著者
見田 宗介
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.79-91,201, 1965-03-30 (Released:2009-11-11)
参考文献数
15
著者
渋谷 望
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.455-472, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
58
被引用文献数
2 4

本稿はフーコーが『生政治の誕生』で展開した議論を参照し,ネオリベラリズムをアントレプレナー的な主体化をうながす権力として分析するとともに,この権力が作動する条件として,ネオリベラリズムが心理的な暴力を活用する側面に着目する.まずネオリベラリズムを権力ととらえるフーコーの議論から,ネオリベラリズムが主体を自己実現的なアントレプレナーとみなす考え方に立脚している点を明らかにするとともに,アントレプレナー的な主体化にともなうさまざまな問題や困難を指摘する.次にアントレプレナーへのあこがれが,その実現が困難な人々――フリーターなどの不安定な立場の者――にも見られることに着目し,アントレプレナーへの志向がかならずしも実現可能性の客観的な条件に規定されるわけではなく,彼らの現実への不満に根ざしていることを指摘する.最後に,ナオミ・クラインのショック・ドクトリン議論を参照し,この不満(絶望)を生産する権力としてネオリベリズムをとらえなおす.ここからネオリベラリズムの主体が「アントレプレナー」であるとともに「被災者」であることを明らかにし,社会の「心理学化」のもう1つの側面を指摘する.
著者
赤川 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.20-37, 2005

「男女共同参画が実現すれば, 出生率は上がる」.これは現在, もっとも優勢な少子化言説である.本稿ではリサーチ・リテラシーの手法に基づいて, これらの言説と統計を批判する.<BR>第1に, OECD加盟国の国際比較によると, 女子労働力率, 子どもへの公的支出と出生率のあいだには, 強い正の相関があるようにみえる.しかしこのサンプルは, しばしばしばしば恣意的に選ばれており, 実際には無相関である.<BR>第2に, JGSS2001の個票データに基づく限り, 夫の家事分担は子ども数を増やすとはいえない.第3に, 共働きで夫の家事分担が多い「男女共同参画」夫婦は, 子どもの数が少なく, 世帯収入が多い.格差原理に基づけば, 彼らを重点的に支援する根拠はない.<BR>第4に, 政府は18歳以下のすべての子どもに, 等しく子ども手当を支給すべきである.それは, 子育てフリーライダー論ではなく, 子どもの生存権に基礎づけられている.現在の公的保育サービスは, 共働きの親を優先している.親のライフスタイルや収入に応じて, 子どもが保育サービスを受ける可能性に不平等が生じるので, 不公平である.もし公的保育サービスがこのような不平等を解決できないなら, 民営化すべきである.<BR>最後に, 子ども手当にかかる財政支出は30歳以上の国民全体で負担しなければならないが, この支出を捻出するには, 3つの選択肢がありうると提案した.その優先順位は, (1) 高齢者の年金削減, (2) 消費税, (3) 所得税, である.この政策により, 現行の子育て支援における選択の自由の不平等は解消され, 年金制度における給付と拠出の世代間不公平は, 大幅に改善される.
著者
三隅 譲二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.17-31,107*, 1991-06-30

近年、都市伝説と呼ばれるタイプの流言が注目を集めている。そして、こうした都市伝説は、流言を一時的で道具的なコミュニケーション過程であると見なす、従来の流言理論の枠組からみると、様々な点において逆説的な社会現象であるといえるのである。<BR>そこで本稿では、次のような順序で都市伝説としての流言を考察する。<BR>第一に、G・W・オルポートとL・J・ポストマン、T・シブタニ等に代表される従来の集合行動論における研究が、流言をどのような社会的コミュニケーションであると暗黙裡に仮定していたのか、これを検討する。その結果、都市伝説が従来の流言理論からみると、いかに逆説的な現象であるのかを明らかにする。第二に民俗学の概念を借りながら、筆者のイメージする都市伝説を民話型・伝説型・神話型の三つに類型化し、それぞれの都市伝説の特徴やバリエーションについて解説する。第三に都市伝説の生成・伝播・変容に関わる社会的機能やコミュニケーション機能についての定性的な分析を遂行する。この作業の過程で、災害時流言等の従来型の流言を "自己手段的流言" 、都市伝説を "自己目的的流言" と行為論の観点から形式的に位置づけることによって、ダイナミックスの次元における両者のタイプの異同について議論する。
著者
ましこ ひでのり
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.200-215, 1996-09-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
31

「つづり字発音」とは正書法の影響でもともとの発音が変質してしまう現象だが, 無モジ社会以外では普遍的に目にするものだ。とはいえ, 近代においては, この「つづり字発音」はアルファベート圏はもちろんのこと, 伝統的漢字文化圏でもみあたらない, 独自の性格をもってきた。近代日本における漢字は固有名詞をおおいかぶさり, あらたな発音をつくりだす。そして, そのあらたな発音は伝統的発音をほうりだすのである。このことは伝統的発音への圧力という点で, アルファベート社会における「つづり字発音」とは決定的にちがっている。いいかえれば, 伝統的固有名詞の記憶すべてを抹殺し, まるでむかしから新型発音がつづいてきており, あらたな領土が固有の領土であり, そこに住む新住民がすんできたかのようにおもわせるのである。在来の固有名詞は俗っぽい, ないしは時代おくれだと, また在来の住民は存在しないか, しなかったとみなされるのだ。近代日本における漢字は固有名詞群を変質させ, ついにはマイノリティの言語文化全体をほとんど変質させてしまう。固有名詞の変質はマイノリティの言語文化全体のまえぶれだったのだ。近代日本において具体的にいえば, アイヌ/琉球人/小笠原在来島民 (ヨーロッパ系/カナカ系), および在日コリアンなどが, 規範的で均質的な日本文化に, ほぼ全面的に同化をしいられた; 固有名詞文化にかぎらず言語文化のほとんど全域でである。わかい世代になればなるほど, 日常的言語文化への同化圧力がおおきくなっていく;祖父母世代は希望をうしない, 父母世代は気力をなくし, こども世代は日本の支配的言語文化になじんでいった。はじめは, 漢字によって同化した固有名詞群はマジョリティ日本人からの差別/侮蔑/攻撃をさけるためのカモフラージュ装置だった。しかしのちには, カモフラージュの仮面はほんものの顔に変質した;わかい世代は「日本語人」になってしまったのである。近代日本における漢字は日本領土にくらすマイノリティを同化する装置だったし, いまもそうである。そして住民たちと領土をあらわす漢字名は, それらが日本的であることを正当化する道具だったし, いまもそうである。
著者
矢原 隆行
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.343-356, 2007-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

近年日本では,伝統的に女性的職業(pink-collar job)とみなされてきたいくつかの職業において,いまだ少数ながら男性の参入が着実に生じている.とりわけ,看護,介護,保育等のケア労働の領域で働く男性たちの姿は,それがさまざまな男性優位の職業領域に進出して活躍する女性たちの姿と対照して観察されるとき,今日の職業領域におけるジェンダー体制の変容を体現するものとして解されうる.しかし,これまでジェンダーに関する大量の成果を生み出している女性学のみならず,「男性性」に焦点をあてる男性学の領域においてさえ,そうした「男性ピンクカラー」に焦点を当てた社会学的研究はきわめて乏しい.本稿では,現代日本における男性ピンクカラーについて,とりわけ「ケア労働の男性化」という視座から観察を試みる.当事者を含む多数の語りから明らかなように,男性ピンクカラーは,ケア労働の領域における少数派であるがゆえ,時に「トークン」として位置づけられる.しかし,その位置づけは,男性が多数派であるような職業領域における少数派としての女性と単純な対称をなすものではない.そこに見出される捩れは,ケア/労働およびそれを取り巻く現代社会における普遍としての《男》というジェンダー秩序を映し込み,かつ映し返すものである.
著者
大野 哲也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.268-285, 2007-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
27
被引用文献数
1 1

現代日本社会において,「私は誰なのか」という問いを抱えて苦悩している人たちの存在が顕在化している.現代における最も尊重されるべき社会的価値の一つが「個人の自律性」であるからこそ,皮肉なことに,個々人は自己のアイデンティティを常に確認しなければならないという状況を生じさせているのである.たとえば現在,社会で流通している「自分探し」という言葉は,自己のアイデンティティをめぐって人々が葛藤している事態をよく表している.このような「自分らしさ」への渇望状況において,人々から着目されたのがバックパッキングだった.アイデンティティが他者と差異化することでもたらされるのならば,多様な文化を長期間にわたって経験する「放浪」は,アイデンティティの構築実践そのものだといえるだろう.そして実際,観光社会学のバックパッキング研究においては,旅におけるアイデンティティ刷新の可能性を肯定的に捉える主張が繰り返しなされてきた.しかしながらバックパッキングを取り巻く環境は大きく変化してきている.旅のマニュアル本の存在が証明しているように,旅がマス・ツーリズムと同様に,商品化されていく過程が確認できるのだ.そこで本稿ではアジアを旅する日本人バックパッカーを事例として,冒険的な旅だと表象されてきたバックパッキングが,どのように現代社会の中で再定位され,それがいかなる文化・社会的意義を有しているのかについて考察する.
著者
古賀 正義
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.90-108, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
41

従来インタビュー調査は,構造化された質問によって「本音」を引き出す作業と理解されやすかった.しかし,近年の構築主義的調査観では,インタビューは聞き手と語り手の共同行為であり,「語りうるもの」をめぐるネゴシエーションの政治力学的な産物であるとされる.ICレコーダーなどの利用による音声データの再現可能性の向上は,「出来事」としてのインタビュー実践をきめ細やかに理解することを可能にしている.これに伴って,筋書きを用意した物語型の聞取りから,「声」と「音」(ここでは,互いの発話行為と収集される状況内の音声要素)を,インタビュー状況に沿って収集するデータベース型の分析が必要とされる.「インタビューのエスノグラフィー」が求められるのは,そのためである.データの内在的分析は,「ストーリー」が制作される聞き手と語り手の多元的な関係性に注目させ,他方,1つの立場から回答者の「声」を読み込む問題性を指摘する.調査者に解釈される「物語世界」を重層的に構築するには,インタビューにおける「声」の濃密さと「音」の収集との相互連関を理解し,回答者の多声性を読み解くスパイラルな実践を試みる必要がある.進路多様校卒業生の聞取り調査から,「声」と「音」を丁寧に読み込むことで,ステレオタイプな卒業生イメージが溶解し彼らの生活世界と接合していく局面を提示して,インタビューデータの飽和的で重層的な理解の必要性を強調する.
著者
右田 裕規
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.129-145, 2004

本論文の目的は, 戦前期女性の皇室観の分析を通じ, 民衆の生活世界に根ざしつつ, 近代天皇制と「女性」の関係を捉え直すことにある.アプローチしたのは, 1900-10年代以降の女性に広く現れた, 「スターとしての皇室」への強い憧憬・関心という心性である.本論文ではこの心性につき, 男性の皇室観と比較しつつ, 歴史社会学的な考察が加えられる.具体的にはまず, 戦前期女性の上記の心性が, 近代天皇制の大衆化を推進していった過程を概観することで, 彼女らが天皇制の質的変容をもたらしたことが示される.さらに上記の心性形成の諸要因の解明を通じ, 戦前期大衆天皇制の形成と日本の近代化過程との関係性が, ジェンダー論的視座から提示されるとともに, 家父長制と天皇制の間に対立のモメントの存在した事実が明らかにされる.
著者
田辺 俊介
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.284-300, 2011-12-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
35
被引用文献数
1

本稿は, 日本と韓国のナショナル・アイデンティティの概念構造について, 共分散構造分析の内の多母集団同時分析を用いることで, その共通点と相違点を実証的に検討するものである. 先行研究を参考に, ナショナル・アイデンティティを構成する概念の中から, (1) ネーションの成員条件, (2) ナショナル・プライド, (3) 排外性の3概念を取り上げ, その概念を構成する要素の異同について, ISSP2003の“National Identity”調査の日本・韓国データを用いて分析した. 分析の結果, まず日本と韓国のネーションの成員条件が1次元であることが示された. この点は, 日本と韓国でともに「単一民族国家」の神話が普及していることの影響と考えられる. また政治的ナショナル・プライドと排外性のあいだの関連は, ほとんどの西欧諸国では「負の関連」であるのに対し, 日本と韓国では「正の関連」であった. この点は両国に共通する権威主義体制の経験から, 国の政治的な側面へのプライドが権威主義体制への支持を連想させ, 異質な他者である外国人の排除に結びつきやすいことを示す結果と解釈できよう. さらに軍事力や歴史に対するプライドの位置づけが日本と韓国で異なることが示され, その点から日韓の歴史的経験の差異が現在の人々の国に対する意識にも大きく影響することが明らかになった.
著者
常松 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.152-169, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
45

日本の法の世界では,「要件=効果」モデルを核心とする「法的思考」に収まる形で“ナマの”紛争を再構成することが自らの活動を法的なものにすると考えられている.民事訴訟において裁判官は,この枠組みに即して権利(不法行為責任の場合なら損害賠償請求権)の有無を判断することになるわけである.このような法的枠組みと,紛争当事者からの非‐法的な期待や意味付けとが齟齬を来すとき,社会からの自律を標榜する法は一体いかなる仕方でこれに対処しているのか? 本論文は,不法行為責任をめぐる近年の特徴的な事例――制裁的な慰謝料・懲罰的損害賠償を求めた裁判や,死亡した被害者の命日払いでの定期金(分割払い)方式による賠償請求――の分析を通じて,この問いに答えようとするものである.これらのケースは,法専門家によって広く共有された諸前提――不法行為制度が果たすべき目的に関する設定や,定期金方式を認めることの意義など――と相容れない要素を含んだ請求がなされた点で共通するが,前者は全面的に退けられ後者は(一部の訴訟に限っては)認められた.法の条件プログラム化がもたらす「(裁判官の)決定の結果に対する注意と責任からの解放」(N. Luhmann)という規範的想定と,法専門家に共有された制度目的論が,諸判決で示された法的判断の背後において特徴的な仕方で利用されている.
著者
田中 省作
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.351-367, 2017 (Released:2018-12-31)
参考文献数
30

膨大なテキストを機械処理し, 知識の発見や仮説の検証を行う, テキストマイニングとよばれる方法論がさまざまな分野で活用されはじめている. そのようなテキストマイニングと密接な関係にあるのが, 計算機で日本語や英語といった自然言語の処理を探究する自然言語処理である. 本稿では, 今後, テキストマイニングが社会学も含め多様な分野で展開されることを念頭に, 自然言語処理を概観し, その言語観や自然言語処理からみたテキストマイニングについて事例を交えつつ, 論じる.自然言語処理は, 情報科学, 言語学や認知科学などにまたがる学際的な分野である. 自然言語処理はテキストマイングを重要な応用として位置づけており, 汎用的な基礎解析だけではなく, 課題にそくした技術開発等も行われている. その自然言語処理は技術開発の際, 言語を大胆に捨象し, 近似することが日常的に行われる. その結果, 現在の技術水準では文脈などの大局的な言語情報は必然的に失われ, 自然言語処理を活用するテキストマイニングにも強く影響する. 得られる知識断片には, 専門家による関連知識の補完や解釈が必然的に求められることになる.
著者
高橋 章子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.209-224, 2009-09-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
36

主に英米圏において従来É. デュルケムは,社会秩序を,集団の価値観や信念が個人を拘束することで成立すると,論じたのだとみなされてきた.だが近年,これとは異なる解釈が提出されている.H. ガーフィンケルは,人々が互いに相互行為に参加することによって秩序が形成されるという見方を,デュルケムも採っていたと考えている.ガーフィンケルによって着目されたデュルケムのこのような側面とはどのようなものなのだろうか.本稿は,ガーフィンケルの提起を受け,これまで構造主義,客観主義の代表とみなされてきたデュルケムのうちに存在している,相互行為論との接点を示すことを目的としている.そのために『社会分業論』を中心に,デュルケムがどのような状態を秩序とみなしたかを検証した.デュルケムは,社会を個々人が相互に自由に形成するものと捉えていた.デュルケムのこの見方には,J.-J. ルソーからの影響が認められる.他方,現在でもデュルケム解釈に大きな影響を与えているT. パーソンズは,これとは別の社会形成の論理に則っているため,これまでデュルケムのこの側面に焦点があてられてこなかった.本稿は,T. ホッブズ「秩序問題」との関係を軸として,2つの社会形成の論理を比較することによって,ルソーから影響を受けたデュルケムの社会形成の論理が,根本的な点でガーフィンケルの相互行為論と共通性をもっていることを論じている.
著者
奥村 隆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.406-420,478*, 1989-03-31

現在、社会科学に持ち込まれている「生活世界」という概念は、いったいどのような「社会」についての構想を、新しく社会科学にもたらすのであろうか。<BR>この問いに答えるためには、まず、従来必ずしも自覚的に区別されていない「生活世界」概念のさまざまなヴァージョンの相違を吟味しなければならない。本稿では、次の三人、すなわち、日常生活の常識による主観的構成を描いたシュッツ、これを再生産する間主観的コミュニケイション過程を捉えたハバーマス、これらを基礎づける自明性の世界を抉るフッサール、それぞれの「生活世界」概念の内包が検討されていく。<BR>そのうえで、そこから「社会」の構想へと延ばされる射程が吟味しうることになる。シュッツは「社会」が日常的過程に入り込む場面を、ハバーマスは社会システムと「生活世界」の相剋を、それぞれの「生活世界」概念から新たに描き出している。しかし、彼らの構図には、「生活世界」を「社会」に位置づけようとしたための限界があり、「生活世界」という基層から「社会」が形成される相を把握しようとする、フッサールの概念から展開しうる構図ほどの射程を持ちえない。「社会」の原初的な位相を抉り出すこの構図の展開は、困難なものといわざるをえないが、「生活世界」の視座から全く新しく「社会」を捉え直す戦略として、さらなる検討を加えていくべきものである。
著者
河野 憲一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.571-583, 2012-03-31 (Released:2013-11-22)
参考文献数
46
著者
牧野 智和
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.150-167, 2010-09-30

本稿では,大学生の就職活動における自己分析という慣行の定着を,新規大卒採用市場における1つのサブ市場の確立と捉える.このことで,先行研究の欠落点であった,自己分析への関わり方の多様性,送り手と受け手,その影響力の限定性という論点に対応することができる.また本稿では自己分析を,「自己の自己との関係」を通した主体化を行う「自己のテクノロジー」と捉える.このことで他の自己論との比較を可能とし,また先行研究の難点であった定着因の考察を資料内在的に行うことができる.このような観点から,自己分析市場が提供する「自己のテクノロジー」の分析とその機能の考察を行った.<br>分析対象は自己分析をその内容に含む就職対策書,190タイトル計758冊である.自己分析の作業課題の核には,自らの過去の回顧,現在の分析,未来の想像を通して「本当の自分」を抽出する志向がみられる.だがこれは純粋に心理主義的なものではない.自己分析では具体的な職業の導出,内定の獲得に向けた自己の客観化,積極的な自己表現もともに求められるためである.分析を通して,自己分析市場は新規大卒採用市場における不透明性の低減,動機づけの個人的獲得支援・調整,社会問題の個人化という機能を果たしていると考えられた.だが採用状況の悪化によって社会問題の個人化機能が突出するとき,それを可能にする「自己のテクノロジー」への注意が払われなければならない.