著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ OKIMOTO Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.20, pp.29-53, 2017-12

竹内康人(2012年)によって沖縄戦に動員された朝鮮人軍人軍属が配置された部隊と、その人数が初めて明らかにされた。日本政府が韓国政府に渡した朝鮮人名簿をもとに分析を進め発表したものである。この研究をより沖縄に近づけて解釈し紹介した。その結果、特設水上勤務隊以外にも32軍防衛築城隊、歩兵隊、海軍の設営隊など65部隊以上にわたって少なくとも3,500人余が動員されていたことが分かった。部隊別に死亡者数と時期と場所を集計した結果、本島においては首里の攻防や南部に追い詰められて犠牲になったものが多かった。海軍においては小禄、豊見城で6月14日前後に命を落としている。 こうした研究によって「沖縄戦には『朝鮮人軍夫』が『1~2万人』動員され、『雑役』を担った」とする定説が検証され、実態に即して書き換えられていく契機になることを意図した。さらに「朝鮮人軍夫」という表現が妥当であるかについても検討を加えた。 朝鮮人部隊であった特設水上勤務隊について戦時資料や留守名簿、陣中日誌に照らし、編成から沖縄での港湾作業につくまでを詳細に見た。また港湾作業がどのようなものであったか、その実態について当時の陣中日誌及び住民の証言も交えて具体的に示した。本稿は地上戦が始まるまでのいわば序盤までを一区切りとしている。
著者
王 志英 Wang Zhiying 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-10, 2013-03-15

本稿は中国語の形容詞"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"という類義語の違いについて考察した。この四つの類義語はともに視覚を通して、人間、物事を描写することができる。 しかし、"美丽"、"美" の描写する対象は色彩がなくてならないのに対して、"漂亮"、 "好看"の描写する物事が色彩がなくても使える。"漂亮"、"美丽"、"美"は聴覚を通して、物事を描写することができるが、"好看"は物事を聴覚による描写ができない。 "美丽"、"美"で描写している物事が「美しい」だけでなく、人間に精神的な快感をもたらすことができる。本篇论文对汉语的4个形容词"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"之间的意思的区别进行了探讨。这4个同义词翻译成日语都表示「美しい」、「きれい」的意思,因此对学汉语的外国人来讲,要掌握和使用好这4个词,很不容易。"漂亮"、"美丽"、"美"、"好看"这4个同义词都可以通过人的视觉来对人、物进行描写。但是,"美丽"、"美"所描写的对象必须具有色彩,没有色彩的对象一般不用" 美丽"、"美"。" 漂亮"、"好看"描写的事物没有色彩也可以说。" 好看"不能用于听觉,用"美丽"、"美"时,不仅表示人或物的外观美,而且其事物还能给人带来精神上的快感。
著者
髙良 沙哉 Takara Sachika 沖縄大学人文学部福祉文化学科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.12, pp.45-56, 2013-09

第二次安倍晋三内閣が発足して以降、権力側からの改憲論議が活発化している。2012年に出された政権与党自民党「改正」草案は、憲法改正の限界を超えると考えられる条項が多い。本稿では、憲法とは何か、憲法改正とは何かという基本的な認識を踏まえた上で、自民党の「改正」草案を批判的に検討する。
著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ Okimoto Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.21, pp.45-65, 2018-04

沖縄戦に動員された朝鮮人について通説になっている1~2万人という根拠を書誌や報道から探ってみたが、数値を裏付けるものはなかった。現在韓国政府に渡された軍人軍属の留守名簿等から沖縄戦関連者は約3,500人まで数えられているが、この他にもいた可能性を検討した。また慶良間や宮古八重山地域についてはほぼ解明された動員数を示した。
著者
小川 竹一 おがわ たけかず Ogawa Takekazu 沖縄大学地域研究所特別研究員・愛媛大学名誉教授
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.21-37, 2018-10

沖縄県読谷村の集落(字)は、強い共同性を有し、高い自治能力を有している。沖縄戦と米軍統治下の基地接収により、集落の壊滅の危機に面した。各集落は、僅かに返還された土地で、集落の再建を行っていった。この集落の再建を可能にしたのは、歴史的に形成されてきた集落の共同性である。集落領域の土地は、集落の共同資源(コモンズ)として存在してきた。さらに、米軍から解放された土地を分け合って集落を再建したこと、村と集落とが、土地の返還を求めて団結してきた。基地接収された土地を回復されるべきコモンズとして認識してきた。また、集落が得る高額の軍用地料が住民の行事、福利に用いられていることも、コモンズの側面として捉えられる。米軍から返還され、国から払下げをうけ村有地となった読谷補助飛行場跡地の利用は、関係集落ごとに作られた農業生産法人が利用主体となった上で、法人の所有権取得が計画されている。この事業が集落再生の萌芽となるのかを検討する。
著者
黒沼 善博 くろぬま よしひろ Kuronuma Yoshihiro 沖縄大学地域研究所特別研究員 株式会社大林組
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.149-171, 2018-10

南西諸島に位置する宮古島は、生活・農業・産業用水のほとんどを地下水に依存しているが、多雨な気候であるにもかかわらず、地質上、水源確保が困難な環境にあった。その克服策として、地下水の安定的な供給を行うために建設されたのが地下ダムである。地下ダム建設を端緒に、さらなる再生可能エネルギーを構築するため、風力発電、太陽光発電、バガス発電、メタン発酵、バイオエタノール製造など資源再生を行う施設が島内に次々と建設された。 島嶼環境における有限資源の持続を可能にするのは、建設技術の複合と応用である。本稿では、宮古島で展開されている環境技術を分析し、島嶼環境における資源再生技術の将来性を展望する。
著者
圓田 浩二 まるた こうじ Maruta Koji 沖縄大学法経学部法経学科教授
出版者
沖縄大学法経学部
雑誌
沖縄大学法経学部紀要 (ISSN:13463128)
巻号頁・発行日
no.28, pp.39-53, 2018-03

本稿は、2017年8月に横浜で開催された、ゲームアプリ「ポケモンGO」イベント「Pokémon GO PARK」に参加した調査報告をまとめ、今後のポケモンGOの可能性とその問題点を指摘する。Pokémon GO PARKは成功に終わったが、その背景には、イベント参加者の想定外の多さに対応した主催側の巧みな運営があった。このイベントは当初想定されていたイベントの内容とは異なっていたが、結果的は大成功を収めることができた。ポケモンの出現場所と種類と数をコントロールすることで、人間の欲望をコントロールし、人の流れと移動を作りだした。このイベントのフィールドワークから、「監視・管理から操作・誘導へ」という問題についての社会学的考察を展開した。現代社会はPokémon GO PARKで露わになった人間の欲望のコントロールと誘導があらゆる場面でなされている社会である。ゲームアプリとしてのポケモンGOの新しい点は、ヴァーチャルでありつつも、現実社会に浸透し、現実世界の人間=トレーナーを行動させ、監視・管理し、操作し、行動させることにある。This paper summarizes the survey on those who participated in the game application Pokémon GO" event "Pokémon GO PARK" held in Yokohama in August 2017, and points out the problems and possibilities of the future of Pokemon GO. Although Pokémon GO PARK was overall a success, this was due to good management by the organizer corresponding to the unexpectedly large number of event participants in the background This event was different from the contents of the event assumed at first, but it was successful as a result. By controlling the appearance place and types of Pokémon, and the number of Pokemon, Pokémon GO controlled human desires and created human's flow and movement. From the fieldwork of this event, we have developed sociological considerations about problems from "monitoring, management of operation, and instruction". The contemporary society is a society where control and induction of human desires exposed in Pokémon GO PARK can be done anywhere. A new point of Pokémon GO as a game application is to penetrate real society while acting, monitoring, managing, manipulating, and acting in the real world of human = trainers though it is virtual.
著者
素民喜 阳子 スミンキー 陽子 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.13, pp.41-48, 2011-03-31

本论文通过中国的女作家安妮宝贝的短篇小说《告别薇安》作为研究对象。这部短篇小说是这位女作家第一次出版的第一部小说集里面收集的第一部作品。小说以"人际关系中的接纳与被接纳"的关系及"生活在现代混沌中,人普遍感覚到的孤独与困惑"作为核心题材。安妮宝贝是通过网络时代塑造的新时代作家,笔者认为她作品里"日常生活中的非日常故事"等题材和其中的人际关系-接纳与被接纳、人的混沌而矛盾的心理可以值得研究。这点就是笔者关注研究她最初的出发点,也是研究动机之一.本论文根据主要人物间的人际关系以及语言運运用上的特点,探讨而试论人的心理和情感。アニーベイビーはネット作家として彗星のごとく中国の文壇に現れた,まさにIT時代が生み出したニュージェネレーションの新進気鋭の作家である。本稿でとりあげる『さよならビビアン』は,作者が初めて出版した同名小説集に収められたデビュー作である。作者は「人間関係における授受及び被授受」そして「混沌とした社会に生きる人々がもつ孤独と困感」を重要なテーマに掲げている。本稿ではアニーベイビーのデビュー作,及びその他の著作に共通して作者が描き続ける「日常生活の中にある非日常的なストーリー」に着日し,『さよならビビアン』における人間関係,言語運用の角度から登場人物の心理に焦点を当てて論を進める。
著者
壱岐 一郎 いき いちろう Iki Ichiro 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.18, pp.111-123, 2016-09

1956年、福岡で最初に「『魏志』倭人伝」を読んで、『日本書紀』とのあまりの差異に驚愕した。すなわち、そこには神武天皇とか神功皇后のイメージのスメラミコト、大君は出ていなかった。24歳の遅い研究の出発だった。私の目標は通史志向で方法は中国・韓国史料を集めて分析すると同時に列島内遺物・遺跡を調べ「史実」を確認することだった。
著者
清川 紘二 桜井 国俊 Kiyokawa Kouji Sakurai Kunitoshi 法政大学沖縄文化研究所 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.15, pp.61-68, 2013-03-15

本稿はアジア・太平洋戦争下で行われた日本政府・朝鮮総督府による朝鮮人被強制連行者、徐正福氏の2度(2006 年12 月、2007 年4 月)にわたるインタビューからの抜粋である。農民であった徐さんは1944年6月に慶尚北道達城郡嘉昌面の自宅で拉致され、沖縄県宮古島に連行された。宮古に上陸後は、軍夫として艦船からの荷物の揚陸作業を行った。徐さんは3000 人の強制連行者のうち唯一の日本語のできる朝鮮人であったため、軍夫長と言う重要な役職につき、軍隊と軍夫との通訳等も行った。宮古における軍夫の使役の状況、米軍爆撃の様子、日本軍人による差別、朝鮮人慰安婦のエピソード等についての詳細な口述は、沖縄における朝鮮人軍夫の状況をよく伝えている。徐さんの語りは、2006 年6月沖縄大学で講演した被強制連行者、姜任昌氏(慶尚北道英陽郡出身)による阿嘉島からの報告とともに、朝鮮人強制連行史における宮古島の空白のページを埋める貴重な証言である。
著者
村上 陽子 Murakami Yoko 沖縄大学地域研究所 東京大学大学院総合文化研究科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.119-132, 2014-03

「ギンネム屋敷」には、レイプ、従軍慰安婦、沖縄戦、民族差別など、さまざまな主題が書き込まれている。「沖縄人」の主人公「私」をはじめ、「朝鮮人」、「米軍人」、「ナイチャー二世」など、民族性を強く帯びた男性登場人物の語りによって構成されるこのテクストの中で、レイプの被害者としてあらわれる女性登場人物は沈黙を強いられている。そのため、従来「ギンネム屋敷」の男性登場人物が、帝国主義や植民地主義、冷戦構造をふまえた関係を形成している点が注目されてきた。その一方で、女性登場人物の位相は十分に論じられることがなかった。それを踏まえて、本稿では女性登場人物の位相を詳細に分析していくことにする。沈黙を強いられる女性たちはテクストの中で空所化され、男性の言葉によって意味付けられていく。だが、彼女らはときに、他者の言葉によって表象され、統御される以上の存在となってあらわれる。本稿では、そのような意味付けられない女性たちの、あるいは言葉を奪われた死者たちの回帰を〈亡霊〉と呼ぶ。〈亡霊〉が物語を構築する語りの主体に取り憑き、物語空間を飛び交っていることをテクストの分析を通して明らかにしていく。語りの主体がすでに〈亡霊〉に取り憑かれていたのだとすれば、テクストから排除されていた彼女たちの声を、物語を構成する言葉の中に潜勢するものとして読み直すことが可能となるだろう。The themes of Matayoshi Eiki's "Ginnemu yashiki" varies from rape, "comfort women", Battle of Okinawa, and ethnic discrimination. This text consists of the narratives of male character with strong racial traits. Female characters are, in contrast, forced to bear the silence, and described as victims of wars and rapes. Therefore, previous studies have focused on the relationship among male characters and have critically discussed structural outline of imperialism, colonialism, and cold war. On the other hand, issues of women have been left unexamined.Now therefore, I examine the phases of female character. Female characters of those forced to be silent become the blank of the text inside. Male characters represent her words and attempt to fill up the blank. However, those forced to be silent have already gotten into male characters, the narrator of the story, and are not just being represented by the word of others. In this study, I call these deprived of their words and obsess narrating agents as "disembodied spirit" and articulate their influence on the narratives of agents. Through rereading this piece, I reexamine the issue of female characters of those remain unexplored and argue that they present in the text.
著者
宮城 能彦 Miyagi Yoshihiko 沖縄大学人文学部
出版者
沖縄大学人文学部
雑誌
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences (ISSN:13458523)
巻号頁・発行日
no.16, pp.51-60, 2014-03-05

本稿は沖縄県国頭村奥集落の人々の戦争体験の聞き取り調査(第2回および第3回)の記録である。戦争体験を語ってくださった方は、国頭村奥の出身者あるいは沖縄戦当時奥に在住していた方々である。今回は、小学校3年生の時に奥で戦争を体験した方、戦前、農業指導員として奥にやってきた後沖縄で結婚し、奥の人々が米軍に投降する際に命がけの重要な交渉をした方(故人)の家族の方、護郷隊として敵へ切り込む直前に解散されて奥まで命がけで帰ってきた方の3人のお話を収録した。本稿は、奥という沖縄本島北端の集落から見た沖縄戦を、ライフヒストリーとして記録することによって、沖縄戦を様々な角度から考えようとするものである。
著者
与那覇 晶子 Yonaha Shoko 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.95-118, 2014-03

スーエレン・ケイスのフェミニズム演劇理論を中軸に据えて、沖縄の組踊「忠孝婦人」を検証してみた。男が書いて男が女を舞台で表象してきた演劇であるという点で、古代ギリシャから近代にかけて網羅されてきた西欧演劇の実態とほとんど変わらない。組踊は日本の伝統演劇、能楽や歌舞伎、狂言の影響もあり、それらが男性中心に演じられてきた芸能であるのと同様、現在まで男性中心に上演されている。新旧合わせて約90作品ある組踊の中で、50作品以上が仇討物である。その中で特に近代において最も人気があったのが「忠孝婦人」である。その背景を見ると、テキストそのものの面白さ、ユカッチュの妻の潔さ、谷茶の按司や臣下の満納と主人公乙樽の対話、ロゴスの面白さが際立っている。修辞の魅力が按司のセクシュアリティと必死にその罠から逃れ、若按司を救い出す手立てを模索する乙樽の言説の豊かさゆえであった、ということが浮かび上がってきた。しかし乙樽は家父長的封建制を維持しながらかつコロニアルな政体でもあった琉球士族の理想の女性であり、彼らの分身そのものであった。フェミニズムの視点から乙樽の行為主体性(エイジェンシー)、行為主体(エイジェント)を見た時、それは首里士族男性のフィクショナルな造形であり、リアルな女性は存在しない。当時琉球王府は、すでに辻や仲島遊里を国体の維持システムとして有していた。公の場で表象されなかった女性の身体だが、しかし遊女(ジュリ/ズリ)たちは生身の芸能やセクシュアリティを体現する存在として薩摩の在番や冊封随行員の前に立ったのである。分断された女性のシステムの上に組踊が創作され、上演されていた歴史の在り様を見据える必要がある。沖縄のフェミニズム理論の構築や運動の欠陥を埋める論理化の中に、辻や仲島遊里(遊郭)のジュリと呼ばれた女性たちを包含しえない限り、その運動や理論の破綻を埋めることはできないと考える。Based on Su-Ellen Case's feminist theory of feminism and theatre, this paper analyzes Okinawan Kumiodori Chuko fujin (The Lady of Loyal Piety). In a sense as it was created and performed by men, it just identifies the theatre history of the West from the Greek to Shakespearean period, and the early modern period. Also as it is well known that Kumiodori was influenced from Japanese Noh, Kabuki, and Kyogen, which have been created and performed in the male-dominated society and cultural values, the male dominance has been penetrated till the present. In about 90 classic and new Kumiodori, more than 50 of them are vengeance stories. Among those vengeance ones, Chuko-fujin was one of the most popular ones in the early modern period in Okinawa. The reason was due to an appealing text, bravery of Samurai's wife, dialogues between female main figure Utudaru and Lord Tancya and his feudatory manner. The attraction of rhetoric was resulted from Lord's sexuality toward Utudaru and her way of putting a gloss on his coerce approach to find some means to save a trapped young load. However, Utudaru was an ideal female of the kingdom while representing samurai's alter ego, on its patriarchy system and still coronal body. When we see Utudaru's agency and agent in terms of feminist theory, she is just a fictional figure, not a real one. At that time the kingdom had owned the treasure courters Tuji and Nakashima as her national valued function. Though women had been excluded from social and cultural lives of performance, courtesans called Juri/zuri stood in front of warriors of Satsuma and attendants from Shin dynasty. Okinawan feminism theory shouldn't over look that in this divided female social system, Kumiodori was created and performed by men. Juri/zuri danced and sang songs together with those men, and this fact should be well considered when we try to reestablish Okinawan feminism: feminist ethnography and gender ethnicity.