著者
浦野 茂 水川 喜文 中村 和生
出版者
三重県立看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究の目的は、発達障害者(とりわけ広汎性発達障害の小学生高学年の児童)の療育場面の相互行為の構造を、社会生活技能訓練(SST)を事例としながら、エスノメソドロジー・会話分析の手法によって解明することである。この結果、次が明らかになった。 (1)療育場面は、 児童の積極的参加を不可欠な資源とした相互行為として構成されている。(2)療育場面の相互行為の中心的部分は、参加者の行為上の問題を積極的に可視的にする技術と、それによって可視化された問題に対して参加者が療育者とともに修復していく実践から、成り立っている。(3)療育場面は、一方で児童の積極的な参加に依拠しながらも、他方でその行為を問題の顕れと修復の実行という観点のもとで療育者によって受け止められていくという、強い制約をもつ。したがって今後の課題は、こうした制約から自由な、発達障害者への支援実践について検討することとなる。
著者
浦野 茂 喜多 加実代 早川 正祐
出版者
三重県立看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

現在の日本の精神医療は、精神障害当事者の意思と価値に基づく支援・治療・研究開発の意義が認められつつあるが、その実現にとって多くの障壁が残されている。数あるこうした障壁のうち、本研究は精神医療にそなわる認識方法である病識評価に着目し、これが精神障害の経験を理解し表現するための概念的資源を構造化し、制約してきた状況を解明する。解明の対象には、戦後から現在までの日本の主要精神医学雑誌記事と当事者による手記を設定し、その叙述における関連概念の用法を分析する。これを通じて本研究は、精神障害の経験を理解し表現するための既存の概念的資源にそなわる倫理的問題を明らかにし、その改良に向けた提言を行う。
著者
浦野 茂
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.492-509, 2013

本稿は, 発達障害をもつ高校生を対象にした社会生活技能訓練 (SST) においてその参加者たちがこの訓練に抵抗していく事例を検討する. とりわけ本稿は, 社会生活技能訓練とそのなかでの抵抗について, それぞれの実践を組み立てている手続きを記述することを通じ, 発達障害者に対する制度的支援の実践が当事者に対していかなる行為と自己アイデンティティの可能性を提供しているのかを明らかにする.<br>制度的実践を介した医学的概念とその対象者の行為およびアイデンティティとの関係については, 医療化論の視点からすでに批判的検討がなされてきた. しかしこうした批判的視点にあらかじめ依拠してしまうことは, 発達障害者と呼ばれる人びとがこの概念に基づいて行いうる実践の多様なあり方を見失わせてしまう. したがって本稿はこの視点からひとまず距離をとりながら, この実践を構成している概念連関の記述を試みる.<br>この作業を通して本稿が見出すのは, 医療化論の視点とは対立する次の事態である. すなわち, 発達障害者への制度的支援の実践は, その参加者が発達障害の概念を批判的に捉え返していくための可能性をも提供しており, したがってまたこの実践のあり方に抵抗し, さらにはそれをあらためていく可能性をも提供しているという事態である. これに基づき本稿は, 当事者のアイデンティティ形成とその書き換えの積極的な契機として制度的支援の実践を捉えていく必要のあることを示すことになる.
著者
浦野 茂
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.10-16, 2014-07-31 (Released:2016-04-27)
参考文献数
29

本稿の目的は、保健医療分野においてなされてきたエスノメソドロジー研究の意義を評価する視点を設定することにある。この目的のもと本稿は、医学的診断とその社会的帰結をめぐる問題を念頭におきながら、イアン・ハッキングとマイケル・リンチとの間で交わされてきた議論を検討する。これを通じ、診断と病者の存在を考えるにあたり、診断概念の使用を形づくる具体的状況の解明が必要となることが示唆されることになる。
著者
浦野 茂
出版者
三田社会学会
雑誌
三田社会学 (ISSN:13491458)
巻号頁・発行日
no.2, pp.16-21, 1997

特集I: 社会学の方法とリアリティ1.「秩序問題」に対する立場2.外的コンテキストへの言及は何を行っているのか?3.結語
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.60-76, 1998-06-30

物語を語ることは何よりもまずひとつのおこないである。すなわち, 物語を語ることは, それによって多様な道徳的含意をともなった具体的なおこないを相互行為の場面のなかでなすことなのである。ゆえに, 現実の代理=表象という観点に結びついた問いとは独立にそしてそれに先行して, まずそれが相互行為の場面のなかでなしているおこないに即して, 物語は理解される必要がある。物語についての相互行為分析はこの点に照準をあてるものである。本稿は, この認識を出発点にして, 新潟県佐渡島の人々によって語り継がれてきた「トンチボ」についての物語を例としてとりあげ, それが社会的に共有された「口承の伝統」として実際の相互行為のなかで成し遂げられていくそのしかた, およびそれが相互行為の経過に対してはたらきかけてゆくそのしかた, これらを記述してゆく。この作業をとおして, 口承の伝統というものが私たちの生活のなかでしめている脈絡のひとつを具体的に示す。
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.727-744, 2005-12-31
被引用文献数
1

集合的記憶への社会学的分析は, 記憶が集合的アイデンティティ形成の資源とされてきた姿を明らかにすることに, その批判的意義があると考えられている.しかし他方で, こうした分析がその分析対象である現実における集合的アイデンティティ形成の動きへと寄与していってしまう事態が, 問題として指摘されてもいる.<BR>おそらくこうした事態は, 集合的記憶への社会学的分析の根本的前提そのものを再検討する必要性をつよく示唆しているものと考えられる.すなわち, 記憶というものをある形で概念化することを通じて成立している社会学のあり方それじたいを, 検討することが必要となるのである.そして本稿ではその検討の場を, 19世紀末から20世紀前半にかけてのW I トマスがアメリカ合衆国の移民問題と接触するなかで行った議論とその変容に求める.<BR>実際そこに確認できるのは, 当初は遣伝概念と結びついていた記憶概念が, この結合を支えていた状況の消失とともに, 文化や伝統, 言語を具体的拠り所として新たな概念化をこうむり, それと相即して生物学から明確に区別された狭義の社会学的議論が合衆国において自律していく過程である.この結果として現れるのは, 一方で合衆国への移民の強制的同化の動きに対して移民の記憶を根拠にして批判しつつ, 他方で同化のために移民の記憶へと積極的に働きかけていく技術的装置としての位置づけをも担っていく, 社会学の姿である.