- 著者
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藏本 龍介
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.78, no.4, pp.492-514, 2014-03-31 (Released:2017-04-03)
- 被引用文献数
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上座仏教の出家生活は、社会から離れることを重要な前提とする一方で、社会からの布施に依拠しなければ成立しえないというアンビバレントな特徴をもつ。M.モースの『贈与論』に依拠するならば、こうした出家生活は、成立不可能なものである。なぜなら出家者は布施を受け取ることによって、社会に対して負債を負うことになるからである。実際、上座仏教徒社会の民族誌が明らかにしているのは、社会との贈与交換関係に組み込まれざるをえない出家者の姿である。それでは「出家」という生き方は、不可能なものなのか。いいかえれば、<世俗=贈与交換の世界>を超えることは可能なのか。この問題を明らかにするためには、出家者の視点から社会との関係を捉え直す必要がある。そこで本論文では、ミャンマー(ビルマ)のT僧院を事例として、「出家」を目指す試行錯誤とその帰結を分析する。こうした作業を通じて、上座仏教における教義と実践の複雑で動態的な関係を浮き彫りにすることが本論文の目的である。まず、T僧院がどのように設立され、何を目的としているかを分析する。そしてT僧院においては、「出家」を実現することこそが、出家者だけでなく在家者をも利することになるという、独特な布教観がみられることを示す。次にこうした<出家=布教>の挑戦は、具体的には(1)「森」に住む、(2)社会と贈与交換関係を築くことの拒絶という、徹底した社会逃避的な態度として現れていることを確認する。最後に、実際にT僧院はミャンマー社会にどのように受け入れられているかを分析する。そしてT僧院の<出家=布教>という挑戦は、仏教に目覚めた都市住民と結びつくことによって、出家者についてまわる(1)経済的リスクと(2)崇拝対象となるリスクを回避しえていることを示す。このようにT僧院の事例は、「出家」という形式が、出家者と在家者双方の努力と理解によって実現可能であるということを示唆している。