著者
柏葉 武秀
出版者
北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
雑誌
応用倫理 (ISSN:18830110)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.34-44, 2010-03

本稿では、分析的伝統に立脚する現代の倫理学、とりわけリベラリズム政治哲学は障害者を公正に扱いえないという通説を検討する。たとえば、ロールズの社会契約論は正義の名にふさわしいまっとうな社会についての構想から障害者を排除していると強く批判されてきた。本稿の目的は、このリベラリズム政治哲学と障害学を架橋する可能性を探究することにある。本稿は以下の4節に分けられる。まず、障害者への財の分配をめぐって戦わされたロールズとセンの論争を瞥見する。次に、ロールズの政治的人格論こそが政治領域で障害者を不公正にあつかってしまう原因であると示したい。3節では、障害者の政治的・道徳的地位を基礎づけるには、自身の「ケイパビリティ・アプローチ」がロールズ正義論への最善の代替案だというヌスバウムの主張を跡づける。最後にケイパビリティ・アプローチが直面せざるをえない二つの問題を指摘する。
著者
柏葉 武秀
出版者
応用倫理学研究会
雑誌
応用倫理学研究
巻号頁・発行日
vol.2, pp.135-144, 2005

さまざまな国際環境条約に明記されている「予防原則」は、2003年から2004年にわが国の環境省でも研究会が開かれた事実に顕著に示されるように、現在ますます注目を集めている。先進的な紹介者である大竹によれば、予防原則とは「潜在的なリスクが存在するというしかるべき理由があり、しかしまだ科学的にその証拠が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的な対策を探ること」と定義される(大竹・東 2005:18)。応用倫理学的な観点から捉えるならば、予防原則は環境倫理と科学技術倫理を横断するアプローチであるといえよう。 本稿の目的は、F・エヴァルドの予防原則に関する独特の議論を「悪しき霊の再来:予防の哲学の素描」(Ewald 1997)に即して紹介・論評することにある1。エヴァルドは、いまやわれわれは社会的義務と安全の政治哲学に関して、パラダイム転換に直面しているという。19世紀のパラダイムは責任であり、それは20世紀を迎えて連帯のパラダイムに取って代わられた。連帯のパラダイムは福祉国家に対応するものであったが、20世紀後半に入るとこのパラダイムの基礎が揺らぎ、新たなパラダイムが必要となる。それはいまだ名称をもたないのだが、エヴァルドは新たなパラダイムを表現する候補として予防原則を挙げている。 このようなエヴァルドの予防原則論は、フーコー流の「社会史の考古学」ともいうべき歴史認識に導かれたきわめて独創的なものではある。だが、エヴァルドはクセジュ文庫の『予防原則』(Ewald et al. 2001)執筆者のひとりでもあり、フランス予防原則研究の潮流を代表してもいる。したがって、本稿はエヴァルド一人の見解を紹介するのみならず、フランスでの予防原則研究一般に貢献することをも目指している。1節から3節までは、論文の節分けどおりにエヴァルドの議論を要約、紹介する。そして最後に、エヴァルドの予防原則論を同じフランスの論者の論考とつきあわせつつ、論評してみたい。
著者
柏葉 武秀
出版者
北海道大学
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
no.110, pp.23-45, 2003

本稿は、『北海道大学文学研究科紀要』第110号(pp.23-45、2003年)に掲載の「進化論的倫理学と道徳実在論」に修正を加えたものである。
著者
柏葉 武秀
出版者
北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
雑誌
応用倫理 (ISSN:18830110)
巻号頁・発行日
no.3, pp.34-44, 2010-03

本稿では、分析的伝統に立脚する現代の倫理学、とりわけリベラリズム政治哲学は障害者を公正に 扱いえないという通説を検討する。たとえば、ロールズの社会契約論は正義の名にふさわしいまっ とうな社会についての構想から障害者を排除していると強く批判されてきた。 本稿の目的は、このリベラリズム政治哲学と障害学を架橋する可能性を探究することにある。本稿 は以下の4 節に分けられる。まず、障害者への財の分配をめぐって戦わされたロールズとセンの論 争を瞥見する。次に、ロールズの政治的人格論こそが政治領域で障害者を不公正にあつかってしま う原因であると示したい。3 節では、障害者の政治的・道徳的地位を基礎づけるには、自身の「ケイ パビリティ・アプローチ」がロールズ正義論への最善の代替案だというヌスバウムの主張を跡づける。 最後にケイパビリティ・アプローチが直面せざるをえない二つの問題を指摘する。
著者
柏葉 武秀
出版者
応用倫理学研究会
雑誌
応用倫理学研究
巻号頁・発行日
vol.2, pp.135-144, 2005

さまざまな国際環境条約に明記されている「予防原則」は、2003年から2004年にわが国の環境省でも研究会が開かれた事実に顕著に示されるように、現在ますます注目を集めている。先進的な紹介者である大竹によれば、予防原則とは「潜在的なリスクが存在するというしかるべき理由があり、しかしまだ科学的にその証拠が提示されない段階であっても、そのリスクを評価して予防的な対策を探ること」と定義される(大竹・東 2005:18)。応用倫理学的な観点から捉えるならば、予防原則は環境倫理と科学技術倫理を横断するアプローチであるといえよう。本稿の目的は、F・エヴァルドの予防原則に関する独特の議論を「悪しき霊の再来:予防の哲学の素描」(Ewald 1997)に即して紹介・論評することにある1。エヴァルドは、いまやわれわれは社会的義務と安全の政治哲学に関して、パラダイム転換に直面しているという。19世紀のパラダイムは責任であり、それは20世紀を迎えて連帯のパラダイムに取って代わられた。連帯のパラダイムは福祉国家に対応するものであったが、20世紀後半に入るとこのパラダイムの基礎が揺らぎ、新たなパラダイムが必要となる。それはいまだ名称をもたないのだが、エヴァルドは新たなパラダイムを表現する候補として予防原則を挙げている。このようなエヴァルドの予防原則論は、フーコー流の「社会史の考古学」ともいうべき歴史認識に導かれたきわめて独創的なものではある。だが、エヴァルドはクセジュ文庫の『予防原則』(Ewald et al. 2001)執筆者のひとりでもあり、フランス予防原則研究の潮流を代表してもいる。したがって、本稿はエヴァルド一人の見解を紹介するのみならず、フランスでの予防原則研究一般に貢献することをも目指している。1節から3節までは、論文の節分けどおりにエヴァルドの議論を要約、紹介する。そして最後に、エヴァルドの予防原則論を同じフランスの論者の論考とつきあわせつつ、論評してみたい。
著者
柏葉 武秀
巻号頁・発行日
2003
著者
新田 孝彦 坂井 昭宏 千葉 恵 石原 孝二 中川 大 中澤 務 柏葉 武秀 山田 友幸
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本研究プロジェクトは、認知と行為の総合理論の基礎を据えることを目的として発足し、行為の合理性の分析を軸として、隣接諸学との関連をも視野に入れた研究を行ってきた。認知と行為の関連は、古くは「知と徳」の問題として、あるいはカントにおいて「理論理性と実践理性」の問題として問われ続けてきたように、哲学の中心的な問いの一つである。本研究プロジェクトでは、研究成果報告書第I部に見られるように、プラトンの対話篇を素材としたシンポジウム及びその背景となった研究において、生全体の認知と、そのもとに営まれる行為との関連のありさまを、哲学的思索の根源的な形態において理解しようとした。また、「プラグマティズムと人間学的哲学」シンポジウムにおいては、外国人研究者の協力も得て、日本及び東アジアの思想とヨーロッパにおける合理性概念の検討を行った。ともすれば、近代ヨーロッパに起源をもつ合理性概念にのみ着目してきた従来の哲学研究を、このような形でいったん相対化することは、合理性概念そのものの深化にとって不可欠である。さらに、シャーバー氏のセミナー及びシンポジウムでは、道徳的実在論に焦点を当て、より直接的に行為の合理性理解の可能性を問題にした。また、研究成果報告書第II部では、行為の合理性の分析と並んで、本研究プロジェクトのもう一つの柱である、哲学的な合理性概念と隣接諸学との関連にかかわる諸問題が論じられている。それらは社会生物学やフレーゲの論理思想、キリスト教信仰、認知科学、メレオトポロジー、技術者倫理と、一見バラバラな素材を取り扱っているように見えるが、それらはいずれも価値と人間の行為の合理性を軸とした認知と行為の問題の解明に他ならない。認知と行為の関連の問題は、さまざまなヴァリエーションをもって問われ続けてきた哲学の根本的な問題群であり、さらにその根底には人間とは何か、あるいは何であるべきかという問いが潜んでいる。これについてはさらに別のプロジェクトによって研究の継続を期することにしたい。
著者
柏葉 武秀
出版者
北海道大学哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:02872560)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.47-65, 2008-02-29
著者
藏田 伸雄 石原 孝二 新田 孝彦 杉山 滋郎 調 麻佐志 黒田 光太郎 柏葉 武秀
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

本研究ではまず、科学技術に関するリスク-便益分析の方法について批判的に検討し、リスク論に社会的公平性を組み込む可能性について検討した。第二に、ナノテクノロジー、遺伝子組換え農作物等の科学技術倫理の諸問題をリスク評価とリスクコミュニケーションの観点から分析した。第三に、リスク論に関して理論的な研究を行った。さらにリスク論と民主主義的意思決定について検討した。第四に、技術者倫理教育の中にリスク評価の方法を導入することを試みた。まず費用便益分析に基づくリスク論は、懸念を伴う科学技術を正当化するための手段として用いられることがあることを、内分泌攪乱物質等を例として確認した。また研究分担者の黒田はナノテクノロジーの社会的意味に関する海外の資料の調査を行い、アスベスト被害との類似性等について検討した。また藏田は遺伝子組換え農作物に関わる倫理問題について検討し、科学外の要因が遺伝子組換え農作物に関する議論の中で重要な役割を果たすことを確認した。そしてリスク論に関する理論的研究として、まず予防原則の哲学的・倫理学的・社会的・政治的意味について検討し、その多面性を明らかにした。他に企業におけるリスク管理(内部統制)に関する調査も行った。リスク論に関する哲学的研究としては、確率論とベイズ主義の哲学的含意に関する研究と、リスク論の科学哲学的含意の検討、リスク下における合理的な意思決定に関する研究を行った。またリスク評価と民主主義的な意思決定に際して、参加型テクノロジーアセスメントや、双方向型のコミュニケーションによって、リスクに関する民主主義的決定モデルが可能となることを確認した。また技術者倫理教育に関して、研究分担者の間で情報交換を行い、上記の成果を技術者倫理教育に導入することを試みた。