著者
長 志珠絵
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.137-166, 2013-03-29

本稿は日中戦争以降,戦没兵士の集合的な納骨施設かつ巨大な構築物として計画・建設が進められた本土各地の「忠霊塔」のうち,首都に設置された「東京市忠霊塔」を,1 外地忠霊塔との関係,2 東京という政治都市に設置されたことの意味を明らかにする。特に本稿の方法の特徴は,米軍占領期とその史料に言及したことで,戦後の忠霊塔を占領軍の政治文化として議論した点である。戦時下の帝都空間でシンボリックに扱われた戦争シンボルが,戦争末期にどのような状況下にあったか,他方,戦争の事後の社会のなかでどのような意味転換を果たすのか,その過程を歴史学研究の手法を通じて明らかにし,戦争記憶を読み解こうとする試みである。
著者
山室 信一
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.101, pp.63-80, 2011

1895年から1945年の敗戦に至るまでの日本は, 日本列島弧だけによって成立していたわけではない。それは本国といくっかの植民地をそれぞれに異なった法域として結合するという国制を採ることによって形成されていったが, そこでは権利と義務が差異化されることで統合が図られていった。こうした日本帝国の特質を明確化するために, 国民帝国という概念を提起する。国民帝国という概念には, 第1に国民国家と植民地帝国という二つの次元があり, それが一体化されたものであること, しかしながら, 第2にまさにそうした異なった二つの次元から成り立っているという理由において, 国民帝国は複雑に絡み合った法的状態にならざるをえず, そのために国民国家としても植民地帝国としてもそれぞれが矛盾し, 拮抗する事態から逃れられなかった事実の諸相を摘出した。その考察を通じて, 総体としての国民帝国・日本の歴史的特質の一面を明らかにする。The Meiji state's experience of forming a nation state affected its possession of colonies and also the changes that accompanied the Meiji state's becoming a colonial empire. In this paper, I will employ the concept of nation—empire for the purpose of clarifying the character of Japanese total empire. To do so, I wish first to emphasize that the concept of nation—empire has two dimensions, for it is meant to incorporate both the nation state and the colonial empire. But my second point is that for precisely that reason, it contains tendencies that contradict the nation—empire itself.
著者
中村 ともえ
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.106, pp.279-294, 2015

特集 : 領事館警察の研究大正末の「戯曲時代」には,多くの戯曲集が刊行され,雑誌の創作欄に多くの戯曲が発表され た。この時期,戯曲は小説と同様,読むものとして流通し受容されていたのである。本稿では, この時期の谷崎潤一郎の二つの戯曲,『愛すればこそ』と『お国と五平』を取り上げ,読むものとしての戯曲がどのような表現を作り出していたかを明らかにした。戯曲時代には,谷崎や正 宗白鳥など小説家として名の知られた作家たちが戯曲の制作に取り組んだが,それらの諸作は 「小説的」と形容され,戯曲史の上では概して評価が低い。たとえば『愛すればこそ』『お国と 五平』は,登場人物たちがほとんど動かずに堂々巡りの議論を行い,その台詞は冗長である。 そのため上演に当たっては,俳優に動きをつけ,台詞を削ることが望ましいとされてきた。本稿では,谷崎の戯曲の台詞が備えるこの冗長な文体を,読むものとしての戯曲が作り出す,小 説ではなく戯曲の形式においてはじめて可能となる表現として捉えなおした。まず,『愛すればこそ』『お国と五平』のト書きが谷崎の旧作と比べて簡潔であること,特に『愛すればこそ』は改稿過程で台詞を発する人物の様子を描き出すト書きを多数削除していることに着目した。次 に,松竹大谷図書館が所蔵する『お国と五平』の上演台本を調査し,戯曲と対照した。台本で は一つの台詞,また一つながりの台詞がまとめて削除されており,それによって戯曲にあった台詞と台詞の言葉の上での連続性が失われている。『愛すればこそ』『お国と五平』では,台詞 はト書きの機能を代替するような語句を含み,また直前の台詞の中のある語句を反復し反転して連なる。これらの語句は,人物と人物が相対する場面の中の発話としては過剰であり不要で あるが,それによって台詞は発話に回収されない表現を作り出しているのである。
著者
廣岡 浄進
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.106, pp.169-204, 2015

特集 : 領事館警察の研究間島出兵(1920-21年) に呼応して,在間島日本総領事館は朝鮮人民会の再編を進めた。民会に組織された朝鮮人は,移民として総じて弱い立場にあった朝鮮人の生活基盤を固めることに,その存在意義を見出していった。その要求が在満朝鮮人総体の帰趨に関わるときには帝国 はそれに応じざるを得なかった。しかし,治外法権を領事館警察が行使するための方便として 活用された朝鮮人の「自治」は,それが満洲国において地方行政の桎梏とみなされるようになった時点で,「民族協和」を掲げる満洲国協和会へと合流させられた。 本稿は,植民地近代の隘路について考えた。朝鮮人民会においては,「親日派」になることが「民族」への敵対行為なのではなく,むしろ「民族」の生活を守りさらに改善するための交渉の 場を作り出すこととして再設定された。それはつまり,植民地帝国日本の人種主義に即応して, 帝国臣民として領事館警察の保護を受けるべき在満朝鮮人として主体化することでもあった。 在満朝鮮人の生活そのものが帝国の国策に重なりあうものとして指し示されたとき,そこに救済が発動されたのである。
著者
梶原 三恵子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.33-102, 2016-07-30

前六-五世紀のインドでは, 当時主流であったヴェーダの宗教思想に, 秘儀的祭式の創出や輪廻思想の発達などの革新的展開が生じ, さらに仏教など新興の思想勢力も現れた。本稿は, 古代インドにおけるヴェーダの宗教と初期の仏教の接点を, ウパニシャッド文献および初期仏典にみられる入門・受戒儀礼の比較を通して論じる。ヴェーダの宗教における入門儀礼は, 初期ヴェーダ文献『アタルヴァヴェーダ』(前十世紀頃) 以降連続的に発達し, 後期ヴェーダ文献のグリヒヤスートラ群(前三世紀頃) にて儀礼形式が完成する。ただし, 中期ヴェーダ文献のウパニシャッド群(前六-五世紀頃) には, 通常の入門儀礼とは意義と形式をやや異にする独特の入門儀礼が現れる。すでに入門儀礼を経てヴェーダ学習を終えたバラモン学匠たちが, 当時創出されつつあった秘儀的な祭式や思弁を学ぶために師を探訪し, 通常の入門とは異なる簡素な儀礼を行い, 改めて入門するというものである。いっぽう仏教における入門儀礼は, 一般には戒律を受けて僧団に加入する受戒儀礼をさすが, 本稿では組織的な受戒儀礼が成立する前に行われていたであろう仏陀その人への直接の入門の儀礼を扱う。初期仏典にみられる仏陀への入門の場面は, ウパニシャッドにみられるバラモン学匠たちの入門場面と, 語りの枠組みも入門儀礼の形式も顕著な相似を示す。そのかたわら, グリヒヤスートラが規定するヴェーダ入門式との類似を特には示さない。仏陀の在世年代がウパニシャッドの成立時期と重なることを考慮すると, 後に初期仏典が編纂された際に, ウパニシャッド時代の知識人たちの間で行われていた入門の形式が, 当時の知識人の一人であった仏陀とその弟子たちの間でも行われたように伝えられ, あるいは想像されて, 説話の枠組みに取り入れられた可能性がある。
著者
川島 浩平
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.77-112, 2011-03

「黒人は固有の運動能力を有する」という意味での「黒人身体能力神話」を研究の対象とするにあたって,次の二つの立場を措定することがで、きる。第一は,「神話」の浸透を国際的な広がりをもつ現象として捉え,その起源と形成・普及の過程をグローパルな視点から解明しようとする立場である。第二は,「神話」の浸透におけるすぐれて日本的な状況に注目する立場である。ここで問われるべきは,「神話」の歴史性や時代的文脈におけるその性質であると同時に,否それ以上に,「量的」あるいは「比率的」な展開のありかたである。すなわち,グローパルな水準に照らし,「なぜ日本において,かくも無批判に『神話』が受容されるのか」である。本論は第二の立場に立ち,「神話」の日本における受容の過程を,「人種」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心に解明することを目的とする。具体的な構成は以下の通りである。まず第一節にて,「黒人」,「身体能力」,「神話」などの主要概念に定義を与え,文献調査や意識調査の結果を紹介し,日米間の神話に対する意識や態度の差異の度合を明らかにする。第二節では,研究調査の方法論を詳述する。特に,アンケートと聞き取りの結果に基づいて設定した神話受容の過程を解明するために検討すべき4つの経験領域(1 実際の「黒人」との遭遇,2. 「人種」や「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得,3. これらの言葉・概念の公的教育カリキュラムによる学習. 4. 「神話」を支持するに至った契機と体験)の説明に力点を置く。第三節では,第一の経験領域に関してすでに発表した主要な分析結果を報告し,第四節では,第二の経験領域に関して具体的な分析を行う。最後にこの分析に続く作業を展望し,本研究調査の意義を指摘する。
著者
福家 崇洋
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.167-206, 2013-03-29

本論文は,1950年前後における京都民主戦線の軌跡を再検討した。京都民主戦線は敗戦後の日本で「革新」的な首長を次々に誕生させた統一戦線として知られている。本稿では,京都民主戦線を一地域の事象に限定せず,海外公文書所蔵資料を用いながら日本共産党の動きや国外共産党との関係まで視野に入れて捉えなおしている。1章は東アジア共産圏の構築を中国共産党の台頭と「極東コミンフォルム」構想に焦点をあてて論じた。2章は東アジア共産主義運動の再編にともなう中ソ両共産党から日本共産党への影響を明らかにした。具体的には日本共産党とソ連共産党の水面下の交渉と「コミンフォルム批判」にいたる経緯である。3,4章は京都民主戦線の軌跡を京都市長選から府知事選まで追いかけつつ,民主戦線勝利の背景や,日本共産党の民主民族戦線の変化 (「植民地 (日本)」「民族」の解放や「愛国」の強調) とその京都民主戦線への影響を明らかにした。市長,府知事の当選という京都民主戦線の成功は,従事者たちの意図とは別に,路線変更後の日本共産党の功績として位置付けられていった。5章は4章における日本共産党の民主民族戦線変化の要因をソ中両共産党の影響に探り,日本に後方基地攪乱の働きを求めるソ中両共産党からの指示を海外公文書館所蔵資料から跡づけている。6章は「志賀意見書」の波紋や国外共産党からの不信と警告,パージの影響を論じながら,日本共産党がしだいに党内部の亀裂を深めていく様を論じた。最後の7章では改めて参院選挙における京都民主戦線の動きに着目し,日本共産党の民主「民族」路線と急進化の影響がついにはイデオロギー対立による京都民主戦線の分裂にまでいたる過程を明らかにした。
著者
北村 直子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.35-67, 2014-06-30

16世紀から18世紀にかけて書かれたユートピア文学では,大航海時代末期から重商主義・啓蒙主義時代にいたるヨーロッパ人の視野拡大を反映し,架空世界と既知の空間との落差をふたつの要素によって強調した。(a) 空間的距離: ヨーロッパからの遠さ。主人公の遭難の地点が実在の固有名 (地名・緯度経度) を使って表現される。(b) 意味論的落差:身体的・文化的・政治的な違い。空間的距離によって説得力を保証され,語りの視点の設定を工夫することによって強調される。(a) のような既知の固有名の使用はユートピア文学が次代のリアリズム小説と共有する要素である。いっぽう (b) の特徴はユートピア文学の「報告」としての性質を支える要素であり,ユートピア文学の報告者 (語り手,視点人物) は当時のヨーロッパ人を代表してヨーロッパと架空世界との落差に驚いてみせ,読者にその違いを強調してみせることによって読者の反応を先導しようとする。読者を誘導するこの仕掛けを物語論では「評価」と呼ぶ。「評価」のマーカーは物語一般に見られる自然なふるまいである。なお,20世紀に書かれた架空旅行記においては,語り手の「評価」のマーカーがときに欠如しており,読者が視点人物と容易に同一化できない。本稿では,こういった物語装置の分析を通じて,報告体物語の機構を検証し,トマス・モアからシラノ・ド・ベルジュラック,スウィフトを経てサドにいたる空想旅行記の暗黙の前提を可視化することをめざす。いかなる物語も,多かれ少なかれ「出来事の報告」という側面を持っている。本稿は,さまざまな物語ジャンルのなかでも,とりわけこの報告というコミュニケーション様式に特化したユートピア文学を分析的に特徴づけることによって,報告という言語行為がもつ小説史上の意味を考察する。視点操作や物語行為の本質を解明するためには,物語作品の意味内容以上に,物語の暗黙の前提を研究することが有効と考えるからである。
著者
外村 中
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.1-43, 2013-03-25

琵琶は,古代中世の東アジアにおいて最も流行していた楽器の一つである。小稿では,正倉院に伝わるタイプの琵琶の源流とその流伝について,新たな仮説を提起する。従来の研究では,とくにローマとの関連は考察されていないようであるが,琵琶をひいては伝統音楽をあるいはさらには東西文化の交流を総合的に検討するためには,見落としてしまってはならないであろう。「阮咸」は,中国起源あるいは中国系であるとされる。そういえないことはないであろう。ただし,その原初タイプは,西アジア系長頸リュートから2世紀頃から3世紀頃までに中国において分岐したものらしい。また,1世紀から3世紀頃の西アジア系長頸リュートの中央アジア西部・北方インドのクシャーナ朝における流伝は,ローマあるいはローマ文化圏と関連がありそうである。「曲項」は,ペルシャ起源とされるが,ローマ文化圏からもたらされた梨形直頸リュートから2世紀頃までに中央アジア西部・北方インドのクシャーナ朝で分岐したものを原初タイプとするらしい。「五絃」は,インド起源とされるが,正確にはローマ文化圏からもたらされた梨形直頸リュートから3世紀頃までに南方インドのサータヴァーハナ朝で分岐したものを原初タイプとするらしい。「秦漢」は,詳細不明であるが,あるいはギリシア・ローマ文化圏の梨形直頸リュートの直系あるいはそれに近いタイプであったかもしれない。
著者
上尾 真道
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.65-87, 2012-03

本論は, フロイトにおける人間と必然性の関係をめぐる問題を, フロイトの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」論の読解に基づき考察したものである。フロイトは, 人間に否応なく立ちはだかる必然性について, しばしばアナンケーという言葉で論じながら, 人間は宗教的錯覚を捨てて, それに対峙していかなければならないと述べ, その態度を科学的態度としている。本論は, 晩年の文化論に見られるこうした問題系をフロイトが先取りしていたものとして, 彼の論文「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の思い出」を取り上げる。レオナルドは, 第一に, 宗教的錯覚を排し, 自然のアナンケーに知性を通じて対峙した人物として描かれている。しかし, レオナルド論を丹念に読むならば, 父性的影響を排することで可能となった知的な自然探求は, すぐさま, 常に幼年期の母との強い情動的関係に裏付けられた神経症的な思考強迫と境を接するものであることがわかってくる。知的探求と自然崇拝が結び付くようなこの母性的影響について, フロイトのほかのいくつかのテクストを参考にするならば, それは, 偶然的な現実を覆い隠そうとする錯覚のひとつであるという見方が可能となる。そこで, レオナルド論のうちに, この母性的錯覚に裂け目をもたらすものとしての偶然をめぐる主題を探すと, 自然に湛えられた潜在的な原因の闊入として構想された偶然の概念を見出すことができる。この偶然は, 必然性のうちに主体を埋没させる強迫的探求に対して, 主体が自らをひとつの作用因として世界へ介入させる行為と創造の側面から理解されるだろう。こうした必然性に参与する偶然への配慮こそがフロイトの科学的世界観の鍵であり, アナンケーを人間の変容の舞台として理解するための鍵である。
著者
岩熊 幸男
出版者
京都大学人文科学研究所
雑誌
人文学報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.60, pp.p105-160, 1986-03