著者
大内 田鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.20-34, 1982-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
38

今日まで「都市の類型学」をM・ウェーバーの科学方法論と結びつけて解釈する試みは殆んどなされていない。しかし、ウェーバーがG.フオン・ベローに宛てた手紙と、「古代農業事情」の末尾に付けられた注の内容とに注意してみると、「都市の類型学」は因果帰属の問題と関連をもつように思われる。特に後者は都市比較論についての覚書であり、その方法的手続は論文「文化科学の論理の領域における批判的研究」で展開されている客観的可能性判断と適合的因果帰属の思考図式に対応している。このためウェーバーが都市の歴史的具体的研究を行いながら並行して、客観的可能性判断と適合的因果帰属の方法論的実験と試行錯誤を繰り広げていたことが考えられる。「都市の類型学」の錯綜した構成はその結果であろう。このような観点から「都市の類型学」を方法論的に精査し合せてウェーバーの論理学的な主張を再検討すると次のような諸問題が明らかになる。第一に、「都市の類型学」はウェーバーの歴史学的接近法から独自の社会学的接近法への方法論的転換期に位置づけられる。第二に、右の位置づけの論理的基礎づけをそれが与えるのであるが、客観的可能性判断と適合的因果帰属の思考図式は、「理論」と「歴史」との関係を明らかにし、社会学の理論の性格を理解する上での示唆を与えている。
著者
澁谷 智子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.435-451, 2005-09-30

本論文では, 耳の聞こえないろう者が出す発音の不明瞭な「ろうの声」が, 聞こえる人に「逸脱」として認識され, スティグマ化される現象を取り上げる.「ろうの声」は動物や怪獣といった「原始性」と結び付けられる一方で, 表象空間においては美化され, 感動の演出に使われてきた.しかし, こうした扱いと, かつて手話に向けられていたまなざしには, 類似点が認められる.今日, 手話が社会で肯定的に受け入れられている事実からは, スティグマ化の過程が社会の解釈によって大きく左右されることが示唆される.<BR>論文の後半では, ろうの親をもつ聞こえる人々の語りに焦点をあてる.この人々は, 親の印象操作を行う一方で, 親の声に対する自らの愛着も強調している.「ろうの声」に対する否定的な見方は必ずしも普遍的なものではなく, 聴者社会の規範を学ぶことで獲得されるのである.<BR>しかし, 「ろうの声」に対する聴者側の違和感は, 異なる文化や言語に対する違和感と違って, あまり表立って語られることがない「障害者を差別してはいけない」という道徳意識のためか, その違いはまるで存在しないかのように扱われやすい.しかし, 潜在的に生じる緊張感は, 聴者がろう者に深く関わるのを避ける要因の1つにもなっている.この違いを認識し, 聴者社会があたりまえに捉えている思考を見直すことは, 「文化」と「障害」の構造を考えるうえで有意義な視点を与えてくれるであろう.
著者
李 洪章
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.168-185, 2010-09-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
20

本稿は,朝鮮籍を有する若い世代の在日朝鮮人の語りから,彼らのナショナル・アイデンティティについて考察し,さらには彼らが政治的/社会的に不利な状況を打破するために打ち立てる生存と連携のための戦略のあり方を明らかにするものである。朝鮮籍者は,在日朝鮮人の法的地位が変遷していくなかで,一貫して管理対象として取り扱われ,「無国籍者」あるいは「北朝鮮国民」として一方的に規定されてきた.ただし,こうした管理体制のもとで,朝鮮籍者が一貫して受動的な生を営んでいるわけではない.朝鮮籍者はみずからが維持している朝鮮籍を,あらゆる眼差しを受けながら解釈しなおし,朝鮮籍に積極的な意味づけを行おうとする.また,こうした実践は,つねに日本人/日本籍者/「ダブル」など,異なる他者との日常的なコミュニケーションのなかで行われる.それゆえ,朝鮮籍問題をめぐる連帯構築に向けた模索からは,日常生活に根ざした「権力性を伴わない開かれた連帯」の可能性をうかがい知ることができる.
著者
挟本 佳代
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.192-207, 1997-09-30

スペンサーが「人口」に注目したのは偶然ではなかった。彼にとって人口は, 産業社会の理論的根幹である「社会契約」から発生した諸問題を受け継いでいることを明白に認識させる, 重要な要素であった。スペンサーのいう「産業型社会」は決して理想的な社会ではなく, むしろ人間社会が内包している問題を提示した社会であった。このことは, 『社会学原理』『人間対国家』という彼の労作の中で明示されている。そこで提示された問題は, 特にスペンサーに対するデュルケムの評価を考察することによって浮上してくる, 重大な問題であった。「人口」概念には統計的な数量概念のみならず, 「個人-全体」「自然-人為」「有機体説-契約説」という二律背反が内包されている。スペンサーは社会学に対し, これら前者の重要性を初めて提示した。<BR>社会学の形成期において, 人口および群相と個相という生物学的概念の重要性に着目したスペンサーは社会を一個の有機体であると見做す独自の理論を発展させていった。彼にとって, この社会有機体説は決してアナロジーではなく, 社会が有機体そのものである, との主張を示したものであった。スペンサーの社会有機体説の核心は, 人間社会も生物社会同様, 社会を群相として捉えるべきであるとの主張にあった。それゆえ, 彼は生物学から多くを学び, 議論を展開する必要があったのである。スペンサーのこの主張は, レヴィ=ストロースによる文化人類学的見地から考察すると一層明瞭になる。
著者
立石 裕二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.931-949, 2006-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
26
被引用文献数
1 1

科学委託とは, 行政が科学者に研究を委託し, その結論をもとに政策を実施する仕組みである.これまでの環境社会学は, 科学者を被害者と加害者の対立構造の中で捉えがちで, 科学者がそこから自律して動く可能性が十分に捉えられていなかった.本論文は, イタイイタイ病, 熊本水俣病, 四日市喘息を事例に, 科学と社会が自律しながらも相互作用するという観点に立って科学委託を分析することで, 科学委託を批判的に検討するための枠組みを提供することを目的とする.科学委託は, 研究内容が研究者に委ねられる自主型, 行政が特定調査を研究者に委託する限定型, 既存知見のとりまとめを委託する審議型の3形態に分けられる.科学委託の持つ意味は, 科学的知見が蓄積される前後で異なる.当該問題で知見が蓄積される前の自主型委託では, 学術的業績を挙げられる見込みが高く, 学術動機から研究者が積極的に取り組みがちである.業績を挙げた研究者は, 被害者側に立って積極的に研究・発言するようになる.これに対し, 蓄積後の委託や, 蓄積前でも研究内容の限られる限定型・審議型の委託では, 業績を挙げられる見込みが低く, 研究者は消極的に振る舞いがちであり, 意見が途中で変化しにくいため, 最初の人選が重要となる.こうして進められた科学委託は, 行政の姿勢や研究者のとりまとめ志向, 世論などに影響されつつとりまとめられ, 世論と相互作用しながら政策実施につながる.
著者
津田 真人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.406-420,479, 1991-03-31

本稿の目的は、デュルケームの著作から、これまで十分に着目されることのなかった〈アスピラシオン〉の概念を掘りおこし、そのことをとおして、デュルケーム社会理論の可能性を、新たな角度から照らし出そうとするものである。<BR>序章ではまず、『自殺論』におけるエゴイスムとアノミーの概念を一瞥し、これらがデュルケームにとって時代の危機の集約的な表現であったことを確認する。<BR>そのうえで第二章では、これら二つがともに欲求の理論であることを、後期へと至るデュルケームの理論的展開に即して明らかにし、エゴイスム論の延長線上にアスピラシオン論が結実してくることを示す。<BR>続く二つの章では、アスピラシオン論が具体的な現実分析においてどう生かされているかを見る。宗教的儀礼における集合的沸騰の問題 (第三章) と変革期における価値創造の問題 (第四章) が、その二つである。この帰結として第三章では、デュルケームの宗教論が一種独特の欲求論でもあること、第四章では、デュルケームには〈集団的主意主義〉とでもいうべき社会変動論が存在していたことが明らかになるだろう。<BR>最後にしかし、宗教論と社会変動論を統括するこうした独自の視角の負の面にも、簡単に考察を加えておきたい。
著者
日比野 愛子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.554-569, 2010-03-31
被引用文献数
3

本稿では,科学技術に対する態度におけるDK(don't know,「分からない」)回答の意味を質問紙調査から明らかにする.筆者らは2004年に「バイオテクノロジーに関する意識調査」を日本で実施し,541名の成人男女から回答を得た.数量化III類を用いてDK回答の出現パタンを分析した結果,(1)DK回答群が肯定的回答群/否定的回答群の軸から独立して分離するパタン(疎外的DK)と,(2)DK回答群が肯定的回答群/否定的回答群の軸の中に位置づけられるパタン(両義的DK)が見出された.疎外的DKを顕著に示す層は知識量が相対的に少ないという特徴をもっていた.一方,両義的DKの出現は,回答者個人の知識の多寡によらず,科学技術の問題を消費者個人の選好や利用行動に内在化させる質問状況で顕在化していた.2つのDKの意味は,それぞれ,科学技術という主題における主体的かつ二分法的態度をもつ市民像の問題点を示し,社会的意思決定プロセスでの意識調査の位置づけに再考を迫るものである.
著者
小山 裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.37-51, 2010-06-30

本稿の目的は,ニクラス・ルーマンが『制度としての基本権』(1965年)において最初に提示した機能分化社会という秩序表象が立つ共時的・通時的連関の解明にある.共時的な観点からは,ルーマンの機能分化社会理論が,公共性や公的秩序といった概念を手がかりとした,ドイツ的国家概念の批判という,同時代のドイツ連邦共和国の理論家の幾人かに共通して見られる試みの一ヴァージョンであったことが示される.ルーマンの機能分化概念は,かかる国家概念を支える19世紀ドイツの社会構造と見なされていた国家と社会の二元主義へのオルタナティヴであった.通時的な観点からは,機能分化社会という秩序表象がカール・シュミットの全面国家との比較から分析される.ルーマンは,シュミットのいう社会の自己組織化を,社会全体の政治化による自由なき全面国家の成立と見なし,それを批判するために機能分化を維持するためのメカニズムを探求した.政治システムの限界づけを志向するという点で,初期ルーマンの機能分化社会理論は,19世紀の市民的自由主義の自由主義的な再解釈であったと特徴づけることができる.
著者
谷本 奈穂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.286-301, 1998-09-30

従来, 研究対象として無視されがちであった恋愛に関する言説を分析し, 恋愛の社会的物語を明らかにする。また分析素材として雑誌記事を採り上げるが, その方法として, 個々の記事を社会的物語の「断片」と捉え, それらを一つの物語として「復元」するというやり方を提案する。また, その際には物語記号論と物語論を援用する。分析の結果, 見えてきた現代的恋愛モデルは, (1) プロセスが肥大し結末は延期された, (2) 享楽的で苦しみを最小化している, というものである。更に, このモデルを生み出し, また受け入れる読者 (若者) の心性は, 以下のような側面を持つと解釈できる。 (1) 結果よりプロセスを大事にする。 (2) 仲間内でシェルターの中に閉じこもる。 (3) 最終決定を避けようとする。