1 0 0 0 OA 肩帯の進化

著者
犬塚 則久
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.100, no.4, pp.391-404, 1992 (Released:2008-02-26)
参考文献数
63
被引用文献数
1 3

鎖骨は特異な骨である.例えば,真獣類のからだの骨では唯一の皮骨性骨である.哺乳類の中で退化したものと発達しているものとがある.ヒトの鎖骨は二重弯が最も強い.骨化点出現は早いのに胸骨端の癒着は肢骨の中で最も遅い.これらの理由を探るため,肩帯の進化を比較解剖学的および機能形態学的観点から検討した.皮骨性肩帯は四足動物では全般に退化傾向にある.皮骨性肩帯の実体は皮骨性頭蓋の後縁であり,鎖骨はその最後の名残である.肩帯と腰帯は相同物ではなく,側方型体肢をもつ四足動物の祖先が獲得した相似形象である.体肢が側方型から下方型へ転換したのは,足の接地点を重心に近づけるためで,この結果,肘は後ろ,膝は前に回転することになった.これが哺乳類における前•後肢の形態差の発端で,肢帯や基脚の逆傾斜,肘•膝•踵の出現を説明する.哺乳類の肩帯は『自由肢化』し,走行性哺乳類では肩甲骨の自由肢化が鎖骨の退化を促した.一方,樹上性哺乳類では鎖骨が自由肢化し,新たな機能を獲得したために,皮骨性肩帯の退化傾向から一転して発達するようになった.樹上性類人猿では体を支えていた鎖骨は,直立した人類では逆に上肢を支えるように機能転換する.ヒトでは上肢の支持は鎖骨と僧帽筋との協同によってなされるたあ,鎖骨には均等に圧力がかかるようになる.ヒトの鎖骨の形態は,このようなヒト独自の機能から説明されるべきである.二足歩行の動的安定性を維持するのに,上下肢の質量とモーメントアームの長さの調節が欠かせない.質量よりは長さによる調節のほうが容易なので,鎖骨の骨端閉鎖期の遅れは,上肢のモーメントアーム長の調節に貢献しているだろう.
著者
中山 英司
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.52, no.9, pp.336-353, 1937-09-15 (Released:2008-02-26)
著者
島 五郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.109-127, 1956-12-30 (Released:2008-02-26)
参考文献数
11

1. Marked characteristics and local variations are observed between the toe prints of various Ainu tribes and those of the mixed Ainu in Hokkaido. (Tables 1 and 2)2. The toe prints of the Ainu of the present list which differ only slightly from those of mixed ainu but which are extremely unlike those of pure Ainu can be considered in the category of mixed-bred Ainu. The reason is described in detail in the present paper. Because of this, apparently marked local differences observed in comparing the Ainu tribes are not necessarily significant.3. The Tocachi Ainu tribe has steadily maintained its distinctive characteristics. From a physical stand point, most of the Ainu are mixed. The Hitaka tribe, and more especially Iburi tribe are intensively influenced in the direction of mixed breeding.4. Marked differences among individual local tribes are chiefly attributable to the fact that physically mixed tribes have been involved in the pure Ainucategory. Chiefly the differences take their origin from mixed breedingwith Japanese.
著者
高橋 美彦
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.98, no.3, pp.289-301, 1990-07-31 (Released:2008-02-26)
参考文献数
25

縄文時代87例,弥生時代44例,古墳時代44例,鎌倉時代30例,室町時代22例,江戸時代36例,明治時代16例の古人骨の頭部 X 線規格写真と,住民調査で得られた現代人の頭部 X 線規格写真419例を調査し,顎関節形態の時代的推移について検討した。その結果,顎関節の時代的変化はおもに関節突起に現れ,下顎窩における時代の変化には一定の傾向はみられなかった。関節突起はおおむね時代とともに細長くなるとともに,下顎頭幅は小さくなり,下顎頭の尖鋭化が進行していた。下顎窩幅に対する下顎頭幅の割合は弥生時代人と現代人で小さく,とくに現代人においてこの傾向が強く認められた。
著者
吉田 敬一
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.51-63, 1978-04-15 (Released:2008-02-26)
参考文献数
33
被引用文献数
3 3

A review is given of existing knowledge regarding the condition for thermal comfort. Psychological, physiological, and environmental measurement for comfort condition are discussed.The results of our survey on factory workers are illustrated and the effect on comfort condition of age, sex, seasons, races, and heat production are discussed respectively.
著者
針原 伸二 斎藤 成也
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.97, no.4, pp.483-492, 1989

制限酵素を用いたミトコンドリア DNA 多型のデータを文献より収集し,以下の15集団計885名のミトコンドリァ DNA(mtDNA)タイプを分析した:コケィジアン,東洋人(おもに中国人),バンツー,ブッシュマン,アメリンディアン,ユダヤ人,アラブ人,タール人(ネパール),ローマ市住民,サルディニア島住民,日本人,アイヌ人,韓国人,ネグリト(フィリピン),およびヴェッダ(スリランカ).4種類の制限酵素AvaII, BamHI, HpaI, MspI の切断パターンを組み合わせると,全個体は57種類の mtDNA タイプに分類された.これらの mtDNA タイプの系統関係を,最大節約法を用いて無根系統樹として描いたところ, mtDNA タイプは大きくふたつのグループに分かれた.ひとつは,ほとんどがアフリカの2集団(バンツーとブッシュマン)のみに見いだされたタイプによって構成されるグループであり,もうひとつは,主としてアフリカ以外の集団に見いだされたタイプによるグループである.各 mtDNA タイプの集団における出現頻度を考慮して,集団間の遺伝距離を推定し,そこから UPGMA (単純クラスター法)を用いて,15集団の系統樹を作成した.ネグリトを含むアジア•アメリカ大陸の7集団(ヴェッタを除く)は,お互いに遺伝的にきわめて近縁であり,単一のクラスターを形成するが,コーカソイドの5集団は,やや遺伝的に異質であった.一方,アフリカ大陸の2集団は,他集団から大きく離れていた.
著者
鈴木 尚
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.90, no.Supplement, pp.11-26, 1982 (Released:2008-02-26)
参考文献数
33
被引用文献数
2 5

戦前の常識によると,洪積世の日本は人間の住める環境にはなかったので,沖積世になり初めて人間が住み付いたと信じられてきた。ところか戦後,岩宿のローム層から初めて石器が証明されて以来,日本にも旧石器時代があるとの意見が定着した。これに伴い洪積世人骨の探索も行われ,本州と沖縄から若干の例が指摘されるに至った。下部洪積世 明石人は直良信夫により発見され,長谷部言人によって下部洪積世人として記載されたが,現場発掘の所見から骨の古さに若干の議論がある。中部洪積世 牛川人は豊橋市牛川鉱山から発見された女性の左上腕骨の一部で,Homo sapiens と違って骨幹は前後に扁平であるほか,旧人的特徴がみられる。この骨を基にして身長を推測すると135cmで矮人の範疇に属する。上部洪積世本州 三ケ日人,浜北人などがある。いずれも断片であるが,観察しうるわずかの所見から判断すると,これらは洪積世の Homo sapiens で,縄文人と共通する多くの特徴があり,縄文人の祖先と見なしても差支えない。沖縄 港川人,山下町人などがある。港川人 本島南端の港川採石場から初めて大山盛保により人骨と獣骨化石が確認されたのが契機となり,総合調査が行われ,5~9体分の人骨が発見された。そのうち3体分が完全である。これらはC14法により約18,000年前と推定された。研究の結果,彼らは新人的特徴が基本になり,それに横後頭隆起,下顎に頤下切痕,上•下横隆起など旧人的特徴を混えたかなり原始的人類と考えられる。なおこの人類は縄文人に近似するとともに,南支那,印度シナの洪積世人,新石器時代人に類似するのに対し,北支那の人類とは関係が薄いようである。山下町人 那覇市,山下町第一洞から発掘された約7年の幼年者の右大腿骨と右脛骨で性不明。C14法により約32,000年前と推定された。骨の特徴はこの人類が化石の Homo sapiens であることを物語っている。ただし同年の現代日本人よりもわずかに大腿骨稜の発達がよい。結論, 今日までに発見された資料に関する限り,日本の洪積世人は低身長,中,短頭型,広顔,広鼻,低眼窩など縄文人と共通する形質がある。多分,3万年ほど前,少くも18,000年前の頃,南支那,印度シナに住む一般化された Protomongoloid は少くとも2群に分かれて,当時,存在した陸橋を経てそれぞれ沖縄と日本本州に到着したものであろう。
著者
菊田 文夫 近藤 四郎 大塚 斌 高橋 周一
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.100, no.4, pp.511-525, 1992 (Released:2008-02-26)
参考文献数
17
被引用文献数
1 1

日本人成人の男子149名,女子178名について,足部および下腿部の26計測項目の計測を行い,左右足の差の検討を行なった。本論文では,各計測項目の左右差だけでなく,靴を選択するときに重要な足長,足囲ボール,足幅などの組み合せにおける足の左右差を重視した。左右差データに「入れ子式」分散分析法を適用することにより,見かけの左右差に含まれる計測誤差の割合を計算し,左右差があると認める境界値を設定した。その結果,足長については,左右足ともに等しい者の割合は男子で約17%,女子で約74%,足幅では男女ともに約53%,足囲ボールでは男女ともに約45%であった。また,足長,足囲ボール,足幅の組合せにおける左右差パターンをみると,男子では足長が左>右で足幅と足囲ボールの左右が等しい者が全体の約15%で最も多く,一方,女子ではこれら3項目ともに左右足が等しいパターンが最も多く,全体の約17%を占めていた。
著者
吉田 巖
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.221-226, 1911-07-10 (Released:2010-06-28)
著者
市川 光雄
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.25-48, 1980
被引用文献数
7

東アフリカの各地にDoroboと呼ばれる狩猟民が住むことは古くから知られていたが,その狩猟採集生活の実態については,Huntingfordらによる概略的な記載をみるのみである。筆者は,1976年~1978年に北部ケニヤのMathew山脈に住むSuiei Doroboの調査をおこなった。ここでは,彼らの生息環境と,伝統的な野生植物食の利用について,記載と分析を試みた。<br>Mathew山脈の植生は,ほぼ高度にしたがって, dry bushland, wooded grassland, riverine forest,montane forest等に分類できるが,とくにこの地域の植生を代表するものとして, Acacia属のサバンナ(bushland, wooded grassland)および, <i>Croton</i>林, <i>Juniperus-Podocarpus</i>林などの比較的乾燥したタイフ。の山地林をあげることができる。Suiei Doroboは,ちょうどこの山地林帯と, <i>Acacia</i>サバンナ帯の中間域に居住し,サバンナ帯での植物採集,山地林帯での蜂蜜採集など,多面的な環境利用をおこなっている。<br>Suiei Doroboが,伝統的に食物と考える植物は,合計44科122種におよんでいる。このうち,5種の漿果,2種の堅果,3種の根茎からなる10種のmajor foodが,彼らの伝統的な食生活において大きな役割を果たしていたと考えられる。なかでも,Papilionoideaeに属する2種の堅果は,栄養に富む極めて重要な食物である。<br>これらの植物の採集場所をみると,122種のうち,73%がサバンナ性のものであり,これに対して森林性のものは16%にすぎない(森林,サバンナに共通なものが11%)。また,major foodのうち,主に山地林帯で採集できるものは,1種のみである。すなわち,植物性食物の採集という観点からすれば,サバンナ帯の方が,山地林よりはるかに重要なのである。同様な傾向は狩猟獣についてもみられ,彼らが食物の考える26種の哺乳類のうち,森林に生息するものは5種を数えるのみである。多くのDoroboの集団が,狩猟,植物食の採集という点からは不利な山地林帯およびその周縁部に居住している。その理由のひとつとして,山地林帯では大量の蜂蜜が採集できることがあげられよう。<br>アフリカの狩猟採集民の植物性食物についての比較研究はほとんどない。伊谷(1974a)は,アフリカの狩猟採集民を植生タイプに応じて分類しているが,この分類にもとついて,主要植物性食物の比較を試みたところ,主要植物性食物の構成が,植生のタイプをかなりよく反映することが判明した。
著者
伊能 嘉矩
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.124-126, 1919

1 0 0 0 頭上運搬

著者
八木 奘三郎
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.32, no.10, pp.296-299, 1917
著者
川田 順造
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.99, no.3, pp.377-391, 1991
被引用文献数
2 6

身体の使い方は,生物的要因に規定されると同時に,生態学的&bull;文化的に条件づけられており,ある社会の成員に共通し,他の社会の成員とは異なるものも多い.身体技法のかなりのものは,特に労働が機械化されていない技術的状況では,作業の効率を高める役割を果たしてきた.筆者は,多年熱帯西アフリカで文化人類学の調査を行ううち,この地域の黒人諸民族に,次のような身体技法が共通して認められることに気付いた.(1)立位で,膝を伸ばしあるいは軽く曲げたまま,上体を深く前屈(というより腰の部分から前倒)させた姿勢での作業,(2)背中をもたせかけない投げ足(足はそろえて前へのばす,交差させる,または八の字形に開く)姿勢での,長く持続する軽作業や休息,(3)子供からかなりの年配の成人にいたる広範囲の男女によって,極めて多様な物体について行われる頭上運搬,(4)腕の酷使と対照的な,歩行以外の足の多少とも技巧的な使用の稀少.これらの身体技法には,生態学的&bull;文化的条件から理解できる面もあるが,西アフリカ黒人の身体の形態上&bull;機能上の特徴がどのように関与しているか,自然人類学と文化人類学の共同研究によって解明されるべき問題であろう.
著者
佐藤 方彦 佐藤 陽彦 勝浦 哲夫 津田 隆志 原 田一 山崎 和彦 安河 内朗
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.23-28, 1977 (Released:2008-02-26)
参考文献数
15
被引用文献数
3 4

4人の成人男子により,それぞれ4強度段階のエルゴメータ作業とトレッドミル作業を実施し,_??_o2の,HRあるいは安静値を基準としたHRの増加率に対する回帰式を,両作業をこみにした場合と作業別について,個人別及び全員に関して算出した。これらの回帰式にもとついて,HRあるいはその増加率より_??_o2を推定するとともに,最大下作業より_??_o2maxを推定した上で%_??_o2maxとHRの直線関係に依存して算出した推定式の成績を検討した。最も優れた成績は,個人毎に_??_o2のHRに対する回帰を求め,これを求めたその種目の作業について推定した場合に得られたが,ここに新たに提示した推定式による算出法は,なお実用化の条件についての検討は要するが,推定成績が比較的よく,一般化を行う上でも利点があることが認められた。
著者
Uehara Shigeo Ihobe Hiroshi
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:09187960)
巻号頁・発行日
vol.106, no.4, pp.349-369, 1998
被引用文献数
5 17

Censusing was done by direct observation along three survey routes to estimate the distribution and abundance of medium- and large-sized diurnal mammals in the Kasoje area of the Mahale Mountains National Park, western Tanzania between 1995 and 1996. The census area is located within the home range of M Group chimpanzees who have been observed to consume at least 14 species of sympatric mammals. The vegetation along the three census routes was divided into two types of habitat (forest vs. woodland); as a result, six census subunits were distinguished. Preference of habitat by eight species of mammals-red-tailed monkey, blue monkey, yellow baboon, red colobus monkey, bushbuck, blue duiker, warthog, and forest squirrels-has been suggested and their group and/or individual densities have been estimated in at least one census subunit. In 1974, most villagers moved out of the Kasoje area following a government edict and the wild animal population in general appears to have increased in number since then. However, expansion or contraction in distribution of three species of mammals at Kasoje since the 1970s differs from species to species: yellow baboons and warthogs have apparently expanded their ranges while vervet monkeys seem to have contracted theirs. The abundance of red colobus monkeys appears to correspond with the high frequency of colobus hunting by the chimpanzees. However, it should be explained in the future why the second most abundant red-tailed monkeys, another resident arboreal species, have been eaten only infrequently by them. Further accumulation of observations on actual encounters between the chimpanzees and their potential prey is necessary.

1 0 0 0 OA 踊の今と昔

著者
柳田 國男
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.202-208, 1911-07-10 (Released:2010-06-28)
著者
金田一 京助
出版者
日本人類学会
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.129-143, 1930-04-15 (Released:2010-06-28)
著者
吉川 徹雄
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.117-120, 1963-12-31 (Released:2008-02-26)
参考文献数
16

In the study of the lamination of the masseter of the higher primates which include the crab-eating monkey, orangutan, gorilla and man, the zygomaticomandibular muscle originates from the supraorbital eminence and terminates along the oblique line of the mandible, spreading along the concaved surface of the frontal and zygomatic bones (YOSHIKAWA et al., 1961b, 1962a). The space which is occupied by this muscle is proposed to be called the sulcus musculi zygomaticomandibularis, which is expected to be a new characteristic to prove the natural and reasonable reconstruction of the human fossil skull.In the Saldanha skull, however, the sulcus is too narrow to expect the existence of the zygomaticomandibularis. So the author concludes that the reconstruction of the skull is unnatural.In the Saldanha skull, the mandible, which is reconstructed from a fragment of a mandibular branch after the Heidelberg mandible, is too large to harmonize with the reconstructed cranium and is expected not to be of the same individual. (Fig. 1)
著者
鈴木 尚
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1-10, 1951-04-30 (Released:2008-02-26)
参考文献数
19
被引用文献数
1

In the summer of 1950, seven skeletons were sent to me by the benediction of Mr. T. OTOKITA, Hachinohe City, which were excavated incidentally in 1944 atSame-town near Hachinohe City, Aomori Pref. and then were buried in a templeyard in the neighbourhood.While the skeletons were discovered at a site of prehistoric Jomon period (shellmounds), only one skeleton out of the seven is a male adult of prehistoric age, the other six skeletons (three female adults and three infants) are presumed to be those of modern age from the differences in the state of their preservation (petrification). Judging from the wooden Japanese bowl which was discovered with. one of the modern skeletons, the latter ones are estimated to belong to the 16-17 th Century, perhaps the beginning of the Tokugawa era.The physical characteristics of the first skeleton is not only distinct in general, but also even in the morphological specialities resembles the recent Hokkaido Ainu, such as the skull with long and low head, with strongly developed upper and lower jaws and the flat limb-bones and so on. The second one is a little different from the first and it is hardly said to be a typical Ainu, but it is believed that the physical characteristics in general fall within the variations of the Ainu.Though the skull of the third one is mostly missing, it is generally very similar to the first one.When the first and second skeletons are compared on trial with those of the present Ainu kept at the Tokyo University (No. 1436 and No. 1459), the skeletons coincide with each other, especially in the form of the skulls (Fig. 3). Therefore, the skeletons of Same-site are regareded as the Ainu.According to documents in Tokugawa era, the Ainu dwelt in the northern end of Honshu, chiefly in Tsugaru and Shimokita Peninsulas of Aomori Pref. in 16 th. or 17 th. Century, but they assimilated with the Japanese in the middle of 18 th. Century.The skeletons discovered at Same-site must probably have belonged to the Ainu community which appeares in the mentioned records. It has been generally believed that the Ainu were gradually driven from Honshu northward up to Hokkaido and that those who were mentioned in our modern history are those Ainu who had been left behind in the north end of Honshu. If it is true, in the light of the fact that those Ainu on the documents and theAinu skeletons just described are very similar to the present Hokkaido Ainu, much more skeletons of just likeAinu should be found among the human bones from sites of various periods and parts of Honshu. As it is, such kind of bones have not been excavated yet, it may be concluded that the racial border-line between the Japanese and the Ainu existed in Tsugaru Strait from very old times.