著者
矢澤 修次郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.317-326, 2014

本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 両学会の関係の歴史をたどることによって, 第18回世界社会学会議成功の意味を考え, その意味を発展させるためには, 日本社会学会, 日本の社会学者, 国際社会学会は, 何をなすべきかを明らかにしようとしたものである.<br>著者によれば, 第18回世界社会学会議成功の意味は, 1. 会議の歴史上最多の参加者を記録したこと, 2. ヨーロッパクラブと言われていた国際社会学会の特徴を修正したこと, 3. 世界社会学会議のグローカル化に成功したこと, 4. 日本の「社会学の国際化」を推進したこと, 5. 世界社会学会議の自己評価を達成した, ことである. 最後に本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 日本の社会学者の今後取り組むべき課題を指摘する.
著者
矢澤 修次郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.317-326, 2014

本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 両学会の関係の歴史をたどることによって, 第18回世界社会学会議成功の意味を考え, その意味を発展させるためには, 日本社会学会, 日本の社会学者, 国際社会学会は, 何をなすべきかを明らかにしようとしたものである.<br>著者によれば, 第18回世界社会学会議成功の意味は, 1. 会議の歴史上最多の参加者を記録したこと, 2. ヨーロッパクラブと言われていた国際社会学会の特徴を修正したこと, 3. 世界社会学会議のグローカル化に成功したこと, 4. 日本の「社会学の国際化」を推進したこと, 5. 世界社会学会議の自己評価を達成した, ことである. 最後に本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 日本の社会学者の今後取り組むべき課題を指摘する.
著者
長谷川 公一
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.308-316, 2014

第18回世界社会学会議は, 2014年7月13日から19日まで, 横浜市のパシフィコ横浜を会場に開催され, 無事終了した. 国際社会学会の世界社会学会議 (World Congress of Sociology) は4年に1度開催される社会学界最大の学術イベントである. 本稿では, 組織委員会委員長というホスト国側の責任者の立場からこの会議の経過と意義を振り返り, 本大会の成果を今後に引き継ぐための課題を提起したい.<br>1960年代以来, 長い間先送りされてきた世界社会学会議の開催がなぜ2014年大会の招致というかたちで実現したのか, その背景は何だったのか. 開催都市に横浜を選んだのはなぜか. 組織委員会をどのように構成したのか. 世界社会学会議横浜大会は, これまでの世界社会学会議と比べてどのような特徴をもつのか. 組織委員会として, 組織委員長として, どのような課題に直面し, 腐心したのか. 横浜大会の成果と意義は何か. 横浜大会はどのような意味で「成功」といえるのか. 横浜大会の成果を, 研究者個々人が, また日本社会学会がどのように継承していくべきかを考察する. 日本の社会学の国際化・国際発信の重要なワンステップではあるが, 横浜大会は決してゴールではない. 日本社会学会は, 日本の社会学の国際的な発信を, 引き続き組織的にバックアップしていくべきである.
著者
長谷川 公一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.308-316, 2014

第18回世界社会学会議は, 2014年7月13日から19日まで, 横浜市のパシフィコ横浜を会場に開催され, 無事終了した. 国際社会学会の世界社会学会議 (World Congress of Sociology) は4年に1度開催される社会学界最大の学術イベントである. 本稿では, 組織委員会委員長というホスト国側の責任者の立場からこの会議の経過と意義を振り返り, 本大会の成果を今後に引き継ぐための課題を提起したい.<br>1960年代以来, 長い間先送りされてきた世界社会学会議の開催がなぜ2014年大会の招致というかたちで実現したのか, その背景は何だったのか. 開催都市に横浜を選んだのはなぜか. 組織委員会をどのように構成したのか. 世界社会学会議横浜大会は, これまでの世界社会学会議と比べてどのような特徴をもつのか. 組織委員会として, 組織委員長として, どのような課題に直面し, 腐心したのか. 横浜大会の成果と意義は何か. 横浜大会はどのような意味で「成功」といえるのか. 横浜大会の成果を, 研究者個々人が, また日本社会学会がどのように継承していくべきかを考察する. 日本の社会学の国際化・国際発信の重要なワンステップではあるが, 横浜大会は決してゴールではない. 日本社会学会は, 日本の社会学の国際的な発信を, 引き続き組織的にバックアップしていくべきである.
著者
野宮 大志郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.327-335, 2014

研究の国際化に伴い, ISAの大会に参加する日本人は急速に増加している. ISAのリサーチ・コミティを, 今後どのように各自の研究に活かせばよいか. その方策を探るのが本稿の目的である. ISAのリサーチ・コミティを研究者組織として見た場合, いくつかの際立った特徴がある. 本稿では, それらの特徴を他の研究組織の特徴と比較しながら, 明示化する. その後, リサーチ・コミティを舞台として国際共同研究を進めるためには, どのような個人戦略や注意が必要になるか, 共同研究に伴うリスクを交えながら論じる.
著者
野宮 大志郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.327-335, 2014

研究の国際化に伴い, ISAの大会に参加する日本人は急速に増加している. ISAのリサーチ・コミティを, 今後どのように各自の研究に活かせばよいか. その方策を探るのが本稿の目的である. ISAのリサーチ・コミティを研究者組織として見た場合, いくつかの際立った特徴がある. 本稿では, それらの特徴を他の研究組織の特徴と比較しながら, 明示化する. その後, リサーチ・コミティを舞台として国際共同研究を進めるためには, どのような個人戦略や注意が必要になるか, 共同研究に伴うリスクを交えながら論じる.
著者
内藤 準
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.390-408, 2014

「機会の平等」は現代社会の最重要な規範的原理の1つであり, 階層研究では「完全移動」 (親子の地位の独立) として解釈されてきた. しかし近年この考え方に対しては「親子の地位の関連は平等な機会のもとで本人たちが形成した選好に基づく選択の結果でありうる」という強力な理論的批判が提示されている (個人選択説). そこで本稿では, 階層研究における機会の平等概念の理論的分析をおこない, 完全移動や結果の平等との関係を再検討する. そして, 完全移動を機会の平等の指標とする伝統的なアイデアを個人選択説の批判から救い出すことを試みる.<br>先行研究の検討とシンプルな理論モデルを用いた分析から以下のことが明らかになる. 第1に, 階層の再生産に関するいくつかの社会のタイプのうち, 機会が平等な社会は, 本人の地位が親の地位によってではなく本人に責任のある個人的要因によって規定されることを条件とする. 第2に, 機会の平等は完全移動を含意するが, 完全移動は「個人の責任」を考慮しないため機会の平等を含意せず, 両者はこの点で異なる. 第3に, 機会の平等を完全移動とする従来の考え方は個人選択説の批判を避けられない. だが分析対象である「社会階層」を適切に定義する分析枠組みをおけば, 選好形成に関する個人選択説の仮定が成立しなくなり批判は解除される. 最後に, 本稿の知見がもたらす今後の研究への方法論的含意と規範理論的課題への社会学的アプローチを示す.
著者
内藤 準
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.390-408, 2014

「機会の平等」は現代社会の最重要な規範的原理の1つであり, 階層研究では「完全移動」 (親子の地位の独立) として解釈されてきた. しかし近年この考え方に対しては「親子の地位の関連は平等な機会のもとで本人たちが形成した選好に基づく選択の結果でありうる」という強力な理論的批判が提示されている (個人選択説). そこで本稿では, 階層研究における機会の平等概念の理論的分析をおこない, 完全移動や結果の平等との関係を再検討する. そして, 完全移動を機会の平等の指標とする伝統的なアイデアを個人選択説の批判から救い出すことを試みる.<br>先行研究の検討とシンプルな理論モデルを用いた分析から以下のことが明らかになる. 第1に, 階層の再生産に関するいくつかの社会のタイプのうち, 機会が平等な社会は, 本人の地位が親の地位によってではなく本人に責任のある個人的要因によって規定されることを条件とする. 第2に, 機会の平等は完全移動を含意するが, 完全移動は「個人の責任」を考慮しないため機会の平等を含意せず, 両者はこの点で異なる. 第3に, 機会の平等を完全移動とする従来の考え方は個人選択説の批判を避けられない. だが分析対象である「社会階層」を適切に定義する分析枠組みをおけば, 選好形成に関する個人選択説の仮定が成立しなくなり批判は解除される. 最後に, 本稿の知見がもたらす今後の研究への方法論的含意と規範理論的課題への社会学的アプローチを示す.
著者
鳶島 修治
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.374-389, 2014

本稿の目的は, 学業面の主観的能力を表す「学力に関する自己認知」 (以下, 学力自己認知) という媒介変数の役割に着目した検討をとおして, 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の因果的メカニズムの解明に貢献することである. この目的を達するため, 学力自己認知の指標として学業的自己概念と学業的自己効力感を使用し, 「高校生の教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説の検証を行った. PISA2003の日本調査データを用いて固定効果モデルによる分析を行った結果, (1) 男子は女子よりも教育期待が高く, 出身階層が高いほど教育期待は高いこと, (2) 数学の学力を統制したうえでも男子は女子に比べて数学の自己概念・自己効力感が高いこと, (3) 出身階層が高いほど数学自己効力感は高いこと, (4) 数学自己効力感は教育期待に対して数学の学力とは独立した正の効果をもつことが示された. (5) また, Sobel testによる間接効果の検定を行ったところ, 数学自己効力感を媒介した性別と出身階層の間接効果はいずれも有意であり, 「教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説は数学自己効力感に関して支持された. 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の生成メカニズムを考えるうえでは, 学力自己認知 (特に学業的自己効力感) という媒介変数の役割に注目する必要がある.
著者
田中義久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.20-40,102, 1967-06-01 (Released:2009-11-11)
参考文献数
54
著者
佐藤 智雄
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.23-38, 1953-04-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
20

There are already many studies of media and content of mass communication, but the effect of its content remains to be carefully studied. In accordance with the classification adopted by messrs. Berelson and Merton the content of mass communications may be divided into emotional and rational components. This article points out that rational content alone is not sufficient to achieve the desired effects because it can not be understood by mass audiences. The role of personal communication in bridging interrupted communication channels and the image of the transmitter of opinion in its relationship to the structure of the group sponsoring the opinion are discussed. Transmitters of opinion are classified into three types according to their degree of leadership and the functions performed by each of them in the community are then touched upon. This leads to a consideration of the structure of mass communication and points out the danger that the content of communication will be further distored by personal prejudices and propagandistic intentions.