著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.297-309, 1988-01-29

寛政5年1月7日(1793年2月17日)宮城沖に発生した地震の震度分布およびそれに伴う津波の高さを,新史料をもとに調べ,近年の宮城沖地震との比較から地震と津波の規模および波源域を考察した.各地の史料を調べた結果,震度5の範囲は岩手県中部から福島県北部に至る内陸部に分布し,震度4の範囲は東北地方から関東地方に広くまたがることが示された.1933年三陸地震・1978年宮城県沖地震などの震度分布との比較から,寛政地震のマグニチュードはM=7.8と推定された.一方,この地震に伴う津波の高さは,岩手県中部~牡鹿半島沿岸で3~5m,福島県沿岸では2~3mと推定された.筆者の方法(羽鳥,1986)によれば,津波マグュチュード(今村・飯田スケール)はm=2.5と見つもられ(1968年十勝沖津波と同じ規模),従来推定されていた値よりもやや大きい.震度および津波の高さの分布から,波源域は1897年8月の宮城沖津波の波源域を含むかたちで海溝付近にあり,長さ200km,幅80km程度の大きさであったと考えられる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.501-518, 1985-03-30

関東・伊豆東部沿岸を対象に,宝永・安政東海津波における各地の史料・伝承記録を集め,両津波の挙動を調査した.安政津波は,伊豆東部沿岸の集落内に遡上し,津波の高さは3~6mに推定され,半島の付け根付近が高い.また,東京湾では東京・浦安・横浜の河口付近に溢れている.1923年関東地震津波と比べると,相模湾沿岸では津波の高さは下回つたが,外房・九十九里浜では集落に溢れ2倍ほど上回った.宝永津波の高さの分布は,安政津波とほぽ似たパターンを示している,両津波の高さが予想外に大きい要因の一つとして,南海・駿河トラフで発生した津波がエッヂ波のように伊豆東海岸に伝わり,加えて波の屈折効果が作用したものと考える.
著者
中西 一郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3-4, pp.301-310, 2000-03-30

It is mentioned in several earthquake catalogues of historical earthquakes that two earthquakes occurred in May, 1685 and on October 3, 1686 in the Toyohashi region, central Japan. We have recently found historical documents recording the latter earthquake in the Toyohashi region where previous studies located the epicenter of the 1686 earthquake without documents. Our analysis of the documents suggests that the 1685 earthquake did not occur. The damage recorded in the historical documents on the 1686 earthquake was large in villages on the Pacific side of the Toyohashi region. According to this evidence we consider that the epicenter of the 1686 earthquake may be located near the Pacific coast to the south of the town of Toyohashi. This large earthquake, the magnitude of which is estimated to be about 7, occurred 21 years before the great Hoei earthquake of October 28, 1707 (M=8.4). In the eastern part of Aichi prefecture, including the Toyohashi region and the offshore region of the Atsumi peninsula, moderate earthquakes have recently occurred. It is possible that the 1686 earthquake was a seismic precursor to the great 1707 earthquake. The eastern part of Aichi prefecture and the offshore region of the Atsumi peninsula in Aichi prefecture may be regions where we should carefully observe seismic activity, and other geophysical and geochemical phenomena.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.505-535, 1980-11-15

There are many old monuments of the Nankaido tsunamis of Hoei (Oct. 28, 1707) and the 2nd Ansei (Dec. 24, 1854) along the Osaka and Wakayama coasts, Western Japan. Most of these monuments were built just after the earthquakes to pray for the repose of the tsunami victims or to sound a warning to inhabitants. In this paper, the tsunami monuments are illustrated. Based on descriptions on the monuments, adding new data collected from the present field investigation, inundation heights of the 1707 Hoei and 1854 Ansei tsunamis along the Wakayama coast are surveyed by hand-level. Behaviors (inundation height and area) of the two historical tsunamis are compared with those of the 1946 Nankaido tsunami (Dec. 21, 1946). Inundation heights of the 1854 Ansei tsunami along the Wakayama coast, the west side of the Kii Peninsula, are 4.8 meters on the average and are 1.2 times as large as those of the 1946 Nankaido tsunami. The estimated heights of the 1707 Hoei tsunami are 5 meters with the localized run-up maximum of 6 to 7 meters. Along the Wakayama coast, the patterns of height distribution of the two historical tsunamis are similar to that of the 1946 Nankaido tsunami. However, the inundation heights of the 1707 Hoei and 1854 Ansei tsunamis along the coast in Osaka Bay are three times as large as those of the 1946 tsunami. Osaka suffered severe damage and many persons were drowned by the two tsunamis of 1707 and 1854. Estimated heights were about 3 meters. It suggests that the wave periods of the two historical tsunamis were longer than those of the 1946 tsunami. Although the source dimensions of the two historical tsunamis are similar to the 1946 tsunami (The source areas of three tsunamis extend 250 km along the Nankai trough), the rise times of crustal deformation for the two historical earthquakes differ significantly from the 1946 earthquake.
著者
松田 時彦
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.289-319, 1990-06-30

日本列島陸域の既知の活断層を,それぞれ独立して地震を起こす「起震断層」に再編成した.その際,次の場合を,それぞれ一つの起震断層とした: 1) 5km以内に他の活断層のない孤立した長さ10km以上の活断層, 2)走向方向に5km以内の分布間隙をもって,ほぼ一線にならぶほぼ同じ走向の複数の断層, 3) 5km以内の相互間隔をもって並走する幅5km以内の断層群, 4)その断層線の中点の位置が主断層から5km以上はなれている走向を異にする付随断層あるいは分岐断層.こうして得られた日本列島陸域(南西諸島を除く)のすべての起案断層をTable 3とFig. 3に示した.そして,その起震断層の長さLを用いて,その断層から発生し得る最大の地震のマグニチュードMLを,断層ごとにLog L(km)=0.6M-2.9の関係を用いて,算出した.一方,日本列島の陸域と周辺海域を,島孤系における位置,活断層や歴史地震の規模などに基づいて, 16の地帯に区分した(Fig. 4).陸域の各地帯において,その地帯内での最大のMLとその地帯内で生じた歴史地震の最大のマグニチュードMhとを比較し,そのいずれをも包含するマグニチュード(1/4刻み)をもって,その地帯で期待される最大地震のマグニチュードMmaxとみなした.ただし,地域内に例外的に大きなMLをもつ断層がある場合には,それを特定断層とよび,それが地震エネルギーを一括放出するか分割放出するかを,別途考慮することとして,各地帯のMmaxを考慮する際にはそれらのMLを無視した.海域については,活断層資料の精度が陸域と異なること,歴史時代に大地震を比較的頻繁に起こしていること,などから歴史時代の最大地震のマグニチュードをもって,その海域のMmaxとみなした.日本列島各地帯の最大期待地震規模Mmaxは次のようである(Fig. 5, Table 2). Mmax=8 1/2:東日本太平洋側沖合帯,西日本太平洋側沖合帯 Mmax=8:中部・近畿帯(西南日本内帯東部) Mmax=7 3/4:日本海東縁帯(東北日本内帯西部) Mmax=7 1/2:東北日本内帯主部,南部フォッサマグナ衝突帯,伊豆地塊,北陸帯,中国・北九州帯(西南日本内帯西部) Mmax=7 1/4:北海道中部衝突帯,九州中南部帯 Mmax=7:知床・阿寒帯,東北日本外帯,西南日本外帯 Mmax=6 1/2:千島弧外帯,北見帯 MLの最大値とMhの最大値は地帯によって大きく異なっていたが,同じ地帯では両者はほぼ同じ値を示している(Fig. 6).このことから,既存の活断層資料も歴史地震資料も,したがって上記のMmaxも,このように地帯区分した場合にはほぼその地帯の地学的特性を反映していると考えられる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.133-147, 1987-10-23

日本海側に発生した元禄7年(1694)能代地震・宝永元年(1704)岩館地震・寛政4年(1793)鯵ケ沢地震および文化7年(1810)男鹿地震について,新史料を加えた震度分布図を示し,地震の規模を検討した.一方,史料をもとに各地の津波の高さを現地調査し,津波の規模を考察した.1939年男鹿地震(M=7.0)の震度分布と比べると,鯵ケ沢地震の規模はM=7.2,能代地震・岩館地震・男鹿地震はいずれもM=7.0と推定される.これらのマグニチュード値は,従来のものより0.1~0.2大きい.鯵ケ沢地震では鯵ケ沢~深浦間で3~5mの波高が確められ,津波マグニチュードはm=1と推定される.岩館地震の潮位記録は,深浦~滝ノ間間で0.6~1.4mの津波が伴ったことを示唆しており,津波マグニチュードはm=Oとみなせる.また,能代地震・男鹿地震では20~30cmの津波があったと考えられる.震度・津波および地殻変動のデータを考え合せると,震源域は西津軽~男鹿沿岸にそって並び,震源の大きさは30~50kmと推定される.
著者
都司 嘉宣
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.291-298, 2009

At 2 PM, on 7th December 1828, a major earthquake occurred at Kanagawa post town, in Yokohama city. In the present study, using historical documents describing this event, we obtain a detailed map of the distribution of seismic intensity. It is clarified that the area of seismic intensity 6 to 7 (JMA scale) covers the main areas of Yokohama city. The area of intensity 5 covers whole part of Tokyo city zone, the eastern part of Kanagawa prefecture. The magnitude of this event was estimated at 6.4 using the area of intensity 5.
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.519-531, 1985-03-30

1741年北海道渡島半島沿岸から津軽地方にかけて襲った津波は,その規模の大きさからみて,地震によるものとする方が考え易い.しかし地震があったとする確かな古記録が,現在のところ見当っていない.そこで渡島大島の噴火によって発生するとしたら,どの程度の津波が期待できるかを見積った.渡島大島北側の大崩壊地形に見合う量の,土石なだれと,空気と混合した大規模な粉体流を仮定して,津波発生の数値実験を行った,結果は渡島沿岸の津波の高さが,1741年津波の1/3~1/4にしかならず,また津波のエネルギーも2桁位小さい.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.429-438, 1986-02-07

津波史料をもとに別府湾沿岸を現地調査し,地盤高をふまえて各地の津波の高さ(平均海面上)や浸水域の広がりを検討した.大分市内では,流失した寺院の分布から津波の高さは4~5.5mに推定され,地盤高ぶおよそ4m以内の範囲が浸水域とみなされる.別府湾口の奈多と佐賀関ではそれぞれ7~8mと6~7mの波高に達し,湾外の上浦で4m,臼杵では3~4mと推定される.津波マグニチュードは今村・飯田スケールでm=2と格付けされる.津波・震度分布および周辺のテクトニクスから判断すれば,波源域は別府湾を包み東西方向に50km程度の長さがあったと推定される.また,瓜生島・神場洲の地盤沈降の記録は別府湾が陥没したことを暗示し,高角正断層の地震により津波が発生したと考える.
著者
宇津 徳治
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.p551-561, 1987-03
被引用文献数
2

日本のマントル最上部地震(深さ40~80km程度,ただし異常震域が現れる東日本の太平洋岸沖合の地震や北海道太平洋沿岸の地震を除く)に対する震度I(気象庁震度階級),震央距離Δ(km),マグニチュードM(気象庁方式)の標準的関係を表す実験式を132個の地震(M : 5~7)の震度データを用いて求めた.I-Δの平均回帰直線I=I100-b(Δ-100)の定数を,次の式でMと結んだものを提出する.I100=1.5M-6.1 b=0.0523-0.0063Mこれらの式によりあるM,Δに対する震度を求めたとき,得られた値の小数点以下を四捨五入したものが整数値で表される通常の震度になる.
著者
阿部 邦昭 阿部 勝征 都司 嘉宣
出版者
東京大学
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.23-70, 1993

1992年9月2日に中米ニカラグア国太平洋側沖合い海域に発生したニカラグア地震と津波の野外調査を行い,ニカラグアの太平洋海岸での震度と津波浸水高の分布図などを得た.沿岸の各集落での改正メルカリ震度階では震度2または3であって,まったく地震動による被害も生じず,揺れは気がつかない人も多数いるほど小さかった.これに対して,津波の浸水高は,南部海岸で100kmの長さにわたって,平均海水面上6~7mにも達したことが明らかとなり,今回の地震が1896年の明治三陸津波の地震と同様の,地震動が小さかった割に津波規模が異常に大きな「津波地震」であることが判明した.本震発生の直後の余震分布から判断すると,震源の広がりは,ニカラグアの太平洋側海岸線に平行に西北西.東南東に走る海溝軸にそった長さ約200km,幅約100kmの海域と判断される.津波の被害を生じたのもほぼこの震源域と相応した海岸区域であった.また地震波の解析からこの地震は,ココスプレートがニカラグア本土を載せたカリブプレートに沈み込む際の,両プレートの境界面でのずれのよって生じた低角の逆断層型の地震であることが判明しているが,ニカラグアの2ヵ所で得られた検潮記録,および引き波から始まったと各地で証言されている津波初動の傾向はこの地震メカニズムと調和的である.検潮記録,証言,および津波伝播の数値計算結果によると,津波は地震が発生して44~70分後に,まず小さな引き波が来て,その直後に大きな押し波が押し寄せるという形で海岸を襲った.沿岸各地では15分周期で2ないし3波継続したと証言されている.また津波の被害に関しては,浸水高が4mを越すと急激に人的被害が増加すること,津波による建築物の被害の割に死者数が少なかったこと,死者数のうち子どもの占める割合が大きいことが今回の津波被害の特徴であった.A survey study of the Nicaragua Earthquake and Tsunami on September 2, 1992 was carried out on the Pacific coast of Nicaragua. Interviews of the residents and measurements of tsunami trace height revealed only a small seismic intensity in a sharp contrast with a large tsunami. Tsunami height of 2-10 meters above mean sea level was obtained along the whole Nicaraguan coast, although the seismic intensity was only 2 or 3 in the modified Mercalli scale. The small seismic intensity suggests that the present event was a tsunami earthquake characterized by small excitation of short period seismic wave in comparison with large excitation of the tsunami.
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.519-531, 1985-03-30

1741年北海道渡島半島沿岸から津軽地方にかけて襲った津波は,その規模の大きさからみて,地震によるものとする方が考え易い.しかし地震があったとする確かな古記録が,現在のところ見当っていない.そこで渡島大島の噴火によって発生するとしたら,どの程度の津波が期待できるかを見積った.渡島大島北側の大崩壊地形に見合う量の,土石なだれと,空気と混合した大規模な粉体流を仮定して,津波発生の数値実験を行った,結果は渡島沿岸の津波の高さが,1741年津波の1/3~1/4にしかならず,また津波のエネルギーも2桁位小さい.
著者
都司 嘉宣
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.291-298, 2009

At 2 PM, on 7th December 1828, a major earthquake occurred at Kanagawa post town, in Yokohama city. In the present study, using historical documents describing this event, we obtain a detailed map of the distribution of seismic intensity. It is clarified that the area of seismic intensity 6 to 7 (JMA scale) covers the main areas of Yokohama city. The area of intensity 5 covers whole part of Tokyo city zone, the eastern part of Kanagawa prefecture. The magnitude of this event was estimated at 6.4 using the area of intensity 5.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.p143-157, 1986-08

秋田県南部の象潟・金浦海岸に顕著な地殻変動と地震・津波被害をもたらした文化元年(1804年)象潟地震について,新史料を加えて震度分布を調べ,地震の規模を検討した.一方,津波史料をもとに各地の津波の高さを現地調査し,津波の規模および発生機構を考察した.震度6の範囲が本荘~酒田間60kmに及んだことは,今村の報告(1921)と変わりはないが,震度4の地域は青森・宮城県および新潟県下にまたがつた.その広がりから地震のマグニチュードはM=7.3と推定される.海岸の地盤高をふまえて津波の被害状況をみると,津波の高さは象潟付近で平均海面上4~5m,酒田では3~4mと推定される.そのほか周辺の波高分布から判断すれば,津波マグニチュード(今村・飯田スケール)はm=1.5と格付けできる.震度・地殻変動の分布を考え合せると,波源域の長径は本荘~酒田沿岸南北方向に,60kmと推定される.津波の規模は地震の規模に対して標準以上に大きく,この津波は高角の逆断層で起こされたものと考えられる.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.297-309, 1988-01-29

寛政5年1月7日(1793年2月17日)宮城沖に発生した地震の震度分布およびそれに伴う津波の高さを,新史料をもとに調べ,近年の宮城沖地震との比較から地震と津波の規模および波源域を考察した.各地の史料を調べた結果,震度5の範囲は岩手県中部から福島県北部に至る内陸部に分布し,震度4の範囲は東北地方から関東地方に広くまたがることが示された.1933年三陸地震・1978年宮城県沖地震などの震度分布との比較から,寛政地震のマグニチュードはM=7.8と推定された.一方,この地震に伴う津波の高さは,岩手県中部~牡鹿半島沿岸で3~5m,福島県沿岸では2~3mと推定された.筆者の方法(羽鳥,1986)によれば,津波マグュチュード(今村・飯田スケール)はm=2.5と見つもられ(1968年十勝沖津波と同じ規模),従来推定されていた値よりもやや大きい.震度および津波の高さの分布から,波源域は1897年8月の宮城沖津波の波源域を含むかたちで海溝付近にあり,長さ200km,幅80km程度の大きさであったと考えられる.