著者
川島 浩平
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.100, pp.77-112, 2011

「黒人は固有の運動能力を有する」という意味での「黒人身体能力神話」を研究の対象とするにあたって,次の二つの立場を措定することがで、きる。第一は,「神話」の浸透を国際的な広がりをもつ現象として捉え,その起源と形成・普及の過程をグローパルな視点から解明しようとする立場である。第二は,「神話」の浸透におけるすぐれて日本的な状況に注目する立場である。ここで問われるべきは,「神話」の歴史性や時代的文脈におけるその性質であると同時に,否それ以上に,「量的」あるいは「比率的」な展開のありかたである。すなわち,グローパルな水準に照らし,「なぜ日本において,かくも無批判に『神話』が受容されるのか」である。本論は第二の立場に立ち,「神話」の日本における受容の過程を,「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に解明することを目的とする。具体的な構成は以下の通りである。まず第一節にて,「黒人」,「身体能力」,「神話」などの主要概念に定義を与え,文献調査や意識調査の結果を紹介し,日米間の神話に対する意識や態度の差異の度合を明らかにする。第二節では,研究調査の方法論を詳述する。特に,アンケートと聞き取りの結果に基づいて設定した神話受容の過程を解明するために検討すべき4つの経験領域(1 実際の「黒人」との遭遇,2. 「人種」や「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得,3. これらの言葉・概念の公的教育カリキュラムによる学習. 4. 「神話」を支持するに至った契機と体験)の説明に力点を置く。第三節では,第一の経験領域に関してすでに発表した主要な分析結果を報告し,第四節では,第二の経験領域に関して具体的な分析を行う。最後にこの分析に続く作業を展望し,本研究調査の意義を指摘する。
著者
吉永 進一
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.123-125, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第III部 :神の声を聴く --カオダイ教, 道院, 大本教の神託比較研究--≫
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.107, pp.103-129, 2015

本稿は,漫画家・エッセイスト辛酸なめ子の諸作品を読み解くことを通じて,現代日本におけ る象徴天皇制やスピリチュアリティ文化と批判的に対峙する作法について思考するものである。 現在,天皇は非政治性を建前とした「象徴」として,またスピリチュアリティ文化は過酷な競 争社会を生きる現代人につかの間の「癒し」を提供するものとして,柔和で無害な相貌で存在しているようにみえる。だが,これらの文化/制度は,それを中心にして形成される「空気」のなかで,ときとして暴力性や抑圧性を露わにすることがある。このような暴力性・抑圧性に対 する批判は多いが,外部的な視点に立ったイデオロギー批判に代表される従来の批評的言語は, ポストモダンな天皇制やスピリチュアリティ文化を前に,有効性を喪失してしまっているように思われる。そのようななか,興味深い批評の言葉を創出しているのが,辛酸なめ子の作品である。なめ子は,作品のなかで,皇室やスピリチュアリティ文化を題材として積極的に取り上げ,それらを戯画化することでユーモラスな世界を創造する。彼女の手法として重要なのは, 第一に,皇室ファン,またスピリチュアリティ文化の愛好者として,つまり作品の題材となる 文化のインサイダーとして自己規定しながら,同時にアウトサイダーとしての視点をも導入す る姿勢であり,第二に,さまざまなジャンル(皇室,スピリチュアリティ,女子校文化,芸能 ゴシップなど) の間の境界線を混線させて笑いを生みだすスタイルである。そのことにより,なめ子の作品は天皇制やスピリチュアリティに内包される権威性や差別性を機能不全に陥らせることに成功している。それは,外部者の立場から"本当のこと"を突きつけるという批判のスタイルが通用しない領域が広がっているなか,天皇制やスピリチュアリティ文化を構成する「空気」に亀裂を入れる批評の言語の可能性を示すものといえるのではないだろうか。
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.387-399, 2017-07-31
著者
ペリー・Jr. エドマンド・ウォーレン 立木 康介
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.311-343, 2017-07-31

立木康介 訳時に, 歴史的過程は, 神話や伝承, そして叙事詩的ストーリーテリングに伝統的に見られる諸サイクルに流れ込む。ジョーゼフ・キャンベルがその先導的著作『千の顔をもつ英雄』のなかで英雄のサイクル--離別, イニシエーション, 帰還--を記述するとき, 明らかになるのは, イエズス・キリストやアーサー王, そして文学史全体にわたる何万もの, とはいわないまでも, 何百もの英雄たちの物語に合致するひとつのパターンである。これらの英雄たちの旅路は, 彼らの立身へと通じる数々の試練と闘いの単神話的セットにほかならない。エルヴィス・プレスリーの社会的上昇, 彼のライフスタイルのある意味で夢幻的な物語, 彼の早すぎる死, そして, 私たちが彼を記念すること, そうしたことすべてが組み合わさって, ジョーゼフ・キャンベルの英雄サイクル理論のパターンを用意する。つまり, 実在する人物であるエルヴィスは, 生前から, そして死後にも, 非実在的で変形力をもつアメリカ的神話になるのである。世間的人気とは比較的うつろいやすい現象であるのにたいし, エルヴィスのキャリアとその死後のキャリアに伴う反響は, 年々大きくなり, けっして衰えを見せない。エルヴィス・プレスリーの顔は, 人類史全体のなかで最も認知度の高い人間のイメージである可能性がきわめて高い。エルヴィスの人気の異例さは, エルヴィスの名声の「いかに」と「なぜ」, そして, 21世紀に入っても変わらぬ彼のイメージの増殖の秘密を, 私たちが吟味するよう促さずにはおかない。本稿はまたとくに, 死後のエルヴィスの歴史文献学とエルヴィス神話の進化を提示するものである。Sometimes historical processes feed into cycles traditionally seen in myth, lore, and epicstyle storytelling. When Joseph Campbell, in his seminal work Hero With a ThousandFaces, describes the cycle of the hero̶separation, initiation, and return̶Campbell is describing a pattern that fits the epic cycle of the stories of Jesus Christ, King Arthur, and hundreds, if not tens of thousands, of heroes throughout literary history. The journey of these heroes is the monomythic set of trials and battles that lead to the rise of these heroes. The ascent of Elvis Presley and the somewhat fantastic tales of his lifestyle, his untimely death, and our memorializing of him all combine to serve the pattern of Joseph Campbellʼs theory of the cycle of the hero. That is, Elvis, the real man, becomes in his lifetime and after his death, an unreal and transformative American myth. While celebrity is a relatively ephemeral phenomenon, Elvisʼs career and his post-mortem career carry a resonance which increase yearly and have never suffered decay. It is quite possible that Elvis Presleyʼs face is the most recognizable human image in the entire history of man. The unusual nature of Elvisʼs celebrity prompts us to examine the how and why of Elvisʼs fame and the proliferation of his image well into the 21st century. This paper will also specifically address the historiography of the post-modern Elvis and the evolution of the Elvis myth.
著者
佐藤 良明
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.110, pp.287-309, 2017-07-31

「キング・オブ・ロックンロール」として君臨する間エルヴィス・プレスリーは, ポップ音楽業界だけでなく, アメリカ史を通して国民国家を分断してきた溝を二重に跳び越える文化英雄だった。南部の貧農の子が目映い世界のスターになったというだけでなく, それを「ヒルビリーの伊達男」に, 即ちサム・フィリップスのいわゆる「真正な黒人のサウンドと黒人の感触をもつ白人」になることをもって達成したのである。どうしてそんなことが可能だったのか。ポップ・ミュージックは, イメージの生産と購入を特徴とする新しい経済の中心部分をなすが, 1950年代後半の時期にエルヴィスの声と身体は, 何百万ものティーンエイジャーの心を動かして都市の黒人文化への渇望をかき立てた。顕著に黒人的な音楽スタイルを身にまとった彼は, これをカントリー音楽において展開してきた熱情的で一途な歌唱とブレンドした。彼が引き起こしたロカビリーの熱狂を日本のポップ市場に引き入れようとする初期の試みは, 社会的・歴史的な事情から成功したとは言えない。しかし, 日本にロックビートが浸透する1960年代後半には, 内向きの歌謡曲に新しいジャンルが登場する。森進一, 青江三奈らの歌唱は, 日本の伝統的な芸能力学を, エルヴィスの3連符の震えを含むR&Bの音楽的イディオムと接合するものであった。後に「演歌」と呼ばれるもののルーツを分析する中で我々は, エルヴィスが与えた文化横断的なインパクトの大きさを改めて目撃するだろう。My lecture is an invitation to see Elvis Presley as a trickster who, during his reign as king of rock 'n' roll, doubly crossed the gaps embedded not only in music industry but more profoundly in the nation itself throughout its history. Not only did the poor Southern boy become the flashy international hero but he did so by becoming a "hillbilly cat" or, in Sam Phillip's words, "a white boy with authentic Negro sound and Negro feel." How was that possible ? We look at pop music as an essential part of the new economy that featured production and purchasing of images. In the late 1950s Elvis's voice and body stirred the desire of millions of teenagers to transgress into the urban black culture. We examine how Elvis's singing came to assume the conspicuously black styles and how he blended it with the passionate, sincere singing developed in country music. The attempts to graft the rockabilly craze to the contemporary Japanese pop market was only partially successful for social and historical reasons. However, in the latter half of the1960s as Japan became more exposed to the rock beat, a new domestic-oriented genre emerges. The performances of Mori Shin'ichi and Aoë Mina combine traditional Japanese body dynamics with musical idioms of R&B including Elvis's vibration in triplets. By tracing the roots of what was later to be called Enka, we will once again witness the tremendous crosscultural impact Elvis made on the inhabitants of this planet.
著者
谷 泰
出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.42, pp.p1-58, 1976-12
被引用文献数
1
著者
漆 麟
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.103-142, 2016-07-30

本稿は, 日中戦争末期の1945 年1 月に重慶で開催された「現代絵画聯展」に注目し, それを戦時中の中国モダニズム美術による一つの集約として考え, その具体像を再現するとともに, 中国美術におけるモダニズムの規範, そして時代・政治的状況とともに変わっていく美術史的言説による作家・作品評価及びその歴史化の様相について検討するものである。「現代絵画聯展」はおそらく戦時中におけるモダニズム志向の最大規模の美術展であるにもかかわらず, 現在までそれに触れた著作は, それをいわゆる「重要な現代美術展であった」と捉えているものの, 作家名以外の具体的な状況に全く言及していない。そして, 歴史的事象の選択による近現代美術史の編成においては, 日中戦争中をモダニズム美術の「空白期」として扱う傾向が見られる。それらの既往研究を踏まえ, 本稿では, 林風眠・倪貽徳・龐薫琹・関良を中心とする出品作家の戦時中の活動を辿り, その帰結とも言える「現代絵画聯展」の具体像を再現することを試みる。その再現作業を通して, 戦時中におけるモダニズム美術の転換, そして同時代の言説空間から窺えるそのあり方について考察する。それは, 当時の美術界の「生態系」の様相を浮かび上がらせることによって, モダニズム志向の画家群と両立していた宣伝美術や伝統美術に従事する人たちをめぐる政治的空間, 複数の「近代」の成立についての検証である。さらに, 「現代美術聯展」に関する戦後から現在にわたる美術史的言説の変遷について考察する。1949 年から1980 年代までのその展覧会に参加した画家本人の「忘却」, それに相反する1990 年代以降の美術史の再編における展示や作家たちに対する拡大しつつある評価, などの事象を検討することを通して, 戦時中のモダニズム美術に対する歴史化の様相を明らかにし, 「近代化」の論理で語られる1990 年代以降の美術史的言説と, 制作領域におけるモダニズムの「不在」との矛盾について考える。
著者
岩城 卓二
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.101, pp.1-17, 2011

延享2年(1745), 三田藩において上級家臣の親子が永暇の刑に処された。理由は父親の女性問題の噂が三田藩領内を超えて世間に流布したためである。しかし噂はウソであった。なぜ, ウソの噂であったにもかかわらず親子は処分されたのか。それは父親の日常態度に不満を持っていた人民が噂に共鳴し, この噂が「天の口」(神の声)へと昇華したからである。そして人民が求めたものは真相の解明ではなく, 上級家臣が厳罰に処されて, 人民の前に惨めな姿をさらけ出すことであった。本稿は, この事件を素材に, 噂が「天の口」へと昇華する過程について考察する。In 1745 (the 2 nd year of Enkyo), a father and his son from a high-ranking feudal family in Sanda domain were sentenced to nagaitoma. This is because a rumor of the father's extramarital affair spread across and beyond the Sanda domain, and eventually reached the outside world. In fact, however, this rumor proved to be false. Why were the father and son punished even though the rumor was false?