著者
高野 信治
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本研究は日本近世の宗教世界を近世的「神」観念としてとらえ、民俗神・権力神・民族神という範疇を措定し、とくに申請者の研究履歴に照らし、権力神を中心にすえながら三者の関係性と変容の検討を目的とした。具体的には以下の二点に目的とその成果は要約できる。第一の目的は、民俗神と武家権力神との関係性の解明である。権力神とは藩主(藩祖)や夫人、家中、さらに新田義貞等南朝方武将など、神格化された武家領主に関わる人物を想定している。民俗神の集団神的側面との関連では神格化された武家領主(権力神)の地域社会におけるシンボルとしての可能性が浮かび上がってきた。これは地域社会集団の成り立ち・歴史性と武家領主の関係性の指摘につながる。また「仁政」を展開した藩主・家中の民衆による神格化の事例収拾とその解析を行った。領主権力の政治支配は民衆の生活のあり方に直接関係し、生活に利益をおよぼす領主(藩主・代官など)が人神となるパターンの検出を通じて近世民衆の領主像がある程度明らかになったのではないかと考える。第二の目的はかかる第一の目的をうけ、さらに権力神という視角からみた武家集団のアイデンティティのあり方と民族神・民俗神との関わりの考察であった。ここでは各藩における藩主(祖)神の事例をできるだけ収拾しながら、その成立の契機や性格などを、具体的な政治のあり方と相即させ分析した。藩主神の措定は藩の危機的状況下で、家臣団の統合イデオロギーの再生産装置としてなされるとの見方があるが、そこには武家領主集団・藩の自己認識・歴史意識が検出できた。そしてそのような武家領主の神格を民衆側が地域社会の精神的な核としてとらえ返す動向が、とくに近代都市形成のなかで顕著にあらわれてくる、つまり武士階層が歴史的に解消したのちに武士神格の意味が大きくなっていく見通しを得るにいたった。
著者
高野 信治
出版者
九州大学大学院比較社会文化研究院
雑誌
障害史研究
巻号頁・発行日
no.2, pp.63-77, 2021-03-25

本稿は、近世日本の日記史料にみえる生活史としての病気記録より、前近代における障害認識の一端に迫る可能性を探ることを課題とする。 / 分析対象は、広島藩家臣で儒者の頼春水と妻・静子がそれぞれに綴った日記である。春水は藩への召し抱え、静子は広島在住を契機に、日記をつけ始め、亡くなるまで、夫・父また妻・母として、それぞれに日々の生活を書き続ける。その中には家族の病気に関する記事が多数見いだせるが、史料的にも希有なかかる日記の特色を整理する。 / その作業を前提に、病気や障害認識への議論を進める。泰平で家職に精勤するのが「家」相続の価値観として重視される近世日本の時代性のなか、健康や病気への関心の高まりが想定されるが、個人の日記が、その実態や認識をめぐり重要な手がかりを与えてくれるのを、頼春水夫婦、とくに妻・静子の日記は教える。現代医学の観点(医学史)からの検証とともに、病気との境界があいまいでスペクトラムの関係ある障害の認識が、社会性(社会生活を営む上での適正)や人間性(仕事に精勤できる健康な心身)の欠如という考え方を背景に形成される様相を、長男(頼山陽)が「狂病」「癇狂」の「持病気」を理由に廃嫡(嫡子としての地位の剥奪)されたことを軸に考察する。The purpose of this paper is the precipitation of recognition of disability in pre-modern times. The subject of analysis is a diary from the Edo period, including articles on illness. In the Edo period, interest in health and illness increased, and against this background, information on family illnesses is described. I think that there is a possibility to find out the recognition about disability in it. The subject of analysis is a diary written by a Confucian scholar of the Hiroshima Domain (広島藩) and his wife. Confucian scholars are vassals of their lords and value the survival of their family. Therefore, the ability of the person to continue the family is an important issue. A person who behaves abnormally and is recorded in the diary as a madman is considered incapable of inheriting a family line. Such persons were considered disabled. / In this paper, we consider such a problem by focusing on Rai Sanyo (頼山陽), a child of Rai Shunsui (頼春水).
著者
高野 信治
出版者
九州大学大学院比較社会文化学府
雑誌
比較社会文化 (ISSN:13411659)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.27-49, 2007

Natural disaster such as a drought or a heavy rain destroys environment of a farm village. On this account farmers poor economically increase and they throw away the cultivated land and come to run away from a farm village. Decrease of farming population becomes a big burden for daimyo finance. Quantity of agricultural production decreases, and the yield of taxes to the government decreases. The government carries out a policy to relieve a poor farmer. For example, the government provides it with food and money for relief for a farmer temporarily. However, a farmer is not satisfied with a relief system of the temporariness when the government performs it. The relief system that the government holds protects a rich farmer. However, a relief measure is insufficient for a very poor farmer. In other words this relief measure is unequal. On this account a phenomenon that a farmer runs away from a farm village is not finished. Because they think unless enough relief is taken. However, the government must stop such an economic vicious circle. The government takes new means. It is a policy to give new people the abandoned cultivated land. They did work looked down upon and lived a poor life. It is work considered to be vulgar processes the body, and to make Japanese sandals. The people who had been discriminated against got the cultivated land and got possible to earn a stable income. It was the thing that was epoch-making for their history that had own cultivated land. Because they did not have means of main production till now. This is the original policy that is not examined in daimyo territory nearby. However, the people continued discriminating against them even if some their life became rich. Rather I can point out that a discrirr}inatien pollcy was strengthened socially more in the latter half of the Edo era. Social discrimination is not broken off by the economic richness.
著者
高野 信治
出版者
九州大学大学院比較社会文化研究院
雑誌
障害史研究
巻号頁・発行日
no.1, pp.35-50, 2020-03-25

本稿は障害者の実態析出は重要な課題と考える立場から、従来ほとんど見られない、地方(じかた)記録を対象にした実態解析を試みる。その際、長い時間軸のなか、同じ地域での定点観測が可能な記録を選択する。様々な地域記録類の複合的な分析は必要だろうが、当面、一地域での観察による問題群の析出を優先させる、そのような意図からである。具体的には、和歌山藩田辺領の町役人たちによる記録により、障害者の葛藤や生活の実相を可能な限り 検証し、整理した。
著者
高野 信治 山本 聡美 東 昇 中村 治 平田 勝政 鈴木 則子 山田 嚴子 細井 浩志 有坂 道子 福田 安典 大島 明秀 小林 丈広 丸本 由美子 藤本 誠 瀧澤 利行 小山 聡子 山下 麻衣 吉田 洋一
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2019-04-01

近年、欧米では前近代をも射程に身心機能の損傷と社会文化的に構築されたものという二つの局面を複合させて障害を捉え、人種、性(身体上)、民族の差異よりも、障害の有無が人間の区別・差別には重要とされる。日本では、かかる視角の研究はなく、障害は近代の画期性が重視される。しかし福祉問題の将来が懸念されるなか、比較史的観点も踏まえた障害の人類史的発想に立つ総合的理解は喫緊の課題だ。以上の問題意識より、疾病や傷害などから障害という、人を根源的に二分(正常・健常と異常・障害)する特異な見方が生じる経緯について、日本をめぐり、前近代から近代へと通時的に、また多様な観点から総合的に解析する。
著者
服部 英雄 五味 文彦 神田 由築 高野 信治
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

差別される環境に耐えて、力強く生きた人びとの歴史を明らかにした。これまでの歴史叙述では賤民視された彼ら彼女らは貧しく劣悪な環境におかれ、虐げられた生活のみを強いられたとされてきた。それは一面ですべてではない。教科書には河原ノ者は河原に住んだと記述するものがある。このような歴史理解では、子孫が祖先の活動を誇ることはできない。「ムラ」がなかなかに解体しなかったのはなぜか。富みは確実にあった。皮革製品・製作加工業の独占である。海外交易にても不足を補充、富みを蓄積した。周囲の目は残酷で冷たかったが、かばいあうムラの中は暖かく、一般ムラよりもむしろ真に人間らしい、やさしさがあった。
著者
横山 伊徳 中野 等 箱石 大 杉本 史子 高野 信治 吉田 昌彦 井上 敏幸 井上 敏幸 梶原 良則 小宮 木代良 杉本 史子 高野 信治 宮崎 修多 吉田 昌彦
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

天領豊後日田の広瀬家に伝わる未整理の史料群(大分県日田市・広瀬資料館所蔵「広瀬先賢文庫」)について文書構造を検討して目録を作成し、研究・教育に活用可能な状況を創り出した。また、同史料に基づく共同研究を実施し、近世後期から幕末維新期にかけての広瀬家を中心とする地域ネットワークの実態を、政治情報・経済情報・思想言説という、三つの視角から究明し、報告書にまとめた。