(一九三四~三七年)に継受された。しかし、これらの事例において、「憲兵の文官警察官職への任用」については朝鮮→関東州→満州の順に弱くなり、「憲兵の普通警察業務への従事」は朝鮮以外のケースでは採用されていない。「憲兵警察制度」を「統治様式の遷移」の典型例と見なすことは可能だが、ここの植民地固有の状況に規定された変容も小さくなかった。
著者
松田 利彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

日本統治下朝鮮では、米ロックフェラー財団の働きかけのもと、医学校・大学医学部改革を通じた公衆衛生改革が構想され、そのもとで公衆衛生学が形成されていく。1910年代においては、ロックフェラー財団は宣教師系私立学校であるセブランス医学専門学校への支援の可能性を考えていたが、1920年代以降は、日本植民地初の京城帝国大学の創建に着目し、初代医学部長志賀潔と接触しながら、朝鮮を日本帝国における公衆衛生改革の拠点にしうると考えるに至った。このようなロックフェラー財団のもたらした実際の改革、水島治夫のアメリカ派遣、そしてその遺産を戦後日本と韓国にまで射程を伸ばしながら検討した。
著者
松田 利彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.35, pp.469-490, 2007-05-21

本稿は、近代日本植民地における「憲兵警察制度」を素材に、近年の「帝国史」研究で提唱されている「統治様式の遷移」という研究手法の可能性と限界について考察した。
著者
水野 直樹 藤永 壮 宮本 正明 河 かおる 松田 利彦 LEE Sung Yup 庵逧 由香 洪 宗郁 金 慶南
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

日中戦争・アジア太平洋戦争期の植民地朝鮮の政治や社会・文化を理解するために必要な資料を国内外の図書館・文書館で調査・収集し、そのうち重要と認められる資料を選んでWEB上の資料集を作成した。これらのほとんどは、文書資料として残されているだけで、印刷されることがなかったため、一般市民のみならず研究者も閲覧・利用に不便をきたしていたものである。WEB上の資料集は、今後の歴史研究に利用でき、また広く歴史認識の共有にも役立つものとなっている。また植民地期とその直後に朝鮮に在住していた日本人の回想記・手記類についても、目次・著者略歴などのデータを整理してWEB上で提供することとした。
著者
松田 利彦
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.106, pp.53-79, 2015

特集 : 領事館警察の研究朝鮮総督府は,韓国併合当初から中国との陸接国境地域の治安を重要課題と見ていた。間島 地域では,総督府から憲兵と朝鮮人警察官を派遣・駐在させていた。在間島領事館の要請で憲 兵を治安維持のために派遣する場合もあった。他方,鴨緑江岸では,総督府の憲兵・警察官は 常駐しておらず,現地領事館との連携の度合いは小さかった。 とはいえ,基本的な行動の枠組みは両地域とも共通していた。憲兵による対岸地域の内偵や 組織的調査,憲兵・守備隊による対岸への出動と警察活動・軍事行動といった点である。総督 府・朝鮮憲兵隊は,豆満江岸(間島)・鴨緑江岸の両地域を一体の国境警備問題として認識して いた。 このような認識のもと,総督府は,1910 年代後半以降,国境警備体制の刷新に着手した。 1916 年秋,寺内正毅総督は,朝鮮軍守備勤務規定の改訂を通じて,対岸への憲兵・守備隊の越 境派遣体制を整備した。さらに翌年秋以降には古海厳潮朝鮮憲兵隊司令官・長谷川好道総督が 対岸に憲兵を常駐させる構想を打ちだす一方で,間島領事館に総督府から大量の警察官を送りこんだ。 1910年代は,20年代のように国境対岸からの武装抗日運動勢力による朝鮮内侵攻が現実的な 脅威となってはいない。しかし,国境対岸地域に対して直接的な警察力を行使しようとする総 督府の志向は,早くもこの時期に確認することができ,それは具体的な活動や構想として展開 していたのである。
著者
加藤 聖文 黒沢 文貴 松田 利彦 麻田 雅文 カタソノワ エリーナ バルターノフ ワシリー キム セルゲイ ムミノフ シェルゾッド フセヴォロドフ ウラジーミル
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

研究実施前から把握されていたロシア国防省中央公文書館(CAMO)が所蔵する関東軍文書のすべての画像データを入手し、目録を作成した。また、研究成果の一部として、ロシア側研究者らを招いて2017年2月24日に法政大学において国際会議「第二次世界大戦史研究(ソ連における外国人捕虜問題)」を開催し、60名以上の参加を得た。しかし、今回収集した関東軍文書は1990年代のロシア混乱期に明らかになった文書と異同があることが明らかになった。今回収集した文書の公開に加え、これらの未確認文書の調査に関しては、ロシア側と交渉を行ったが、研究期間内に解決することができず、現在も協議が継続中である。
著者
松田 利彦
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.78, no.6, pp.866-901, 1995-11

個人情報保護のため削除部分あり本稿は、朝鮮植民地期初期の武断政治を象徴する憲兵警察機構を、当時期の植民地財政の緊縮と独立運動の後退という二つの規定要因に即して理解しようとした。憲兵警察機構は併合前後の短期間に人員の確保・末端機関の展開を完了したが、以後は財政条件に規定されその規模は停滞した。もっとも、地方行政費をしのぐ予算が憲兵警察に投入された結果、実質的な地方支配者としての憲兵警察の地位は固まっていった。かかる治安体制は「平穏」な朝鮮には不要だとの批判を一部から受けるが、治安当局は独立運動の退潮を必ずしも楽観しておらず、むしろ韓末国権回復運動を根絶する過程で民衆掌握の必要性を再認識したのだった。高等警察を重視し、教育や宗教などの側面を中心に民衆生活への干渉を行った憲兵警察は、やがて第一次大戦期、ロシア革命や民族自決主義の影響を察知する。にもかかわらず一般民衆の経済的窮境を度外視し機構拡大の必要もさしあたって感じていなかった憲兵警察機構は、かかる認識を三・一運動によって突き崩されていくことになる。The gendarme-dominated policing system (憲兵制度), a symbolic apparatus of Japanese military rule in colonial Korea, was greatly infuenced by factors unique to the 1910's. First, the curtailed budget in the early days of colonial period did not allow the police to have more manpower than was necessary to suppress the Korean "Righteous Army" (義兵) in 1907. In addition, the tight budget did not allow the colonial government to expand police stations except immediately after the annexation of Korea. Disbursements for the police exceeded, however, that for local administrative organizations, and therefore gendarmes and policemen played a role in administrative matters. Second, the anti-Japanese movements decreased after the annexation. While some critics claimed that a powerful police system was not suitable for a "peaceful" Korea, the colonial police did not share their optimistic view. Instead, the police frequently intervened in religious and educational matters in order to prevent the recurrence of an independence movement. During World War I, gendarmes and police remained cautions, for the Russian Revolution and the priciple of self-determination elucidated by Wilson in his 14 points were not political movements whose ideology was conducive to the continuation of Japanese colonial rule. But the police officials failed to notice the extreme poverty of Korean populace and, as a result, they didn't find any need to strengthen the police force. It was not until the March First Movement that they recognized the inadequacy of police power in community control.
著者
水野 直樹 駒込 武 松田 吉郎 堀 和生 藤永 壮 松田 利彦
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、朝鮮・台湾に対する日本の植民地支配の特徴を歴史学的視点から明らかにするために、両地域を総体的に把握するとともに、両者を比較しその違いを念頭に置きながら、進められた。扱われた分野は、政治・経済・警察・軍事・教育・文化など多岐にわたっている。朝鮮と台湾との比較研究に関しては、例えば、「植民地住民登録制度」(台湾の戸口調査簿と朝鮮の民籍)の成立過程を検討することによって、それらの特徴を明確にした。また、「日本帝国」という広がりの中で朝鮮・台湾の占めた位置をも考察した。日本帝国における機械の生産・流通を統計的に分析することによって、帝国において植民地である朝鮮・台湾がきわめて大きな比重を占めていたことが明らかにされた。近年、植民地支配に関わる歴史資料の公開が韓国・台湾において急速に進んだが、本研究ではそれらの文書資料、および日本に残されているできる限り利用して、実証性を高めることができた。例えば、台湾における私立学校設立認可に関わる文書(台湾文献委員会所蔵)をもとにして、台湾総督府の教育政策の性格を実証的に解明した。研究代表者・分担者は、韓国・台湾の学会・シンポジウムなどで研究発表を行なうとともに、両国の学会誌・論文集に論文を掲載して、両国の専門研究者から批評を受けることとなった。これを通じて、植民地支配の歴史をめぐる国際的な研究交流・討論を深めることができた。