著者
齋藤 鮎子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.96-97, 2012

B級グルメとしての浜松餃子がいかに発祥し、定着・普及したかを地域社会との関わりから考察する。
著者
岡橋 秀典
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.31, 2006

1.はじめに 日本の中山間地域は、高度経済成長期を経て公共事業や分工場に依存する外部依存性の高い周辺型経済を形成してきた。それが曲がりなりにも1970~80年代に地域経済を支え、地域を存続させる役割を果たしたことは否定できない。しかし、今日、急速に進むグローバル化、構造改革の波は、そうした経済にも根本的転換を迫っている。また、現代日本における知識経済化の急速な進展はこうした転換を促す大きなベクトルを醸成している。それゆえ、こうした認識にもとづき、わが国の中山間地域における新たな経済社会システムを展望することが求められている。 本報告では、上記課題に応えるための第1歩として、広島県内の農村ツーリズムの1事例を取り上げる。対象地域は、東広島市福富町竹仁地区である(福富町は2005年2月に東広島市へ編入合併した)。2.「こだわりの郷」の成立と展開 この地区には、釣り堀と飲食店などの複合施設をはじめ、天然酵母のパン屋、酪農家によるジェラート店やレストラン、いくつかのブティック、その他の飲食店など、多様な業態の店舗が分散的に立地している。これらの飲食店、ブティックなどは90年代になって徐々に集まってきたが、「こだわりの郷」という名称の下でネットワーク化されることで、地域外に広く認知されるようになった。その活動は90年代中頃から始まり、正式にグループが発足したのは99年である。この組織の成立の経緯は、立地店舗の中の1経営者が「こだわりの郷」のネーミングを考案し結成を呼びかけたのが発端で、行政はその形成のプロセス、運営にも一切関与していない。現在は13業者が加入しているが、活動は共通パンフレットの作成やスタンプラリーを行う程度であり、ゆるい結合の組織である。 地域振興という点で重要なのは、分散的にこの地区に立地していたに過ぎなかった店舗群が、一つの名称を与えられることで、特徴ある地域集積として広く認知されるようになったことであろう。ネットワーク化と地域ブランド化が、タイミングよくなされた事例と言える。3.物産館の設置とその役割 この地区の地域振興に新たな展開をもたらしたのは、福富町(当時)による2002年の物産館設置である。「こだわりの郷」の集客力に注目した町が、国の補助事業によって、農産物等の加工と販売を行う休憩施設を地区中央の道路沿いに設置した。この物産館には地元の9グループ約140人が参加し、野菜の直売に加え、エゴマ油、豆腐、味噌、餅、パンなどの多彩な手作り物産の製造販売を行い、また小規模ながら食事の提供も行っている。 このような活発な活動が功を奏し、来客数は初年度の5万人弱が年々増えて2005年度には8万人に達した。販売金額も順調に伸びている。 この物産館は、この地区での行政による観光関係事業としては最初のものであったが、自然発生的な地域づくりの動きを的確に捉えて有効な施策を実施し、インフラ面、社会面、経済面など多方面で成果をあげていることが特筆できる。4.来訪者の特性と行動 まず来訪者の特性をみる。回答者は性別では男と女、ほぼ同数であるが、年齢層では50歳台と60歳台が多く、両者で全体の60_%_以上を占める。居住地は、東広島市が1位で40_%_強、2位が広島市で30_%_弱を占め、これら2市で全体の70_%_に達する。 回答者の半数は10回以上この地区を訪問している。このようなリピーターが来訪者の半分を占めるということは、根強いファンが存在することをうかがわせる。また、同伴者は、夫婦だけで50_%_弱に達するが、これに夫婦プラス子供同伴の20_%_弱を合わせると、夫婦を中心とする形態が70_%_にも達する。夫婦を中心とした来訪が基本パターンであり、それには居住地による地域差もほとんどみられない。 この地区への訪問目的で最も多いのが、約40_%_を占める物産購入であり、食事が30_%_でこれに続く。他方、この地区の魅力として強く意識されているのは自然や田園景観である。このため、この地区のツーリズムは魅力的な自然や田園景観というベースの上に、食事や物産の提供が行われることで成立していることがわかる。しかし、地区内での訪問先は3箇所程度であり、しかも大部分は自動車利用であるため滞在時間が短いのが問題と言える。5.おわりに 以上検討した事例からは、知識経済化時代の中山間地域の地域振興に求められるいくつかの要素が見出せる。列挙すれば、行政への依存度の少なさと住民の自主性、ネットワーク型の組織、地域ブランド、新旧住民双方の関与と交流、来訪者とのコミュニケーション重視の販売形態、健康に代表される生活文化領域での提案、自然環境や景観の重視などである。
著者
渡邉 敬逸
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.40-40, 2010

<B>_I_目的</B>:本発表の目的は,新潟県小千谷市で行われる闘牛,牛の角突きを事例として,その牛の成長過程と取組作成における人々の合意形成のプロセスに注目し、牛の強さがいかにして決められるかを,人と牛との関係から明らかにすることにある。<BR><BR><B>_II_牛の角突きにおける牛の勝敗</B>:一般的に日本の闘牛は,どちらかの牛が頭を離して逃走したら負け,として勝敗を明確につける。しかし,牛の角突きは,慣習的に勝敗をつけずに,全取組を「引き分け」とする。すなわち,人力によって対戦中の両牛を無理やり引き離すことにより,文字通りに「引き分け」として,牛の勝敗を公にしない。<BR>では,牛の角突きは,牛間の勝敗を問わず,ただ牛を突き合わせるだけの行事かというと,もちろんそうではない。牛の角突きが開催されるたびに取組表が作成され,取組毎に番付が付される。そして,番付上位に位置する牛ほど「強い」という認識は,会場に集まる人々に共有されており,明確な格付けこそされないまでも,常に番付上位に位置するような牛は「横綱牛」とさえ称される。<BR> つまり,牛の角突きは「引き分け」を慣習としているが,それは決して牛個体間の強弱に基づく勝敗を否定するものではない。取組によっては,一方の牛が戦意を喪失して逃走し,勝敗が衆目に明らかになる場合もある。また,結果としての勝敗だけではなく,その内容も強く問われる。決して最後まで逃走しなくても,手も足も出なかったり,技が単調だったりすると,その牛への評価は芳しくないどころか,負け,と評されることもある。そして,なによりも牛持ち(牛の所有者)は,決して「引き分け」であることを前提に牛を飼っているわけではない。すなわち,牛の角突きには,明瞭ではないものの,勝敗という概念が存在し,それは牛の角突きに関わる者達に概ね共有されている。特に,牛持ち達は勝敗へのこだわりを強く持っており,これは自らの牛への思い入れの裏返しとも言える。<BR><BR><B>_III_牛の成長過程と人々の評価</B>:個々の取組を見れば,牛の勝敗は,牛の健康状態,気性,体重,年齢(経験),そして牛同士の相性という牛個体間の生態的特性の違いによるところが大きい。ただし,牛達の成長過程を概観すれば分かるように,必ずしも生態的に優れた特性を持つ牛が勝ちを重ねれば,「強い」と認められ,順調に番付上位に上り詰め,「横綱牛」と称されるようになるわけではない。<BR> まず,牛には概ねその年齢階層に沿った役割があり,これに沿わない限り,ただ勝ちを重ねるだけの取組だけでは許されなくなる。すなわち,3歳~5歳は概ね同齢の牛との組み合わせによる「力比べ」,6歳~10歳は同齢の牛に加えて中~上位牛との組み合わせを中心とする「力試し」,そして10歳以降は「力試し」に臨む牛の挑戦を受け「横綱牛」の門番を務めるような役回りを受けつつ「横綱牛」の座を伺うこととなる。特に,自らよりも「強い」牛を相手としなければならない6歳~10歳の過ごし方は,その後の牛の成長過程に大きく影響すると言われている。<BR> 次に,人の牛や牛持ちに対する評価が,牛の勝敗や強さとは別に,牛の成長過程に強く影響を及ぼす。こうした牛やその牛持ちへの評価は,関係者の間で共有されることで,牛の成長過程に強く影響を及ぼすと考えられる。また,人々の話の中に牛の「格」なるものが引き合いに出されているように,牛の角突きでは,人の牛に対する評価として,勝敗を超越した牛の「格」に言及されることがある。特に「格」は「横綱牛」と称される。つまり、牛の角突きにおいては,単純な牛の勝負という結果に加えて,人々の様々な角度からの評価によって,牛の強さが形作られている。<BR> 特に,牛に対する人々の影響は,取組作成のプロセスに色濃く表れる。「取組審議会」は牛の角突きを主催する小千谷闘牛振興協議会における取組作成の専門部会である。牛持ち達は同会に,次回開催時の希望相手を伝えることが出来るものの,その組み合わせは取組審議会に出席する「取組審議員」に一任されており,彼らの合意をみなければ,取組が決定されない。その取組作成プロセス,つまり彼らの牛や牛持ちに対する何気ない評価に,牛の角突きにおける牛の強さを理解するヒントがあると考えられる。<BR><BR><B>_IV_発表内容</B>:本発表では、まず、現在までの牛の角突きの取組表から、牛の番付移動を抽出し,一般的な牛の成長過程を検討する。次に,取組審議会における人々の実践と取組の合意プロセスに注目し,いかにして牛の角突きにおける牛の強さが形作られるかについて述べたい。<BR>
著者
川西 孝男
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.24-25, 2014

2014年人文地理学会大会.2014年11月8日(土)-10日(月).会場:広島大学東広島キャンパス大学院教育研究科
著者
冨永 哲雄 コルナトウスキ ヒェラルド キーナー ヨハネス 高田 ちえこ
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.88-89, 2013

大阪市西成区北部においての、生活保護受給者をターゲットにしたシェアハウス及び、長期間滞在外国人をターゲットにしたゲストハウスのローカルな不動産による改築実践を明らかにする。
著者
コルナトウスキ ヒェラルド キーナー ヨハネス
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.74-75, 2013

単身高齢者集住地区の再生が研究対象となっていない欧米のジェントリフィケーション批判的研究を議論するため、大阪市内で最も単身高齢化問題が顕著である西成区北部におけるゲストハウス外国人宿泊者を中心にした地域の活性化の可能性を検討する。
著者
横山 智
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.38, 2010

<B>1.はじめに</B><BR><BR> 発表者は、東南アジアのナットウに興味を持ち、これまで研究報告が存在しなかったラオスのナットウを調査し、中国雲南省からの伝播ルートとタイからの伝播ルートが混在していることを明らかにした。しかし、先行研究では、タイのナットウ(トゥア・ナオ)は、ミャンマーのナットウ(ペポ)と同じグループと論じられている。<BR> そこで本研究では、2009年に実施した北タイとミャンマーの市場調査とナットウ製法調査をもとに、発酵の際に菌を供給する植物に着目して、ミャンマーおよび北タイのナットウの類似点と相違点を解明することを目的とする。<BR><BR><B>2.販売されているナットウの種類</B><BR> 北タイで製造されるナットウは、(1)粒状、(2)ひき割り状、(3)乾燥センベイ状の3種類に大別することができる。ただし、日本の「納豆」と同じ「粒状」ナットウは、現地の市場で見かけることはほとんどない。北タイでは、タイ・ヤーイと称されるシャン人(ミャンマーのシャン州出身)の村では見ることができるが、それ以外の市場では、「ひき割り状」か「乾燥センベイ状」しか売られていない。<BR> 一方、ミャンマーで製造されているナットウは、多様性に富んでいる。北タイに多い「ひき割り状」と「乾燥センベイ状」以外に、シャン州のムセーの市場では、油で揚げて甘い味付けをしたもの、豆板醤のようなソースをからめたもの、そして乾燥したものなど、「粒状」を加工したナットウが多く売られていた。さらに「ひき割り状」を一度乾燥させた後に蒸かして円筒状に形を整えた珍しいナットウも売られていた。しかし、日本の「納豆」のような糸引きナットウは、2009年の調査で訪れたシャン州内の市場では少なかった。ところが、バモーより北のカチン州に入ると、シャン州で見られたような加工された「粒状」ナットウよりも、糸が引く日本の「納豆」と同じ「粒状」ナットウの比率が高くなり、カチン州都のミッチーナ市場では、強い糸が引く「粒状」ナットウがほとんどであった。<BR><BR><B>3.ナットウの製法と地域的特徴</B><BR> 北タイとミャンマーのナットウの製法は基本的に同じである。大豆を水に浸した後、柔らかくなるまで煮て、その後、プラスチックバックや竹カゴに入れて数日間発酵させれば、「粒上」のナットウができあがる。なお、どの地域でも発酵のために種菌を入れることはない。その後、粒を崩し、塩や唐辛子などの香辛料を混ぜて「ひき割り状」のナットウとし、さらに「乾燥センベイ状」の場合は、形を整えて天日干しする。この製造工程のなかで、地域的な差異が見られるのが、菌の供給源となる植物の利用である。<BR> シダ類(未同定)とクワ科イチジク属は、ヒマラヤ地域で製造されているナットウの「キネマ」でも利用されていることが報告されており、カチン州との類似性が見られた。またシダ類は、シャン州でも利用されているため、ヒマラヤ地域の「キネマ」とミャンマー全域の「ペポ」との類似性も見いだすことができよう。そして、チークの葉およびフタバガキ科ショレア属の利用という視点からは、シャン州と北タイに類似性があることが判明した。<BR> 本研究の結果は、以下のようにまとめることができる。北タイとミャンマーのシャン州で大規模に「乾燥センベイ状」ナットウを生産している世帯では、発酵容器に竹カゴは用いられず、肥料袋のようなプラスチックバックに煮た大豆を数日間保存するだけであり、菌の供給源となる植物も入れない。<BR> 形状と糸引きの強弱に関しては、シダ類やイチジク属を用いているヒマラヤ地域とカチン州は「粒状」が多く、糸引きも強い傾向がある。チークやショレア属の葉を用いるシャン州や北タイは、多くが「乾燥センベイ状」で、粒状の場合でも糸引きが弱いことが明らかになった。<BR><BR><B>4.おわりに</B><BR> 本研究では、これまでの議論とは視点を変えて、菌を供給する植物に焦点をあて、植物利用からナットウ製法の地域区分を実施することを試みた。それの結果、これまで全く議論されていなかった、ミャンマーとタイでの類似点と相違点、そしてミャンマー内での類似点と相違点を解明できた。これらの結果をもとに、未だ達成できていない中国側での植物利用調査を進めることが出来れば、東南アジアのナットウが中国からの伝播かどうかを議論する際の重要な手がかりになると思われる。<BR>
著者
齊藤 知範 根岸 千悠
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.10, 2011

<B>1.はじめに</B><BR><BR> 本報告では、若年女性の犯罪不安について、質的アプローチを導入することによる新たな枠組みを提示した上で、犯罪不安と都市空間における行動制約や防犯対策との関係について、試論的に考察を加えるものである。<BR> 犯罪不安がどのような社会的属性の人々に集中しやすいかは社会によって異なりうるが、重要な特徴のひとつとして、男女差の存在を挙げることができる。すなわち、他の諸要因を統計的にコントロールした上でも、女性のほうが男性よりも犯罪不安が高い傾向にあることが知られている(Ferraro 1995)。こうした男女差は、先進諸国において、比較的共通して観察されるパターンである。<BR> 一方で、犯罪不安は、主観的で多面的なものであり、生活世界を含めてその内実を深く知ろうとするほど、計量的手法だけでは、構造を解明する上で一定の限界があると考えられる。このため、質的手法が適する場合があり、諸外国においても、質的アプローチによる研究が行われてきた(若林 2009)。他方、吉田(2006)は、地理学におけるジェンダー研究を包括的に検討しつつ、育児等の再生産の舞台である郊外の住宅地における防犯のための監視性の高まりについて、ジェンダーの観点から考察を加えている。<BR><BR><B>2.先行研究</B><BR><BR> 犯罪学においては、犯罪や非行を犯す人間の心理や社会的環境要因に着目する犯罪原因論と、犯罪が起きやすい状況(場所、時間帯など)を生む条件や環境に着目する環境犯罪学の2つが、主要な説明理論として挙げられる。犯罪原因論はもとより、環境犯罪学においても、犯罪の被害に遭いうるターゲットが抱える犯罪不安や選択する防犯対策については、それほど考察がなされているとはいえない。<BR> 他方、小学生の防犯教育に関する実践的研究は比較的多くなされており、大西(2007)のレビューに詳しい。また、根岸(2011)は、公立高校の3年生(21名)を対象とする防犯の実験授業を実施しており、犯罪に関するリスクの情報を生徒に対して適切に伝達したり犯罪統計に関するリテラシーを身につけさせたりすることや犯罪不安の緩和などを目的とした、高校生の防犯に関するカリキュラム開発を行い、授業実践上の課題について明らかにしている。一方で、成人の犯罪不安や被害防止のためになされる防犯行動を空間との関わりにおいて検討した研究は、比較的少ないのが実状である。<BR><BR><B>3.研究の方法</B><BR><BR> 以上のような問題関心にもとづき、報告者は、大都市および郊外地域に居住する若年女性を対象として、質的調査を実施した。具体的な内容としては、つきまといや声かけなどのヒヤリハット事案への遭遇経験、犯罪不安の状況や背景、防犯情報への接触、防犯のために講じている対策や行動などについて尋ねるものであり、これを半構造化面接によって実施した。この安全・安心に関する質的調査は、犯罪不安と若年女性の社会生活との関係などについても、把握しようとする内容であった。<BR> 本報告では、この調査について予備的な分析を行い、第1節で提示した問いに関して若干の考察を加えることとしたい。<BR><BR><B>参考文献</B><BR><BR>Ferraro, Kenneth F., 1995. Fear of Crime: Interpreting Victimization Risk, State Univ of New York Press.<BR>根岸千悠, 2011, 「「犯罪について考える」授業の開発 ―犯罪の実態と認識の乖離および環境犯罪学に着目して―」『授業実践開発研究』4, 37-43.<BR> 大西宏治, 2007, 「子どものための地域安全マップへの地理学からの貢献の可能性」『E-Journal GEO』2, 1, 25-33.<BR> 齊藤知範, 2011, 「犯罪学にもとづく子どもの被害防止」『ヒューマンインタフェース学会誌』13, 2, 123-126. <BR>若林芳樹, 2009, 「犯罪の地理学-研究の系譜と課題-」金沢大学文学部地理学教室編『自然・社会・ひと-地理学を学ぶ』古今書院, 281-298. <BR>吉田容子, 2006, 「地理学におけるジェンダー研究-空間に潜むジェンダー関係への着目-」『E-Journal GEO』1, 22-29. <BR>
著者
川口 洋
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.1, 2010

天然痘は,高熱を発し,水泡性の発疹が四肢に広がることを主症状とする感染症である。牛痘種痘法が導入されるまで有効な予防法がなかったため,江戸時代に生きた人々民衆も天然痘を生涯に1度は罹る致命率の高い病と認識していた。しかし,衛生統計が整備されるまでの期間における天然痘流行の実態,天然痘への対処法,牛痘種痘法の導入過程に関する研究は,全く未着手とみられる。他方,痘苗が日本にもたらされた嘉永2(1849)年は,持続的人口増加開始期に当たる。牛痘種痘法導入期の天然痘による疾病災害の実態解明は,持続的人口増加がいかなる状況下で始まったか,という課題に接近を図るためにも不可欠である。本報告では,19世紀中後期の多摩郡周辺における牛痘種痘法の導入過程と天然痘死亡率との関係について検討する。
著者
玉懸 慎太郎
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.31-31, 2004

本発表の目的は、マス・メディアとしての劇映画が、ロケ地に与える影響を実際の事例で検討することにある。本発表では、フィルム・コミッションが誘致した映画のロケ地が、映画のヒットによって「名所」になっていく過程を報告する。事例としたのは、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」とそのロケ地となった香川県木田郡庵治町である。映画「世界の中心で、愛をさけぶ」は、300万部を突破した片山恭一原作のベストセラー小説を映画化したものである。映画の公開は2004年5月で、観客動員は400万人を超えた。劇映画とは別に、テレビドラマも制作され、「セカチュウ現象」という言葉を生み出した作品である。香川県木田郡庵治町は、高松市中心部から車で約30分ほどの距離にある。人口は約6,500人で「四国本土最北端のまち」「石と魚のまち」がキャッチフレーズであった。庵治町で撮影が行われた背景には、香川フィルムコミッションの存在が大きい。原作の小説の作者は、愛媛県出身のため、映画の行定監督らスタッフも瀬戸内海を中心にロケ地を探していた。そこで香川県観光協会内にある香川フィルムコミッションが、映画制作会社東宝に働きかけ、香川県内の数カ所を紹介した。スタッフが実際にそれらの場所を訪れ、庵治町が映画のイメージにぴったりだったことからロケ地に決定した。町に観光客が来始めたのは、2004年5月に映画が公開された直後のことである。ロケ地目当ての観光客が町に殺到した。町では慌てて4カ所に看板を設置し、ホームページでロケ地情報を提供した。7月にはパンフレットができあがり、町内の公共施設などで配布を始めた。このブームをきっかけに、庵治町では有志によるボランティア団体「庵治町おこし会」が結成され、7月24日から町役場に隣接する町民ギャラリーでロケ地と映画の写真展を始めた。将来的な課題として、映画ブームが去った後、どのように町おこしをしていくのかがあげられる。
著者
宮本 真二 安藤 和雄 バガバティ アバニィ デカ ニッタノンダ リバ トモ
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.38-39, 2012

東部ヒマラヤ(インド北東部,アルナーチャル・プラデーシュ州,ネパール東部,ブータン東部)における埋没腐植土層の各種分析から,土地開発史を検討した.その結果,①古い段階での初期的な土地開発時期(約2000年前代が中心)も分散的に行われた。②集中的な土地開発時期は、約千年前以降、特に約500年前以降に行われた。③民族移動のルートは、東ネパールでの先行研究とは違い、東西ルートでの民族移動にともなう土地開発過程が示唆された。
著者
山崎 貴子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.41, 2003

学習塾の全国的な動向を分析し、次に京都市右京区を事例地域として、学習塾の立地場所・立地形態等の変化、および生徒の属性などを検討した。 その結果、以下のことが明らかになった。 1 大手学習塾の多くは、高度経済成長期から安定成長期に創立され、規模が拡大している。学齢期人口の増加および高学歴化などにより、営利性が高まったことが要因と考えられる。 2 学齢期人口と学習塾の件数との関係は、大都市レベルではほぼ正の相関関係にある。しかし、京都市を例とした都市内レベルでの検討によると、交通の至便性および地域の教育水準が関与しており、両者の相関関係は低くなる。 3 京都市右京区にある学習塾は、「単体開設」の学習塾が住居系用地にある「自己所有」の物件を利用して展開するタイプから、「複数開設」の学習塾が商工業系用地にある物件に「テナント」として入居し展開するタイプに変化してきている。 4 学習塾は、様々なニーズに対応するため、対象学年の広範囲化、小学生の英語教育、さらに個別指導の強化など、多様な事業を展開している。 5 学習塾の選択背景には、居住地からの距離や交通手段、および学習塾の教育方針が関わっている。 完全学校週5日制の実施および教育内容の削減などにより、教育機関としての学習塾の役割は、ますます大きくなると思われる。また、学習塾を含む民間教育機関、学校および地域の連携の動きがみられ、民間教育機関が地域の中で果たす役割も注目されている。民間教育機関の情報公開の消極性が克服されれば、地理学からの教育に関する研究のさらなる発展が望めよう。
著者
神谷 浩夫
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.67, 2009

発表分野外研究、文化地理学概要北米には、和太鼓チームが300ほどあると言われている。戦後の経済成長に伴って日本国内で伝統音楽に対する再評価の機運が高まり、日系企業の対米進出が活発化するにつれて、北米の日系人コミュニティでも日本の伝統文化への再評価が進み、和太鼓演奏が日系人コミュニティの間に広く普及するようになっていった。本報告では、2008年8~9月に調査した実施した北米ベイエリアにおける和太鼓チームへの聞き取り調査に基づきながら、北米ベイエリアの日系人コミュニティにおいて和太鼓演奏が普及していったプロセスを明らかにし、その要因について検討を加える。
著者
川西 孝男 Takao Kawanishi
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
pp.24-25, 2014

2014年人文地理学会大会.2014年11月8日(土)-10日(月).会場:広島大学東広島キャンパス大学院教育研究科