著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.501-518, 1985-03-30

関東・伊豆東部沿岸を対象に,宝永・安政東海津波における各地の史料・伝承記録を集め,両津波の挙動を調査した.安政津波は,伊豆東部沿岸の集落内に遡上し,津波の高さは3~6mに推定され,半島の付け根付近が高い.また,東京湾では東京・浦安・横浜の河口付近に溢れている.1923年関東地震津波と比べると,相模湾沿岸では津波の高さは下回つたが,外房・九十九里浜では集落に溢れ2倍ほど上回った.宝永津波の高さの分布は,安政津波とほぽ似たパターンを示している,両津波の高さが予想外に大きい要因の一つとして,南海・駿河トラフで発生した津波がエッヂ波のように伊豆東海岸に伝わり,加えて波の屈折効果が作用したものと考える.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.547-570, 1982-01-08

The west coast of Kii Peninsula and Shikoku, western Japan, suffered severe damage from the three Nankaido tsunamis of 1707, 1854 and 1946. There are many old monuments of the 1854 Ansei tsunami along the Kochi coast. Old documents on the Hoei (Oct. 28, 1707) and Ansei (Dec. 24, 1854) tsunamis along the southwest coast of Kochi Prefecture were collected during the present field investigation and illustrated in this paper. Based on the documents, the inundation heights of the 1707 Hoei and 1854 Ansei tsunamis were surveyed by handlevel and compared with those of the 1946 Nankaido tsunami (Dec. 21, 1946). The inundation heights (above M. S. L.) of the 1854 Ansei tsunami along the southwest coast of Kochi averaged 5.5 meters. Those of the 1707 Hoei tsunami averaged 7.7 meters with maximums of 10 meters at places. Although the inundation heights of the 1946 tsunami along the entire Pacific side of Shikoku were nearly uniform, the patterns of height distribution along the west coast of Shikoku for the 1707 and 1854 tsunamis differ significantly from those of the 1946 tsunami. The inundation heights of the 1854 Ansei and 1707 Hoei tsunamis on the western Shikoku coast were 1.5 and 2.1 times respectively, higher than those of the 1946 tsunami. This suggests that the rise times and/or the amount of the slip displacements on the west part of the fault might be different.
著者
阿部 勝征
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.851-873, 1991-03-29 (Released:2008-05-30)

フィリピンのルソン島中部で1990年7月16日に発生した大地震(Mw7.6)について現地調査や波形解析を実施し,地震の発生機構を調べた.この地震はルソン島の地表に最大水平変位6mの地震断層を出現させた.それは島弧中央断層であるフィリピン断層系の一部である.地震断層の現地調査ではBongabonからRizar, Digdigを経てCapintalanまで実地踏査し,これらの地域を含めてDingalan湾よりImugan北方までを100km以上にわたってヘリコプターで上空より調査した.現地調査,地震波解析,余震データから得られたフィリピン地震の全体像は長大な左横ずれ断層運動である.断層面の走向は154°NE,傾斜角は76°Wであり,断層の長さは120km,幅は20km,断層面上での平均変位量は5.0mである.地震による横ずれ断層としては世界有数の規模である. TSKにおけるP波初動部分の変位記録は,震源での継続時間が約50秒あり,約10秒間の小さな立ち上がりに続いて2個の大きなサブイペントが約20秒の間隔で発生したことを示唆する.ラ・ウニオン州のルナで約2mの高さの津波が発生したが,局地的なもので,液状化に伴って生じたとみられる. 17日に発生した最大余震(Mw6.4)は逆断層運動によるもので,主断層運動の東側のブロックが断層の北端付近を圧縮したために起きたと考えられる. The Luzon, Philippines earthquake of July 16, 1990, with Ms=7.8, was generated by left-lateral slippage in central Luzon Island. We surveyed surface breakage over the area from Bongabon to Capintalan through Rizar, Puncan and Digdig by vehicles, and also made an aerial survey by helicopter from Dingalan Bay to north of Imugan. Ground breakage was observed and mapped for a distance of 110km along the Philippine fault system and its splay known as the Digdig fault. Maximum horizontal offset as measured on the fault at Imugan is 6m. It is one of the largest strike-slip earthquake ever recorded in the world.
著者
Santo Tetsuo A.
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.307-325, 1959-08-25

I・G・Yの日米国内の脈動観測資料を用いて,各地の脈動嵐が何の影響でどんな起り方をするか,また各地の脈動嵐相互間の時間的な関係はどのようにかつているかを,天気図と対照しつつ調べた.その結果,1)低気圧や台風が日本の東方海上を東北進する場合には,脈動嵐はそれを追いかけるようにして西南日本から東北日本へと移つてゆく.そしてこの場合,ある地区に脈動嵐が一番ひどくなる時期は,低気圧や台風の中心がかなり行きすぎてしまつてからである.この傾向は,低気圧の場合に特に著しい.
著者
Sezawa Katsutada Kanai Kiyoshi
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝国大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.190-207, 1939-06-30

脈動の原因について多くの人の議論があるが未だに一致しないやうに見える.海岸を打つ波の衝擊が彈性波として傳播するといふ説と,大氣中の振動が壓力波又は彈性波として傳播するといふ説とは互に相讓らぬやうである.只今の研究では,海岸を打つ波の場合には勿論彈性波として傳播してよいけれども,大氣中の振動はやはり大氣波として傳播しなくてはならぬといふ結論に達するのである.尤も何れの場合にも波動が2次元的でないと充分な振動勢力が傳はらない.波が海岸を打つて出る波についてはに多くの研究が試みられてあるから茲では取扱はない.
著者
宮部 直巳
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝国大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.297-306, 1936-06-05

昭和11年2月21日,大阪府と奈良縣との境界上の二上山附近に震央を有する強震が起つて,大阪,奈良の兩府縣下に幾分かの被害を與へた。この地震に伴つて氣付かれた2~3の現象に就いて,踏査,及び各地に問合せて得た所の囘答によつて調査した結果を述べたい.この地震に限らず多くの場合地震に伴つて認められる現象であるけれどもこの地震に於いても(1)地震に伴つた音響(2)井水位の變化(3)發光現象等が認められてゐる.以下是等の項目に就いて梢々詳細に叙述したいと思ふ.
著者
長沢 工 三浦 勝美
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.579-588, 1988-03-31

1987年9月11日に西日本上空に出現した大火球は,進行中に強い衝撃波を発生させた.その衝撃波が地表に達したときの震動は,東京大学地震研究所,白木微小地震観測所の6ケ所の地震計,高知大学地震観測点の2ケ所の地震計に記録された.これらの地震記録から計算した結果,火球は,東経133°,北緯34°.28の地点を68.6kmの高さで通過し,北から37°.7西に向いた方向へ,水平と34°.3の角をなして通過したことがわかった.したがってこの火球は四国を越えて広島県北部に達したと見られる.地震計の記録だけから火球径路が決定できたのはこれが初めてのことである.これだけはっきりと径路を決めることができれば,隕石捜索の場合には非常に有力な資料となる.
著者
溝上 恵 Nakamura Isao Chiba Heihachiro Yoshida Mitsuru Hagiwara Hiroko Yokota Takashi
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.p25-63, 1983
被引用文献数
2

The earthquake of July 23, 1982(M7.0) off Ibaraki Prefecture, Northeastern Honshu was accompanied by remarkable foreshock and aftershock activities after the quiet period of seismicity for about 16.5years since 1966. Three earthquake provinces were specified in the trench side, the transitional and the coastal zones through a systematic westward movement of the aftershock activity. In the earlier stage of the movement, a seismic activity of a shallow focal depth of less than 30km took place in the trench side province including major quakes of M5.9~6.2. An aseismic area of 30~40km in length, a possible locked portion on the plate boundary, separated the trench side province from the transitional one, where both shallow and the pronounced double-planed deeper origin earthquakes were observed. In the succeeding stage of the westward movement, the seismic activity in the coastal province seemed to be slightly strengthened on the double-planed seismic zone. A penetration of seismic activity as deep as 60~80km in the east coast of Ibaraki Prefecture was observed coupled with the occurrence of the earthquake of February 27, 1983(M6.0) in the south of Ibaraki Prefecture. It can be suggested from these evidences that the westward movement of the aftershock activity were closely related to regional effects of the subduction of the Pacific plate off and in the coast of and in the southern part of Ibaraki Prefecture.1982年7月23日23時23分に発生した茨城県沖地震(M7.0)は顕著な前震および余震活動をともなった.この活動は1966年以来の約16.5年にわたる静穏期にひきつづいて発生した.関東地方における微小地震観測網によりとらえたこの活動の特徴は次のようである.i)海溝寄りから茨城県沿岸部にかけて余震活動がひろがったが,この余震活動の時空間分布から余震域を3つの地震区A),B)およびC)に分けることができる,余震活動はこれらの地震区を束から西へと移動した.ii)余震活動の初期には東側,海溝寄りの地震区A)でM5.9~6.2を含む余震が発生しそれらの震源の深さは大部分のものが30km以浅であった.本震はこの海溝寄りの地震区の東端に位置し震源の深さは約15kmと推定される.iii)海溝寄りの地震区A)はその西隣りの地震区B)と長さ30~40kmの低地震活動域により分離されている.この低地震活動域は断層面の摩擦の大きい部分に対応する可能性がある.地震区B)ではM5.4~5.8を含む余震が発生し,それらの震源の深さは30km以浅のものとより深いものとがある.後者は沈みこむ太平洋プレートに対応する2層構造の震源に属する.iv)余震活動の終期には茨城県東岸での活動の高まりが見られその震源の深さは60~80kmであり2層構造の上面の地震活動の活発化を示唆する.v)1983年2月27日,茨城県南部の地震(M6.0)は上記の経過からみてこの茨城県沖地震と連鎖して発生した可能性が高い.茨城県沖地震(1982年7月23日,M7.0)およびその余震活動が太平洋プレートとユーラシア・プレートとの相互作用によるものと考えられるが,この茨城県南部の地震は太平洋プレートとフィリピソ海プレートとの相互作用によるものと考えられる.vi)以上から今回の茨城県沖地震にともなう余震活動の西方移動は3つのプレート間の相互作用を反映した一連の現象であると推察される.
著者
金子 隆之 清水 智 板谷 徹丸
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.p299-332, 1991-06
被引用文献数
5

信越高原は,中部日本北東部に位置する.この地域には数多くの第四紀火山が,第三紀の火山岩を基盤に密に分布し,浅間火山から北へ約70Kmに渡って南北の火山列をつくる.このような新旧の火山岩が複雑に分布する地域では正確な時代区分を行うことが難しく,個々の火山に至っては,形成史がほとんど解明されていないものも多い.本論では, K-Ar年代測定を行った55個のサンプルの産地,岩石について記載し,得られた年代値と,現時までに公表されている地質図,層序関係を総合的に検討することによって,各火山の活動年代,形成史を明らかにすることを試みた。各火山の推定された活動年代は以下の通りである.関田火山:1.7-1.2 Ma,毛無火山:1.6-1.0 Ma,班尾火山:0.7-0.6 Ma,鳥甲火山:0.9-0.7 Ma,苗場火山: 0.6-0.2 Ma,カヤノ平火山:1.5-0.7 Ma,高社火山:0.3-0.2 Ma.焼額火山: 1.1-0.8 Ma,東舘火山:0.9 Ma前後,志賀火山:0.25-0.05 Ma,横手火山:0.7前後,草津白根火山:0.6-0.0 Ma,御飯火山:1.1 Ma前後,四阿火山:0.9?-0.4 Ma,烏帽子火山:0.4-0.2 Ma,浅間火山:0.1-0.0 Ma,鼻曲火山:1.1-0.7 Ma.Seventeen Quaternary volcanoes are distributed in the Shin-etsu highland area situated in the north-eastern part of central Japan. They occur forming a volcanic chain (about 70km) from the Asama volcano in the south to the Sekita volcano in the north, and convering the Tertiary volcanics. In the southern area, geological approaches in field have been unsuccessful both in distinguishing the Quaternary volcanic edifice and the basement volcanics and in revealing their ages of volcanic activity.
著者
Kishinouye Fuyuhiko
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.377-380, 1957-09-25

建物の固有振動周期を知るのに遠心力を利用した起振機を用いる場合,起振機の車輪を速く回転させて放すとその回転が次第に遅くなり建物の振動は小さくなるが,起振機の回転が建物の固有周期と共振する所では振幅の極大が現われることはよく知られている.共振の場合には振幅ばかりでなく振動の位相も大きく変わる筈であるので,筆者は起振機と建物の振動との位相差を測定し固有周期を見出した.実例として東京都内の豪徳寺,経堂,千住の3個の大きさ,構造共に殆ど等しく,地盤の追うアパート建築について行つた実験結果を示した.
著者
宇佐美 龍夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.1571-1622, 1967-03-31

Table of major earthquakes which occurred in and near Japan and accompanied by damages was prepared. The table consists of two parts, the major and auxiliary ones. Earthquakes in Formosa and Korea and outside Japan were omitted from these tables. The only exceptional one is the Chilean earthquake of May, 1960 which brought big damage to Japan.
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.683-689, 1984-01-14

熱海・初島において,1923年関東地震津波について,地震体験者の住民から聞きとり調査を行った.熱海では当時の海岸から約200m,地盤高がT.P.上7m以下の市街地に浸水したことが分った.熱海中心部の海岸では津波の高さは7.0~8.0mと推定される.一方,初島では地盤が隆起して集落内に津波は侵入せず,津波の高さは1.8m程度であった.
著者
Hatori Tokutaro
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.97-110, 1981-08-31

最近50年の間に,アリューシャン・アラスカ海域におこった5個の巨大地震に伴った津波について,米国のCGS記録に日本の観測データも加え,津波の規模と波源域を調べ,この海域の津波特性を検討した.まず,各津波の規模(m:今村・飯田スケール)を,震央から島弧にそった沿岸の波高データをもとに,筆者の方法で判定すれば,ハワイに大被害を与えた1946年津波はm=3と格付けされる.この地震のマグニチュードはM=7.4とみなされているが,津波データによれば地震モーメントM0は1.5×1029ダイン・cmと見積もれる.一方これとは対照的に,地震規模が上回った1938年のアラスカ半島沖地震(M=8.3)の津波は,m=2と推定される.そのほか1964年アラスカ津波はm=4,1957年・1965年のアリューシャン津波はm=3と見積もれ,それぞれ地震モーメントに見合った津波であった.各地で観測された津波の伝播時間をもとに,逆伝播図から波源域を推定すると,1964年アラスカ津波の波源域の長さは700kmで,余震域と大体合致する.しかし,1946年津波の波源域は余震域と著しく異なり,ウナラスカ島からウニマク島に至る長さ400kmと推定される.1957年津波の波源域は,余震域とほぼ合致して900kmにもなり,そのほかの津波も日本近海の津波と比べて,波源域は数倍も長い.1964年アラスカ津波では40分の周期が卓越したのに対し,1946年・1957年・1965年津波の周期は10~20分と短かく,波源域が海溝寄りにあったことを暗示している.解析の結果,この50年の間に,各波源域はアッツ島沖からアラスカに至る海域に,島弧にそって並んで分布しているが,アラスカ半島ぞいのウニマク島からシュマーギン島に至る400kmの間に津波の空白域が見出せる.これは,近い将来,この区間にm=2~3クラスの津波発生の可能性が大きいことを考えさせる.
著者
宇佐美 竜夫
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.1571-1622, 1967-03

Table of major earthquakes which occurred in and near Japan and accompanied by damages was prepared. The table consists of two parts, the major and auxiliary ones. Earthquakes in Formosa and Korea and outside Japan were omitted from these tables. The only exceptional one is the Chilean earthquake of May, 1960 which brought big damage to Japan.
著者
岸上 冬彦 河角 廣
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝國大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, Tokyo Imperial University (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
no.4, pp.75-83, 1928-03-28

The object of this investigation is to introduce the application of the theory of fluctuation to some problems of statistical seismology. We have investigated the fluctuation of the number of earthquakes instrumentally registered in some units of time, taking the statistical after-effect into consideration.