著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
no.34, pp.43-62, 2020-03-20

本稿は、朝鮮総督府の機関紙『京城日報』の調査によって、永井郁子(1893〜1983)の6度に及ぶ朝鮮楽旅の全体像を明らかにすることを目的とする。調査の結果、41点の記事(1928〜1932)が見出され、永井の朝鮮楽旅は『京城日報』 によって口火が切られ、その後、民間新聞の『釜山日報』や『朝鮮新聞』に引き継がれていったことが判明した。特に第一回(1928年)と第六回(1932年)については、『京城日報』が強力に梃入れしたことが明らかとなった。これらの記事から42件の独唱会の存在が知られ、それらはあくまで部分的なものではあったが、演奏会の曲目や観客の反応等が分かるものも含まれている。 演奏曲目については、第一回の朝鮮楽旅が行なわれた1928年はシューベルトの没後100年を記念する年であり、シューベルトを集中的に取り上げる方向でプログラム変更がなされた。第一回(1928年)と第二回(1930年)のプログラムでは、初めに「泰西名曲(ベートーヴェンやシューベルト)の邦語訳詞歌唱」、次に「各国民謡九曲」ないしは「各国名曲九種」(日満露独英米仏伊拉)、最後に「新日本音楽」(宮城道雄作曲による新箏曲、ないし永井郁子考案の浄瑠璃歌謡曲)を置くという組み立てであったが、第六回(1932年)になると、「泰西名曲の邦語訳詞歌唱」が姿を消して、代わりに「新日本歌謡曲」として邦人作曲家の作品がまとまって取り上げられ、歌うに値する邦人作曲家の歌が出てきたという判断が永井の側にあったと理解される。 エヴリヌ・ピエイエが『女流音楽家の誕生』(1992/1995)で論じたように、輝かしい活躍をした女流音楽家たちの多くが忘却の淵に沈められている。日本歌曲の黎明期に貢献した永井郁子の事績を掘り起こし、しかるべき再評価に繋げるべく、問題の解明を続けて行きたい。
著者
小坂 美保
出版者
神戸女学院大学女性学インスティチュート
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum (ISSN:09136630)
巻号頁・発行日
no.32, pp.53-72, 2018-03

スポーツにおいて素晴らしい記録がでたとき、当該アスリートには「賞賛のまなざし」と「ドーピングでは?」「疑惑のまなざし」が向けられる。女性アスリートには、この2つのまなざしだけでなく、「男性では?」という「性別へのまなざし」が加わる。本報告では、性別に疑惑を向けられたある女性アスリートを事例に、スポーツにおける性別問題について考察をおこなった。競技を実施する上での平等性の確保とともに、女性のパフォーマンスが男性をうわまわる可能性を排除しようとする構造がスポーツ界に存在するのではないだろうか。そのために、髙いパフォーマンスを発揮した女性アスリートに対して「性別疑惑」が浮上し、「女性選手」のカテゴリーへの包摂を拒むのである。そして、当該選手が、「女性選手」として競技に参加するためには、「女性選手」という枠組みに適合する身体にならなければならない。近代スポーツは、「女」か「男」かという二分法を揺るがす選手の存在は、近代スポーツが抱える「女性/男性」という枠組みの枠組みの限界を示しているともいえるのである。When an athlete produces a remarkable sports record, he or she will receive both "admiring glances" and "suspicious glances" saying, "Was there doping?" In addition to these two kinds of glances, female athletes will also receive "sexual glances" saying "Are you a man?" This report examined gender issues cases in sports studies, taking a female athlete facing an allegation about her gender as the example case. Isn't there a system in the sports world seeking to eliminate the possibility that the performances given by female athletes would exceed those by male athletes as well as to secure fairness in our playing sports? For this reason, female athletes who have demonstrated a high performance will face a "gender allegation" and not be allowed to be categorized as "female athletes" for participating in a sports competition as a "female athlete" . In modern sports, the rules and culture of sports competition have been formed based on the two-category system of "men" and "women" . Therefore, it can be said that the presence of athletes undermining this two-category system shows the limitation of the modern sports' framework where all athletes are categorized as either "men or women" .
著者
栗山 圭子 Keiko KURIYAMA
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.32, pp.1-23, 2018-03-20

産む、授乳する、育てる、教育する、PTAや学校行事への参加などで保護者役割を代表する等、「積みすぎた」現代の母とは異なり、日本中世においては、母役割は複数の人間によって分担されていた。本稿では、安徳天皇「母」を事例に、中世における多様な「母」とそれぞれの母役割について論じる。安徳天皇には8人の「母」が存在した。それらは、国母(こくも)/乳母(めのと)/准母(じゅんぼ)に類型される。第一に、国母とは、天皇の産みの母である。天皇に対する日常的奉仕や養育というよりも、特に、天皇の務める公務や儀式など公的空間における扶助を行うことが求められた。次に、乳母は、授乳をはじめ、養君の人生全般に寄り添い、もっともその身体に密着して、養育・教育・しつけを行った。第三の准母は、院政期(平安時代末~鎌倉時代初頭、ほぼ12世紀の100年間)に特徴的な「母」である。国母が上記した本来果たすべき公的空間における天皇の後見を行い得ないときに、准母はその代替を行うべく設定された。安徳天皇の4人の准母の変遷を分析すると、誰が・どのタイミングで准母に選定されるかは、後白河院(安徳父方祖父)と平清盛(安徳外祖父)との抗争という、時の政局と連動していることがわかる。つまり、天皇に付された後天的な「母」である准母は、いかなる勢力が安徳の後見主体であるのかを明示するものであった。准母をはじめとする中世における多様な「母」の在り方は、まさに当該期の社会構造の中から生み出されたものなのである。
著者
中野 敬一 Keiichi NAKANO
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.28, pp.47-67, 2014-03

本論では聖書において「売春女性」がどう扱われているかを確認した。まず旧約聖書では「神殿娼婦」と「遊女」が登場する。神殿娼婦は異教の習慣であり、イスラエルの聖所においては厳しく禁じられていた(例:申命記23:18)。しかし実際にはイスラエルにおいても神殿娼婦との淫行がみられ、預言者は神の審判を予言したのである。(例 : ホセア記4:14)。一方、遊女に対しては神殿娼婦ほどの避難はなされていない。新約聖書には、旧約聖書における「遊女」の同義語である「娼婦」が登場する。彼女たちの社会的地位は低く、特に律法学者やファリサイ派などのユダヤ教指導者層から差別されていた。しかしイエスは「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(マタイ福音書21:31)と述べた。また「罪深い女」(ルカ 7:36)と呼ばれていた娼婦を受け入れた。イエスは彼女たちを救いに招いたのである。しかし、後のキリスト者やキリスト教会はイエスの姿勢を継承しなかったと言える。例えば、パウロはコリント教会における淫行を禁じ、そのような行いをなす人々を排除するよう命じた。彼はキリスト者が娼婦と一体となることを戒めており、「みだらな者は神の国を受け継ぐことができない」と述べた(Ⅰコリント 6:10)。パウロらの思想は後のキリスト教会に受け継がれた。教父時代においては禁欲が重視され、売春女性は教会から排除された。しかし、同時に「必要悪」として認められた。さらにこのような傾向は中世ヨーロッパのキリスト教会にも継続され、社会や教会の純潔が守られるために、売春は是認されるのである。宗教改革者たちも売春女性を厳しく差別したが、カトリック教会と同様「必要悪」として彼女たちを容認したのである。 In this paper, I explored how prostitutes are treated in the Bible. "Shrine prostitute" and "harlot" appear in the Old Testament. The shrine prostitute was a custom of paganism and was forbidden in Israeli holy places (ex. Deuteronomy 23:18). In fact, however, immoral sexual acts with shrine prostitutes were observed in Israel, and the prophets foretold the judgement of God (ex. Hosea 4:14). On the other hand, Israelis did not criticize harlots as shrine prostitutes. "Prostitute", which is a synonym of "harlot", appears in the New Testament. Their social status was low; they were discriminated against by the class of Jewish leaders such as the scribes and the Pharisees. However, Jesus said to them, "the tax collectors and the prostitutes are going into the kingdom of God ahead of you" (Matthew 21:31 ). In addition, he accepted "a sinful woman" (Luke 7:36 ) who was a prostitute. Jesus invited her to salvation. However, it may be said that the later Christian church and heritage did not follow this position of Jesus. For example, the apostle Paul forbade sexual immorality in the Corinth church and commanded that it remove people who performed such an act. Paul banned a Christian and a prostitute from becoming one body and stated, "fornicators will not inherit the kingdom of God" (I Corinthians 6:10). The thoughts of Paul were inherited by the later Christian churches. Abstinence was made much of in the Church Father era, and prostitutes were removed from churches. However, it was recognized as "a necessary evil" at the same time. Furthermore, this tendency continued in the Catholic Church of the Middle Ages, and the church approved prostitution to protect the purity of society and the church. Religious reformers also discriminated harshly against prostitutes, but accepted them as "a necessary evil" in the same way as the Catholic Church.
著者
國吉 知子
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum
巻号頁・発行日
vol.29, pp.23-49, 2015-03

母と娘の関係性は身近なテーマであるが、心理学的な複雑さを内包している。近年では少子化の影響を受け、一卵性母娘など母娘の問題が家族の問題としてクローズアップされているが、実は童話や神話の中にも母娘のテーマは表現されている。本稿は、まず娘の母親への生涯にわたる依存性の高さと、62%の女性が母親に依存的であるという質問紙を用いた実証研究を概観した。次に深層心理学的観点から、母と娘に特有の親密性の高さと娘の自立の困難さについて、神話やディズニー素材(「白雪姫」「ラプンツェル」「リトルマーメイド2」「メリダとおそろしの森」「アナと雪の女王」)を取り上げ、それぞれの物語における母娘関係を分析し、これらに共通する興味深いパターンと、母娘の絆がいかに強く分離しにくいかを示した。さらに、母娘関係を深く理解するために、母親が娘をコントロールする無意識的メカニズム、すなわち、抑圧、同一化という自我の防衛機制や「母」役割が持つ献身の問題(斉藤 2008)を紹介した。特に、献身の問題については、マゾヒスティック・コントロール(高石 1997)の観点から論じ、その対処について述べた。その結果、女性の自立を考えるには、従来の男性の自立モデルとは異なる、女性特有の自立スタイルを考えることが重要であることが示唆された。
著者
小坂 美保
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.32, pp.53-72, 2018-03-20

スポーツにおいて素晴らしい記録がでたとき、当該アスリートには「賞賛のまなざし」と「ドーピングでは?」「疑惑のまなざし」が向けられる。女性アスリートには、この2つのまなざしだけでなく、「男性では?」という「性別へのまなざし」が加わる。本報告では、性別に疑惑を向けられたある女性アスリートを事例に、スポーツにおける性別問題について考察をおこなった。競技を実施する上での平等性の確保とともに、女性のパフォーマンスが男性をうわまわる可能性を排除しようとする構造がスポーツ界に存在するのではないだろうか。そのために、髙いパフォーマンスを発揮した女性アスリートに対して「性別疑惑」が浮上し、「女性選手」のカテゴリーへの包摂を拒むのである。そして、当該選手が、「女性選手」として競技に参加するためには、「女性選手」という枠組みに適合する身体にならなければならない。近代スポーツは、「女」か「男」かという二分法を揺るがす選手の存在は、近代スポーツが抱える「女性/男性」という枠組みの枠組みの限界を示しているともいえるのである。
著者
床谷 文雄 Tokotani Fumio
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum
巻号頁・発行日
vol.2, pp.13-47, 1988-03

Diese Studie befasst sich mit der Diskussion um die Namenseinheit zwischen Ehefrau und Ehemann. Das geltende japanische Recht stellt fest, dass die Namenseinheit ein unabdingbares Element ehelicher Verbundenheit sei. Nach 750 des jap. BGB fuhren Ehegatten einen gemeinsamen Ehe-und Familiennamen. Jeder der beiden Ehegatten hat offentlich-rechtlich das Recht und die Pflicht, diesen Namen zu fuhren. Diese Regelung ist nicht selbstverstandlich, sie entspricht aber einer von langer Tradition gepragten Bewusstseinslage, die bis in die Meiji Zeit zuruckgeht;ihr tragt das geltende Recht Rechnung. Abweichend vom bis zur Anderung der Verfassung geltenden Recht, wird heute nach geltendem Recht nicht von vornherein ein bestimmter Name,d.h.grundsatzlich der Name des Mannes, normativ zum Ehenamen erhoben.Es ist vielmehr die Sache der kunftigen Ehegatten,bei der Eheschliessung eine Namenswahl vorzunehmen. Zum Ehenamen konnen die Ehegatten entweder den Namen des Mannes oder den der Frau bestimmen. Soweit sind beide Ehegatten bei der Namenswahl formal gleichberechtigt; das Gebot der Namenseinheit verstosst also nicht gegen die Verfassung. Es hat aber zur Folge, dass fast alle Ehepaare den Namen des Mannes als Ehenamen wahlen. Namenseinheit bedeutet in der Praxis stets, dass fast alle Frauen bei der Eheschliessung auf ihren Namen verzichten mussen. Die Ehefrau ist auch nicht berechtigt,zu dem zum Familiennamen gewordenen Mannesnamen ihren Madchennamen hinzuzufugen. Eine Namenseinheit bietet naturlich sowohl Vorteile wie Nachteile. Die Nachteile,die sich aus der Namensanderung ergeben,haben allerdings fast immer die Frauen zu tragen, wahrend die Vorteile beiden Ehegatten zugute kommen. Der Grundsatz der Einheit des Ehenamens musste zwangslaufig zu Schwierigkeiten fur die Frauen fuhren.Die Namenseinheit ist zwar als eine Rechtsfolge der Ehe vorgeschrieben,ist aber in Wirklichkeit ein Erfordernis fur die Eheschliessung. Ein Ehegatte,der mit der Namensanderung nicht einverstanden ist, muss also auf die Eheschliessung uberhaupt verzichten und kann nur ein eheahnliches Verhaltnis(eine nichteheliche Lebensgemeinschaft) aufrechterhalten. Der verwitwete Ehegatte behalt den Ehenamen bei,doch kann er auch durch Erklarung gegenuber dem Standesbeamten wieder den Namen annehmen, den er zur Zeit der Eheschliessung gefuhrt hat. Der geschiedene Ehegatte dagegen soll wieder den Namen annehmen,den er bis zu seiner Eheschliessung gefuhrt hat(767 Abs.1).Er kann heute jedoch binnen drei Monaten nach der Ehescheidung durch Erklarung gegenuber dem Standesbeamten wieder den Namen annehmen,den er vor der Ehescheidung gefuhrt hat(767 Abs.2). Die Vorschrift des 767 Abs.2 wurde 1976 durch eine Anderung des BGB eingefuhrt,damit eine geschiedene Frau nicht mehr gegen ihren Willen ihren Nachnamen abermals andern muss. Neuerdings nehmen indessen Einspruche gegen die zwangsmassige Namensanderung bei der Eheschliessung zu,und damit auch die gegen die Namenseinheit selbst. Warum die Frauen ihren Madchennamen nicht beibehalten durfen, wahrend die meisten Manner ihren Geburtsnamen bis zum Tode fuhren, erscheint einigen Autoren weder selbstverstandlich noch gerechtfertigt. Sie fordern das Recht auf eine Wahl zwischen gemeinschaftlichem Familiennamen oder unterschiedlichem Nachnamen. Ich schliesse mich dieser Forderung an. Die Mehrheit der Japaner(Autoren,nichtberufstatige Hausfrauen, junge Studentinnen,und naturlich meiste Manner)ist jedoch fur eine Beibehaltung der Namenseinheit. Wollen wir die Wahlfreiheit erreichen, mussen wir also zunachst diese Mehrheit uberzeugen. Doch es sind auch grosse rechtliche Hindernisse zu uberwinden. Das grosste Hindernis ist das Personenstandsregister. Das japanische Personenstandsregister ist ein eigentumliches, sehr feinbearbeitetes Rechtssystem. Fur jedes Ehepaar wird, sofern nicht schon ein eigenes Personenstandsbuch fur einen der Ehegatten angelegt ist,im Anschluss an die Eheschliessung ein neues Personenstandsbuch angelegt. Zur Eintragung einer Ehe in ein Personenstandsbuch ist nach geltendem Personenstandsrecht die Namenseinheit eine unentbehrliche Voraussetzung. Der Ehename ist fur die Eintragung der Ehe massgeblich.Nach 6, 18 des jap. Personenstandsgesetzes wird ein Personenstandsbuch fur ein Ehepaar und die Kinder angelegt, die den gleichen Namen wie die Ehegatten fuhren, auch wenn die Kinder nicht gemeinschaftliche sind. Eine Uberprufung der Sachlage fuhrt zu dem Schluss, dass die Grundregel der Namensgleichheit abzuschaffen ist,um das Recht auf freie Namenswahl zu verwirklichen. Ich empfehle eine neue Grundregel einzufuhren, dass zwei verschiedene Namen fuhrende Ehegatten und nur ihre gemeinschaftlichen Kinder in ein und dasselbe Personenstandsbuch eingetragen werden sollen.
著者
内田 樹 Tatsuru UCHIDA
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum
巻号頁・発行日
vol.10, pp.3-26, 1996-03

Selon Harold Schechter, les legendes urbaines se composent de deux facteurs: l'archetype imaginaire commun a tous et l'inquietude propre du temps. La ou un archetype ahistorique se trouve relie avec une inquietude historiquement conditionnee, se produit une legende urbaine "dramatique". A partir de cette hypothese, nous analysons, dans la presente etude, trois films qui forment la saga "Alien":"Alien"de Ridley Scott(1979), "Aliens"de James Cameron(1986),"Alien 3"de David Fincher(1992). Ce qui nous interesse n'est pas l'archetype qui reste inchange a travers ces films, mais la transformation grotesque du statut de l'heroine. Ripley, heroine de la saga, presente, au debut,le reve feministe: astronaute experte, independante, courageuse, et seule survivante de la bataille sanglante avec un "Alien". Mais, dans 13 ans, elle doit mourir completement depouillee: sans famille, sans camarades, sans armes,sans futur, sans gloire, et enceinte d'un "Alien". D'ou vient cette chute? Nous en cherchons l'explication dans la tendance misogyne chez les hommes americains face au feminisme menac__.ant des annees 80.
著者
溝口 薫 KAORU MIZOGUCHI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
no.34, pp.21-41, 2020-03-20

"A Family Supper" は、日本の70年代を背景にある家族の関係の危機を描くカズオ・イシグロの最初期の短編小説である。本論は、作品のテーマや形態的特徴を詳細に検討し、この作家の家族関係の危機の要因に関する洞察と、読者をさらに丁寧な読みに誘うその仕掛けについて明らかにする。その結果、この作品には、多様な文化の時代においてつながりの倫理探求に挑戦し続ける作家の優れた語りのセンシビリティが窺われることを論じる。
著者
内田 樹 Tatsuru UCHIDA
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum
巻号頁・発行日
vol.13, pp.153-177, 1999-03

Dans notre derniere analyse,nous avons interprete la Saga-Alien: Alien (1979),Aliens (1986) et Alien 3(1992) a partir de I'hypothese de Harold Schecter. Il a ecrit qu'une des sources du fantasme qui hante laSaga-Alien est la legende classique : serpent dans le ventre. Mais en meme temps,cette legende est nourrie abondamment d'un ressentiment contemporain contre les feministes americains des annees 70-90.Aux Etats-Unis,une des censures les plus severes sur les films est imposee par les feministes. Pour esquiver l'accusation feministe portee au nom de "la correction politique (politically correctness)",la Saga-Alien a employe la strategie de l'entrisme: jouer les feministes tout en les flattant excessivement. Au niveau narratif,les films de la Saga-Alien etaient absolument innocents: I'heroine (Ellen Ripley,astronaute) a gagne toutes les batailles sanglantes sur l' Alien, signe du desir sexuel masculin. Mais au niveau iconographique,la schema est completement renversee. L'heroine est convoquee au milieu de l'ecran seulement pour etre persecutee et punie au centre de tous les regards des spectateurs masculins.
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.31, pp.65-86, 2017-03-20

本論では、戦後初の芥川賞受賞作家として知られる由起しげ子(1900~1969)について、神戸女学院音楽部在学時(1918~1921)とその前後の音楽教育歴の輪郭を、本学所蔵資料によって描き出すことを目的とする。「由起しげ子」は本名を「伊原(旧姓、新飼)志げ」と言う。新飼志げは17歳の1918年4月に神戸女学院音楽部に入学し、20歳の1921年1月に中退している。ここでは、1)音楽部在学時の音楽教育、2)山田耕筰(1886~1965)との師弟関係、3)山田耕筰との交流を示す資料について、その概略を描き出す。1)神戸女学院大学図書館所蔵の「音楽レッスン帳」(1907~1923)によれば、新飼志げは1918年春学期と秋学期、1919年冬学期の3学期間にピアノとオルガンと歌のレッスンを並行して受けており、その教材は主に初学者用のものであったと判明した。幼少期にピアノを習う機会を与えられなかったため、必ずしも手が回る弾き手ではなかったようである。2)山田耕筰との師弟関係については、特にその始まりがいつであったかという点で先行研究には大きなばらつきが見られるが、関連史料を精査した結果、1917年2月25日の大阪ホテルでの出会いが最初で、その際に新飼は山田に弟子入りを許されたというのが一番事実に近いという結論に達した。「由起しげ子文庫」には新飼の作曲作品は含まれておらず、対位法の勉強の跡を示す簡単な譜例とメモが残されているだけである。3)由起の長期入院と結婚・渡欧によって作曲の勉強は放棄されたが、それでも山田との交流は生涯にわたって続いたことが、「由起しげ子文庫」所蔵の山田耕筰の署名と献辞入りの出版譜や書簡、また後年の両者の執筆物から明らかとなった。
著者
津田 ヨランダ・アルファロ
出版者
神戸女学院大学
雑誌
女性学評論 = Women's studies forum (ISSN:09136630)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.93-101, 2007-03-31

日本の出入国や定住についての歴史的経験は、米国、ドイツ、フランス、イタリアなどの他の先進工業諸国と比べて比較的浅い。しかし、この数10年間の日本は、多くのニューカマーとして韓国人、中国人、ブラジル人、フィリピン人、その他を受け入れることとなった。にもかかわらず、かれらに関する法制度や政策には整合性がない。サポートシステムも弱く、日本人の間でかれらの存在について愛憎こもごもの態度が根強く残っている。ニューカマーの中では、おそらく最も早い時期に日本のイミグレーションという扉を開けたのがフィリピン人である。現在、日本には20万人ほどのフィリピン人がおり、その内の9割は女性である。本研究は日本の「国際化」およびその市民社会の変革に寄与したフィリピン人に焦点をあてる。フィールドワーク(インタビューと写真撮影を含む)を通して、かれらの、「1世」としての日本での生活、家族そしてコミュニティーを記録し考察していく。
著者
松並 知子 西尾 亜希子 Tomoko MATSUNAMI Akiko NISHIO
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.32, pp.25-52, 2018-03-20

貧困化リスク要因が多い女性にとって大学在学中のキャリアプラン選択は重要なため、本研究は女子大学生の将来のキャリアプラン選択の傾向やその要因について検討することを目的とした。研究1では、女子大学生500名を対象にキャリアプラン選択と稼得意識、進路選択に対する自己効力、自尊感情との関連を検討した結果、半数以上がキャリアを中断・退職する予定であり、就業継続には稼得意識のみが関連することが示唆された。研究2では稼得意識の項目数を増やし、309名を対象に稼得意識と職業観との関連および就業継続の要因について検討した。その結果、稼得意識の下位項目である「結婚生活における経済的自立度」と職業観の下位尺度である「人間関係」「やりがい」「男女平等の環境」との間に弱い相関が、稼得意識のもう1つの下位項目である「結婚相手への非依存度」と職業観の「経済的安定」と「プライベート重視」の間に中程度の負の相関が見られた。また、就業継続の促進要因として結婚生活における経済的自立志向と男女平等な環境でのやりがいのある仕事を期待する職業観が、阻害要因としてプライベート優先と仕事を通じた良好な人間関係を期待する職業観があることが示唆された。経済的な自立志向ややりがいを求める職業観が稼得意識に関連する一方、プライベートを優先しすぎたり、職場での人間関係などを重視しすぎることが、稼得意識の喪失につながる可能性もある。したがって、稼得意識を高めるような新たなキャリア教育を開発する必要性が示された。
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
no.35, pp.39-63, 2021-03-20

ソプラノ歌手の永井郁子(1893〜1983)が展開した邦語歌唱運動(1925〜1941)において、レート白粉本舗平尾賛平商店とタイアップして行った1929年秋の演奏旅行は一際異彩を放っている。その実態を明らかにすると共に、その社会的な意味を考えることが本稿の目的である。調査の結果、9月下旬から東京(4回)、横浜、大阪(4回)、神戸、京都の計11回、11月中旬に奈良、和歌山、岡山、高松(2回)、松山、広島、福岡(3回)、熊本、大分の計12回、と合わせて少なくとも23回の独唱会を実施し、どの会場も大入りであったことが明らかになった。これは新化粧水「レートソプラ」の発売記念行事として行われたもので、「お耳にソプラノお手にはソプラ」のキャッチフレーズも用いられた。新聞広告を多用しながら、各地の化粧品店とレート会の顧客のネットワークを通じて全国展開したものと理解される。化粧品会社による冠コンサートが日本で盛んになるのは戦後の1970年代であり、1929年という突出して早い時期に行われた平尾賛平商店によるこれら一連の独唱会は、極めて先駆的な例と位置づけられる。
著者
荒木 菜穂 Naho ARAKI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.30, pp.1-19, 2016-03-15

フェミニズム的活動を行う女性グループでは、しばしば、権力構造を否定する関係性、すなわち、対等な関係性、「平場」の関係性が目指される。そこではしばしば、権力構造をともなう組織であれば解決されていたかもしれない困難が発生する。権力や権威を否定することは、フェミニズム的理念にはかなうが、活動が力を持ち、持続、発展していく際には足かせとなる。しかしそれは、結果として、それらの困難を乗り越えたグループが持続、場合によっては発展、成功していることを意味する。本稿では、フェミニズム的側面を持つ女性グループにおける平場の意味と、平場的組織のあり方の困難、その解決について、いくつかの事例を紹介する。女性が平場の関係性を持続させ、そこでの活動を発展させるちから、場合によっては外部の何らかの構造に働きかける権力を持つためにはどういったことが必要であるのかを知る道筋のヒントを明らかにしていきたい。