著者
富積 厚文
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.157-181, 2013-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿は運命に対する人の態度を軸として、スピノザ(Brauch de Spinoza, 1632-1677)の存在論における必然性の問題について考察するものである。そのためにまず、九鬼周造の学説を手がかりとして「運命」の現れ方を検討し、それが人間精神のうちにその他の考えを容れる余地を与えぬほど容易には逃れえない強烈な「表象」を抱かしめる「原因」であることを示す。次に、ライプニッツの行った対スピノザ批判を考察することを通し、「運命」の二つの顔を明らかにするとともに、人間たちは「運命」を自由に判断することができないとするスピノザの主張を確認する。そして最後に、これまでの成果を踏まえた上で、<運命の受容>に関する問題を検討する。ここでは現実的存在の基礎解析と表象としての時間の解明がなされる。結論として、スピノザの思想にそって「運命」について考えて行くと必然的に神の「恩寵」の問題に逢着することが示される。
著者
山口 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.3, pp.49-71, 2017

<p>本稿は、日本におけるエホバの証人が、その特異な教説と実践をほとんど希釈することなく二十一万人を超える現在の教勢を築いてきた背景を、日本支部設立の過程における世界本部の布教戦略に着目して検討するものである。資料としては教団発行の刊行物を参照した。検討の結果、エホバの証人において重要な位置を占めているのは「神権組織」と称される組織原則であり、この原則における世界本部への忠節さは神への忠節さを意味するため、日本人信者にとっては社会への適応・浸透以上に世界本部への忠節さが課題となっていたことが明らかとなった。遅くとも一九七〇年代半ばには「神権組織」に忠節な日本支部が確立され、数多くの日本人信者たちが本部の方針に従い「開拓」と称される布教活動に参加した。特徴的な教義でもある予言の切迫感が布教意欲を高めたこともあり、布教の成功率が低い社会状況にありながら膨大な時間が宣教に費やされたことが、その後の教勢拡大を促した。</p>
著者
芹澤 寛隆
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.3, pp.421-444, 2015-12-30 (Released:2017-07-14)

日蓮が書いたとされる文章、通称日蓮遺文は非常に多く現存しているが、その真偽については、未だにその評価が定まっていないものも多い。真偽の問題については、現在もなお研究者間で意見が分かれており、明確な基準が存在しない。特に近年は日蓮遺文中にみられる中古天台思想の濃淡という、これまで大きな判断基準とされてきたものが揺らぎつつある。こうした現状を受けて本稿では、日蓮の文章中に見られる説話の内容及びその受容の可能性から、日蓮遺文の真偽判別の可能性を提示した。その結果、これまで真蹟とされてきたいくつかの文献について、疑わしい可能性があることを示すことができた。こうした判定は、これまで行われておらず、日蓮の文章における真偽判定の問題に一石を投じることが出来ると思われる。同時に、説話を用いての真偽判定は、日蓮滅後の門下における偽書作成の土壌を確認し、彼らによる齟齬を見つけ出すのにも有効であると考えられるのである。
著者
岩崎 賢
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.679-702, 2003-12-30 (Released:2017-07-14)

本稿の目的は古代アステカ人の宗教伝統の中心的要素である人身供犠に関して、宗教学的視点から新たな解釈を行い、従来と異なるより適当なアステカ宗教像を提示することにある。メキシコの歴史家アルフォンソ・カソの議論以来、研究者はアステカ人の供犠の説明として、アステカ人の神話に基づいて、彼らは人間の体を食料として捧げることで守護神である太陽神に活力を与え養おうとした、という説を採用してきた。しかし近年のいくつかの考古学的発見により、このような「太陽神の食事」式の説明はもはや支持し得ないものとなってきている。実際、この儀礼はいわゆる原初巨人解体神話という神話的主題、および建築儀礼との関連において理解されるべきである。筆者はここで「食べる」と「建てる」という二つの概念を鍵として、アステカ宗教と供犠の新たな理解のあり方を探りたいと考えている。
著者
鎌田 東二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.805-827, 2008

本稿は、「宗教における行と身体」について、理論的かつ実践的な観点を交えて考察し、現代におけるその意味とかたちについて問題提起したものである。宗教的行の起源は狩猟技術にあり、日本列島に発達した修験道はその系譜を引くものである。いのちがけの闘いの自己内化と超越として宗教的な行が生まれた。それはわが身と心を制御し、自己の本源を訊ね、神仏や大自然と一体化する修行法を編み出した。そのような修行の本質と諸相を検証し、自らの東山修験道の実践のー端を例示する。
著者
権 東祐
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.1, pp.27-51, 2018

<p>従来の近代神道研究は、国家神道の制度的な成立史を中心として論じられており、その視野は「日本」という地域に限られてきた。この制度史的な視点からみれば、国家神道と教派神道を明確に区別するのは当然である。しかし、「帝国日本」まで視野を広げつつ、教派神道の海外布教を再検討することからみれば、近代の国家・神社・神道は密接に相互交換の関係をなしており、国家神道と教派神道の線引きが曖昧になる。近代の神道は制度に縛られない形で展開していたことがわかる。そこで小論では、国家神道中心の神道像を超えて、神道史の中に多様にあらわれる「近代神道」像を構想する。そのためにまずは、神道の朝鮮布教時期や目的など、従来の新宗教研究における不備点や錯誤を修正した上、神道修成派・黒住教・神宮教の朝鮮布教を中心に「近代神道」研究の新たな方向を示す。</p>
著者
久松 英二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.455-479, 2010

ビザンツ末期の一四世紀に正教修道霊性の中心地アトスで始まったヘシュカズムの霊性は、心身技法を伴う「イエスの祈り」の実践と、神の光の観想の意義および正統性弁護のための理論から成り立つ。体位法と呼吸法を伴った「イエスの祈り」は、ビザンツ修道制における静寂追求の伝統上に位置づけられるが、それによって得られる光の観想体験は「タボルの光」という聖書表現をもって解釈しなおされた。次に、ヘシュカズムの理論レベルにおいては、光の観想をめぐる東方キリスト教的な解釈が注目される。その特徴を端的に表現するのが、「働き」(エネルゲイア)という概念で、この概念は光の観想体験の意義および同体験の正統性の説明として機能する。よって、ヘシュカズムの理論は内在や本質の抽象論より、働きや作用のダイナミックな具体論を特徴としている。そのような理論に支えられたヘシュカズムの霊性は、「エネルゲイア・ダイナミズムの霊性」と称してもよかろう。
著者
西村 玲
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.531-552, 2012

明末新仏教の先駆けとなった雲棲〓宏は、生涯にわたって不殺生と放生を実行し、現代まで広く崇敬される。仏教における不殺生の原理は、梵網経を根拠として、インド由来の輪廻説と中国における孝道が一体化したものである。十六世紀末から始まったキリスト教中国布教の中心であったマテオ・リッチは、その教理書『天主実義』で、人間が動物を殺すことは天主から与えられた恩恵であると主張し、仏教の輪廻と孝による不殺生を不合理であると批判した。〓宏は肉食に生理的な拒絶を示して、人と動物の平等を説いた。〓宏にとっては、人も動物も同じ肉であり、動物の肉を食することは人肉食にも等しい行為だった。輪廻にもとづく不殺生の思想は、現世一生の閉塞から無限の過去世と未来世へ、人の現身から六道の多種多様な存在へと、魂をひらく回路である。〓宏の不殺生思想は、明末庶民の生活に即した平易な形で説かれ、その一つである放生は身近な善行として一般化していった。
著者
塩尻 和子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.565-589, 2004-09-30

今日、イスラームに関する宗教間対話は緊急の課題であるが、効果的な対話を実施することは難しい。しかし、過去の歴史に学ぶことも重要ではないかと思われる。九世紀から一二世紀のイスラーム神学思想の文献のなかには伝統的イスラーム世界の他宗教観がみられる。本稿は、ムウタズィラ学派のアブドゥル・ジャッバールの主著『神学大全』の研究を通してあきらかになる彼のキリスト教理解を、今日の宗教間対話に役立つ資料として検討する試みである。ムウタズィラ学派は神の属性について独自の理論を展開したが、これはキリスト教の三位一体説のペルソナ理論に近いものである。彼は、三位一体説に関するカルケドン決定と当時の東方教会の立場について的確に把握して批判しており、そこから神の属性論へつながる方法論をたくみに採用している。古典文献の研究にも今日の宗教間対話や平和的共存の構築に寄与できる材料が見つかるように思われる。
著者
渕上 恭子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.381-406, 2006-09-30 (Released:2017-07-14)

司法の場で稀代の「科学詐欺劇」として裁かれることになった韓国ES細胞論文捏造事件の特異性は、国民的英雄と称された科学者が前代未聞の論文捏造に走ったことに加えて、「ヒトクローンES細胞」の作製という虚構の研究に、二千個を超える厖大な数の卵子が不正に提供され、使い潰されていたという衝撃的な事態にあると思われる。韓国における研究用卵子の大量不正流用は、「ヒトクローンES細胞」の樹立を成功させ、生命工学分野で世界の第一線に踊り出ようとするバイオ・ナショナリズムと、韓国の生命工学の急速な発展を後押ししてきた「不妊治療」の文化的特異性が絡み合って起こったものと思われる。科学史上最大級の論文捏造スキャンダルに輪をかけた「卵子倫理問題」の背景を、韓国のバイオ・ナショナリズムと「不妊治療」のコンテクストを考察しながら探ってゆきたい。
著者
安蘇谷 正彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.1059-1081, vii, 2005-03-30

近・現代における「神道研究」の百年を振り返ってみると、神道研究には、〔I〕神道の科学的研究と〔II〕神道学の二種類あることを提唱した。〔I〕の科学的研究には、神道の〔1〕宗教学的研究、(2)歴史学的研究、(3)民俗学的研究、(4)考古学的研究、(5)神話学的研究、(6)日本思想史学的研究などがあろう。〔II〕の神道学とは、日本の神々信仰の言葉化や理論化を目標にしながら、神道を研究することと規定したい。次にこれらの研究分野ごとに、主要な研究業績を紹介し、各分野の先駆的研究者の研究目的などを中心に述べる。終わりに神道の宗教学的研究者の主要な業績を紹介し、とくに先駆的研究家・加藤玄智の神道論と戦後もっともよく読まれた村上重良著『国家神道』の主張を取り上げた。神道研究者が即ち神道学者と言えないと論じている。
著者
岡田 聡
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.127-151, 2010-06-30 (Released:2017-07-14)

サルトルによれば、実存主義は実存を強調するので「私が代表する無神論的実存主義はより論旨が一貫している」。ヤスパースは、どのような論理で、実存を強調するにもかかわらず超越者について語ったのか。本稿では、一性という点での実存と超越者の相即性について考察する。多なるものから一なるものを選択するという主体的で自由な決断を下す者は、自己存在を散漫状態から一性へともたらすことによって自己自身を獲得する。一性は実存それ自身の根本特徴である。また、超越者とは「あらゆるものの根拠としての一なる存在」であり、一性は超越者の根本特徴でもある。ヤスパースによれば、「私は超越者の一なるものにおいて私の本来的な自己存在を見出す」のであり、実存するとき、一性という点での実存と超越者の相即性が示される。しかし、実存の一性と超越者の一性とは本質的には異なるのであり、実存と超越者の相即性は、両者の最大の近さと最大の遠さの矛盾のうちに成り立つものなのである。
著者
宇野 功一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.673-699, 2014

祈りとは、人格的または非人格的な絶対的超越者の存在を前提として、何かに注意を集中することで、自己や他者や世界の存在の様態を自己の内面で変革しようとする行為である。この定義に基づき、グルジェフの祈祷論を検討する。彼は祈る対象として、祈りに専念しやすいからという理由で、神・祈祷者自身・祈祷者に最も近しい生者を措定した。そして祈られた願望を達成するのは非人格的な神や、祈祷者に最も近しい生者ではなく、祈祷文などにたいする祈祷者自身の注意の集中だと考えた。それは自己観察兼自己想起を伴う修行法でもあった。彼はまた、祈祷者が適切なやり方で祈ればその肉体に具わっている磁気という物質が変容すると説いた。彼はさらに、この変容は肉体にたいする魂であるアストラル体の形成を助けると説いた。彼の祈りは言語の使用に重きを置いた、自己の存在の様態の変革を志向するものであった。
著者
阿部 珠理
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.237-264, 2011-09-30

アメリカ先住民ラコタ・スー族の社会における伝統の継承と実践を、ウォ・ラコタ-「ラコタの道」を中心に論じる。ウォ・ラコタはラコタ族としての生き方であり、彼らが、生きる指標とする価値の体系がそこに集約されるラコタ・アイデンティティの源泉である。本稿では、現在ラコタ族がおかれている社会状況を概観し、ウォ・ラコタを構成するものを「四つの徳」と「七つの儀式」と位置づけた。またそれらの継承と実践に果たす、「メディスンマン」「ティシパエ」「学校教育」の役割を考察し、その重要性を明らかにする。ことに教育機関における言語・伝統教育の制度的導入は、今後のラコタ族の社会、文化の再生にも貢献する可能性を示すものとして、着目している。