著者
鳥谷 善史
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.9, pp.159-176, 2015-07

天理大学近畿中央部の否定形式には「~ン」や「~ヘン」類という2種類の形式が存在する。現在その意味的異なりは若い世代においてはなくなりつつあるという。その中で,大阪府や奈良県の世代差に注目した調査結果から若年層の2拍一段動詞及び変格動詞において,「~ヤン」という否定形式が急速に広がりはじめていることがわかった。これは近畿周縁部である「和歌山県」や「三重県」の若年層から「大阪府」や「奈良県」の若年層への流入であることを言語地理学的調査結果などから確認する。また,その変化要因としては,言語内的には,これまで「~ン」と「~ヘン」の2種類で否定をしてきたがそれらが,意味的異なりを失ったことを契機として,体系的整合性や発話としての経済性を獲得するとともに,関西全域で一つの否定形式として「~ン」のみの方向に向かっているとの見解を調査結果から論究した。ただ,五段動詞以外の2拍語では,これまでの形式との関係から単純に語幹+「ン」のみに変化できず,その変化の一段階として「ミヤヘン」などの「~ヘン」から「ミヤン」といった標準語形とは全く別の地域のアイデンティティーを生かした形式を取り入れたと考えた。この仮説は,標準語等の言語的影響を直接受けずにいる台湾日本語の変化モデルも視野に入れつつ導いたものである。
著者
竹村 亜紀子
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.103-116, 2012-05

本稿は親の母方言の影響によって鹿児島方言の習得が異なることを報告する。親が体系を異にする方言を母方言とする場合,その子供は方言接触の環境で育っているといえよう。本研究は鹿児島方言を対象に,方言接触がない環境(両親ともに鹿児島方言話者)で育った話者と方言接触の環境で育った話者(片/両親が非鹿児島方言話者)の方言習得の違いを捉えることを目的とする。本研究が行った調査の結果,(1)両親の出身地による方言習得の違いがあること,(2)方言接触がない環境(両親ともに鹿児島方言話者)で育った話者は文法的な要素(音韻規則)は変化しにくく,(3)方言接触の環境で育った話者(片/両親が非鹿児島方言話者)は伝統的な文法的要素の習得が不完全であるために文法的な要素(音韻規則)自体が異なっていることが明らかになった。また方言接触の環境で育った話者は鹿児島方言らしく聞こえるような疑似的な鹿児島方言が多く観察されることも明らかとなった。
著者
高田 智和 小助川 貞次
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.129-140, 2014-11

古典籍の原本画像とその翻字テキストを対照表示させるビュアーを作成し,変体仮名習得を目的とする大学授業に利用した。授業利用により指摘された問題点によってビュアーの改善を行った。また,デジタルコンテンツの利用が,初学者の学習意欲の向上など変体仮名学習に一定の効果をもたらすことが指摘された。
著者
角田 太作
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.53-75, 2011-05

日本語には,(1)の構造を持った文がある。その例文は(2)から(4)である。(1) 体言締め文または人魚構文 [節]名詞 だ。(2) [太郎は名古屋に行く]予定だ。(3) [太郎は今本を読んでいる]ところだ。(4) [外では雨が降っている]模様だ。この種の文は奇妙である。意味の面では,例えば,(2)について言うと,太郎は人間である。予定ではない。統語の面でも奇妙である。[節]の部分は,(2)から(4)では,動詞述語文と同じ構造を持っている。しかし,文は「名詞 だ」で終わる。(よって,「体言締め文」と名付けた。)すなわち,前半は動詞述語文と同じ構造を持ち,後半は名詞述語文と同じ構造を持っている。(人魚に似ている。よって,人魚構文とも名付けた。)先行研究の中には,[節]の部分を連体修飾節とみるものがある。しかし,統語的な振る舞いを見ると,[節]の部分は連体修飾節とは違い,動詞述語文と同じである。(1)の構造の「名詞」の位置に現れる名詞は,意味・形態・統語の面で,文法化の過程を進んでいる。意味の面では,人魚構文の外で使う場合と意味が違うことが多い。形態の面でも,統語の面でも,名詞らしさを失っている場合がある。「自立語 → 後接語 → 接尾辞」の変化を遂げたと思われるものもある。
著者
松森 晶子 Akiko MATSUMORI
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.135-158, 2016-01

本稿では,日本語・琉球語の諸方言の複合語アクセント規則の類型的考察を行ったうえで,前部要素の韻律的特徴(式,型)が複合語全体の韻律的特徴となる,という規則が,日琉語を通じてもっとも古い複合語規則ではないか,という仮説を提示する。現代の東京方言は,「後部要素」の型が複合語全体の型を決定する,あるいは「後部要素」のモーラ数に応じて複合語型の種類が決まる,という「後部要素支配型」のアクセント規則を持っている。しかし,このようなタイプの方言の中にも,かつてはその前部要素が複合語の型を決定していた時代があったことの痕跡が残されている,ということを,本稿では現代東京方言を例にとりながら論じる。This paper argues that the compound accentuation rule in which the accent of the "first" member of compounds is preserved is the most archaic type in the Japanese and Ryukyuan dialects. By contrast, other types, such as the one in which the accent of the "second" members are preserved, or the one by which the default accent is placed around the boundaries of the two members, are newly developed compound accentuation rules. The paper then argues that even in Tokyo Japanese, in which productive compound accentuation is decided exclusively by the "second" members, we find some vestiges of the older compound accentuation rule in which the "first" member of the compounds is still relevant.
著者
風間 伸次郎
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.51-80, 2015-07

日本語は動詞の人称変化を持たず,格助詞によって文法関係を示すので,書きことばをみる限りでは,典型的な従属部標示型(Dependent marking)の言語にみえる。しかし話しことばにおける実際を観察すると,主語や目的語が出現する文は少なく,たとえ現れても無助詞であることが多い。他方,述語にはやりもらいの動詞や受身,テクルなどの「逆行」表示があり,モダリティの諸形式や感情述語など主語の人称に制約のあるものも多い。したがって主語の人称が述語の方でわかるようになっている場合も多く存在する。つまり話しことばの日本語はむしろ主要部標示型(Head marking)の言語としての性質を持っているといえるかもしれない。本稿では,まず上記の仮説に関連する先行研究を集め,話しことばでハやガなど従属部標示の要素がどのような条件でどの程度機能しているのか,他方上記のような主要部標示的な要素にどのようなものがどれぐらいあるのか,を整理する。次に話しことばにおける実際の状況がどのようであるのかを知るために,1つの映画のシナリオ全体を手作業により徹底的に分析して,日本語の話しことばがどの程度主要部標示型の言語としての性質を持っているのかを検証する。
著者
松森 晶子
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.19-37, 2012-05

「昇り核」はこれまで弘前,青森,雫石など東北各地で報告されてきたが,琉球諸方言を除き西日本には報告例がなかった。本発表は鳥取県鳥取市の青谷(あおや)方言,および湯梨浜(ゆりはま)町の泊(とまり)方言を,昇り核を持つ方言として記述することを提唱し,この地域にあらたに昇り核のn+1型アクセントの体系が発達している現状を報告する。さらに本稿では,青谷周辺の地域(鳥取市の気高(けだか),湯梨浜町の長和田(なごうだ),別所(べっしょ))における1〜4モーラ名詞の調査データに基づき,この地域のアクセントが,次のような特徴を共有していることを報告する。(a)助詞が連続した場合,その連結点にあらたな核が発生する。(b)1つのアクセント単位に2つ以上のH音調が隣接して連続する場合は,最初(左側)のH音調が優先的に出現し,その後ろ(右側)のH音調は弱化する。これらの特徴は,東京方言にも見られる。この事実に基づき本稿では,一見したところ表面の音調型については東京と異なるように見える鳥取県のこの地域のn+1型体系が,実は東京方言といくつかの点で共通していることを示す。さらに,上述の(b)の特徴は,他のアクセント体系(少なくとも同様なn+1型体系)において共通して見られる,アクセント体系の一般的特徴である可能性も示唆し,日本語の方言アクセントの記述研究にあらたな課題を提示する。
著者
スルダノヴィッチ イレーナ
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.135-161, 2013-11

近年,日本語のコロケーション辞典など,コロケーションを記載したリソースも現れてきたが,現代日本語の大規模コーパスを用いた記述的コロケーションデータはまだない。また,直感と経験に基づいて作成された日本語教科書などの教育用の教材においても,コロケーションに関しては注目度が低い。そこで本稿では,「形容詞+名詞」の組み合わせによるコロケーションに焦点を当て,BCCWJ・JpTenTenという2つの現代日本語コーパスからコロケーションを取り出し,1)「形容詞と名詞のコロケーションデータ」,2)「日本語教育のための形容詞と名詞のコロケーション辞書」の2種のリソースの作成方法を提示し,「高い」を記述モデルの一例として日本語教育への応用方法を示すことを目的とする。1)の「形容詞と名詞のコロケーションデータ」は,500語の形容詞を対象にして,シンタクスを考慮に入れて抽出した名詞とのコロケーションおよびその前後文脈をコーパスごとに整理し,比較できるようにするものである。現時点では,100億語のコーパスJpTenTenから取り出した500語の形容詞とその名詞とのコロケーションデータ(23247語)を取り出すことができ,BCCWJからの抽出は進行中である。2)の「日本語教育のための形容詞と名詞のコロケーション辞書」は,すべての形容詞の62%をカバーする25語の基本的な形容詞について詳細に記述することを目指す。そこで,高頻度の形容詞「高い」を取り上げ,コロケーションデータの分析結果を提示し,前述の「形容詞と名詞のコロケーションデータ」を基にした「日本語教育のための形容詞と名詞のコロケーション辞書」の基盤作りを示す。能力レベルによって分類された辞書項目は,被修飾名詞の語彙マップを作成したり,ジャンルごとの特有な情報を併記したりして,学習者の学習困難なコロケーションに焦点を当てて記述する。最後に,これらのデータが示唆する様々な理論的・応用的研究の発展可能性について検討する。このような形容詞のコロケーションデータが整備されることにより,従来,日本語を対象としては作成されてこなかったデータを提供し,今後の日本語学の語彙と文法の研究や資料作成,および日本語教育用教材・シラバス作成のために資することが期待できる。
著者
塩田 雄大
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.251-264, 2014-05

複合動詞のアクセントは,前部動詞の反対の式をとると言われている(式保存の逆転現象)。前部動詞が平板式であれば複合動詞は起伏式に,また前部動詞が起伏式であれば複合動詞は平板式になるというものである。しかし運用実態としては例外も多く,前部動詞が起伏式・複合動詞も起伏式というものが,少なからずある。 この「複合動詞アクセントの式保存の逆転現象」という一般化を導き出したのは,三宅武郎(1934)である。本稿では,三宅が主な編集を担当した2冊の辞書(国語辞典のアクセント注記と,アクセント辞典)を中心として,その記述の中に「式保存の逆転現象」に合致するものがどの程度見られるのかをめぐって,考察を進める。 この2冊の辞書で示されている複合動詞のアクセントは,同時期のほかのアクセント辞典での掲載内容と比べて,「式保存の逆転現象」に忠実すぎる〔=おそらく実態とはいくらかのずれがある〕様相になっていることを,計量的に示す。 この事実は,一般的法則として三宅が帰納的に指摘した「複合動詞アクセントにおける式保存の逆転現象」が,その後に彼の成したアクセント記述・アクセント辞典編纂に対して,演繹的に「過剰適用」されてしまったこと,すなわち,「規範」の提示にあたって,「実態」の考察を通して得られた「傾向」を,「原則」にまで高めてしまったものとして,解釈することができる。
著者
小島 聡子
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.27-41, 2013-05

近代は「言文一致体」・「標準語」を整備し普及させようとしていた過渡的な時代である。そのため,当時,それらの言語とは異なる方言を用いていた地方出身者は,標準語を用いる際にも母語である方言の影響を受けた言葉づかいをしている可能性があると考え,近代の東北地方出身の童話作家の語法について,彼らの言葉づかいの特徴と方言との関連について考察した。資料としては,宮沢賢治の『注文の多い料理店』,浜田広介の『椋鳥の夢』を全文データ化してコーパスとして利用した。その上で,文法的な要素に着目し,格助詞・接続助詞等の一部について,用法や使用頻度・分布などを既存の近代語のコーパスと比較し,その特徴を明らかにすることを試みた。また,『方言文法全国地図』などの方言資料から,彼らの言葉づかいと方言との関連性を探った。その結果,格助詞「へ」の用法・頻度については,方言の助詞「さ」の存在が関連している可能性があることを指摘した。また,接続助詞の形式,限定を表す表現などにも方言からの影響がある可能性を指摘した。
著者
太田 聡 太田 真理 Satoshi OHTA Shinri OHTA
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.179-191, 2016-01

連濁はもっとも広く知られた日本語の音韻現象の1つである。先行研究では,日本語の複合語は連濁の生起率の違いに基づいて,いくつかのグループに分類されることが提案されている。しかしながら先行研究では,連濁生起率の分類基準が恣意的であった点,またグループの数をあらかじめ仮定していた点に問題があった。そこで本研究では,混合正規分布モデルに基づくクラスター分析と連濁データベース(Irwin and Miyashita 2015)を用いて,日本語複合語を分類する際の最適な分類基準とクラスター数を検討した。複合名詞と複合動詞のどちらも,2つのクラスターを仮定したモデルが最適であり,クラスター同士の分類基準は,複合名詞では連濁生起率が90%,複合動詞では40%であった。これらの結果は先行研究のクラスター数や分類基準とは異なるものであった。我々の結果は,モデルに基づくクラスター分析が言語データに対する最適な分類を行う上で非常に有効であることを示すものである。Rendaku is one of the most well-known phonological phenomena in Japanese, which voices the initial obstruent of the second element of a compound. Previous studies have proposed that Japanese compound words can be classified on the basis of the frequency of rendaku (rendaku rate). However, since these studies used arbitrary criteria to determine clusters, such as 33% and 66%, as well as arbitrary numbers of clusters, it is crucial to examine the plausibility of such criteria. In this study, we examined the optimal boundary criteria as well as the optimal number of clusters using a clustering analysis based on Gaussian mixture modeling and the Rendaku Database (Irwin and Miyashita 2015). The cluster analyses clarified that the two-cluster model was optimal for classifying both compound nouns and compound verbs. The boundary values of the rendaku rate for these clusters were approximately 90% and 40% for the compound nouns and compound verbs, respectively. These results were inconsistent with the findings of previous studies. Our findings demonstrate that model-based clustering analysis is an effective method of determining optimal classification of linguistic data.
著者
平野 宏子
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.7, pp.45-71, 2014-05

1節では,本研究が国立国語研究所共同研究プロジェクト「日本語教育のためのコーパスを利用したオンライン日本語アクセント辞書の開発」の一部であり,web辞書構築の土台となる韻律教育の効果を,紙媒体を使って検証してきたものであることを述べた。2節では,音声の特徴と,学習者の日本語らしい音声習得へのニーズの高さについて述べた。3節では,日本と中国で学習者の日本語音声に対する関心は高くても,音声教育が体系的に行われていないこと,従来の教科書には単音や語のアクセント型の記述はあっても,連語のアクセントや文のイントネーションの記述は少ないこと,しかし最近は韻律の重要性の認識が高まり,韻律学習を目的とした教材の出版が顕著に増えているが,現在のカリキュラムや教材の中で音声教育が自然に導入されることが理想的であることを述べた。4節では,中国語話者の日本語発話の韻律的特徴について述べた。中国語話者のピッチパターンでは,文節ごとの急峻なピッチの上下変動がみられ,音響的な意味のまとまりの形成を阻害すること,日本語にはないアクセント型が出現しやすいことを述べた。5節では,従来の音声教育の問題点を踏まえ,web辞書OJAD開発に関わる教育効果を検証するために,開発と並行して行ってきた紙媒体での音声教育の実践方法について述べた。6節では,音声教育実践の効果についてアンケート調査をもとに分析を行った。ゼロ初級からの音声教育は従来のカリキュラムを変更することなく行え,韻律視覚化教材使用によって教師と学習者間で音声に関して様々な気づきと対話が生まれ,教師は基準をもとに自信を持って指導することができるようになり,学習者は音声学習を負担に感じるよりむしろ面白いと答えた。7節では,教材のweb化,OJADの開発について紹介した。
著者
中西 久実子 Kumiko NAKANISHI
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.193-207, 2018-01

日本語学習者は,「彼は8歳だけだ」のような「数量語+だけだ」など「名詞+だけだ」を多用することが多い。先行研究では,名詞文の述語の位置の「だけだ」について「量による規定をおこなうが,質による規定とは相入れないのではないかと考えられる」(森本1992: 48)とされている。たしかに,「彼は係長だけだ」のように名詞「係長」に「だけだ」を接続すると不自然になる。これに対して,中西(2014)では,「甘えん坊だ」のような「名詞」に「だ」が付いて述語になったものに,さらに「だけだ」を付けて「彼は甘えん坊なだけだ」としても不自然にならない反例があることが指摘されている。つまり,量による規定の場合は「名詞+だけだ」という形しか使えないが,質による規定の場合は,「甘えん坊なだけだ」のように「名詞な+だけだ」という形で許容されることがあるというのである。しかし,「だけだ」が不自然になる要因が明示されていないため,たとえば,「彼は父より少し年下なだけだ」などの「だけだ」が不自然ではないことなどには説明がつけられない。そこで,本稿では,「数量語+だけだ」など「名詞+だけだ」がなぜ不自然になりやすいかという決定的な要因を明示する。不自然と判断される決定的な要因は,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないことである。たとえば,「この本は1000円だけだ」の「1000円」は「安価だ」というように形容詞的に解釈されていて,前提「高価だ」との間に明確な区切りがなく,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないので,「だけだ」が不自然と判断される。「数量語+だけだ」は形容詞的に解釈されがちで,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないので,不自然になりやすい。Learners of Japanese as a second language tend to misuse dakeda 'just' as in Kare wa 8-sai dakeda 'He is just eight years old.' A previous study has shown that dakeda is impermissible in a noun sentence when it follows a predicate nominal prescribing the quality of the subject. Morimoto (1992) claims that dakeda is incompatible with describing the attribution of the subject of a sentence. It is true that dakeda is not pragmatically permissible, when used in such a sentence as Kare wa kakaricho dakeda 'He is just a chief,' because kakaricho 'chief ' describes the attribution of the subject of the sentence. On the other hand, Nakanishi (2014) points out that there is a counterexample to Morimoto's (1992) assertion. Although Nakanishi (2014) presents a factor as to why dakeda is taken to be pragmatically permissible, it is not sufficient as Nakanishi (2014) fails to present a factor as to why dakeda is not pragmatically permissible. In this article, I present the crucial factor why "Noun + dakeda," especially "Quantifier + dakeda," is often taken to be pragmatically impermissible. In conclusion, in particular for "Quantifier + dakeda," it is difficult to find a clear distinction between the focus noun and its paradigmatic element on a scale. Consequently, a reader cannot understand that there is something deficient between the focus noun and the paradigmatic element. For example, Kono hon wa 1000 yen dakeda 'This book costs 1000 yen' is pragmatically impermissible, because it is difficult to find a clear distinction between the focus noun "1000 yen" and its paradigmatic element "5000 yen" on a scale. Moreover, the reader takes 1000 yen as adjectival "cheap," and there cannot be imagined something deficient between "cheap" and "expensive."
著者
柳村 裕
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.177-196, 2014-11

岡崎敬語の「丁寧さ」のレベルについて,第3次調査の結果を加えることで明らかになった敬語の大きな変化傾向を報告する。丁寧さが3回の調査を通して数十年にわたって増加し,特に第3次調査で大幅に増加したことが分かった。1940年代前後に生まれた人たちは,3度の調査の対象になったが,半世紀経って丁寧さを増やしている。「成人後習得(late adoption)」が丁寧さでも認められた。これは実時間(real time)による。一方,3回の調査すべてで,世代差という見かけの時間(apparent time)で,中年層以上が丁寧で,若年層はぶっきらぼうという傾向が見られる。また,場面による使い分けについては,依頼関係の有無という個人間の心理的関係に左右されるようになってきたことが読み取れた。さらに,話者の社会的属性と丁寧さの関係については,どの時代においても,女性の丁寧さが高く,学歴が高いほど丁寧さが高いことが分かった。そして,これらの話者属性は丁寧さの経年変化とも密接に関わることが分かった。すなわち,丁寧さの増加を牽引するのは男性であり,また,学歴の高い話者の割合が増加する高学歴化によって,全体の丁寧さが増加したと解釈される。
著者
竹田 晃子 鑓水 兼貴 Koko TAKEDA Kanetaka YARIMIZU
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.221-243, 2016-01

痛みを表す言語表現のうち動詞ウズクの使用実態について,約18万人を対象に行ったアンケート調査「慢性痛とその言語表現に関する全国調査」をもとに,地域差を中心に世代差・用法差を明らかにし,その背景を考察する。ウズクは,医療現場で患者の病態把握に用いられる質問票でよく用いられる動詞で,共通語と考えられている。しかし,調査結果の分析から,実際には西日本で主に用いられるという地域差と,50~60代で用いられるという世代差があることが明らかになった。用法差については,全国的に部位等によって使用率に違いがあることが明らかになった。この違いは,地域差や世代差と連動する形で現れる。「歯」「切り傷」では東日本を含む全国で用いられるのに対して,「頭」「関節」では西日本に限定され,「腰」「胃/腹」では愛媛県とその周辺地域へと分布域が狭まっている。痛みの性質からみて,「歯」の痛みは,「頭」「関節」「腰」「胃/腹」の順に遠くなっていくと考えられる。そして,歯からの「痛みの連続性」の順に,ウズクの使用率は減少し,分布域も狭くなる。この背景には,ウズクが細かい意味の違いでほかの語と使い分けられている(いた)ことと,身体感覚を表す「気づかない方言」であること,共通語化があると考えられる。身体感覚は個人的な感覚であるため方言が使われやすく,私的場面での使用に偏り,結果的に方言であることが気づかれにくい。関東地方では,もともと使われていたウズクの用法が狭まったか,あるいは,西日本の方言ウズクをごく一部の用法(「歯」「切り傷」)に限定して取り入れたか,双方の可能性が考えられる。In this paper, we clarify the differences in region, generation, and meaning of the verb uzuku, which is used to express a type of pain. We consider the characteristics of its usage through analysis of data from "The Nationwide Survey for Chronic Pain and its Expressions," which was administered to approximately 180,000 people.The verb uzuku is used to diagnose the clinical condition of the patient in a medical context. It is regarded as part of the standard Japanese language and is also used in the survey. However, an analysis of the results of this survey found that uzuku is mainly used in western Japan and by people in their 50s or older.In terms of the differences in meaning, the rate of use declines nationwide in descending order when referring to "toothache," "cut," "headache," "arthralgia," "backache," and "stomachache."Uzuku is used mainly in western Japan to express "toothache," "cut," and "headache." However, it is hardly used for headaches in eastern Japan, while its rate of use in western Japan also declines in under 50s. In Ehime Prefecture, its rate of use is high in expressing "arthralgia," "backache," and "stomachache." Therefore, uzuku has a broader meaning in the Ehime dialect than in other dialects.With regard to the quality of pain, the type of pain is differentiated to an increasing degree from that of "toothache" in the case of "headache," "arthralgia," "backache," and "stomachache." In the order of continuity of pain from "toothache," the rate of use of uzuku decreases and the area of use becomes narrower.Uzuku is part of an "unnoticed dialect," which expresses physical sensation and is standardized with reduction of meaning. Physical sensation is personal, and words of physical sensation tend to be used in the private domain. Therefore, it can easily be overlooked that they are dialect forms.There are many answers to the survey that can be given other than uzuku. These are used differently according to usage or nuance. It is suggested that the meaning of uzuku has become narrower because itai/itamu has taken on the core meaning of pain, especially in the Kanto district.
著者
日高 水穂 Mizuho HIDAKA
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.11, pp.11-24, 2016-07

日本語の授与動詞の語彙体系を〔遠心性授与動詞/求心性授与動詞〕のように表すとすると,近畿地方を中心とした「中央部」の方言では〔ヤル/クレル〕の語彙体系を発達させてきているのに対し,中部地方以東や九州地方以南の「周辺部」の方言では〔クレル/クレル〕を維持するものがある。この〔ヤル/クレル〕と〔クレル/クレル〕が接触する地域では,本動詞用法においては〔クレル/クレル〕が維持されるのに対して,補助動詞用法では〔ヤル/クレル〕の対立を生じている場合がある。この授与動詞体系の方言接触による変容の諸現象と地理的分布を,FPJD調査の結果により検証する。When expressing the lexical system of Japanese verbs of giving as the giving verb of centrifugal direction from a speaker or the giving verb of centripetal direction to a speaker, [kureru/kureru] are maintained in the peripheral dialects used in the east of the Chubu region or in the south of the Kyushu region; however, the lexical system of [yaru/kureru] has been maintained in the central dialects used in the Kinki region. In regions where this [yaru/kureru] makes contact with [kureru/kureru], there are cases where an opposition of [yaru/kureru] occurs in the usage of the auxiliary verb; however, [kureru/kureru] is maintained in the usage of the main verb. Various phenomena of metamorphosis through dialect contact in the system of verbs of giving and their geographical distribution have been investigated through the results of the Field Research Project to Analyze the Formation Process of Japanese Dialects (the FPJD survey).
著者
松田 謙次郎 Kenjiro MATSUDA
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.11, pp.63-81, 2016-07

大正~昭和戦前期のSP盤演説レコードを収めた岡田コレクションでは,「場合」の読みとして「ばやい」という発音が多数を占めている。これに対して辞書記述,コーパス,国会審議の会議録・映像音声などを調査すると,現代語における読みでは「ばあい」が圧倒的多数を占めており,「場合」の発音が岡田コレクションの時代から現代にかけて大きく変化したことが窺われる。「ばやい」は寛政期の複数方言を記した洒落本に登場する形式であり,明治中期に発表された『音韻調査報告書』は「ばやい」という発音が全国的に分布する方言形であったことを示す。本論文では岡田コレクションにおける「ばやい」という発音が,講演者達の母語方言形であり,その後標準語教育が浸透するなかで「ばやい」が方言形,さらに卑語的表現として認知され,最終的に「場合」の読みとして「ばあい」が一般化したことを主張する。A survey of the recordings in the Okada Collection, a collection of speeches from the Taisho era to the early Showa era (from the 1910s to 1940s), shows that the most popular pronunciation of the word baai (場合) was bayai, and not baai. This is in stark contrast to contemporary Japanese, where, if we follow the distribution of dictionary entries, statistics based on the corpora, and actual pronunciations employed in Diet meetings, the word is pronounced as baai by an overwhelming majority. This paper attempts to account for the difference through examining corpus data, historical documents, and dialectological survey results. The form bayai appears in Sharebon, a late Edo-period novelette, from multiple dialectal areas; further, the On-in Chosa Hokokusho, the first official nationwide dialectological survey by the government published in 1905, indicates that bayai was a rather common dialectal form used in a number of dialects across the country. This paper claims that speakers from the Okada Collection simply used their native dialectal forms. With the spread of Standard Japanese after World War II, bayai has come to be recognized as a dialectal form, and in fact, even as a vulgarism. Baai, in contrast, emerged as the standard form that is widely used in contemporary Japanese. Although further research is required to trace the word's exact development in the post-WWII era, this paper demonstrates the historical value of the Okada Collection for the study of the development of contemporary Japanese.
著者
福永 由佳
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.33-50, 2014-11

在日パキスタン人は人口規模こそ小さいものの,中古車輸出業をはじめとするエスニック・ビジネスの展開,宗教施設の設立など,自立的な社会活動を展開する活力の高いエスニック集団である。また,彼らは生活のなかで複数の言語を使用する多言語使用者でもある。彼らの多言語使用の実態と言語使用に関わる社会文化的要因をEthnolinguistic Vitality Theoryにもとづき明らかにすることを目指して,本稿では(1)多言語使用に関する諸理論を検討するとともに,(2)参与観察と言語意識調査で得られた定性的データを用いて,Ethnolinguistic Vitality Theoryの適応可能性を検討した。分析の結果,彼らは母国の言語事情や社会構造および日本における社会文化的文脈から形成された言語意識をもとに,複数の言語(日本語,英語,ウルドゥー語,アラビア語,民族語)を使い分けている様相が明らかになった。また,データに見られた言語意識はEthnolinguistic Vitality Theoryの枠組みで説明しうることが示唆された。
著者
阿部 新
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-13, 2014-11

本研究では,日本語学習者の文法学習と語彙学習に対するビリーフについて,世界各地の学習者を対象とした先行研究結果を取り出して地域的特徴を考察した。さらに,先行研究で明らかになっているノンネイティブ日本語教師のビリーフの傾向,日本人大学生や日本人教師のビリーフ調査の結果とも比較した。その結果,文法学習も語彙学習も大切だというビリーフに学生が強く賛成し,現地のノンネイティブ日本語教師と同じ傾向を示す地域(南アジア,東南アジア),そのようなビリーフに学生は賛成するが,それほど強く賛成するわけではなく,現地のノンネイティブ日本語教師の傾向とも近い地域(西欧,大洋州),前2者の中間程度の強さで学生がビリーフに賛成し,教師のビリーフとはやや異なる傾向の地域(中南米,東南アジア・東アジアや大洋州の一部)など,地域による違いが見られた。さらに,日本人の結果を見てみると,日本人大学生や教師歴がごく短い日本人教師は,文法学習も語彙学習も大切ではないというビリーフを持ち,世界各地の学習者とは異なる傾向を示す。一方,経験豊富な教師は世界各地の学習者と同じような傾向であることも分かった。最後に,こういった傾向を把握したうえで,文法・語彙のシラバス・教材作成と普及を行う必要があることを指摘した。
著者
バンス ティモシー・J
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.207-214, 2015-07

長年にわたる日本語の連濁研究の結果,制約は色々見出されているが,すべて傾向に過ぎず,包括的な規則はないということが明らかになっている。しかし,21世紀に入り,ローゼンが連濁現象を新鮮な目で見て,独創的な成果を上げた(Rosen 2001, 2003)。「ローゼンの法則」とは,複合語の前部要素と後部要素が両方とも和語名詞の単一形態素であれば,どちらか(または両方)が3モーラ以上の場合は,連濁の有無が予測できるという旨の仮説である。具体的に言うと,これらの条件を満たす連濁可能な複合語は,後部要素が連濁に免疫がない限り,必ず連濁するという主張である。反例がまったくないわけではないが,きわめて強い傾向であることは否定できない。本稿の目的は,以下の三つである。まず,第1〜2節でローゼンの研究を簡潔に紹介する。次に,第3〜5節で和語名詞単一形態素以外の要素を含む複合語に考察を広げ,要素の制限を緩和しても,ローゼンの法則がある程度当てはまることを示す。最後に,第6節でローゼンが提案した理論的説明に着目し,残念ながらこの説明は説得力が乏しく,法則の根本原因は依然として謎であることを指摘する。