著者
彭 浩
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.95, pp.321-355, 2020

「雪月花」という言葉は,白居易の詩「雪月花の時に最も君を憶ふ」の影響を受け,日本で使うようになり,古典文学の世界だけではなく,現代人の生活に根付いていることに気づき,感動を覚えた。しかし,「雪月花」は,今は中国では使わない。今回は「雪月花」をモチーフにした日本の歌と絵画を通して日本人の自然観,美意識と心を考察し,また白居易の詩と比較して日本人と中国人の文学に対する考え方と美意識の違いを明らかにした。川端康成は『美しい日本の私』という講演のなかで,「雪月花の時,最も友を思ふ」というように使い,「友」の範囲を広め,人間・自然と美しい自然を見るときに人間の心まで含めた「友」にした。日本の文化は,「情」の文化といわれ,「もののあわれ」に代表されるように,自然の景色や文学作品に触れると,心に響いて感動することが多く,またそれを詩文や絵画に表している。「雪月花」を愛する心は「わび・さび」と同じく,禅の心に通じている。中国の文化は「意」の文化といわれ,儒教の影響が強く,文学が政治的な理想や倫理道徳を表現することが多く,風花雪月よりはもっと重みのある理性的な詩文や地道な生き方を求めるように思われる。 物質文明が中心になっている時代に,人間は心の感動を忘れているように思われる。現代人は疲れた心を癒す必要があるかもしれない。自然のなかで生かされている人類にとって,もう一度原点に戻り,謙虚に自然と人間,人間と人間の関係を考え直さなければならない時期が来ていると思われる。自然を愛し,すべての生命を愛し,雪月花の美しさを感じる心を忘れないようにしたい。
著者
矢嶋 翔
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.100, pp.153-189, 2021

本稿は『相国寺供養記』の写本の一つであり、東北大学附属図書館内狩野文庫が所蔵する『相国寺供養日記』(以下、狩野本と表記する)の史料紹介と翻刻を行うものである。『相国寺供養記』とは、北朝の公家である東坊城秀長が執筆した明徳三年(一三九二)八月二十八日における万年山相国承天禅寺(相国寺)の慶讃供養に関する記録である。 右史料は、従来、『群書類従』釈家部所収本(以下、群書類従本)が善本として研究利用されてきたが、狩野本を調査した結果、群書類従本に見られない記述を数箇所確認することができた。『相国寺供養記』の全容を把握するためには、群書類従本以外の写本の検討を通した『相国寺供養記』の復元作業が必要である。本稿では狩野本の翻刻掲載を通して、『相国寺供養記』の研究の前進を試みた。
著者
和田 忍
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.107-133, 2019

アングロ・サクソン後期にイングランドで活躍した聖職者アルフリッチ(Ælfric)は多くの古英語散文を書き残したことで有名である。そのアルフリッチが書き残した説教である『聖人伝』(Lives of Saints)には,アセルスリース(St Æthelthryth),スウィズン(St Swithun),オズワルド王(St Oswald),エドマンド王(St Edmund)という4人のアングロ・サクソン期のイングランドにまつわる聖人の説話が含まれている。(ローマン・ブリテン時代の殉教者であるオールバン(St Alban)を含めると5人である。)アルフリッチがこれらの聖人を採用した理由の1つとして,アングロ・サクソン期のイングランド人になじみ深い聖人の伝説を通じて,彼らのキリスト教への崇拝意識を高めるという目的が考えられる。また,これらの説教にはイングランド人に対してキリスト教への篤い信仰を求めると同時に,ヴァイキングの脅威といった当時のイングランドの辛辣な状況を諭す内容も含まれている。そして,Godden (1994)は『聖人伝』以前に作成された『カトリック説教集』(Catholic Homilies)よりも『聖人伝』の方がヴァイキングの影響を強く受けた内容になっていると述べている。本稿では,イングランド土着の聖人という特定の説話における内容および語彙の調査から,アルフリッチのヴァイキングに対する意識を考察する。アルフリッチは,時を経て再び勢いを増すヴァイキングに対し,自身の著作を通じて積極的に関わり,ヴァイキングの脅威をイングランド国民に伝えようとしていた様子が窺える。
著者
三浦 麻美
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.359-389, 2018-09-30

本稿は中世ザクセン,マンスフェルト伯領における修道院の史料を整理・分析し,伯と修道院の関係性に関する考察を通じ,13~16世紀の女子修道院と貴族家門の霊性を明らかにする。12世紀にドイツの貴族家門が所領と家修道院を中心に発展する中,遅れて13世紀に修道院を創設した伯はどのようにして家門の歴史を形成したのだろうか。『マンスフェルト伯領修道院証書集』の分析で判明した10修道院のうち,伯が創設したシトー会女子修道院であるヘルフタは特に頻繁な所領や貨幣の寄進を受けた。さらに,同修道院のカルテュレールを再現してヘルフタの歴史認識を明らかにし,修道女たちが寄進の対価として一族の故人のために捧げる祈祷をアイデンティティの中心に置いていたことを指摘する。この関係は伯家もしくはヘルフタが危機に陥るたびに更新され,修道院改革とヘルフタのベネディクト会への転属を超えて継続し,死者を中心とした霊性の1つのあり方を示している。
著者
黒岩 裕市
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.100, pp.221-246, 2021-09-30

二〇〇〇年代前半のフェミニズムへのバックラッシュの中で、ジェンダーフリー教育が「性別」をなくす企てであると攻撃の対象になった。一方、バックラッシュへの対抗言説でも、「性別」をなくすということ自体は否定的にとらえられ、結果的に性別二元論が温存されることになった。この点を批判的に問う先行研究を参照しつつ、本稿では「性別」をなくすというテーマが見られる村田沙耶香の『無性教室』(二〇一四年)を、バックラッシュをめぐる議論と関連づけつつ考察する。この作品の「私」が通う高校では「性別は禁止されている」。その「性別のない教室」がいかなるものかを検討しつつ、「性別」がなくなるということに対する「私」の不安をたどる。しかし作品終盤では「私」は「無性別の世界」をむしろ肯定する方向に向かっていく。このような展開に注目することで、性別二元論を再生産することなく、バックラッシュに抵抗する道筋を想像させるきっかけになり得るものとしてこの作品を読む。
著者
荷見 守義
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.77-108, 2013

中国明代末期、サルフの戦以降、遼東鎮の要衝は次々と満族の手に落ち、この方面の明朝領は山海関周辺に限られた。明朝と朝鮮の陸上交通路は遮断され、朝鮮自体も満族に屈服したことから、明朝にとって中朝辺界の状況を把握することは困難となった。また、明朝国内では李自成らの叛乱が拡大していた。崇禎帝はこの事態に深く憂慮し、宦官を官軍の監視・監軍として付ける新体制を導入し、皇帝自らが官軍を直接指揮して対応しようとした。特に遼東方面は、他方面の監視・監軍体制が撤廃された後も、唯一監視体制が継続した。それは崇禎帝の寵愛厚い高起潜が任用されていたからである。しかし、この高起潜にしても、軍事的能力を有しておらず、システムとして下から上がる情報を上に伝えていただけで、うまく振る舞うことで崇禎帝の信任を得ていた。結局、この体制は機能しなかったが、中朝辺界の軍事情報のあるものはこの体制を通じて中央に吸い上げられ、政策形成の基礎的認識となった
著者
深澤 俊
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.109-130, 2013

デイヴィッド・ロッジの『作者だ、作者』は、文学史上の大人物であるヘンリー・ジェイムズを素材に、伝記ではなく小説として作りあげたものである。ジェイムズは一時期、劇作家として表舞台に出ることを望んでいたが、戯曲『ガイ・ドンヴィル』公演初日に「作者だ! 作者!」の歓声に応えて舞台に立つと、ひどいブーイングにさらされて衝撃を受け、以後劇作家の道を断念する。そしてジェイムズは、後期の偉大な小説群を生み出すことになる。ロッジはこの事実に焦点を当て、当時の売れっ子であったデュ・モーリェとジェイムズとの交流に比重をかけて小説化した。この小説の背景となるヴィクトリア朝の演劇事情、大当たりをとったデュ・モーリェの小説『トリルビー』に言及しながら、ロッジの小説に込めたメッセージを解きほぐす。
著者
前之園 春奈
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.225-237, 2015-10-30

ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の『エフライムのレヴィ人』(1762)は旧約聖書の『士師記』の翻案である。作品の前半に登場するレヴィ人は『社会契約論』(1762)で論じられている立法者のモデルのひとつとして描かれていると考えられる。ルソーは『社会契約論』で立法者は共同体における例外的存在であると述べているが,レヴィ人もまたイスラエル民族の中で特殊な存在であった。このことを手がかりにして,レヴィ人が立法者としての資質を備えており,作品中では立法者としての役割を果たしていたということを明らかにした。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.239-255, 2019

ロベール・ド・ブロワが13世紀後半に著した『ボードゥー』は,ゴーヴァンの息子ボードゥーの幼少年期に焦点を当てた物語である。母の手で騎士に叙任されたボードゥーが一連の冒険の末に,群島王の姫君ボーテを妻に迎える筋書きの中で重要な位置を占めるのは,ボードゥーが最初の試練で獲得する「オノレ」という名の剣である。そもそも古フランス語によるアーサー王物語群では,アーサー王の剣エスカリボール(エクスカリバー)を別にすれば,オノレのように固有名を伴う名剣は珍しい。オノレという名は騎士が守るべき「名誉」というキーワードをもとにしているが,この名の由来を作中人物が説明している点は特筆に値する。
著者
垂井 泰子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.31-47, 2019

ヘンリー・ジェイムズはハイブラウで難解な作家であるが,彼の小説の映像版は広くミドルブラウの人々を対象に制作されている。『黄金の盃』の映画はミドルブラウの人々を惹きつけるために原作を大幅に変更している。BBC 制作の同小説のドラマ版は,原作になるべく忠実に作られているが,映画と同じようにミドルブラウの視聴者を対象にしている。ミドルブラウの人々はローブラウから上昇してハイブラウに近づこうとする上昇志向の人々で,新しい地位にふさわしい教養を求める。教養を求めて本から映像へとメディアを横断し,また階級も横断する,ダイナミックで消費意欲があるミドルブラウの人々を格好のターゲットとして,制作者は文学作品を映像化するのである。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.96, pp.1-27, 2020

本稿は『レラスのポンスの回心に関する論考とシルヴァネス修道院の始まりの真の物語』を分析の対象として共同体が起源をどのように記憶したのか,それが作成された状況においてどのような意味を持っていたのかを明らかにすることを目的とする。シルヴァネス修道院の第4 代院長ポンスは1160・70年代に内外の動揺を抑えて修道院の規律を立て直す改革の一環として創建者と共同体の歴史の編纂事業を行った。この史料の検討から重要な特徴として,現在と過去を統合するためにシトー会と共通する荒れ野や清貧や労働の主題が強調される一方,隠修士時代からの共同体の慈善の伝統の連続性とシトー会への加入手続きの正当性が主張されている点が挙げられる。また,初期の施しによる経済からシトー会時代の蓄積と生産の経済への移行が描かれるとともに,手の労働や執り成しの祈り,さらには緊急時の食料支援の物語を通じて修道院の富が正当化されている点が注目される。
著者
松本 隆志
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.229-254, 2013-10-10

ウマイヤ朝後期のイラク総督ハーリドは,『歴史』と『征服』の二史料間で,質量ともに大きく描かれ方が異なっている。本稿はこのハーリドに関する叙述を二史料間で比較検討したものである。その結果として,ハーリドに関する言及の多い『歴史』では,その理由が南北アラブの部族間対立の文脈に求められ,ウマイヤ朝末期の第三次内乱においてハーリドおよび部族間対立が原因の一つとして機能していることがわかった。他方,ハーリドへの言及が少ない『征服』では,部族間対立の文脈は見られず,第三次内乱はウマイヤ家の内部抗争として描かれていることがわかった。本稿で明らかとなった叙述傾向の相違は,両史料の叙述全体についても反映している可能性があるものと考える。
著者
松本 隆志
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.75, pp.229-254, 2013

ウマイヤ朝後期のイラク総督ハーリドは,『歴史』と『征服』の二史料間で,質量ともに大きく描かれ方が異なっている。本稿はこのハーリドに関する叙述を二史料間で比較検討したものである。その結果として,ハーリドに関する言及の多い『歴史』では,その理由が南北アラブの部族間対立の文脈に求められ,ウマイヤ朝末期の第三次内乱においてハーリドおよび部族間対立が原因の一つとして機能していることがわかった。他方,ハーリドへの言及が少ない『征服』では,部族間対立の文脈は見られず,第三次内乱はウマイヤ家の内部抗争として描かれていることがわかった。本稿で明らかとなった叙述傾向の相違は,両史料の叙述全体についても反映している可能性があるものと考える。
著者
増田 桂子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.283-300, 2014-09-16

コミュニケーションにおいては,話し手がメッセージを伝える際に,言語そのもの以外の情報が非常に重要な役割を果たしている。対面コミュニケーションにおいては,これらの非言語情報は相手の声や表情,動きなどから読み取ることができる。しかしながら,近年急速に増えてきた,PC やスマートフォン等のデジタル機器を用いたインターネット上のコミュニケーションにおいては,相手の姿は見えず声も聞こえない。このような状況でコミュニケーションを円滑に進めるために,非言語情報を文字化して表記するという方策がとられている。声量や声質,話し方といった非言語的音声は,長音府やかな文字を非標準的な方法で組み合わせるなどして表現され,顔の表情,身体の動作といった視覚的情報は,文字や記号を組み合わせて並べ,表情や動作を図形化することで表現されている。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.239-255, 2019-09-30

ロベール・ド・ブロワが13世紀後半に著した『ボードゥー』は,ゴーヴァンの息子ボードゥーの幼少年期に焦点を当てた物語である。母の手で騎士に叙任されたボードゥーが一連の冒険の末に,群島王の姫君ボーテを妻に迎える筋書きの中で重要な位置を占めるのは,ボードゥーが最初の試練で獲得する「オノレ」という名の剣である。そもそも古フランス語によるアーサー王物語群では,アーサー王の剣エスカリボール(エクスカリバー)を別にすれば,オノレのように固有名を伴う名剣は珍しい。オノレという名は騎士が守るべき「名誉」というキーワードをもとにしているが,この名の由来を作中人物が説明している点は特筆に値する。
著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.231-243, 2013-10-10

シェイクスピアの『ハムレット』は『十二夜』に次いで書かれたとするのが通説的であるところ,両者の構造的対比から得られるところは大きい。ジャック・ラカンは『ハムレット』を,ガートルードの欲望の対象の位置がクローディアスによって過剰に占められており,そのことがハムレットを精神的に動揺させる劇として解した。これを『十二夜』に適用すれば,オリヴィアの欲望の対象の位置が,過剰な喪によって逆に空位のまま保たれていることで劇が展開している,という構造が明らかになる。さらにマルヴォーリオいじめのサブプロットをトービーのハムレット的状況として解すれば,この二つの劇はちょうど裏返しの関係にあることになる。このように,中心となる女性の欲望をめぐって,一方では対象の位置を占めるものが破壊される悲劇が描かれ,他方では対象の位置を占めようとする人々が奔走する喜劇が描かれ,後者の喜劇のただなかに,前者の悲劇を予告する主題が含まれているのである。
著者
安藤 和弘
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.90, pp.31-57, 2018

本稿の主たる関心は,『日の名残り』においてカズオ・イシグロが読者の読みかたを操作するために駆使しているいくつかの語りの技法を考察することにある。それに類した考察を行っている研究には,主人公かつ語り手であるスティーブンスが,心的抑圧のために真実を語ることができず,真実を隠蔽するためにみずからの語りに技法を凝らしていると前提を立てた上で,心理的な角度から分析を行っているものが多い。語りに凝らされている様々な技法を考察するという点では本稿も同じだが,スティーブンスの心理が物語に反映されているという視点は,本稿では採用しない。本稿では,スティーブンスという人物とその心理をさぐるのではなく,彼が構成する物語のテクストそのものの組み立てられかた,特に読者の読みを操作する装置がどのような効果を生んでいるかを考察する。「二日目―午後」から「四日目―午後」冒頭部分までを考察の対象とし,それ以後の章の考察は別稿において行う。
著者
安藤 和弘
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.93, pp.1-29, 2019

本稿の主たる関心は,『日の名残り』においてカズオ・イシグロが読者の読みかたを操作するために駆使しているいくつかの語りの技法を考察することにある。それに類した考察を行っている研究には,主人公かつ語り手であるスティーブンスが,心的抑圧のために真実を語ることができず,真実を隠蔽するためにみずからの語りに技法を凝らしていると前提を立てた上で,心理的な角度から分析を行っているものが多い。語りに凝らされている様々な技法を考察するという点では本稿も同じだが,スティーブンスの心理が物語に反映されているという視点は,本稿では採用しない。本稿では,スティーブンスという人物とその心理をさぐるのではなく,彼が構成する物語のテクストそのものの組み立てられかた,特に読者の読みを操作する装置がどのような効果を生んでいるかを考察する。「四日目―午後」と「六日目―夜」を考察の対象とする。
著者
緑川 晶
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.96, pp.357-370, 2020

地域包括支援センターと居宅介護事務所の職員に対して,高齢期の発達障害についての認識を質問紙によって調査した。結果,発達障害についての熟知度は高かったが,発達障害の特性を有する認知症高齢者について,発達障害として見立てる傾向は高くないことが明らかとなった。