著者
春田 直紀 佐藤 雄基 薗部 寿樹 小川 弘和 榎原 雅治 呉座 勇一 湯浅 治久 高橋 一樹
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2018-04-01

令和2年度は、以下の研究活動で成果をあげた。(1)10月3日にオンラインで研究会「中世肥後の文字史料と地下社会」を主催した(熊本中世史研究会と共催)。この研究会では、池松直樹氏と兒玉良平氏が「「肥後国中世地下文書・銘文史料」概観」、春田直紀氏が「大百姓の文書と水利開発―舛田文書と現地の調査成果から―」、廣田浩治氏が「地下文書論からみた中世の肥後~肥後国中部を中心に~」という題目で研究報告し、総合討論も行った。この研究会に先立ち、池松直樹氏・杉谷理沙氏・兒玉良平氏により、肥後国中世地下文書・銘文史料目録が作成された。 (2)2月20日にオンラインで第11回中世地下文書研究会(諏訪ミニシンポジウム)を主催した。この研究会では、岩永紘和氏が「「大祝家文書・矢島家文書」原本調査報告」、金澤木綿氏が「「守矢家文書」原本調査報告」、佐藤雄基氏が「「守矢家文書」における鎌倉時代の文書」、湯浅治久氏が「戦国期の諏訪社造営と「先例」管理―地域権力と地下文書の接点―」という題目で研究報告し、村石正行氏のコメントの後全体討論も行った。(3)畿内・近国班が連携している神奈川大学国際常民文化研究機構の奨励研究のフォーラム「中世熊野の海・武士・城館」が1月23日にオンラインで開催され、本科研グループからは坂本亮太氏が「紀州小山家文書の魅力と可能性」と題して報告し、村上絢一氏がコメント報告を行った。なお、この奨励研究の成果報告書として、3月に『熊野水軍小山家文書の総合的研究』が神奈川大学より刊行された。(4)3月27日にオンラインで中世の荘園制と村落に関する研究会を主催し、朝比奈新氏と似鳥雄一氏が報告して、討論も行った。(5)研究協力者(熊本大学教育学部日本史研究室所属)の協力を得て、日本中世の「浦」関係史料に関するデータベース(全国版)を作成した。
著者
薗部 寿樹
出版者
米沢史学会
雑誌
米沢史学 (ISSN:09114262)
巻号頁・発行日
no.37, pp.145-162, 2021-10-20
著者
坂田 聡 馬部 隆弘 薗部 寿樹 岡野 友彦 吉岡 拓 冨善 一敏
出版者
中央大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究では中世~近代の古文書が個々の民家に連続して残存する京都市右京区京北の山国荘地域をフィールドにとり、作成時期の異なる由緒関係文書(何らかの由緒にもとづき身分的優越性や権益を主張する文書)において繰り返し語られることによって、後世の地域社会の歴史意識を規定することになる伝承が由緒として語られはじめる時期と、その伝承を文章化した主体(百姓自身かプロの文書作成代行業者か)、さらには、かかる伝承が地域の歴史として定着する過程について考察する。また、以上の考察の前提条件として、そもそも近世前期の百姓はどの程度の文章力を有していたのかという問題についても、実証的な検討を加える。
著者
薗部 寿樹
出版者
米沢史学会
雑誌
米沢史学 (ISSN:09114262)
巻号頁・発行日
no.35, pp.107-125, 2019-10-20
著者
薗部 寿樹
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.77, pp.27-52, 1999-03

本論文は、文書の署判の位置に書かれた村落集団の名の下に付された判(「惣判」)や印(「惣印」)について考察したものである。村落が外部に発給した文書の署判の位置に書かれた村落名や村落集団名は、差出人特定のための地名表記にすぎない場合がある。そのために本論文では、単一の村落集団内部で文書としての機能(作成・伝達・伝来)が基本的に完結する村落内部文書に考察対象を限定した。村落内部文書の署判の位置には単なる村落名表記はほとんどなく、村落集団の名称や「定文言」、「衆議文言」が書かれる例が多い。村落集団名の署、定文言、衆議文言などの「惣中文言」は、村落集団の文書制定の意思を署判の位置で明示するものであった。惣判は、一六世紀以降、年寄衆・座衆身分の年寄が、惣中文言に単独で据えた判である。それは、中近世移行期村落の動揺に対して、年寄衆・座衆身分集団がとった村落運営維持策のひとつであった。一七世紀初頭に惣印があらわれる。惣印は、一五世紀末期の都市惣判の形成を背景に、朱印状や都市からの影響による捺印慣行の村落への浸透を直接的な要因として成立した。惣判と惣印は、いずれも惣中文言の正当性を担保するもので、両者に本質的な相違はない。一七世紀中期に惣中文言及び惣判・惣印が消滅し、かわって村落名に判や私印を加えた「村落名署判」が成立する。さらに一八世紀中期、村の名や村の役職名を印文とする「村の公印」が成立する。ただし、村の公印が作られず、村落名署判のまま近代を迎える村が多い。最後に、村落関係文書全般における惣判・惣印の検討、百姓等申状の署判と惣中文言及び惣判との関連、村落名署判へ変化する背景などの課題を提示した。This paper discusses the "Sou-han" and the "Sou-in", which are the seals imprinted under the names of a village group at the signature position in documents.Village names or village group names given at the signature position in documents, when they are issued outside the community, are often written simply to specify the sender's name. Therefore the author limits the discussion to an internal document whose functions (documentation, transmission and preservation) are complete within a village group. In case of internal village-documents, village name descriptions are scarcely observed. Instead, in many cases are found the names of the village group together with the "Sadame-mongon", or the "Shugi-mongon". The "Souchū-mongon" include signatures of the village group name, Sadame-mongon and Shugi-mongon. They were intended to stress the enactment of village documents by locating them at the position of the seal.The Sou-han, being found since the 16th century, is a seal which Tosiyori in the ranks of Tosiyori-shu and Za-shu imprinted personally in the Souchū-mongon. This procedure was one of the policies by which the group of Tosiyori-shu and Za-shu intended to maintain the village management, coping with the shake-up in the transitional periods from the medieval to the modern.The Sou-in appears in the beginning of the 17th century. It originates from the Tosi-Souhan established in cities at the end of the 15th century. The Sou-in becomes established under the direct influence of the Shuinjou and with the spread of seal use from cities to counties. The Sou-han and Sou-in are used to secure the justification of the Souchū-mongon, and there are no practical difference between the two.During the middle of the 17th century, the Souchū-mongon, Souhan and Sou-in disappear, followed by the establishment of the "Sonrakumei-shohan", which features a seal or a private seal printed with the village's name. Then in the middle of the 18th century, the "Village's official seal" appears. It includes the names of villages or the official positions. Many villages, however, arrived at the modern age without having village's official seals.Several issues remain to be discussed in the future : an examination of the Sou-han and Sou-in on village documents in general, the relation between seals on farmer's allegation documents and the Souchū-mongon and Souhan, and the background that gave rise to the change to the Sonrakumei-shohan.