著者
高畑 幸
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.504-520, 2012-03-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
24
被引用文献数
4 5

本稿は, グローバリゼーションに伴い新たに創出された地域性としての異種混交化 (町村2006) が進む地域において, そこで生まれる新しい社会問題や社会的緊張の緩和に移民女性たちが果たしてきた役割を明らかにすることを目的とする.名古屋市中区の繁華街・栄東地区は, 1980年代初頭からフィリピン人女性の就労が多かった場所である. ここでは, 1997年からフィリピン人の組織化が進み, 2000年には複数の組織が合同で事務所を借りて「フィリピン人移住者センター (Filipino Migrants Center: FMC)」を開設した.ここは, 繁華街における外国人コミュニティの中で, 日本社会の一番近くにある「窓」として機能する. そして彼女らはインナーシティの地域活性化への人的資源ともなってきた. その背景には, 移民女性に特徴的な「弱者性」が定住を促進したこと, また日本の政策・施策も「外国人の定住と多文化共生の地域づくり」の担い手を必要としてきたことがある.すなわち, 栄東地区においては, 剥奪的状況に置かれた移民女性と地元住民・行政との結合的関係がまず作られ, 彼らの「共生事業=窓」を通じて関係が保たれた. そして, 地域で移民男性が関わる問題が発生すると, その窓を利用して彼らと地域住民との対話が図られ, 地域が抱える新たな社会問題や社会的緊張への解決が試みられてきたと言えよう.
著者
山下 祐介
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.428-441, 2012-03-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

本稿では, 戦後日本社会における都市・村落の社会変動を, 社会移動および世代の観点から議論する. まず, 社会変動と社会移動の関係について確認したうえで, 日本社会の戦後史を地域間移動の観点から整理する. ここからは, 基本的には地域解体の様相が導かれるが, 他方で家族と世代という側面からこの社会史をひもとくと, 適応の側面も現れる. こうした議論のうえで, 戦後数十年の移動の展開結果として現れてきた, 広域システムの形成という観点から, 現在を位置づけてみたい. 社会移動を通じた広域システムの形成が, 今後さらにどのような社会変動へとつながるのかについては検討が必要だが, ここではこうした広域システムがもつリスクと, リスク回避の主体形成のあり方, そこで行われる意思決定過程について考察を行い, 21世紀の日本社会のあり方を, 現時点で可能な範囲で読み解く作業を行った.
著者
長島 祐基
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.344-361, 2021 (Released:2022-12-31)
参考文献数
38

本稿ではP.ブルデューの作品受容研究の視点から,国民文化全国集会を事例として1950 年代の大衆的な作品発表会における参加者の作品受容の差異とそうした差異が発生する要因を考察した.近年のサークル研究は作品創造を通じた作り手の主体形成や,作品を通じた作り手と受け手の共感の形成を指摘してきた.一方で大衆的な作品発表が多様な観客に与えた影響の差異や,そうした差異が生じる要因は詳細に検討されてこなかった.本稿では分析を通じて既存のサークル研究が提示してきた運動像の乗り越えをはかるとともに,美術館を対象とするブルデューの作品受容論から文化運動の作品発表会を捉える際の 意義と課題を検討した. 国民文化全国集会の参加者の態度表明には学生,文化団体関係者,労働者といった参加者が所属する運動における作品の位置付けや,作品発表団体の文化的差異が影響した.この点でブルデューの作品受容論は大衆的な作品発表会における作品受容を捉える上で有用である.ただし,こうした社会各層毎の作品受容の差異は作品のコンセプト(「コード」)の提供不足や参加者相互の交流の不在という条件下において生じたものであり,一連の条件が変化していれば作品受容は異なる形になった可能性がある.また,絵画を対象としたブルデューの作品受容論では,演劇など他ジャンルの作品受容を十分に捉え切れない面がある.これらの点はさらなる検討が必要である.
著者
清水 亮
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.241-257, 2021 (Released:2022-12-31)
参考文献数
67

冷戦期にアメリカで確立した軍事社会学は同時代の軍隊・軍人・民軍関係などを中心的主題とし,軍事組織への積極的な社会調査を実行し,西側諸国を中心に国際的に普及した.これに対して日本では軍事社会学は長らく輸入されず,総力戦の社会的影響や経験・記憶の探究を中心に近年「戦争社会学」というかたちで学際的な研究が集積しつつある.しかし,日本にも社会学の軍隊研究は存在し,軍事社会学を参照した研究者も皆無ではない.本論の目的は,軍事社会学を参照した社会学者による軍隊研究の検討を通して,国際的に普及している軍事社会学と,日本社会学の軍隊研究との位置関係ならびに,ありえた接続可能性を明らかにすることにある.まずアメリカにおける軍事社会学の確立と各国における受容状況,日本の社会科学の隣接分野における軍事社会学との接点について検討した.そして冷戦期日本社会学における軍事社会学の参照状況として,従来から注目されてきた文化論的な戦争研究に加え,産業社会学からの組織・職業論の理論枠組みへの関心,ならびに教育社会学のエリート論からの実証研究の試みを明らかにした.それらは相互参照がなく孤立していた.しかし,軍事社会学の枠組みの直輸入でも,狭義の政軍関係論的展開でもなく,日本社会学との接続および戦後日本特有の実証的研究対象の発見によって,軍隊と社会の関係性に関するユニークな認識を生産しえたものだった.
著者
赤川 学
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.20-37, 2005-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
19
被引用文献数
2

「男女共同参画が実現すれば, 出生率は上がる」.これは現在, もっとも優勢な少子化言説である.本稿ではリサーチ・リテラシーの手法に基づいて, これらの言説と統計を批判する.第1に, OECD加盟国の国際比較によると, 女子労働力率, 子どもへの公的支出と出生率のあいだには, 強い正の相関があるようにみえる.しかしこのサンプルは, しばしばしばしば恣意的に選ばれており, 実際には無相関である.第2に, JGSS2001の個票データに基づく限り, 夫の家事分担は子ども数を増やすとはいえない.第3に, 共働きで夫の家事分担が多い「男女共同参画」夫婦は, 子どもの数が少なく, 世帯収入が多い.格差原理に基づけば, 彼らを重点的に支援する根拠はない.第4に, 政府は18歳以下のすべての子どもに, 等しく子ども手当を支給すべきである.それは, 子育てフリーライダー論ではなく, 子どもの生存権に基礎づけられている.現在の公的保育サービスは, 共働きの親を優先している.親のライフスタイルや収入に応じて, 子どもが保育サービスを受ける可能性に不平等が生じるので, 不公平である.もし公的保育サービスがこのような不平等を解決できないなら, 民営化すべきである.最後に, 子ども手当にかかる財政支出は30歳以上の国民全体で負担しなければならないが, この支出を捻出するには, 3つの選択肢がありうると提案した.その優先順位は, (1) 高齢者の年金削減, (2) 消費税, (3) 所得税, である.この政策により, 現行の子育て支援における選択の自由の不平等は解消され, 年金制度における給付と拠出の世代間不公平は, 大幅に改善される.
著者
天野 正子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.30-49, 1972-01-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
5
被引用文献数
10 2

The main purpose of this article is to elucidate the process by which the occupations in the modern society are professionalized, through a case study of the nurse in Japan. The nurse is still considered as a semi-profession in Japan. Why is it ? In conclusion, it is due to the fact that there still remains a big distance between the nurse and “full-fledged professions” in that the nurse lack autonomy or a wide range of freedom as individuals and groups' and speciality to guarantee the autonomy or a system of highly professionalized knowledge and technology, both of which constitute a basic requirement of professions. In other words, the central questions in professionalization of the nurse are : firstly, how to establish their “speciality” based on the systematized knowledge and technology, and secondly, how to free themselves from subordination to medical doctors amidst the rapidly bureaucratizing organization of hospitals and thus to establish their “speciality”. The answers to these two questions have so far been sought in the improvement of training and certification system of the nurse and in the movements for obtaining rights as laborers. This article, however, intends to examine the structure of attitudes and opinion of nurses toward the situations and meaning of the occupation in which they are engaged, as a preliminary task before attempting to identify the tendency toward professionalization in the policy or in the movement. It seems essential if we are to consider the possibility that the nurse may be professionalized. The survey used in this paper was administered to 296 nurses holding certificates under the new system in seven hospitals in Tokyo. Contrasting the results of this survey, I also used parts of the results of the survey administered to 246 students in their final year enrolled in nine nursing junior colleges or higher institutes. The following points have been revealed by the surveys : Reflected strongly in the opinion and attitude of nurses are the difficult situations for the professionalization such as unsatisfactory system and content of education, immature science of nursing, subordinate relation to medical doctors, gap between what they are originally expected to do and what they are actually doing, and weak Japan Nursing Association, which should play a central role in the efforts toward the professionalization of the nurse. This fact implies that the nurse has not yet reached even the level of semi-profession, the typical example of which are the elementary and lower secondary school teacher. In spite of this low level of professionalization, they are quite satisfied with the present level of specialization and autonomy and optimistic about the future of their occupation. The nurse still remains to establish itself as a semi-profession. Its full-fledged professionalization will begin when it has attained speciality and autonomy as a semi-profession. But, it is quite dubious if they will show the confidence and optimistic perspectives about the level of professionalization of their occupation and its future possibility as they do today, even when they have established as a semi-profession.
著者
三上 剛史
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.687-707, 2007-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
37
被引用文献数
3 1

以下の論考は, 道徳に対する現代社会学のアンビヴァレントな関わりを, 社会学が現在直面している社会情勢から再考し, 社会学という学問が, そのそもそもの成立において孕んでいた契機を反省する営みとして提示するものである.検討の対象となるのは, グローバル化の中で改めて「社会とは何か」を問う理論的諸潮流であり, また, 「福祉国家の危機」およびリスク社会化によって明らかになりつつある「連帯」の再考である.まずは, U.ベックを始めとして各方面で展開されつつある, グローバル化とともに「社会」の概念そのものが変革されなければならないという議論を糸口として, 「社会的なもの」とは何かを問い直してみたい.それは, 福祉国家の前提となっていた「連帯」の概念を再検討しながら, M.フーコーの「統治性論」を通して近代社会の成り立ちを問う理論的潮流に繋がるものであり, 同時に, N.ルーマン的意味でのシステム分化から帰結する道徳的統合の「断念」, あるいは新しい形での連帯の可能性を問うことでもある.これは, なぜ社会学という学問が成立しえたのかを自問することでもあって, グローバル化の中で「社会」という概念の妥当性と社会学の可能性が再検討されている今, 避けて通ることのできないテーマである.
著者
佐藤 嘉倫
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.188-205, 1998-09-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
35
被引用文献数
2

本稿の目的は, 合理的選択理論に対する批判を分類し, それぞれの批判の論理構造を検討し, 受け入れるべき批判を明らかにすることである。 批判は次のように分類される。 (1-a) 選好の文化依存性の指摘, (1-b) プロスペクト理論, (2-a) 合理性仮定の経験的妥当性に対する批判, (2-b) 共有知識仮定に対する批判, (3-a) 経験的事象の説明可能性に対する批判, (3-b) 複数均衡の存在に対する批判, (3-c) 社会現象は行為から成り立つとは限らないという批判。これらの批判のうち, (1-a) から (2-b) までは, 合理的選択理論の仮定に関する批判である。これらの批判は, 経験科学理論に対する批判として意味がないわけではないが, 理論の説明力を無視して仮定の妥当性のみを問うならば, 生産的ではなくなる。 (3-a) の批判は, 合理的選択理論の説明力に対する批判であり, 重要である。 (3-b) の批判に対しては合理的選択理論は適切に対処できる。 (3-c) の批判は, 合理的選択理論よりも優れた説明力を持つ理論を提示していないので, 現状では受け入れるわけにはいかない。 以上の批判の検討から, (3-a) の批判に適切に対処することが, 合理的選択理論をより豊かな社会学理論にするメイン・ルートであると結論される。
著者
山田 信行
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.158-171, 1995-09-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
35

本稿は, マルクス派の視点から歴史社会学の方法論を整備しようとする一つの試みである。本稿は三部から構成される。第一に, アメリカ合州国における歴史社会学の方法論論争を概観することによって, 求められている方法が演繹的な方法と「総体性」への志向であることを確認する。そのうえで, そのような要件をみたす方法が, 弁証法的なそれにほかならないことを提唱する。第二に, 史的唯物論の再構成の試みに見られる難点を確認したうえで, それを克服する試みとして, 多元的資本主義発展論としての弁証法的歴史社会学の構想を提示する。この際, 弁証法という論理が閉鎖的な「概念の自己展開」とは区別されるものであることが強調される。第三に, 弁証法的な論理の問題構制は「ポスト・マルクス主義」のそれと必ずしも抵触するものではなく, ギデンスも含めたポスト・マルクス主義的主張はかえって弁証法的方法の可能性を矮小化するものであることを指摘する。
著者
桑畑 洋一郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.37-54, 2022 (Released:2023-06-30)
参考文献数
28

近年,医学研究・臨床研究への患者・市民参画が進められ,病いの当事者が臨床試験に主体的に参画することが求められている.一方本稿で注目するHTLV-1(Human T-cell Leukemia Virus type 1)関連疾患も含めた病いの当事者は,こうした動きの前より,臨床試験に対して特有の意味を付与し活動を展開してきた.病いの当事者が臨床試験に対して構成する特有の意味世界を理解することも,現状において重要な意義をもつ.そこで本稿では,HTLV-1関連疾患当事者の病いの語りのうち〈治験の語り〉に注目し,当事者の意味世界とその背景を分析し考察することとする. 結果,HTLV-1 関連疾患当事者にとって治験とは,〈治癒/回復の頼みの綱〉〈存在可視化のツール〉〈連帯拡大のツール〉〈次世代との連帯の証〉であること,またこれに関連して,治験をめぐる〈参加の可否をめぐる葛藤〉〈連帯をめぐる葛藤〉があることが析出された.さらにこうした,治験を連帯と結びつける語りは,HTLV-1 関連疾患の病いの特性と関連した特有の背景から導き出されていることが明らかとなった. 臨床試験を実施する側とは異なる仕方で構成された当事者の意味世界を理解することは,臨床試験における関係主体間の相互理解を進展させる上で重要な意味をもつ.〈治験の語り〉は,そのための手掛かりとなるものであろう.
著者
大光寺 耕平
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.86-101, 2001-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
26

本稿は, 人間の心理的なものの理論の内で, ジャック・ラカンの精神分析学理論をどのように位置づけるべきかを考察したものである.そのために, 言説に関するラカンの理論を, ニクラス・ルーマンのオートポイエーシス的システム理論の立場から検討する.ラカン派の立場は, 人間がことばを持っていることによって, 精神的に動物とまったく異なる働きをすることを前提としている.本稿ではそれに対して, 人間の精神が動物と共通する面をも持っていることを重視し, 〈語る主体〉と〈動物的存在〉の二重性を仮定すべきことを, そのような二重性を理論的に扱うことの難しさとともに指摘した.それからルーマンのシステム理論と比較することによって, ラカンにおける「構造」の概念が, システムの内在的な関係ではなく環境との関係に指向していること, 及びシステムが環境の刺激を利用するさいに「脱トートロジー化」の機構によっていること, という2点でルーマンのシステム理論と共通していることを明らかにした.またその結果, 〈語る主体〉と〈動物的存在〉の関係が構造的カップリングの概念によって適切に理論化されうるという可能性を示した.
著者
直野 章子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.500-516, 2010-03-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
69
被引用文献数
4

記憶研究が流行となって久しいが,その背景にはポストモダニズム,ホロコーストに対する関心の高まり,「経験記憶」消滅の危機などがある.同時に,脱植民地化や民主化運動が記憶という課題を前景化したように,国際的に広がる記憶研究は,記憶が正義や人権回復の取り組みと深く関わっていることの表れでもある.記憶研究の劇的な増加に大きく貢献した「記憶の場」プロジェクトだが,「文化遺産ブーム」に見られるようなノスタルジアを助長する危険性もある.「記憶の場」を批判的な歴史記述の方法論として再確立するためにも,「場」に込められた広範な含意を再浮上させなければならない.その一助として,「記憶風景」という空間的な記憶概念を提起したい.記憶風景とは,想起と忘却という記憶行為を通して,個人や集団が過去を解釈する際に参照する歴史の枠組みであり,想像力を媒介にした記憶行為によって命を吹き込まれ,維持され,変容される過去のイメージでもある.この暫定的な定義をもとに,ヒロシマの記憶風景の現い在まを描いてみる.帝国主義の過去との連続性を後景に退け,前景に「平和」というイメージを押し出す,記憶風景の結節点が広島の平和公園だ.戦後ナショナリズムの文法に従って編成されてきたが,不気味な時空間も顔を覗かせている.それは,国民創作という近代プロジェクトにおける「均質な空白の時間」が侵食されていく場所でもあるのだ.
著者
瀧川 裕貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.84-101, 2020 (Released:2021-07-16)
参考文献数
66

現在,情報通信技術(ICT)の普及と発展は,われわれの社会そのものを再編成するとともに,これまでとは異なる方法とデータを用いるデジタル社会調査(計算社会科学)という新たな学問領域を生み出している.デジタル社会調査はこれまでの社会学の方法や理論にいかなるインパクトを与えるだろうか.本稿では,デジタル社会調査が特にインパクトを与えうる社会学の理論的・方法論的課題として次の3 つを挙げる.すなわち①社会ネットワークの構造や関係的メカニズムの解明,②因果の推論と因果メカニズムの解明,③意味世界の探求,である.これら3 つの課題についてデジタル社会調査による貢献の可能性を概説した後,実際の研究事例に即してより具体的に議論を展開する.その際,できるかぎり日本における研究の状況と研究事例も紹介するように努める.
著者
鹿又 伸夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.283-299, 2017 (Released:2018-09-30)
参考文献数
21

日本の世代間所得移動と貧困の世代間連鎖に関する研究では, 成育家庭の経済状態から始まる影響の経路そして成育家庭の貧困から始まる地位の経路が, 貧富の世代間再生産傾向を作りだすことに焦点をあてている. しかし, 親の学歴や職業など他の成育家庭要因にくらべて, 成育家庭の経済状態から始まる影響経路が子世代の経済的格差を作りだすのかは, 検証されるべき問題である. その検証を, 全国調査データをもちいて, 経済状態を家計水準として測定し, 無職を対象に含めて行った. 分析結果は, 成育家庭の経済状態を始点とする影響経路だけが, 子世代の経済的格差を作りだす顕著な経路とはいえないことを示した. 子世代の経済的格差を作りだす主要な影響経路は, 成育家庭の経済状態, 親の学歴と職業がそれぞれ本人学歴に影響し, その本人学歴から離学後職業へ, 離学後職業から現職へ, そして現職から本人の経済状態へとつながる連鎖的影響経路だった. 男性での貧困に到達しやすい地位経路は, 成育家庭の貧困だけでなく親の低学歴からも始まっていた. しかし, 女性では現職から本人の経済状態への影響が男性ほど強くないため, 明確な地位経路はなかった.
著者
石田 佐恵子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.7-24, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
61
被引用文献数
3

今日の人びとの暮らしは,圧倒的なビジュアル文化に埋め尽くされている.ムービング・イメージ,すなわち「移動する〈仮想〉の視線」を扱う社会学を,ここでは「映像社会学」と位置づける.映像社会学とは,方法・対象・実践としての映像を総合的に考える領域と定義される.映像社会学への関心は1980年代から次第に高まってきたが,より注目されるようになったのは,文化論的転回以降の知的潮流と,デジタル化時代の新しい研究ツールとが合流する90年代後半のことである.この転回を受けて,映像や図像の意味は本質化を疑われ,徹底的に文化的な構築物として捉え直されることになった.本論では,文化論的転回以降の映像社会学の研究課題が示される.すなわち,映像制作と映像解読の双方の実践の場に研究する主体を置き,両者を連続的なものとして捉え直す,という課題である.こうした課題に近づくために,まず,社会学的な映像制作における諸条件が考察される.そこでは,撮影する主体と映像の移動性・流動性が強調される.さらに,社会学的な映像解読の手法について検討する.あわせて,グローバル時代の映像流通と受容とが議論される.これらの作業を通じて,視覚性の優位に特化した社会学的人間観を修正し,多様なオーディエンス,ジェンダー化された身体や規格化されない身体にとっての「見ること+聞くこと」の経験を,より広い身体の領域へと拓いていくことが,本論の目標点である.
著者
吉沢 夏子
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.130-144, 1984-09-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
39
被引用文献数
1 1

A・シユッツの学、および現象学的社会学やエスノメソドロジーについてはすでにさまざまな解釈や批判がなされている。その中でも、これらの学的営為をいわゆる “主観主義” ということばで括ることはかなり広い支持を得ているように思われる。しかし、いったい “主観主義” とは何か。それは従来の “主-客図式” の枠を前提にしたものなのか。またそれは “問主観的” な世界を明らかにすることはできないのか。これが本稿での問題である。その考察にあたってここでは、まずシュッツをフッサールとの関係で位置づけるという作業を通してシユッツに対する批判および評価を再構成し、次にそのことによって逆に社会学との関係でシュッツの積極的な存在意義を浮き彫りにする、という手法をとる。シュッツの貢献は、社会学においてこれまで省みられることのなかった新しい問題領域-間主観性問題-を発見し、それを社会学的な問題として主題化する道を開いたことである。そしてシユッツの学、およびシユッツを出発点とするその後の展開の中で、 “主観主義” の “主観” は従来の “主-客図式” の枠ではもはや捉えられない薪しい意味を獲得するのである。
著者
佐藤 毅
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.24, no.3, pp.85-88, 1973-12-31 (Released:2009-11-11)