著者
福田 安志
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
pp.Vol.7_J-Art01, (Released:2019-07-30)

From the beginning of the Trump administration, the U.S. military presence in Gulf Cooperation Council (GCC) countries has rapidly evolved. Specifically, the number of U.S. Air Force soldiers stationed in Qatar, United Arab Emirates, and Kuwait has been significantly reduced. This may be a result of President Trump’s preference to minimize the level of U.S. troops deployed in the region. Conversely, the United States has maintained its naval presence in the gulf, including an aircraft carrier strike group and naval troops in Bahrain. In the same period, Iran has remarkably expanded its military capabilities after developing sophisticated new missile systems, drones, and submarines. Combined with recent hostile events in the gulf, this situation has heightened concerns about gulf security, in particular, to ensure the safe passage of crude oil destined for all parts of the world. Current tension may lead to an escalated presence of U.S. forces in the region.
著者
福田 安志
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.171, pp.302-278, 2017-03

The role of Indians in Muscat shifted and changed depending on time periods and contexts. During the Portuguese period, Indians served as providers of provisions for the stationed Por tuguese garrison, as well as merchants for entrepot trade. In the time of Ya'āriba, Indians continued to play a role in entrepot trade in Muscat. In the Busa'īd period toward the end of the 18th century, they acquired importance in entrepot trade, while Muscat became an emporium in the Indian Ocean and Persian Gulf trade. The prosperity of Muscat and communication with the Indian subcontinent attracted Indians to Muscat. Then, the Indians in Muscat in the 19th century became tax farmers in Muscat Customs. The British government issued an Order in Council, 'Muscat Order in Council' in 1867, which aimed to regulate the British consular jurisdiction in Muscat. The Order in Council also had an aim to cover Indians in Muscat under the British consular jurisdiction. However, the Muscat Order in Council was a British law, not a treaty with Oman. The Sultan of Oman had no obligation to follow its provisions. The Sultan objected the application of the Order in Oman. Finally, an agreement was reached in 1873 between the Sultan and the British Political Agent and Consul. By the agreement, Indian merchants in Oman were regarded as British subjects and remained under the British Agent and Consular jurisdiction until the independence of India in 1947. The Indians continued to have an important role in Omani economy in the beginning of 20th century, as Indians engaged in the trade of dates with financial ser vices. They played a key role in establishing British dominance over the Sultanate.
著者
福田 安志 Fukuda Sadashi
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー
巻号頁・発行日
vol.2, pp.65-79, 2015

The Basic Law of Governance in Saudi Arabia stipulates that the king of Saudi Arabia has absolute power in the government of Saudi Arabia. However, after King Abdullah's accession to the throne in 2005, his political powers were limited because of the presence of the so-called Sudeiri Seven, the powerful royal group that consists of the seven sons of King Abdel-Aziz's purported favorite wife, Sheikha Hussa bin Ahmad Sudeiri. The death of the crown prince Sultan in 2011 followed by the death of the next crown prince Naif in 2012, both members of the Sudeiri Seven, weakened the power of the Sudeiri Seven. As a result, King Abdullah's power had increased greatly compared to that of the Sudeiri Seven. Also, the sons of King Abdullah, who occupied prominent governmental posts, were acquiring strong influence in the regime. The death of King Abdullah in January 2015 and Salman's accession to the throne caused changes to the ruling regime in Saudi Arabia. King Salman appointed Prince Muqrin as crown prince and deputy premier, and Prince Muhammad b. Naif as deputy crown prince. King Salman also appointed his son Muhammad b. Salman as defence minister and head of the royal court. Finally, King Salman issued a royal order on January 29 to reshuffle his cabinet and dismiss the governors of the Riyadh and Makka.
著者
臼杵 陽 加藤 博 長澤 榮治 福田 安志 水島 多喜男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

最終年度の今年度は3年間の研究のとりまとめと次の段階へのステップとして位置づけられる。今年度の研究成果として次の二点があげられる。まず、尾崎三雄氏所蔵アフガニスタン関係資料の整理である。本資料の整理は3グループに分かれて行われた。すなわち、第一は尾崎氏がアフガニスタン滞在中に記した日誌・日記等の活字記録の整理・入力作業である。本作業は一橋大学の加藤博(分担者)が中心に行った。第二は、アジア経済研究所の鈴木均(研究協力者)を中心に尾崎氏がアフガニスタンで収集した書籍のデーターベース化と収集民具などの整理である。第三は国立民族学博物館の臼杵陽(分担者)尾崎氏がアフガニスタン滞在中に撮影した写真のCD-ROM化の作業である。この3グループの作業としては第二、第三のグループがその一部のデータをCD-ROMを焼き付けた。また、第一のグループは日誌類の入力作業が終わったところである。このアフガニスタン関係資料の整理は本研究プロジェクトが終了した後も続けられる予定である。第二の成果として、日本・中東イスラーム関係をより比較の視点を導入して、議論を幅広く発展させていくことであった。この成果は国際ワークショップ「植民地主義を比較する-エジプト、イスラエル、日本、朝鮮半島を比較する」を2005年25日に開催したことである。このワークショップを通じて、日本・中東イスラーム関係は植民地主義の性格とその形態の地域間比較を通して、より広くイギリス・中東関係、日本・朝鮮半島、さらにはイスラエル・パレスチナ関係にも敷衍できることを確認した。すなわち、この知見は日本・イスラーム関係を基礎研究から製作提言まで幅広い可能性をもった中東イスラーム研究の今後のあり方を考えていく上での前提作業と位置づけられるのである。
著者
山内 昌之 ERGENC Ozer KHALIKOV A.K GRAHAM Willi ERCAN Yavuz DUMONT Paul QUELQUEJAY C ALTSTADT Aud PAKSOY Hasan 福田 安志 内藤 正典 新井 政美 小松 久男 栗生沢 猛夫 坂本 勉 WILLIAM Grah PAUL Dumont CHANTAL Quel AUDREY Altst HASAN Paksoy
出版者
東京大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1989

この共同研究が目指したものは、中東とソ連における都市とエスニシティの在り方を比較検討しながら、近現代の急速な都市化にともなう環境、人間と社会との関係、個人と集団の社会意識の変容を総合的、多角的に解明しようとするところにあった。当該地域におけるエスニシティの多様性と連続性を考慮するとき、これは、集団間の反目、矛盾が先鋭で具体的な形をとって現われてくる都市という生活の場においてエスニシティの問題を検討することであり、またエスニシティ、民族、宗教問題を媒介変数としてトランスナショナルな視角から都市の在り方と変容を検討することでもあった。本共同研究の参加者は以上の問題意識を踏まえ、まず第1に、タシケント、モスクワ等のソ連の都市と、イスタンブ-ル、テヘラン、カイロ、エルサレム等の中東の都市において現地調査を行なった。これらの諸都市での調査においては現地人研究者の協力を得た上で、都市問題の現状とエスニシティを異にする住民相互間の衝突、反目の具体的事例をつぶさに観察した。また現地調査と平行して、現地人研究者との間で意見の交換を行ない、当該地域での研究状況の把握、現地人研究者との交流に努め、さらに必要な資料の収集にも当たった。第2に、ソ連、中東世界での都市化にともなうエスニシティ、民族、宗教問題を分析した。モスクワ国家による都市カザンへの支配の実態を検証し、また経済開発によるソ連中央アジアでの居住条件の変化と、エスニシティ・グル-プの変容についての相関関係を検討した。さらにイスラエルにおいては、ソ連からのユダヤ人移民にともなうユダヤ都市の拡大・拡散による、アラブ人とユダヤ人の文化接触の問題を取り上げた。次いで都市を基盤とした民族主義イデオロギ-の形成・展開の側面についても検討を加えた。トルコにおけるトルコ民族主義の展開過程とその周辺トルコ系地域への影響を、歴史的事実を踏まえつつ分析した。同時にソ連中央アジアにおける非ロシア系民族の間での民族意識の形成過程を検証し、イスラ-ムや、アルメニア正教、ギリシャ正教の復興が民族的アイデンティティに及ぼす影響を検討した。またアゼルバイジャンでの文学活動が民族意識の形成に与えた影響を分析した。これらの事例研究によって、中東とソ連における都市問題とエスニシティをめぐる問題の相関関係を明らかにし、また都市化にともなう社会意識の変容を解明することに努めた。第3に、経済と都市間ネットワ-クの側面から都市のエスニシティの問題を検討した。アレッポの都市経済におけるアルメニア人、クルド人の役割を検討した。またドイツへのトルコ人労働移民の問題を取り上げ、出稼ぎ者、帰還者双方が引き起こす都市問題が、二地域の関係の中で明らかにされた。さらにイラン諸都市とイスタンブ-ルの間の絨毯交易に従事していたアゼルバイジャン人に注目しながら、当該地域におけるエスニシティと都市経済、都市間の関係を把握した。アラビア半島諸都市における通商活動も取り上げ、アラブ世界の都市間通商ネットワ-クにおけるインド人、ペルシャ人の役割を分析した。次いでイランや中央アジアからのメッカ巡礼を分析することを通し、宗教的側面からも都市間ネットワ-クの検討を行なった。これらの研究により、当該地域における経済と宗教を軸とする都市間ネットワ-クとエスニシティの連続性を明らかにすることに努めた。第4に、総合的、多角的研究の必要性から都市とエスニシティ問題の持つ普遍的な性格に着目し、研究交流の空間的幅を広げ、中東、ソ連の現地研究者はもちろんのこと欧米諸国の研究者との間でも共同研究や比較研究を行なった。さらにストラスブ-ルにおいて日本とフランスの研究者を中心に、ソ連と中東の民族問題に関する国際シンポジウムを開催するなど、これまでの研究成果に基づいた研究者相互間の交流を推進した。この共同研究は、湾岸危機やソ連邦の解体など当該地域をめるぐる急激な変動の渦中に実施されたにもかかわらず、比較の手法を用い都市という場におけるエスニシティの問題を解明し、都市の在り方と変容を明らかにする上で大きな成果をあげることができたと確信している。
著者
中村 覚 吉川 元 伊勢崎 賢治 高橋 和夫 中西 久枝 澤江 史子 栗栖 薫子 森 伸生 北澤 義之 立山 良司 坂井 一成 泉 淳 小林 正英 細井 長 齊藤 嘉臣 末近 浩太 土佐 弘之 木村 修三 小塚 郁也 福田 安志
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

本プロジェクトは、国際関係論、安全保障論、中東地域研究の専門家による協働研究を通じて、日本における中東の安全保障問題に関する本格的な研究の基盤づくりを目的とした。また、中東における武力紛争の傾向や特質に関して論ずるのみではなく、短期的な紛争解決と、中長期的な予防レジームの構築に関する課題と可能性に関して考察した。その際に特に、日本への政策的示唆を生み出す視点を重視した。また当該の研究課題の遂行のために必要とされる国外の研究者とのネットワーク作りと同時に、国外への研究成果の発信で成果を上げた。
著者
福田 安志 Fukuda Sadashi
出版者
日本イスラム協会
雑誌
イスラム世界 (ISSN:03869482)
巻号頁・発行日
no.55, pp.73-93, 2000-09

本稿ではサウジアラビアにおけるザカート(ザカー)の徴収について検討した。イスラーム諸国におけるザカートは、一般的には、イスラーム教徒が任意で提供する「お布施」的なものとして理解されることが多い。しかし、ザカートは初期イスラーム時代には、イスラームの教団国家の歳入の大きな柱であり、事実上、公租の役割を果たしていた。サウジアラビアでは18世紀半ばにサウード朝が興ったが、サウード朝は初期イスラーム時代を模範とするワッハーブ派と協力して国家を建設したため、サウード朝においてはザカートが重要な国家の歳入源となった。20世紀には石油開発が進み、石油収入が国家歳入の大部分を占めるようになったが、ザカートの徴収は現在でも続けられている。続いて、イスラーム法で定められているザカートの賦課対象と賦課率について述べ、のサウジアラビアの事例を示しながら賦課対象と賦課率について検討した。さらに、企業や個人がザカートを支払う場合の賦課対象や賦課率について述べ、サウジ企業に課せられるザカートと外資に課せられる所得税の相違について検討した。