著者
林 邦彦
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.75, pp.309-334, 2013-10-10

14世紀にアイスランドで著されたとされるJarlmanns saga ok Hermanns はアイスランド独自の騎士のサガに含まれ,大きく分けて,本稿ではA ヴァージョン,B ヴァージョンと呼ぶ二種類の内容のものが伝承されている。この作品の内容について,先行研究では伝統的なトリスタン物語を踏襲したTristrams saga ok Ísondar および,アイスランド独自の騎士のサガKonráðs saga keisarasonar との関係が指摘されてきたが,その大半はB ヴァージョンのみを扱ったもので,AB 両ヴァージョンを扱ったものにも,その扱い方に問題が残っている。そこで本稿では特に主要登場人物の人物像について,本作品のAB 両ヴァージョンを比較して相違点を明らかにし,さらに本作品の内容を,伝統的なトリスタン物語の改作で,同じく14世紀に著されたとされるSaga af Tristram ok Ísodd と比較し,内容的にどのような関係にあるかを考察し,これらの作品が生み出された背景を考える。
著者
和田 忍
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.81, pp.269-292, 2015

アルフリッチによる『聖人伝』(Ælfric Lives of Saints)には,「呪術について」という説話が収録されている。この説話の中にはhæðen 'heathen' の語が5 度出現し,聖書的な文脈での「異教徒」の意味で使用されている。本論では,アルフリッチがhæðen という語彙に上述の意味に加えて,ヴァイキングの存在も含めていると考えられることを示す。アルフリッチは,この「呪術について」の説話において,ヴァイキングを示す「デーン人」(ða Denisca 'the Danes')という語を使用していない。それ故,彼は直接的にヴァイキングを言及していない。しかし,このテキストにおいて,hæðenとともにscucca(sceocca)といった語彙を取り上げて分析すると,アルフリッチはこれらの語彙を通じて,ヴァイキングを意識していることがわかる。そして,アルフリッチは,キリスト教の教理を浸透させるという説教集の目的とは別に,この呪術についての説話を通じて,ヴァイキングがイングランド人に対して脅威となる異教徒であると示唆している。
著者
小田 格
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.79, pp.63-116, 2014

外国人被疑者・被告人の捜査および公判に関し,従前往々にしてとりあげられてきた問題として,司法通訳が存する。本稿においては,司法通訳に関して,漢語方言が焦点となった判例および事件処理の実例を主たる素材とし,これらと学説や他の言語が焦点となった判例等との比較を通じて,被疑者・被告人の言語運用能力がいかに認定され,かつ,通訳を付すべき言語がいかに選択されるかという点に対し,社会言語学的視座から検討をくわえた。その結果,個々の事例の問題点を抽出するとともに,言語運用能力を認定するための明確な基準・方法が確立されているということはできず,また,通訳を必要とする言語運用能力の水準も一律でないという結論を導出した。さらに,司法通訳を付す言語に関しては,それが当該被疑者・被告人の第一言語でない場合にあっては,各国・各地域の言語の多様性やその使用状況の複雑性に起因する諸点に留意すべきことにも論及した。
著者
川崎 明子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.271-297, 2020-09-30

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』において,不思議の国の〈不思議〉を構成する最大の要素は,多種多様な〈変身〉である。これらの〈変身〉には,言語的要素と生物的要素があり,両者は互いに密接にかかわっている。前者は静的で,死に近く,完結していて,秩序があり,時間がかからない。後者は動的で,生命を持ち,制御しにくく,時間を伴う。物語の根底で作用しているのは数学者キャロルによる言葉遊びの原理,特に地口における単語の置換という言語的変身であるが,そこにも生物がかかわり,変身後に生物の存在感が強まる。生物の強い存在感,特に個体が自由に動いたり時間を伴って変化したりすることは,同時代のチャールズ・ダーウィンの進化論による生物への注目と連動している。本論文では変身を,言葉や物質が登場人物化する〈非生物の生物化〉と,アリスをはじめとする登場人物が物理的に変化する〈生物の変身〉に大別して論じる。
著者
福 寛美
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.279-300, 2022-09-30

『琉球国由来記』の石垣島の条には聖山、於茂登岳の神の由来譚が書かれる。於茂登岳の神はオモト大アルジといい、神女オモトオナリに憑霊し、神の由来を語る。オモトオナリの兄で、神を信じないハツガネは、神に山や海の巨大な生物を見せるよう要求し、大猪や大鮫を殺して喰ってしまう。神をじかに見たがるハツガネとオモトオナリは於茂登岳の頂上で神に会い、驕ったハツガネに神は糠をかける。ハツガネの身体には虱がつき、苦しんだハツガネはオモトオナリを殺害し、自分も死んで石と化す。オモトオナリの死骸は神によって於茂登岳に取り上げられた。オモトオナリは、於茂登岳の名、オモトと琉球の生き神信仰、オナリ(姉妹)神のオナリの名を持つ神的女性であり、死後、於茂登岳と一体化した。オモトオナリと神、そしてハツガネの物語を目撃し、神を崇敬する聖域を創出したのがハツガネの弟のタマサラである。タマサラは、始原世界に聖域をつくった。聖域から世界が拡大する、という発想は『おもろさうし』のおもろに存在する。この物語に若干の分析を加えた。
著者
須田 朗
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.139-170, 2022-09-30

ウィトゲンシュタインがウィーン中心部に建てた「ストンボロウ邸」は一切の装飾を排した簡素な建物である。アドルフ・ロースの建築思想の影響下でなされたこの建築は、科学的言語から曖昧さを排して形而上学を無効にする『論理哲学論考』の言語論に呼応する。ウィトゲンシュタインはこの主著執筆後に陥った精神の危機を、この建築を通じて脱して行き、後期の「言語ゲーム」の哲学に向かう。言語の意味は使用にあるとする後期思想の誕生に、存外、この建築作業が一役を買っていたのではないか。世紀転換期ウィーンの精神状況を背景に前期から後期への移行を考える。
著者
須田 朗
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.1-31, 2021-09-30

哲学用語としての「超越」を古代から現代まで歴史的にたどることで哲学の歴史が鮮やかに見て取れる。大きく分けて三つの超越概念がある。プラトンは感覚的な自然世界のかなたにイデアの世界があると想定した。この形而上学的世界が超越世界だ。プラトンのこのイデア説を引き継いだのがキリスト教の超越神という考えで、ここに神学的超越概念が認められる。近代ではカントが超越論的哲学を唱える。コギトや主観から出発していかにして、心を超越する客観を正確に捉えることができるかが問題になる。ここに認識論的超越概念が見られる。カントはこの問題をコペルニクス的転回で解決し、神学的超越を否定した。ハイデガーは現存在の基本的存在構造としての世界= 内= 存在のうちに超越を見る。現存在は個々の存在者にかかわる前に常にすでに世界に超越している。この世界= 内= 存在こそが超越なのである。彼はこの存在論的超越概念から認識論的超越概念を批判する。
著者
沖田 瑞穂
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.285-308, 2013-10-10

日本の昔話の「花咲爺」は,殺されて死体から有用植物を発生させるハイヌヴェレ型神話の要素を持つと同時に,中国の「狗耕田」,中国や台湾の「蛇むこ」などの説話とも同じ構造を持っており,古栽培民的要素と焼畑雑穀農耕に由来する要素の二層から成り立っているということが,古川のり子の研究により明らかにされている。本稿ではこの古川説に加えて,比較対象をルーマニアの「リンゴ姫」,インドの「ベル姫」,さらにはエジプトの「アヌプとバタ」の説話に広げ,これらの説話に共通した構造を抽出した。その特徴は,主人公が次々に変身する「連続変身」であり,おそらくエジプトのものが最も古く,エジプトから中国,日本へと伝播し,ルーマニアとインドの話はエジプトから中国への伝播の途中で分岐したものと考えられる。また,連続変身の本来の形は,「人間→動物→木→木製品→(灰)→再生」というものであったと推定される。
著者
川越 泰博
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.61-94, 2015-10-30

明の太祖洪武帝が崩御すると、国都南京に築造された孝陵に埋葬された。本来はここ南京に以後の皇帝たちの陵墓も置かれるはずであったが、洪武帝亡き後起きた靖難の役に勝利すると、太宗永楽帝は北京に遷都し、その陵墓長陵をも北京西北の昌平県の天寿山に建造した。以後の皇帝たちも歴代それに倣い、天寿山にその陵墓を造築した。このように、皇帝陵は南京と北京に分岐したが、ともに共通していることは、それぞれの皇帝陵のために護陵衛が付設されたことである。本来、文字通り、陵寝を保護する衛所という役割を課せられた護陵衛であるが、宣徳年間になると、親軍衛・京衛・外衛と同じように、鄭和の西征、兀良哈征討のような外征、鄧茂七の乱や四牌楼の戦いのような中国内部で起きた変乱にその鎮圧軍として出軍した。それは、宣宗宣徳帝が王府護衛や護陵衛のような特殊衛所の軍事力をも取り込み、それを一般衛所化しようとしたためである。その結果、護陵衛の軍事活動の範囲は飛躍的に拡大した。
著者
小嶋 洋介
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.227-256, 2017-09-30

「東洋哲学」を思想視座として戦略的に提起し,西洋哲学を中心軸とするのではない,新たな哲学確立の必要を示唆した碩学,井筒俊彦の意思を,本論考は踏襲するものである。井筒は,主著『意識と本質』において,イスラーム哲学の用語を援用しつつ「普遍的本質」(マーヒーヤ)と「個別的本質」(フウィーヤ)の二相を提起している。しかし,この二相の本質を単に並行的に論述することに,井筒の「本質」論の要諦が存するわけではない。両者の差異を認識しつつ,両者の合一を探求する点にそれはある。本論考は,その理論的深化・進展のための試みの一つである。ここでは,インド哲学の主潮流をなすと言える「有」の問題を,ヴェーダーンタ哲学の論理からアプローチすることを課題とする。そのための探究の機軸となるのは,井筒の「マーヤー」に関する論考である。ブラフマンという絶対「有」を「普遍的本質」として立てるヴェーダーンタ哲学において,マーヤーは「幻影」として,究極的には排除されるものと見なされるが,井筒による創造的解釈を通じて,マーヤーの新たな意味を探究し,そこに「自己」の問題が介在していることに,我々は着目する。
著者
川崎 明子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.25-54, 2021-09-30

本論文は,ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』(Through the Looking-Glass, 1871)における冒険が,主人公アリスが鏡に向かって行うごっこ遊びと独り言の延長であり,彼女が睡眠中も継続する想像・創造であるという前提のもと,鏡やチェスの原理が作品のシステムとして作用する様を明らかにするものである。まず1 では,冒頭でアリスが猫と鏡を使った遊びからファンタジーの想像・創造に至る過程を確認する。2 では,作品における鏡について論じ,2.1で鏡の原理である<反転>のうち<対面し見つめる>ことと<空間的・時間的反転>の具体化を,2.2で本作独自の鏡の使い方といえるアリスが自分の鏡像を見ないふりをすることについて考察する。3 では<時間的反転>の1 種である過去への逆行の例として,各章に登場する子どもの遊びや学びを検討する。最後に4で,『鏡の国のアリス』に関係する諸人物間の連関の形成について,キャロルとアリス・リデルをも含めて考察する。
著者
林 邦彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.207-234, 2020-09-30

ノーン語(Norn)とは, 8 世紀から9 世紀にかけて,ブリテン島北部やその近辺の諸島に植民したノルウェー人ヴァイキングが当地にもたらした,その使用言語である古ノルド語(Old Norse)に由来する言語で,特にオークニー,シェットランド両諸島では比較的長く用いられ,19世紀末に消滅したとされる。その消滅前に採録されたノーン語の言語資料の一つに,通例,Hildinaとの作品名で呼ばれるバラッドがあり,その物語内容は,主人公の女性Hildinaと彼女を取り巻く二人の男達をめぐる三角関係を扱ったものであるが,本稿では,Hildinaの物語素材をめぐる先行研究での指摘内容を整理した上で,Hildinaの物語の特徴に焦点を当て,ノーン語と近縁関係にあるフェロー語で伝承されているバラッド作品群のうち,ノーン語のHildinaと比較的類似した物語内容を持つ作品と比較しながら,Hildinaの物語の特徴をより浮き彫りにし,関連作品群の中に位置づけることを目指したい。
著者
落合 隆
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.111-144, 2021-09-30

本稿は,ルソーの『戦争法の諸原理』や,『サンピエール師の永久平和論抜粋』および『同・批判』を主な対象に,彼の戦争観,戦争を規制する戦争法,国際平和を構築する国家連合の内容を解明し,最後に彼の戦争・平和論のもつ意義を考察する。国家間の合意に基づく戦争法は,戦争を社会契約という国家の一体性を創り保つ関係への攻撃と見て,社会契約を解消した後も在り続ける個人の生命・自由・財産を救出し保障しようとする。また,国家間の合意の積み重ねである国家連合は,同盟国どうしの戦争を違法化して,国際紛争を平和的に解決する道を探ろうとする。このような国家どうしの合意を促すのが,平和を重要な要素とする公共の幸福を求める各国人民の一般意志なのである。ルソーにおいては,戦争を制限しあるいは防止する戦争法や国家連合は,社会契約による抑圧なき市民社会の形成と人民主権の定着に支えられていると言える。
著者
西川 広平
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.100, pp.191-219, 2021

大江広元を祖とする鎌倉幕府の御家人長井氏を対象に、一三世紀から一四世紀にかけての同族間ネットワークの推移について考察し、文士である広元一族による在地武士の糾合と所領支配は、主要な交通路の要衝を広域的に掌握することで実現したこと、また一四世紀前半に長井惣領家を中心にして、庶子家および広元末裔の御家人との間に二重の同族間ネットワークが成立したこと等を明らかにした。これらは、執権北条氏との連携や幕府の支配体制に依拠することによって実現・成立しており、鎌倉幕府滅亡や室町幕府の政治体制の変化により、長井氏は政権の中枢を占める地位を喪失するとともに、その同族間ネットワークも解体した。これらの考察の結果、御家人の移動が列島規模で活発化した一三・一四世紀を通して、武士団のネットワークが維持される基盤の多様性を指摘した。
著者
須磨 一彦
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.88, pp.279-308, 2017

イタリア人器楽作曲家として、死後は名前も作品も音楽史から消滅してしまうという宿命の代表者に甘んじていたボッケリーニも、スペイン時代については比較的早期に生活の実態が明らかにされたものの、イタリア時代の青年期については同国人の研究が進む今世紀初めまで白紙状態だった。しかし、伝記的な流れはここに要約できないので本文に譲り、第二の問題として、青年期の終わりごろに作曲されて彼の作品として最も親しまれたチェロコンチェルトG 482が、実はドイツ人グリュッツマッハーによる一九〜二〇世紀転換ころの編曲だったということが判明して、ボッケリーニへの音楽熱はどうなったであろうか。譜面を手にしがたい一般愛好家の一人として、譜面を対比してこの曲の編曲による虚構を実感したいというのが、この稿を起こすことになったそもそもの動機である。
著者
平山 令二
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.89, pp.169-188, 2018

1926年にベルリンに生まれたユダヤ人ラルフ・ノイマンは,ナチス政権の反ユダヤ政策がエスカレートする時代に青少年時代を過ごし,ユダヤ人の強制移送が進むなか,母と姉のリタといっしょに潜行生活に入った。母はゲシュタポに逮捕されたが,ラルフと姉は,同じ潜行ユダヤ人,社会民主主義者,キリスト教徒の抵抗グループ,農民など多くの人々の支援を受け,一旦は逮捕されるという危難もあったが,偶然的要素と必然的要素のからみあうなかで無事に生き延びて終戦を迎えることができた。救済者たちは自らの生命の危険も冒して,ラルフに住居,食料,教育など様々な形で支援を行った。改めてユダヤ人救済のために勇気を奮い,知恵を尽くしたベルリン市民が数多くいたことを確認できるのである。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.113-146, 2016-09-30

「アーサー王物語」の実質的な創始者クレティアン・ド・トロワが12世紀後半に著した『ランスロまたは荷車の騎士』は,ゴール国の王子メレアガンによるログル国の王妃誘拐と,勇士ランスロによる王妃救出に焦点を当てている。この物語の中では,ランスロとメレアガンの最初の決闘直前に,ログル王国の乙女たちが3日間にわたって断食と祈願行進を行ったことが記されている。本稿はこの部分に注目し,物語を季節神話とインド=ヨーロッパ戦士の通過儀礼から解釈する試みである。季節神話の観点から見た場合,「キリスト昇天祭」に王妃を誘拐するメレアガンは,早春の作物に危害を与える神獣としてのドラゴン(「豊作祈願祭」のドラゴン)を想起させる。一方で物語をインド=ヨーロッパ神話の枠内で検討すると,ランスロが「3度」戦うことになるメレアガンは,通過儀礼の過程にある戦士が倒す3つ首怪物に相当する。
著者
ラディカ ガブリエル 永見 文雄
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.84, pp.299-318, 2016

クラランの「失敗」の分析をジュリーの最後の悲しみの上に根拠づける注釈者たちがいる。しかしこの時彼らは小説で感じ取れる,物語に沿って女主人公を変容させる時間の経過というものを考慮に入れていない。『新エロイーズ』はなるほどルソーの認める通り派手な筋立てのない小説だが,しかし個人の変化と人物の同一性との間の関係を理解する特権的な場なのだ。ところでこの小説におけるこのような変容の研究は,変容の道徳的な,より的確に言えば完璧主義的な次元をあらわにする。ジュリーの完璧主義という仮説によって,道徳上の実践的で文脈内的なこの観念の仮説によって,この小説の倫理的寄与がどの点にあるかを理解することが可能となる。それは書簡の中から集められた硬直した理論的な教えの中よりむしろ,小説の進行の統一性の中に,ジュリーの道徳的探究,すなわち対話による反省的な探究の方法の中に存在している。
著者
小嶋 洋介
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.92, pp.267-296, 2019

井筒俊彦にとって,コトバの問題は,その哲学の中核をなしている。しかしながら,その言語哲学は,通常の意味での「言語学」とは言えない。「存在」問題から切り離されることはなく,いわば言語=存在哲学を形成しているからである。同時に,井筒にとっての「存在」哲学は,「一なるもの」の位相に立つ体験知を要請するものでもある。いわゆる「神秘哲学」の「視座」を懐胎している。故に,言語=存在神秘哲学とでも言えるものを形成しており,一見,特異な言語哲学であるという印象を与えるが,「東洋哲学」の領域においては孤立した思想ではない。種々の類縁・相関する思想を見出すことができ,井筒はそこから東洋哲学における「共時的構造」を紡ぎ出している。そもそも井筒の多くのテクストは,異種の複数テクストを横断的に接合しつつ,その編目に自身の哲学を縫いこんでいくスタイルを取っている。本論考で,我々は空海の言語思想に井筒と相応する哲学を見出している。論の中核は,空海思想の読みを通じて,そこに井筒の言語=存在哲学を現成させる試みにある。もとよりこの一論考で,井筒の言語哲学の全貌を論じ尽くしているわけではない。ささやかな一歩を刻むものにすぎないことを,明記しておく。