著者
三橋 正
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.333-358, 2007-09-30

神仏習合と神仏隔離(分離)が併存するという日本特有のシンクレティズム現象は、古代国家が仏教を受容してから神祇祭祀を形成させたことで生まれた。仏教公伝の記事に欽明天皇が仏像を蘇我稲目に託したとあることは、古墳時代に普遍的な委託祭祀の方式に則ったものである。また古墳で行なわれていた「柱」祭祀に、神聖(祭祀的)な面と服属儀礼的な面とがあり、仏教の受容に際し、神聖(祭祀的)な面は塔の心柱に、服属儀礼的な面は須弥山を建てる儀に投影された。仏教は当初、古墳時代の祭祀形態をふまえ、それと混淆して受容された。それに対し、律令国家の建設と一体化して形成された神祇祭祀には、「柱」の抽象化が見られ、古墳祭祀からの断続があったと想定される。神祇は、古墳祭祀の衰退・消滅と、一時的な仏教儀礼への移行がなされた後で、仏教から自立する形で古代国家によって創始された。これによって仏教を信仰しながらも神の優位性を認めようとする精神構造(信仰構造)が出来上がったと考えられる。
著者
小杉 泰
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.905-930, 2012-03-30

イスラームは現在もっとも急速に拡大する世界宗教とされる。一九七〇年代以降のイスラーム復興によって、世俗化の流れが逆転し、人びとの間に「宗教による絆」が再生されるようになった。イスラームでは、具体的な行為規定を伴うシャリーア(天啓の法)を、信徒の日常生活の規範たらしめる。その法は世界的なウンマ(イスラーム共同体)の法であると共に、地域コミュニティを再構築する際の基盤となる。国家の制定法から排除されても、シャリーアはムスリムの信仰行為、家族関係、日常生活、地域社会の活動などにおいて根強く残り、それがイスラーム復興と共に再強化されてきた。共同体的な実践が信仰の発露となることが一般的であり、モスク(礼拝所)がコミュニティの中心となる。共通の現象として(一)聖典クルアーンなどのイスラーム教育、(二)モスク建設と礼拝の奨励、(三)相互扶助などの福祉活動、(四)巡礼の増加、(五)イスラーム銀行の設立などが観察される。
著者
松本 耿郎
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.347-371, 2004-09-30

イスラームの信仰宣言「アッラーのほかに神はなく。ムハンマドはアッラーの使徒である」はムスリムを宗教的瞑想に誘う。その理由は、二つの命題の論理的関係が文言だけでは不明で、なぜ二つの命題を宣言するのかも明らかでないからである。多くのムスリムの思想家たちがこの問題に取り組み、その知的営為の中から存在一性論という哲学が形成され、この哲学を継承発展させる運動がイスラーム世界全域で展開した。存在一性論はアッラーを唯一の真実在者とし、それ以外の諸存在は仮の、あるいは幻の存在であるとする。そして、唯一の真実在者と幻の存在との関係を考察し、さらにこの真実在者から預言者ムハンマドが派遣される理由を可能な限り理論的に説明しようとする。これは相当なエネルギーを必要とする知的営為である。しかし、存在一性論はその中で使用する基本概念をいずれも重層的意味を持つものに設定して、この学派の枠組みの中での思索がほぼ自己増殖的に発展する装置を創り上げている。それは思想的生命力の自動的維持装置ともみなしうる。存在一性論が中国の思想的土壌のなかでも見事に開花していることもこのことを証明している。
著者
宮家 準
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.815-836, 2007-03-30

岸本英夫は死は別れで、死後自分は宇宙の霊にかえるとした。柳田国男は死後肉親に葬られ、その後供養された死霊は祖霊さらに氏神となるが、後継者のない死霊は無縁様(外精霊・餓鬼)になるとした。日本の伝統的な葬儀では死者の霊魂を他界に送ることに重点が置かれたが、近年は死者を偲び、その志を継承する事を誓う会に展開している。現代の死は八割が病院死で、ターミナルケアが求められている。そこでは末期患者にあるがままの現実に身を委ねることや、自己の霊性に目覚め、最後の生を個性的に充実させ、自分なりの死の設計をするように導いている。このケアは修行や巡礼の理想とされる自然法爾、如実知自身の悟りに通じるものである、現在は未亡人や未婚の女性の孤独な死が増加している。こうした中で身寄りのない老人が晩年を共に過ごし、共に葬られる共同墓が作られている。また葬儀を死者の意志に委ねる意識が芽生え、そのこともあって、散骨、樹木葬、宇宙葬や、個人の遺骨をペンダントなどに加工して手元で供養するなどの新しい葬法や供養法があらわれている。
著者
華園 聰麿
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.915-946, ii, 2005-03-30

日本における宗教研究の百年の歩みを、比較宗教学および宗教現象学の分野に限って見る場合、欧米の研究に触発されて、その基本的な概念や方法を吸収し、応用してきたというのが、大筋の展開である。研究の内容では、学説や概念並びに方法などに関する理論的研究や批評が目立ち、比較研究においては、研究の環境あるいは条件の特殊性にも制約されて、分類論や類型論を目指すものよりも、宗教現象に着目した比較研究に特色が認められる。このことは宗教現象学の分野においても同様で、豊富な宗教史の資料をもとに宗教の普遍的理解を追究するよりも、個別の宗教現象の意味や構造を解明する研究に独自のものが見られた。
著者
坪光 生雄
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.1, pp.53-77, 2015-06-30

チャールズ・テイラーの大著『世俗の時代』を読み解く際に無視することができないのは、その所論と著者自身の宗教的アイデンティティとの連関である。テイラーがカトリックのキリスト教徒であることはかねてより周知であるが、その信仰の立場を彼の思想全体との関連においてどのようなものと理解するのが適切であるかについては、なお議論を争う余地がある。読者は、多声からなる『世俗の時代』の議論のうち、どの記述にテイラー自身の声を読み取ればよいのだろうか。ここで本稿が試みるのは、テイラー思想の宗教性を、その目指すところの解明によって特徴づけることである。テイラーは今日という世俗的な時代につきまとう二つの困難なジレンマを精査する中で、その解決への希望をある有神論的見解への「回心」のうちに見出している。超越と内在との相剋を和解させ、暴力による「切断」の連鎖を赦しによって終わらせるのは、肉となった神への信仰なのであった。
著者
新谷 尚紀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.2, pp.343-368, 2014-09-30

折口信夫によれば和語の幸(さち)とは獲物を獲る威力でありそれを体内化する霊力であった。和語のしあわせは仕合せでありよいめぐり合わせの意味である。幸福(こうふく)はhappy, happinessの翻訳語である。和洋混淆語としての幸福(しあわせ)とは何か、それは人それぞれの感覚であり常在する実体ではなく、はかない夢まぼろしのごときものである。であればこそ、人びとはその再生への繰り返しとその持続と継続とを渇望したのであった。民俗学が昭和初年に実施した「山村生活調査」で語られていた仕合せとは、「財産・勤勉・長命・円満」のことであり、それを世代をつないで維持し継承することであった。食欲、性欲、名誉欲など瞬時で消える幸福(しあわせ)と再生される幸福(しあわせ)との関係、それは充電と放電の繰り返しにたとえることができる。充電という労働がなければ放電という享楽はない。伝承分析学としての日本民俗学の視点からいえば、ハレとケの循環の中に幸福(しあわせ)が再生産されている構造、それこそが幸福(しあわせ)の実在である、と読み取ることができる。
著者
横田 理博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.789-811, 2009-12-30

西田幾多郎の『善の研究』がウィリアム・ジェイムズからの大きな影響のもとに成立したことは周知である。これまでの研究では、両者の「純粋経験」概念の共通性と異質性とが問題とされてきた。しかし、本稿は、従来の研究が「純粋経験」に関心を向けてきたがゆえに、西田とジェイムズとの本当の関係が見失われてきたのではないかという疑念のもとに、次の二点に光をあてる。第一に、両者は「神人合一」の「宗教的経験」という状態を宗教論の中心に置いた。とはいえ、ジェイムズの考察が経験科学的な宗教心理学の立場であるのに対して、西田は独自の宗教哲学を語ろうとした。第二に、科学の抽象性よりも現実そのままの豊かな光景を本質的なものとするフェヒナーの思想に両者は共感している。しかし、ジェイムズが「多元論」的立場をとるのに対して、西田は「一元論」的な立場をとる。