著者
堀 智久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.257-274, 2013 (Released:2014-09-30)
参考文献数
36

本稿の目的は, 日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的展開を追い, そのなかでクリニカルサイコロジスト (clinical psychologist) が, いかにして自らの専門性のもつ抑圧性を認識しながらも, その否定し難さと向き合ってきたのかを明らかにすることである.1970年代以降, 日本臨床心理学会は, 臨床心理学および臨床心理業務の総点検を行う. 彼らは, 心理テストや心理治療のもつ抑圧性を告発し, また自らの専門性を全否定することから, 専門職としての関わりを超えて, 「共に悩み, 共に考え合える」関わりを模索する.だが, 1970年代を通して徹底されるに至る専門性の解体の志向は, 日常的に専門性に依拠し職務を遂行するクリニカルサイコロジストにとって, 自身の立場を危うくもする. 専門性の否定だけでは, 日常の臨床心理業務は成り立たないからである. 1980年代以降, 日本臨床心理学会では, 日常の臨床行為に立脚し, 現場で活用できる知識や技術, 方法論等を模索する専門性を再評価する動きが見られる. その具体的な現れが, 事例=実践相互研修会の開催である. 一方で, 1980年代後半には, 医療現場の会員から資格の必要性が主張される. とりわけ, 厚生省による医療心理職の国家資格化に協力するか否かをめぐっては, 学会内でも激しく意見が対立する.本稿では, こうした日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的変容から, 1970年代および1980年代における運動の質の相違を浮き彫りにする.

7 0 0 0 OA 甘える男性像

著者
中尾 香
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.64-81, 2003-06-30 (Released:2010-04-23)
参考文献数
15

本稿の目的は, 戦後期日本において共有されていた男性イメージを確定するための作業の第一歩として, 戦後の『婦人公論』にあらわれた男性イメージを明らかにすることである.その結果, 明らかになったのは, 1950年代に登場した二つの系譜による男性イメージ-戦後に大衆化しつつあったサラリーマンが担うようになった「弱い」男性イメージと, 「家制度」のジェンダーを焼き直した「甘え」る男性イメージ-が, その後重なり合いながら展開し, 1955年頃から1960年代半ばにかけて繰り返し言説化されたことである.それらは, 男性の「仕事役割」を強調することをてことして, 私的な空間におけるジェンダーを母子のメタファーで捉え, 男は「甘え」女は「ケア」するというパターンを共有していた.さらに, 「仕事をする男性像」と「甘える男性像」のセットは, 60年代に言説にあらわれた「家庭的な男性」とは矛盾するものであった.この結果より, 次のような仮説を提示した. (1) 「甘え役割」と言い得るような男性の役割が成立していた可能性, (2) その「甘え役割」が女性の「ケア役割」を根拠づけているということ, (3) 「甘え役割」は「仕事役割」によって正当化されているということ, (4) 否定的に言説化された「家庭的男性」が「甘え役割」および「仕事役割」のサンクションとして機能していた可能性である.
著者
永吉 希久子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.19-35, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
31
被引用文献数
5

日本の排外意識の研究においては, 外国人住民の規模が排外意識に与える効果が, その国籍によって異なることが指摘されてきた. しかし, なぜそのような差が生じるのかについては, 十分に検証されていない. 本稿は, 外国人住民と日本人の間の労働市場の分断に注目することにより, この国籍による効果の差の説明を試みる.労働市場分断仮説によれば, 外国人住民がホスト社会住民よりも低い賃金の職に集中している場合に, ホスト社会住民の賃金や労働環境の悪化への懸念が生じ, 排外意識が高まると説明される.この仮説のもと, 日本版総合的社会調査の2006年度のデータ (JGSS-2006) を分析したところ, 以下の結果がえられた. 第1に, 労働市場の分断状況と排外意識には関連がみられ, 労働市場の分断状況が顕著であるほど, 排外意識が強くなる傾向があった. 第2に, 労働市場の分断状況をモデルに投入することにより, 国籍別の外国籍割合の効果が有意でなくなることから, 先行研究において指摘されてきた国籍別の外国籍割合の効果が, 労働市場の分断の程度によって説明されることが示された. 本稿の結果からは, 日本人の排外意識を考えるうえで, 個々人としての日本人側の要因だけでなく, 日本の労働市場の構造とそこにおける外国人労働者の位置づけという, マクロな視点をとる必要があることが示唆される.
著者
山﨑 沙織
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.105-122, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
27
被引用文献数
1 3

本稿は, 1960年代に年間6万人の参加者を集めた長野県PTA母親文庫を研究対象とし, その参加者たちにとって「読書」がいかなるものであったか, また, その「読書」はどのような立場や能力に結びつく活動だったかを問うものである. それにあたってはエスノメソドロジーの視座に基づいて参加者たちのつくった文集をひもとき, 参加者たちが母親文庫での「読書」経験をどのように提示しているかを検討する.検討の結果, 本稿の問いに以下の3点から回答を与えることができた. 1点目は, 参加者たちが, 「時代の変化について行く」ために読書をしていたことである. ただし, 参加者たちは「時代の変化についていくこと」を母親特有の課題ではなく自分と周囲の人々すべてにとっての課題と考えていた. 2点目は, 参加者たちが読書することと農家の主婦であることを両立させようとしていたことである. 家事も農作業も読書もすることは困難であったが, この困難の共有は参加者たちの仲間意識を強固にした. 3点目は, 独自の「読書」観をもつようになった参加者たちが「読書」活動により, 「農家の主婦」でもなく「教育する母親」でもなくいられる貴重な場を得ていたことである. この場は, 参加者たちが, 読書を「農家の主婦」の振る舞いから抜け出す行為と位置づけていたこと, また, 自分たちのことを子供よりも時代に遅れがちと見なし, 子供の世話より「読書」を優先させることを正当化していたことで支えられていた.
著者
野上 元
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.236-246, 2011-09-30 (Released:2013-11-19)
参考文献数
43
被引用文献数
1
著者
宮地 弘子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.220-238, 2012

ソフトウェア開発エンジニアたちは, エンジニア職の自律性が尊重された職場において, 燃え尽きにまでいたるほど自発的に労働に没入している. このような自発的・没入的労働は, 従来, 企業が設計した文化的規範をエンジニアたちが内面化してそれに随順した, 規範的統制の結果として考えられてきた. 本稿は, 大手ソフトウェア開発企業X社を事例として取り上げ, エンジニアたちへのインタビュー調査をもとに, 現場の文化的規範である<コード>を抽出した. エンジニアたちの自発的・没入的労働の語りは, 一見, 内面化した<コード>に随順し続けた物語のように解釈可能であった.<br>しかしながら, 本稿は, エンジニアたちの語りを「人々の社会学」の視角から分析することで, 規範への随順に回収することのできない語りの意味を明らかにした. エンジニアたちは職場の文化的規範を一様に内面化し, 厳しい労働に没入しているのではない. エンジニアたちは, <コード>に象徴されるX社の現場に特有の常識的知識を解釈枠組みとして, 他者の語りの意味を不断に読み替え, またその裏で, <コード>を語ることで自己の関心をしたたかに追求し続けるという相互行為によって協働を達成し, 結果として, 燃え尽きにまでいたる厳しい労働に巻き込まれていくのである.
著者
神林 博史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.452-467, 2005-09-30 (Released:2010-01-29)
参考文献数
30
被引用文献数
1 2

調査票調査では, 広い意味での政治的態度に関する質問において「わからない」 (don't know=DK) という回答が発生しやすいことが知られている.DK回答は通常の場合, 欠損値として処理され, 分析の対象とはならない.一方で, 政冶意識におけるDK回答は回答者の政治に対する消極性を示す重要な情報であるとの可能性が指摘されてきた.この見解が正しければ, DK回答と実際の政治的行動との間に関連が予想される.全国規模のパネル調査データを用いた分析の結果, DK回答の多い回答者は政冶行動に参加しない傾向があることが明らかになった.
著者
菅原 謙
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.94-103, 2007-06-30 (Released:2010-03-25)
参考文献数
19
著者
北田 暁大
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.281-297, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
29

「過去 (歴史) は記述者が内在する〈現在〉の観点から構築されている」という歴史的構築主義のテーゼは, 公文書の検討を通じて歴史命題の真偽を探究し続けてきた実証史学に, 少なからぬインパクトを与えた.「オーラル・ヒストリーをどう位置づけるか」「過去の記憶をめぐる言説はことごとく政治的なものなのではないか」「記述者の位置取り (positioning) が記述内容に及ぼす影響はどのようなものか」といった, 近年のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズム, フェミニズム等で焦点化されている問題系は, 構築主義的な歴史観と密接なかかわりを持っている.もはや構築主義的パースペクティヴなくして歴史を描き出すことは不可能といえるだろう.しかしだからといって, 私たちは「理論的に素朴な実証史学が, より洗練された言語哲学・認識論を持つ構築主義的歴史学にとってかわられた」と考えてはならない.社会学/社会哲学の領域において, 構築主義が登場するはるか以前に, きわめて高度な歴史方法論が提示されていたことを想起すべきである.以下では, WeberとPopperという2人の知の巨人の議論 (プレ構築主義) に照準しつつ, 「因果性」「合理性」といった構築主義的な歴史論のなかであまり取り上げられることのない-しかしきわめて重要な-概念のアクチュアリティを再確認し, 「構築主義以降」の歴史社会学の課題を指し示していくこととしたい.
著者
元森 絵里子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.123-133, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
26
著者
福井 康貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.198-215, 2008-06-30

本稿は,戦前日本の大卒者の就職において〈自己の力で職に就く〉という自己志向的なルールが登場するまでのプロセスを明らかにする.明治・大正期の就職は紹介者や学校成績の影響力が非常に強かったのだが,従来の研究はこうした事態を現代的な価値観点を投影して理解しがちであり,両者の担う意味を十分に捉えていなかった.本稿では,当時の人々の認識に定位することでこの事態をより正確に把握し,それが自己志向的なルールの登場とともに背景化したことを指摘する.<br>最初に,近世商家の職業観と対照する形で,戦前における職業選択の自由を検討し,それを職業選択の可能性として社会学的に概念化する.つぎに,この可能性に対処するために,就職が紹介者と学校成績への信頼という2つの形式をとったことを指摘したうえで,人々が両者を正当なものとして考えていたことを明らかにする.最後に,大正期後半から昭和初期に両者が非正当化すると同時に,志望者の「人物」に注目する面接試験が登場する経緯を描きだす.その過程は,「自己/他者」および「個人/制度」という行為主体に関する区別に「正当/不当」という道徳的な区別を重ねることで,自己本位の職業選択のあり方を導くものだった.
著者
立岩 真也 西原 和久 永田 えり子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.168-171, 2004-12-31 (Released:2009-10-19)

本特集「差異/差別/起源/装置」は, 2003年日本社会学会大会 (中央大学) における同名のシンポジウム「差異/差別/起源/装置」をもとに企画されたものである.本シンポジウムは構築主義に対する下記のような, いわば「素朴な問い」に端を発する.「とくに社会学をする人は何かが社会的に構築されていることを言う.しかし, それはどんな行いなのか, よくわからないと思えることがある.まず, そこには多く, 批判の意味が明示的あるいは暗示的に含まれる.しかし社会的であることは, それ自体としてよいことでもわるいことでもないと言うしかないのではないか.そして脱することは, 与えられたものや作っていくこととどのように関わるのだろうか.そして, 性に関わる差別, 抑圧は何に由来するのだろうか.何がそれらを駆動しているのだろう」 (立岩真也「日本社会学会ニュース」179号 (2003年8月) より抜粋)
著者
日本社会学会・社会学教育委員会
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.63-86, 1996-06-30 (Released:2010-05-07)

今日, 日本の大学では, 一般教育改革, 学部カリキュラム再編, 大学院改革等があいついで行われている。日本社会学会・社会学教育委員会では, 一般教育改革をはじめとする今日の日本の大学改革が, 日本の社会学教育にいかなる影響を及ぼしているかを把握するために, 社会学教育の内容, 方法, 社会学部・学科卒業生の就職動向, 資格志向, 大学院がかかえている問題等に関し, 各大学を対象とする調査を行った。以下, 1993年から1994年にかけて実施した138学部・学科・専攻等を対象とする調査から把握されたファインディングスを列挙する。1. 大学改革のトップは自己評価・自己点検で81.2%, 2位が履修内容や教育方法等の改革で78.3%, 3位がカリキュラムの抜本的改革で66.7%, そして教養部廃止・再編等の制度改革が63.0%であった。2. 特にカリキュラム改革は現在も進行中の大学が多く, 過半の学部・学科において取組まれている。3. 社会調査法を開講する学部・学科・専攻等は81.9%, 社会調査実習は64.5%であった。4. 社会学履修に関わる資格認定の方向性の追求が必要というもの31.2 %, あっても良い程度の賛意が34.8%であった。5. 大学院が抱える問題の第1位は教育研究支援職員の不足, 第2位は実習・調査費用の不足, 第3位は奨学金の不足であった。6. 大学改革の影響は大きく, 一般教育段階における社会学の比重が軽減, あるいは他の諸科学との境界が弱まりつつあるようにみえる。その波及効果は学部, 大学院にも及び, 我国の社会学教育はいま大きな変動の真只中にある。
著者
多田 光宏
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.36-50, 2011-06-30
被引用文献数
1

本稿では,ニクラス・ルーマンによって構想された自己準拠的な社会システムの理論の観点にもとづき,文化と社会の関係を定式化する.従来の社会学理論,たとえばタルコット・パーソンズやアルフレート・シュッツは,社会的なものの成立基盤として人々のあいだの共有文化を想定していた.この発想によるならば,社会とは文化の産物であり,この意味で「文化の社会」である.これに対して自己準拠的な社会システムの理論は,社会的なものを可能にするそうした共通基盤を前提しない.文化は,社会システムを外部からサイバネティックス的にコントロールする永続的な客体などではない.社会システムはまず人々の相互不透明性,つまり二重の偶然性のうえに創発し,それから自身の作動に関する記憶を想起し忘却することで,自らの方向性をコントロールしはじめる.この記憶こそが文化と呼ばれるものであり,それはシステムの作動から自己準拠的に帰結する.よって文化とは,社会システムの作動の副産物という意味で,「社会システムの文化」である.これは,地理的単位としては表象されない脱国家化した世界社会というシステムにも当てはまる.「社会の文化」としての世界文化は,世界社会の固有値としての偶然性である.こう考えることで,社会的なものを文化に先行させて,今日の世界のなかで文化が分化していく現状とそれに付随する諸問題を適切に記述し分析しうる理論枠組が整えられる.
著者
佐藤 郁哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.456-475, 2008-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
17

1990年代いらいの急激な量的拡大にともなって,日本における大学院教育は,大幅な質的変容を余儀なくされてきた.「戦略なき大衆化」とも形容できるその動向にともなって頻繁に取り上げられてきたのは,米国における大学院教育のプログラムとカリキュラムであった.しかしながら,その「アメリカン・モデル」の導入は,多くの場合きわめて不正確な情報と安易な発想にもとづいており,それがひいては,現在日本の高等教育システム全般を空中分解の危機にさらしているとさえ言える.本稿では,最初に大学院教育の量的拡大の実態とそれをめぐる比較的よく知られた事実と問題点について改めて確認する.ついで,著者がかつて共同研究者とともにおこなった社会学の分野における大学院教育に関する日米比較研究から得られた知見にもとづいて,大学院における教育プログラムとカリキュラムを改革していく際にアメリカン・モデルを安直に適用することによってもたらされるさまざまな問題について検討していく.